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シリーズ平成の本音―戦後70年首相談話、誰のためのお詫びか? (その1)

2015-09-19 | Weblog
シリーズ平成の本音―戦後70年首相談話、誰のためのお詫びか? (その1)
 戦後70年を迎えたのに際し、8月14日、安倍首相は閣議において首相談話を承認し、同日夕、発表した。首相談話については、安倍首相は、かねてより未来志向の内容にしたいとの意向で発表に意欲を示していたが、同首相が国会審議の場において、従軍慰安婦問題や大東亜・太平洋戦争について‘侵略の定義はない’などとして‘侵略戦争’を否定する答弁などをしており、また‘戦後レジームからの脱却’を標榜するとともに、靖国神社参拝を‘内閣総理大臣’として行うなどから、中国や韓国などから懸念が表明されていた。
8月15日の終戦の日には、戦後50周年(1995年)に村山首相談話、60周年(2005年)に小泉首相談話が出されている。その中で、‘過去への反省’については安倍首相自身も既にいろいろな形で表明しているので問題視されることはないが、注目されている歴史認識は、‘侵略戦争’と‘植民地支配(統治)’、及び‘お詫び’である。この表現については、自民党や一部保守系知識人・マスコミ・評論家を中心とする保守層から根強い反発があることも事実である。
 今回の談話では、過去の談話を踏襲し、この3つの表現が入っており、‘過去への反省’を踏まえ、不戦を誓い、国際平和に積極的に貢献して行きたいとの姿勢が表明されたことは評価されるところであろう。しかしこれらの言葉は、歴代内閣で表明されたことを引用し、継承するとしており、いわば第三者的な表現となっており、また‘お詫び’についても、‘次の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはならない’として謝罪から解放されたいとの気持ちをにじませているとも言えよう。
 しかし、大東亜・太平洋戦争に関する‘お詫び’とは一体誰に対するものなのだろうか。談話には必ずしも明示されていない。
 1、中・韓両国を含むアジア諸国のためだけではない‘お詫び’
 中・韓両国を含むアジア諸国については、日本軍の侵攻、統治を通じ多くの死傷者や各種の被害、損害を与えたことは事実であり、時代的、歴史的な背景があったにせよ私達の先達が行ったことであるので、それに対し真摯に‘お詫び’するしかないであろう。国家間においては、戦後賠償として物的な償いは行われている。
 しかし私達の先達が主導した大東亜・太平洋戦争により、沖縄が陸上決戦地となり、広島、長崎が原爆投下被害に遭った他、東京ほか主要都市が集中的な空爆被害に遭い、南太平洋に展開されていた軍人の他、一般民間人、女性や子供を含め約310万人もの日本人が犠牲となり、都市が焦土と化し、多くの悲劇を生んだことなど、日本人自体に甚大な被害を与える結果となったことを忘れてはならない。
 首相が改めてアジアの関係諸国の国民に‘お詫び’をするのであれば、日本国民、特にご遺族の方々にも‘お詫び’をすべきではないのだろうか。
 昭和天皇の責任についてはなかなか難しい。昭和天皇が危険を冒して1945年8月15日に終戦宣言を行っていなかったら、第3、第4の原爆の犠牲が出たであろうから、その悲劇から救ってくれた。また日本の天皇制は、日本統一の基礎を築いた神武天皇以来の約2500年の長期にわたる文化的、社会的な遺産であり、世界でも類のない人間遺産であり、また象徴として多くの国民に親しまれている。更に実体的に昭和天皇は、専制君主ではあったが、軍事政権に服さざるを得なかったのであろう。だが昭和天皇は軍事大権を持っており、軍の最高指揮者であったので、全般的な監督責任や結果責任は残る。
 この点は、時の政権や軍部が伝統的な権威者を祭り上げて政権を牛耳じることになると、専横化しあらぬ方向に暴走するという歴史的な教訓ともなる。

 2、 原爆投下による広島、長崎での大量殺りくへの責任     (その2に掲載)
    (2015.8.14)(All Rights Reserved.)
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シリーズ平成の本音―新国立競技場見直しの責任問題、当事者能力の無さを露呈!

2015-09-19 | Weblog
シリーズ平成の本音―新国立競技場見直しの責任問題、当事者能力の無さを露呈!
東京オリンピック2020の目玉となる新国立競技場の建設について、放漫な建設計画として各界からの批判が強いことを背景として、迷走の挙句、安倍首相とオリンピック組織委会長の森喜朗元首相との会談後、白紙撤回され新たな建設計画に着手されることになった。
ところが総工費が2,520億円(実体的には3,000億円内外)となったことや、各界から強い批判があったにも拘わらず迷走し、対応を誤ったことについては、首相が‘最終的に責任は自分にある’と言っている以外、文科大臣、事業主体の(独法)日本スポーツ振興会理事長、オリンピック組織委会長・事務総長のいずれからも責任が表明されず、責任のたらい回し状態となっている。
 2020年東京オリンピック実施については、これまで文科大臣の下で、オリンピック組織委があり、国立競技場の事業主体である(独法)日本スポーツ振興センターがあるので、いずれにも責任がある。しかし安倍首相とオリンピック組織委会長の森喜朗元首相との会談後にやっと白紙撤回され、新たな建設計画に着手することになったことから、元の案に固執し迷走を長期化させた責任はオリンピック組織委会長にあったえことは誰の目からも明らかだ。
 それを検証する第三者委員会は、6人の委員で構成され、8月7日に初会合を開き、柏木昇東大名誉教授を委員長に選び、9月中旬にも報告書を取りまとめることされている。第三者委員会に責任を検証させなくてはならないこと自体が無責任な体制を露呈した形だが、第三者委員会は独立の権限があるわけではない上、委員長の東大名誉教授は、文科省所管の国立大学の公務員であるので、担当大臣に責任があるなどとは言える立場ではない。また文科省が所掌する(独法)日本スポーツ振興センターや組織委の会長に対しても同様で、結論は曖昧なものになることが見えている。
 元オリンピック選手の為末大氏が委員になっているが、スポーツは文科省の所掌であり、担当大臣やスポーツ関係団体上層部の責任を追及するようなことは出来ないであろう。他の4人の委員もそれぞれ経理、法律、建築技術等の分野の専門家でしかない。
 報告書の原案は事務方が作成し、若干のコメント等は行うとしても、他のこの種有識者会議同様、基本的には第三者委員会はこれを了承するという形となるのであろう。
 政府は、各種審議会、委員会の他、最近では‘有識者会合’と称する外部委員の会議を多用しているが、今回の第三者委員会同様、構成する委員が国・公立大学の教授等の公務員で政府関係部局が所管する下部組織関係者であったり、直接の利益関係者であったりすることが多いので、公平性、客観性において偏向が強い上、事務は行政当局が担当するので、あたかも外部の意見も聞いたという体裁を整える、或いは蒸気抜き的なもの以上の効果は期待できない。また首相の下の経済諮問委員会などで、‘民間議員’という用語が保守系紙などで使われているが、‘議員’というのは選挙で国民から選ばれた者として一般的に使われており、国民から選ばれた者でもない民間人をあたかも選ばれた者のように‘民間議員’と呼ぶのは、紛らわしいだけで不適切だろう。
 各省庁の審議会や委員会については、独立の権限もなく屋上屋の無駄であり整理すべしとの指摘がなされて来たが、有識者会合や第三者委員会等についても、乱用は責任逃れと受け取られ、必要性自体が問われても仕方がないであろう。(2015.8.9.)
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シリーズ平成の本音―参院選挙制度自民改革案、憲法、有権者軽視を露呈

2015-09-19 | Weblog
シリーズ平成の本音―参院選挙制度自民改革案、憲法、有権者軽視を露呈
 2016年7月に予定されている参議院議員選挙に向けて、自民党総務会は7月22日、「違憲」の状態になっている1票の格差を是正すべく、「鳥取と島根」、「高知と徳島」をそれぞれ1つの選挙区にする「合区」とするなど、定数を「10増10減」する公職選挙法改正案を了承した。
 自民党は、この改正案を維新の会や次世代の党など野党4党と参議院に共同提案し、24日にも同院で採択され、衆議院に送られ、採択された。
 これにより、前回の参議院選挙で最大4.77倍だった一票の格差は、2.97倍となる見通しであるが、一定の評価が出来よう。
しかしこの改正案は格差を3倍以内に手直する申し訳程度の改正であり、次のような根本的な問題がある。
1、この程度の手直しでは「違憲」とされる可能性大
この改正案により1票の格差は、2.97倍になるが、‘改善’には程遠く、このまま実施することになれば、裁判で「違憲」と判断される可能性が強い。「違憲状態」との判決だから「違憲」ではないという解釈は不適正であろう。「違憲」は「違憲」なのである。「違憲」の状態が長期に維持されて来たことが大問題である。裁判所が基本的には1対1であるべき「平等性」に恣意的な判断を示してきたことにも責任がある。
更に衆議院では従来格差2倍以内、参議院では5倍以内で違憲ではないとされて来たが、両院とも小選挙区と比例代表という選挙制度は類似であるにも拘わらず、衆参両院では1票の重みにおいて格差を付けている。参議院では1票の格差に衆議院以上の下駄を履かせて良いという合理的な理由は全くない。その上、今後の地方の少子化、人口減と首都圏への人口集中が継続すれば、数年で3倍を超えることは目に見えている。
このような中で、自民党の脇雅史参院幹事長(当時)は、7月10日、‘10増10減案は1票の格差訴訟で違憲と判断される可能性がある、’‘違憲立法に関わることはできない’としてこれに反対し、自民党会派に離脱届を提出した。自民党員の中にも若干の良心、良識が残っているようであり、若干の救いである。
野党民主党は、もとより自民案に反対であり、合区を10にすることを提案している。
 憲法は国民の「平等性」を規定しており、正に民主主義の原点となるが、憲法を軽視する自民党の姿勢を露呈した形だ。
 2、定数削減や議員歳費・諸手当、政党助成金問題を無視
 「選挙制度見直し」ということであれば、2012年11月の党首討論で安倍自民党総裁(野党、当時)は解散総選挙の前提として野田首相(民主党代表、当時)に対し「定数削減」を確約していた。従って、区割りを検討する以前に、抜本的な「定数削減」を提案すべきであろう。財源の逼迫と今後の人口減を考慮すると3割程度の削減をして置く必要があろう。自民・公明連立政権は、これら国会での確約、国民への約束を果たしていない。国会で表明された以上、民主党に対してのみならず、国民への約束違反であろう。
 また定数問題とは別に、国民に消費増税や復興特別税を強い、他方で年金給付額の削減、健康保険料や介護保険料の実質引き上げなど、国民に多くの負担を強いていながら、議員については議員歳費・諸手当は削減等されていない。一律3割程度の削減が適当であろう。また地方公務員や各種独立行政法人等を含む公務員の定員についても、一律3割削減が実施されるべきであろう。
 政党助成金については弊害が多い。各議員は、所属政党からの助成金に縛られ、各議員の意見は無視され、党議に拘束される。各議員は、選挙区を代表していながら異論は言えない状況であり、民主主義と表面では言いながら、議員の表現の自由は大幅に抑制されている。閣僚や党役員にならないと、議員としての存在感もない。それならば議員定数を大幅に削減してもよいのであろう。
 また有権者の4割前後は“無党派層”であり、更に党員となると遥かに少ないので、政党で分けるというのは有権者の民意を反映することにはならない。政党助成金ではなく、一定の条件で、議員候補者に選挙費助成する方法を検討することが望ましい。
(2015.7.24.)(All Rights Reserved.)
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