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シリーズ平成の本音―参議院、非常識の府の醜態

2015-09-24 | Weblog
シリーズ平成の本音―参議院、非常識の府の醜態
 集団的自衛権行使を含む安保関連法案を審議していた参議院特別委員会は、9月17日午後、同法案を強行採決した。
 そもそも参院特別委員会は、同日午前8時50分からの理事会の後、午前9時から開催される予定であった。しかし自民党を中心とする与党は、8時50分に理事会室から看板を外し、委員会室に掛け替えて、委員会室での理事会開催を開催し、そのまま同委員会室での法案採択を図ろうとしたことから、野党が強く反発し、紛糾し、委員会採択が午後に大幅にずれ込んだ。また鴻池委員長(自民党)の委員会開催宣言を巡ってつかみ合いの混乱が生じるなど、紛糾した。
 理事会室から看板を外し、委員会室に付け替えたことについては、与党議員には知らせてあり、直接委員会室に参集していたが、野党議員はすっぽかされた形となった。野党が怒るのも当然だ。会議というのは、時間と場所が明確に記載され、すべての委員に通知されなくては適正に招集されたとは言えない。公的な国会であれば尚更だ。明確なルール違反であり、法令順守(コンプライアンス)に反する。
 一部の与党議員やマスコミ、報道関係者の中には、理事会室周辺の廊下に野党議員が集まって開催をブロックしていたので、野党側にも責任があるなどと解説する者もいる。しかし先の公聴会で与党推薦の学者が‘集団的自衛権行使については違憲’と証言し、また多くの憲法学者等も違憲とし、国民の80%内外が説明は十分ではない等としているのも拘わらず、強行採決を仕掛けて来ていたのは与党であり、第一義的な責任は与党の国会運営や世論を無視する姿勢にあったと言えよう。野党の力によるブロックや採択阻止の行動も、国会議員として褒められたことではなく、反省すべきであろう。
 そして特別委員会の本法案採択を巡って、議長席を取り囲んで力ずくでブロックする議員の醜態が世界に配信された。多くの人の目には、これは野党が審議をブロックしている姿と映った。だがこの醜態は、自民党など与党が採択を強行するため議長席を力ずくで防護していたものだったことが分かった。その首謀者は、同委員会の筆頭理事(自民党)の佐藤正久議員で、それを阻止しようとしていた議員をこぶしで殴っている姿が放映された。
佐藤参議院議員は自衛隊出身の安保通として知られているが、国民が一番恐れていたことが起こったと言えよう。自衛隊は非常、緊急事態には反対する国民に銃を向けることも有り得るということだ。そして与党自・公政権はこれを政策遂行に利用する。
 多くの国民が憲法違反だと見ている集団的自衛権行使の任務を強いられ、そのために命を失うリスクが高まる自衛隊に応募しないことが一つの選択肢なのかもしれない。
 国会は国権の最高機関であり、法律を作る機関である。その参議院で、与党が姑息な規則違反、コンプライアンス違反を行うことは、どのような理屈を言おうとも、許されて良いものではない。それが認められるようでは、詐欺師や犯罪者にも一理ありと言うに等しい。法律など作る資格はない。
 もっとも民主主義の原点である平等性において、前回の参議院選挙でも有権者の一票の格差は最大4.77倍であり、長期間‘違憲状態’にある。与党側は従来から、‘違憲状態’であり‘違憲’ではないとして、余り意味の分からない理由で‘違憲状態’を続けて来た。しかし選挙は無効ではないが、‘違憲’は‘違憲’であり、憲法の平等性を無視した‘違憲状態’の参議院であるので、本来、法律など作る資格はないのであろう。一票の格差は、次回選挙では2.97倍となるようだが、基本的には1対1であるべき「平等性」を基準とすると、平等性を規定している憲法に反すると言える。
 衆議院についても長年‘違憲状態’である上、2012年の選挙では1、2の選挙区において高裁レベルで‘違憲’、選挙やり直しの判決を受けている。
 国会は、衆・参両院とも長期にわたり‘違憲状態’を続けて来ており、それを歴代政権与党が黙認して来たことが国会の正当性を失わせて来たように思われる。その上、残念ながら違憲選挙で当選して来た議員であるので、その中には国民を代表する資格がないような人が居ても不思議はないのだろう。独立であるべき司法が、基本的には1対1であるべき「平等性」に恣意的な判断を示し、明確な判断を下し、司法としての独立の責任を果たして来なかったことが、与党議員の憲法軽視を助長して来たのかも知れない。
 安保関連法案は、9月19日、衆議院で採択されたものが参議院で採択され、成立した。今後舞台は司法の場に移る。集団的自衛権の行使の違憲性についての判断が司法に委ねられるが、日本の安全保障に関係する問題であるので緊急な判断が求められる。
 同時に、今回も参議院は衆議院の下部機関、或いは予備的機関のようなもので、予算では30日ルール、その他法案では60日ルールで衆議院が優先することが明らかとなった。そうであれば参議院に242人もの議員は必要なさそうだ。衆議院の暴走の歯止めとなり、じっくりと審議し、国民の理解を高めるために120人程度の参議院議員は必要かもしれないが、それ以上は削減すべきであろう。また選挙制度も、衆議院と同じような小選挙区制・比例代表併用ではなく、広く国民層から高い見識と良識を有する候補から選べるような独自の選挙制度が不可欠であり、それが困難であれば、廃止か無期限休会としても良いのではなかろうか。(2015.9.19.)(All Rights Reserved.)
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シリーズ平成の本音-‘自衛隊員の安全を守る’は世界の笑いもの!?

2015-09-24 | Weblog
シリーズ平成の本音-‘自衛隊員の安全を守る’は世界の笑いもの!?
安倍政権は、日本の‘存立危機事態’に際する集団的自衛権行使を含む安全保障関連法案を衆議院で採択し後、参議院の審議も終盤を迎えており、9月18日ころまでに成立を期している。
この安保関連法案の最大の焦点は、集団的自衛権行使に伴う武力行使が合憲か否かであり、多くの憲法学者等が違憲としている。
しかしもう一つの現実的な問題は、派遣され場所での自衛隊員の‘安全確保’が求められていることだ。国連の平和維持活動(PKO)や多国籍軍等の下での兵站支援や復興支援目的などでの自衛隊派遣に際し、自衛隊と同一行動を取っている諸国や同盟国の軍隊が反政府軍やテロ組織等により武力攻撃された場合、自衛隊は、駆けつけ援護を含めて敵対勢力に対し反撃をすることが可能になるが、戦闘に巻き込まれることになる。政府側は、自衛隊員の‘安全確保’は義務であり、安全確保に努めるとしている。駆けつけ警護を含めて敵対勢力に対し反撃を可能にしておいて、安全確保もないものだ。安保関連法案は、戦闘の可能性を広げており、自衛隊員の安全が損なわれる可能性は高まる。
政府は、自衛隊員の‘安全確保’は義務であり、努力するなどとしているが、何らかの形で敵対勢力から武力攻撃されることは排除されず、ましてや応援的反撃の場合には交戦となることは避けられず、それが任務であるので、現場での自衛隊員の‘安全確保’などは空ごとに過ぎない。危険な地域に派遣されるので、相応の武器を携行している。
安全の問題は、派遣される自衛隊員以上に、このような自衛隊の海外派遣、国際的な平和・治安活動への参加拡大に伴い、敵対勢力から日本人や日本自体が敵視され、安全が損なわれる可能性も考慮されるべきであろう。2003年12月に、米国よりの強い要請で、イラクのサマアに‘人道復興支援’のため自衛隊が派遣されたが、2009年2月までの派遣期間に、死者は出なかったものの何回も施設周辺に砲撃等を受けている。しかしそれ以上に、自衛隊のイラク派遣に対し、モスレム過激派アルカイーダは、日本を敵対国に含め、世界のどこでも日本人を攻撃すると表明した。その警告は、2015年1月に日本人2人がイスラム国に処刑されたことに繋がっている。日本の国際的な平和・治安活動への参加拡大に伴い、日本国民が世界でより大きな脅威にさらされることを認識し、そのための安全策を講じることの方が大切だ。
更に、同盟国米国や友邦国の軍隊と自衛隊が共同行動等を取っている際に、同盟国の艦船等が敵国より攻撃された場合、集団的自衛権行使の一環として、自衛隊が援護のため敵国を攻撃する場合が想定されている。この場合、敵国は日本を攻撃しているものではないのに攻撃してきたと捉え、自衛隊に反撃して来るであろうし、場合により、この敵国への日本の宣戦布告と解釈され、日本を武力攻撃の対象として来ることも有り得るので、自衛隊だけでなく、日本自体の安全に重大な影響を与える可能性がある。集団的自衛権の行使は、一定の抑止力となろうが、危険も広がる。
首相側は、日本人の生命と財産を守るためと説明しており、確かにその面はある。しかし集団的自衛権の行使については、米国の安全を守り、米国の世界戦略と世界の警察としての役割を自衛隊を派遣して協力する可能性を確保するためのものであり、日本は自衛隊員や日本人の命を掛けて双務的に同盟関係を促進することを第一義的な目的にしている。
新たな‘安全神話’を作り出すのではなく、集団的自衛権行使や国際的な平和・治安活動への参加拡大により、派遣された自衛隊の安全が損なわれる可能性は高くなると共に、日本人自体の安全にも重大な影響を与えることにつき、日本国民の理解と同意を得る必要であろう。その歯止めが憲法となっているのであろう。(2015.9.19.)(All Rights Reserved.)
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シリーズ平成の本音-軽減税率の還付方式は問題だらけ!

2015-09-24 | Weblog
シリーズ平成の本音-軽減税率の還付方式は問題だらけ!
消費税が8%に増税され未だに負担感がある中で、2017年4月より10%に増税され、生活が圧迫され、結果として消費が更に抑制されことが懸念されている。このため食料など必需品については軽減税率とすることが検討されていた。
この中で財務省は、消費税率10%への引き上げに際し、購入時には一律に消費税10%を支払うが、‘酒を除く飲食料品の2%分を購入後に消費者の申請に基づき還付する’案を検討していると伝えられている。
還付方法については、購入時に「個人番号(マイナンバー)カード」を使用し、そこに‘軽減ポイント’を貯め、一定のポイントに達したら申請し、指定の銀行口座に還付される仕組みのようだ。但し還付額の上限は年間で1人4,000円程度にすることを検討中だという。
10%への消費増税に際し、‘酒を除く飲食料品の2%分’につき還付されることは、若干の負担軽減として評価できるが、この案については財務大臣が‘面倒くせえ’と言ったとかであるが、それ以上に重大な欠陥があり、この還付制度の導入には多大の疑問がある。
1、購入時の消費者の負担感は軽減されない
この還付制度の下では、購入時に一律10%の消費税を支払うことになるので、負担感は現在の8%以上となるので、一般の消費を抑制することになろう。現在、インフレターゲットが導入されたこともあり、便乗的に多くの商品が消費増税率を上回る10%~20%前後の値上げ(場合によりサイズや数量の削減)されていることと相まって、消費者は1円でも安い商品を探す傾向が強くなっている。実際上、日常消費は低迷している。一律10%の消費税増税分をレジで払うこととなれば影響は大きく、軽減税率の意義は低下する。
2、販売業者の納税負担は一律10%
中小、零細の業者も一律10%分の納税を行わなくてはならず、納税時に重圧となる。
3、在日外国人などマイナンバーカード非保有者には不適用
海外からの観光客はもとより、マイナンバーカード非保有者となる在日外国人は還付対象とはならず、差別的となるので問題となろう。
4、マイナンバーカードを日常的に持ち歩かせるのは不適切且つ危険
マイナンバーカードを日常的な消費税還付に使用することになると、老齢者か
ら子供までこのカードを日常的に所持し、使用させることになるが、所持していなかったり、受け取り忘れたりなどのトラブルが多発することは予想に難くない。
 また中小、零細の販売業者にまで読み取り機を設置し使用させることになるが、末端で重要な個人情報が漏れたり、盗まれたりする恐れがある。
 このようなことからカード情報が各種の犯罪等に悪用される恐れが更に高まる。
 厳重に保護されなくてはならない個人情報が詰まっているマイナンバーカードを老齢者から子供まで日常的に所持させ、小売りの末端で使用させるこの制度は、個人情報を守るという意識に欠ける制度であり、不適切であろう。マイナンバーカードの利用については、年金や税の確定申告など、情報の管理能力がある程度認められる限定された用途と場所に限るべきであろう。
 5、1人年間4,000円、月330円限度の還付で膨大なシステム管理予算の無駄
 還付は少額で、このシステムを構築、管理する人件費を含む予算は多額に及ぶと予想される。‘日本式軽減税率還付制度’は、無駄の上に無駄を重ねるようなもので、どうして制度をひねくり回して敢えて分かり難く、複雑なものにするのだろうか。
 電子的申請についても、一般的に複雑で、電子納税など電子申請は普及していないことからも、更なる社会的コストとなり、疑問だ。
 その上、還付額総額は各年の予算措置だけで決められるもので、予算が確保出来ない場合には減額、中止等が可能で、財務当局に都合の良い制度でしかない。
主要先進国で実施されている軽減税率制度を良く勉強し、類似のすっきり、スマートな軽減税率を導入して欲しいものだ。税率を軽減する対象となる商品が明確に出来れば、それらの商品の消費税を8%に据え置き、それ以外の商品の消費税を10%にすれば良く、レジで処理されるので、誰にも明朗で公平だ。そうすれば、マイナンバーカードや読み取り機は不要で、申請する手間も要らず、税務当局が人件費、管理費を使って還付する必要もない。税というものは、誰に対しても明確、明朗で、公平に適用されることが不可欠だ。
(2015.9.9.)(All Rights Reserved.)
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シリーズ平成の本音-介護保険料引き上げ、反福祉政策が国民生活を直撃! (その2)

2015-09-24 | Weblog
シリーズ平成の本音-介護保険料引き上げ、反福祉政策が国民生活を直撃! (その2)
 安倍自・公連立政権は、2016年度の予算編成の基本的な方針である概算要求基準を閣議で了解し、2020年度での財政の黒字化を目途に歳出を抑制することとし、その中で社会保障費の削減を図るとしている。財政の黒字化方針は、遅きに失しているものの評価されるところであるが、増税等で歳入を図る一方、歳出面では社会保障費の圧縮など、国民への負担増加、反福祉的な色彩が強い。
 1、介護保険料再三の引き上げが年金受給者の生活を既に圧迫 (その1で掲載)

 2、増税、福祉切りに終わろうとしている「社会保障と税制の一体改革」 
 自民・公明両党は、民主党政権時代に「社会保障と税制の一体改革」に同意し、また議員定数の実質的削減にも同意し、2011年12月の総選挙で勝利し政権の座に返り咲いた。しかしいずれについても進んでいないばかりか、社会保障については反福祉の福祉切りに向かっている。
そもそも社会保障の改善のために消費増税を実施したにもかかわらず、総合的な社会保障制度改革も行わず、個別に利用者、受給者の「負担増・給付縮小」を強いることは、国民を騙しているに等しいのではないか。議員定数の削減については、衆議院は議長の下での外部の有識者会合に丸投げし、自・公連立与党が十分な多数を占めていながら取り組んではいない。参議院に至っては、10増10減の区割りを採択し、削減については取り組もうともしていない。
 年金受給者に更なる負担を強い、国民に更なる負担を強いる前に、両院の議員定数の大幅削減や議員歳費・諸手当の引き下げを実施して、国民に誠意を示すべきであろう。また独立行政法人や特殊法人を含む公務員・準公務員の新規採用の段階的な削減など定員の削減や給与の引き下げを実施すべきであろう。それが出来ないのであれば、3年間で総人件費の3割削減を実施することが望まれる。定員と給与のいずれを削減するかは各省庁に選択させればよい。人件費を除く管理費全般についても、公務員宿舎他国有財産の売却などにより、2020年度までに総額で3割から4割の程度を段階的に削減することをまず実施すべきではないのか。
 この点は地方公共団体においても検討、実施されるべきであろう。2040年までに、全国1,748の市区町村の約3割が消滅するとの予測もあり、多くの地方の人口減は深刻で現実味がある。恐らく財政の節減が少子高齢化対策の上で不可欠な対策と言えよう。
 自・公両党の上記の約束は主要公党間の約束であり、国会で表明された国民への約束であるので、実現しなければ非常に深刻な約束違反となる。それを議員や行政府・公務員が真剣に検討、実施しないのであれば、消費税の
10%への再増税は実施すべきではないのではなかろうか。
 自・公政権の約束違反はこれらだけではない。環太平洋経済連携協定(TPP)について、民主党が消費増税同様危険を冒してTPPに賛成を表明したのに対し、自民党は‘反対’を掲げ、農業票、地方票を引き寄せた。しかし政権の座に就くと賛成に転じている。上記の社会保障と税制に一体改革にしても、議員の定員削減、歳出節減やTPPにしても、政策的には民主党政権時の方針の方が正しかったように見える。
 更に現自・公連立政権は、2012年12月及び2014年12月の総選挙において、1票の格差について裁判所で‘違憲’、又は‘違憲状態’との判決を受け、是正勧告がなされているにも拘わらず、自民党政権において常態化した‘違憲状態’を解消する努力を行っていない。因みに‘違憲状態’も違憲であることに変わりがなく、自・公連立政権が憲法を軽視する姿勢が鮮明になっている。衆議院で強行採決された安保法制、特に集団的自衛権の行使に関しても、多数の憲法学者や国民が違憲と考えているにも拘わらず、このような世論にも耳を貸さず、憲法軽視の姿勢と受け止められている。政権側は、‘他国領土で戦うことはしない’、或いは‘徴兵制は行わない’などとしているが、憲法や世論を軽視する政権の言葉は空疎に聞こえる。少子化、人口減の中で、自衛隊への応募は停滞している上、集団的自衛権行使による戦闘や海外での武力行使などにより危険性が著しく高まるので応募が減少する可能性がある。従って将来兵員確保のため、何らかの形で自衛隊義務化や徴兵制度が導入される可能性は高いと言えないだろうか。更に集団的自衛権行使等により日本攻撃がより現実味を帯びて来るが、危機的状態になれば徴兵制度は実施せざるを得なくなるであろう。少なくてもその覚悟は必要であろう。
 政権側が国民に対しこのような覚悟を求めるのではなく、只々‘最低限の自衛に徹する’、‘海外で戦闘は行わない’、‘海外での自衛隊員の安全は確保する’などの安心材料のみの説明に終始することは、原子力発電で‘安全神話’を作って推進したのと同様、集団的自衛権行使でも‘安全神話’を作ろうとしているようにも見える。国家の安全保障や国際的な平和貢献はそんなに甘いものではないことは、国民は何となく気付いており、違和感と不信感を呼んでいるようだ。太平洋戦争では、日本国民が200万人以上死亡し、多数の負傷者や多くの不孝や悲劇を生んでいる。
 このように自・公連立政権は、公党や国会、国民との約束を守らず、また憲法を軽視している上、その結果でもあろうが、増税等で歳入を図る一方、歳出面では社会保障費の圧縮など、国民への負担増加、反福祉的な政策を推し進めようとしていることがだんだんと明らかになっているように見える。
 このような政策や将来を選択するか否かは、国民世論であり有権者であるので、賢明な選択が望まれる。
(2015.7.31.)(All Rights Reserved.)
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シリーズ平成の本音-介護保険料引き上げ、反福祉政策が国民生活を直撃! (その1)

2015-09-24 | Weblog
シリーズ平成の本音-介護保険料引き上げ、反福祉政策が国民生活を直撃! (その1)
 安倍自・公連立政権は、2016年度の予算編成の基本的な方針である概算要求基準を閣議で了解し、2020年度での財政の黒字化を目途に歳出を抑制することとし、その中で社会保障費の削減を図るとしている。財政の黒字化方針は、遅きに失しているものの評価されるところであるが、増税等で歳入を図る一方、歳出面では社会保障費の圧縮など、国民への負担増加、反福祉的な色彩が強い。
 1、介護保険料再三の引き上げが年金受給者の生活を既に圧迫
 介護保険料は、年金受給対象となる65歳以上に対しても、2000年―2002年の月額2,911円(加重平均)から2012年―14年の月額4,972円と78%もの増加となっており、年額で59,664円にも達している。2015年から介護保険料は更に引き上げられており、自治体や個人所得等によっても差があるが、65歳以上の住民税非課税者で月額5,780円、年額69,360円、住民税課税者では月額6,358円、年額76,296円以上にも達している。
 国民年金受給額(満額の場合)は、月額65,008円、年額780,096円であるので、介護保険料は国民年金受給月額のほぼ1か月分にもなる。
 自・公連立政権の下で、2014年6月18日に医療と介護制度を一体で改正する「地域医療・介護推進法」が成立し、基本的に利用者の「負担増・給付縮小」を強いるものとなっている。介護保険料については、年金給付の際天引きされる形となっており、事実上の年金給付額の引き下げとなっている上に、更に自己負担が倍となるので、年金給付額の実質的な引き下げになっている。比喩的に言えば、その他の固定報酬を得ていない国民年金受給者にとっては、1か月間飲まず食わずで生活しろと言っているようなものである。
 7月1日、走行中の東海道新幹線の車内で東京都杉並区在住の林崎春生容疑者(71歳)が石油を撒き焼身自殺し、多数の死傷者を出した。同容疑者は周囲に年金の受給額にたびたび不満を漏らし、‘生活できない’と話していたと伝えられている。このような身勝手で卑劣、凶悪な犯罪は決して許されるべきではないが、最近の老齢独居者の自殺や孤独死が生活苦などからであることも事実であり、老齢者の年金や介護保険を含む健康保険などの福祉の在り方を改めて見直して見る必要がありそうだ。
そもそも福祉とは、相対的に所得に恵まれている者が恵まれていないもの、或いは、定年等により所得が入らなくなる者に対して一定の所得の再配分を行うことを主な目的としている。そういうことからすると、退職年齢となり年金に頼る65歳以上の者から、受益者だからとは言え、年金の1か月分にも相当する介護保険料を徴収することは酷であり、反福祉と言えよう。
 基本的には、65歳になるまでの就労期間中に徴収するか、或いは年金給付額を相当分引き上げることが望まれる。そして65歳以上の者については、その他の固定報酬がない者については国民年金の半月分以下とし、例えば年収300万円以上の固定報酬を得ている者については、累進的に加算するような制度設計が望ましい。反福祉政策により固定報酬を得ていない年金受給者の生活を圧迫することは、福祉の理念そのものを理解しない失政と言われても仕方がない。
 もっとも財政が厳しく、政府、行政府・立法府各部が一丸となって実質的な節減、緊縮措置を実施しているのであれば、お互いに我慢することも仕方がないことであろう。ところが、現自・公連立政権は、国民に2重にも3重にも税負担や福祉減額を強いる一方、議員報酬や公務員給与は事実上の引き上げ、また定員削減なども手つかずのままで、極楽トンボどころか、反福祉、国民窮乏化政策を取っているかのようだ。

 2、増税、福祉切りに終わろうとしている「社会保障と税制の一体改革」 (その2に掲載)
(2015.7.31.)(All Rights Reserved.)
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シリーズ平成の本音―五輪エンブレム、やはり出直しては!?

2015-09-24 | Weblog
シリーズ平成の本音―五輪エンブレム、やはり出直しては!?
 東京オリンピック2020のエンブレムを巡って、組織委により採用された佐野氏のデザインが採用されたが、重要な部分がベルギーのリエージュ劇場のエンブレムに似ているとして、ベルギーのデザイナーから差し止めの訴えが行われ、撤回か修正が求められている。
 これに対し佐野氏は盗作を否定していたが、他のデザインのトレ-シング(なぞり)が新たに明らかとなり、盗作(パクリ)疑惑が内外に広がっている。
 これを受けてオリンピック組織委(会長 森元首相)の武藤事務総長(専務理事)が8月28日に記者会見を行い、選考過程を説明しつつ盗作疑惑を否定し、理解を求めた。それによると、‘佐野氏の原案は、現在のものとは異なるものであったが、既に存在する他のデザインに似ていることから、2度の修正を行い現在のエンブレムとなったもの’で、盗作などではないとした。
 確かに、佐野氏の原案はベルギーの劇場のエンブレムとは異なるものであり、修正されたものについてもパーツが似ているところはあるが、全体のデザインや色調が異なるので、盗作(パクリ)ではないように見える。
 しかし採用されたデザインは、結果として重要な部分において似ていることは事実であるので、‘佐野氏の原案が他のデザインと似ている’との理由で修正されたのだから、同様の理由で撤回又は修正するべきではなかろうか。しかも今回は訴訟までされている。
 このエンブレムは2020年夏まで5年近くの長期に使用されるもので、東京オリンピックのシンボルとして日本だけでなく世界の人々に親しまれるものでなければならない。このままでは、日本人だけでなく世界の多くの人々の疑惑が拭えず、日本の盗作(パクリ)の象徴として利用される恐れもある。気の毒だが、佐野氏のデザイン自身にも疑惑が付きまとうだろう。
 明年のリオ・オリンピックもこれからであるので、2020年東京オリンピックのエンブレムが本格的に世界中で使用されるのは2016年夏以降となろう。出直しする時間は十分ある。盗作(パクリ)などではないにしても、多くの人の心は離れている。それに固執することはマイナスの方が大きい。「間違いを正すに、はばかることなかれ」という諺がある。
 オリンピック組織委の説明は、人の心が離れているにも拘わらず、このエンブレムに固執しているが、どうも保身、組織防衛に聞こえる。オリンピック組織委は、新国立競技場の法外な建設費(実質3,000億円)と2019年のラグビー世界大会までの完成に固執し、対応が遅れ、一部発注してしまったため数十億円の損失を余儀なくされた。また同じ過ちを繰り返すべきではないだろう。
 いずれにしてもオリンピック組織委の度重なる不手際が明らかになっているので、明年夏のリオ・オリンピックまでに刷新し、出直すことが望ましい。
 また新国立競技場の事業主体の独立行政法人日本スポーツ振興協会も主体性がなく、無責任さを露呈したので、早急に刷新されることが望ましい。
新国立競技場建設問題で、数十億円の無駄をし、エンブレム問題で相当の損失が生じることなどを勘案すると、同振興協会の建物を高層ビルに建て替えるなどの計画(440億円内外か)は、贅沢であり、内装のリノベーションのみとするか自己資金又は民間資金で行うことはよいが、税金で賄われるべきではなく、その他のオリンピック関連建設経費なども節減を図り、税負担を軽減するなどし、損失への責任を取るべきなのであろう。
新国立競技場の出直し案についても、政府は8月28日、総工費1550億円を上限とすることを決定し、旧案の2650億円から削減が図られたとしている。しかし、旧案では大会時席数7.2万席、観客席・トラック上部も屋根付き(空調あり)が、新規案では大会時席数6.8万席、観客席のみ屋根付きで、観客席の空調も無しということで競技場自体が縮小されているにも拘わらず、総工費1550億円上限は可成り割高に映る。温暖化で夏期の暑さが心配されている中で観客席の空調も無しなど、質を落としスケールダウンされているのだからもっと節減が図られて良いのだろう。ダブダブと業界に予算(税金)を投入するだけでなく、一層の節減と関連業界からも資金を募り、官民で競技者にも観客にも快適な競技場として欲しいものだ。
  (2015.9.1.)(All Rights Reserved.)
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シリーズ平成の本音―戦後70年首相談話、誰のためのお詫びか? (その2)

2015-09-24 | Weblog
シリーズ平成の本音―戦後70年首相談話、誰のためのお詫びか? (その2)
 戦後70年を迎えたのに際し、8月14日、安倍首相は閣議において首相談話を承認し、同日夕、発表した。首相談話については、安倍首相は、かねてより未来志向の内容にしたいとの意向で発表に意欲を示していたが、同首相が国会審議の場において、従軍慰安婦問題や大東亜・太平洋戦争について‘侵略の定義はない’などとして‘侵略戦争’を否定する答弁などをしており、また‘戦後レジームからの脱却’を標榜するとともに、靖国神社参拝を‘内閣総理大臣’として行うなどから、中国や韓国などから懸念が表明されていた。
8月15日の終戦の日には、戦後50周年(1995年)に村山首相談話、60周年(2005年)に小泉首相談話が出されている。その中で、‘過去への反省’については安倍首相自身も既にいろいろな形で表明しているので問題視されることはないが、注目されている歴史認識は、‘侵略戦争’と‘植民地支配(統治)’、及び‘お詫び’である。この表現については、自民党や一部保守系知識人・マスコミ・評論家を中心とする保守層から根強い反発があることも事実である。
 今回の談話では、過去の談話を踏襲し、この3つの表現が入っており、‘過去への反省’を踏まえ、不戦を誓い、国際平和に積極的に貢献して行きたいとの姿勢が表明されたことは評価されるところであろう。しかしこれらの言葉は、歴代内閣で表明されたことを引用し、継承するとしており、いわば第三者的な表現となっており、また‘お詫び’についても、‘次の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはならない’として謝罪から解放されたいとの気持ちをにじませているとも言えよう。
 しかし、大東亜・太平洋戦争に関する‘お詫び’とは一体誰に対するものなのだろうか。談話には必ずしも明示されていない。
 1、中・韓両国を含むアジア諸国のためだけではない‘お詫び’ (その1で掲載)
 2、 原爆投下による広島、長崎での大量殺りくへの責任        
 原爆被爆後に広島(当時人口42万人)で死者、行方不明合わせて12万人強、長崎(人口24万人)では7万人強であったが、被爆後5年間に広島で約20万人、長崎で約14万人死亡し、広島で人口のほぼ50%、長崎では50%以上が死亡し、その多くは子供や女性を含む一般市民であったと記録されおり、凄惨な殺りくであった。このような被害は、日本が降伏後米国などの連合国の関係者も現地に入り、詳細に観察、記録しているので、厳然とした歴史的な事実である。
 米国は、この原爆使用を‘対日戦争を早期に集結させ、米国の被害を最小にするため’に必要だったとし、今日でも多数意見のようだ。1995年の太平洋戦争終結50周年に当たり、米国でも広島、長崎への原爆投下は必要なかったとする‘修正主義’と言われた主張があったが、全体の世論は原爆投下を止むを得なかったとする意見が多数を占めた。そして首都ワシントンのスミソニアン博物館に、原爆を投下した爆撃機‘エノラゲイ’が展示されることになった。
 確かに日本は、長崎への原爆投下から6日後に天皇の「玉音放送」により戦争を終結しているので、太平洋戦争の終結を早めたことは事実であろう。そしてそれにより米国は、沖縄を除き本土決戦を回避できたので、米国の被害を最小にしたことも事実であろう。しかし戦争とは言え、そのために原爆だけで34万人もの女性子供を含む一般市民を殺してもよいということになるのであろうか。これは今日的な表現をすれば、一般市民の大量虐殺と言えるのであろう。数字上でも、太平洋戦争における米国側の死者は16万人強と言われているが、日本側は310万人にも上る。因みに米国側の対独戦争での死者は約25万人と言われ、米国側の死者は欧州戦線の方が遥かに多い。大量虐殺ということであれば、沖縄戦での日本側死者数約20万人(半数以上が一般市民)、また東京空爆については1945年3月10日の大空襲(下町大空襲)だけでも死者数は約8万から10万人、106回ほどの空爆で累計100万人とも900万人とも言われる死傷者を出したと言われており、東京は焦土と化した。数字から見ても、日本への攻撃は度を越した過剰防御、過剰攻撃ではなかったのではないだろうか。特に、当時の戦争法規(ハーグ陸戦法規、1899年採択、1907年改訂)などでも、非戦闘員である一般民間人や軍事目標以外の民用物への攻撃を禁じており、一定の人道性を規定している。
 ロシアのナルイシキン下院議長は、8月5日、原爆問題に関する専門家等との会議において、‘広島、長崎への原爆投下はまだ国際法廷で裁かれていない。しかし人道に反する罪に時効はない’との持論を展開したと伝えられている。現在の米・ロ関係を反映した米国へのけん制と見られるが、原爆は非人道兵器と認める発言であれば核不使用に繋がる認識とも受け取れ、注目に値する。
 ここで70年も昔の行為を国際法廷で裁くなどと言う積りはない。日・米間においては、経済関係や日米安全保障取り決め、両国間の幅広い交流などを通じ和解が進展している。そして日本政府は過去の戦争について、関係アジア諸国等に対し‘お詫び’の気持ちを今回も表明している。米国がもし日本の同盟国であると言うのであれば、米国側より広島、長崎への原爆投下による市民の大量殺害に対し、またその後放射線障害により苦しみ続けている多くの被害者に対し、お詫びの気持ちが表明されてもよいのではなかろうか。
(2015.8.14)(All Rights Reserved.)
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シリーズ平成の本音―戦後70年首相談話、誰のためのお詫びか? (その1)

2015-09-24 | Weblog
シリーズ平成の本音―戦後70年首相談話、誰のためのお詫びか? (その1)
 戦後70年を迎えたのに際し、8月14日、安倍首相は閣議において首相談話を承認し、同日夕、発表した。首相談話については、安倍首相は、かねてより未来志向の内容にしたいとの意向で発表に意欲を示していたが、同首相が国会審議の場において、従軍慰安婦問題や大東亜・太平洋戦争について‘侵略の定義はない’などとして‘侵略戦争’を否定する答弁などをしており、また‘戦後レジームからの脱却’を標榜するとともに、靖国神社参拝を‘内閣総理大臣’として行うなどから、中国や韓国などから懸念が表明されていた。
8月15日の終戦の日には、戦後50周年(1995年)に村山首相談話、60周年(2005年)に小泉首相談話が出されている。その中で、‘過去への反省’については安倍首相自身も既にいろいろな形で表明しているので問題視されることはないが、注目されている歴史認識は、‘侵略戦争’と‘植民地支配(統治)’、及び‘お詫び’である。この表現については、自民党や一部保守系知識人・マスコミ・評論家を中心とする保守層から根強い反発があることも事実である。
 今回の談話では、過去の談話を踏襲し、この3つの表現が入っており、‘過去への反省’を踏まえ、不戦を誓い、国際平和に積極的に貢献して行きたいとの姿勢が表明されたことは評価されるところであろう。しかしこれらの言葉は、歴代内閣で表明されたことを引用し、継承するとしており、いわば第三者的な表現となっており、また‘お詫び’についても、‘次の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはならない’として謝罪から解放されたいとの気持ちをにじませているとも言えよう。
 しかし、大東亜・太平洋戦争に関する‘お詫び’とは一体誰に対するものなのだろうか。談話には必ずしも明示されていない。
 1、中・韓両国を含むアジア諸国のためだけではない‘お詫び’
 中・韓両国を含むアジア諸国については、日本軍の侵攻、統治を通じ多くの死傷者や各種の被害、損害を与えたことは事実であり、時代的、歴史的な背景があったにせよ私達の先達が行ったことであるので、それに対し真摯に‘お詫び’するしかないであろう。国家間においては、戦後賠償として物的な償いは行われている。
 しかし私達の先達が主導した大東亜・太平洋戦争により、沖縄が陸上決戦地となり、広島、長崎が原爆投下被害に遭った他、東京ほか主要都市が集中的な空爆被害に遭い、南太平洋に展開されていた軍人の他、一般民間人、女性や子供を含め約310万人もの日本人が犠牲となり、都市が焦土と化し、多くの悲劇を生んだことなど、日本人自体に甚大な被害を与える結果となったことを忘れてはならない。
 首相が改めてアジアの関係諸国の国民に‘お詫び’をするのであれば、日本国民、特にご遺族の方々にも‘お詫び’をすべきではないのだろうか。
 昭和天皇の責任についてはなかなか難しい。昭和天皇が危険を冒して1945年8月15日に終戦宣言を行っていなかったら、第3、第4の原爆の犠牲が出たであろうから、その悲劇から救ってくれた。また日本の天皇制は、日本統一の基礎を築いた神武天皇以来の約2500年の長期にわたる文化的、社会的な遺産であり、世界でも類のない人間遺産であり、また象徴として多くの国民に親しまれている。更に実体的に昭和天皇は、専制君主ではあったが、軍事政権に服さざるを得なかったのであろう。だが昭和天皇は軍事大権を持っており、軍の最高指揮者であったので、全般的な監督責任や結果責任は残る。
 この点は、時の政権や軍部が伝統的な権威者を祭り上げて政権を牛耳じることになると、専横化しあらぬ方向に暴走するという歴史的な教訓ともなる。

 2、 原爆投下による広島、長崎での大量殺りくへの責任     (その2に掲載)
    (2015.8.14)(All Rights Reserved.)
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シリーズ平成の本音―新国立競技場見直しの責任問題、当事者能力の無さを露呈!

2015-09-24 | Weblog
シリーズ平成の本音―新国立競技場見直しの責任問題、当事者能力の無さを露呈!
東京オリンピック2020の目玉となる新国立競技場の建設について、放漫な建設計画として各界からの批判が強いことを背景として、迷走の挙句、安倍首相とオリンピック組織委会長の森喜朗元首相との会談後、白紙撤回され新たな建設計画に着手されることになった。
ところが総工費が2,520億円(実体的には3,000億円内外)となったことや、各界から強い批判があったにも拘わらず迷走し、対応を誤ったことについては、首相が‘最終的に責任は自分にある’と言っている以外、文科大臣、事業主体の(独法)日本スポーツ振興会理事長、オリンピック組織委会長・事務総長のいずれからも責任が表明されず、責任のたらい回し状態となっている。
 2020年東京オリンピック実施については、これまで文科大臣の下で、オリンピック組織委があり、国立競技場の事業主体である(独法)日本スポーツ振興センターがあるので、いずれにも責任がある。しかし安倍首相とオリンピック組織委会長の森喜朗元首相との会談後にやっと白紙撤回され、新たな建設計画に着手することになったことから、元の案に固執し迷走を長期化させた責任はオリンピック組織委会長にあったえことは誰の目からも明らかだ。
 それを検証する第三者委員会は、6人の委員で構成され、8月7日に初会合を開き、柏木昇東大名誉教授を委員長に選び、9月中旬にも報告書を取りまとめることされている。第三者委員会に責任を検証させなくてはならないこと自体が無責任な体制を露呈した形だが、第三者委員会は独立の権限があるわけではない上、委員長の東大名誉教授は、文科省所管の国立大学の公務員であるので、担当大臣に責任があるなどとは言える立場ではない。また文科省が所掌する(独法)日本スポーツ振興センターや組織委の会長に対しても同様で、結論は曖昧なものになることが見えている。
 元オリンピック選手の為末大氏が委員になっているが、スポーツは文科省の所掌であり、担当大臣やスポーツ関係団体上層部の責任を追及するようなことは出来ないであろう。他の4人の委員もそれぞれ経理、法律、建築技術等の分野の専門家でしかない。
 報告書の原案は事務方が作成し、若干のコメント等は行うとしても、他のこの種有識者会議同様、基本的には第三者委員会はこれを了承するという形となるのであろう。
 政府は、各種審議会、委員会の他、最近では‘有識者会合’と称する外部委員の会議を多用しているが、今回の第三者委員会同様、構成する委員が国・公立大学の教授等の公務員で政府関係部局が所管する下部組織関係者であったり、直接の利益関係者であったりすることが多いので、公平性、客観性において偏向が強い上、事務は行政当局が担当するので、あたかも外部の意見も聞いたという体裁を整える、或いは蒸気抜き的なもの以上の効果は期待できない。また首相の下の経済諮問委員会などで、‘民間議員’という用語が保守系紙などで使われているが、‘議員’というのは選挙で国民から選ばれた者として一般的に使われており、国民から選ばれた者でもない民間人をあたかも選ばれた者のように‘民間議員’と呼ぶのは、紛らわしいだけで不適切だろう。
 各省庁の審議会や委員会については、独立の権限もなく屋上屋の無駄であり整理すべしとの指摘がなされて来たが、有識者会合や第三者委員会等についても、乱用は責任逃れと受け取られ、必要性自体が問われても仕方がないであろう。(2015.8.9.)
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シリーズ平成の本音―参院選挙制度自民改革案、憲法、有権者軽視を露呈

2015-09-24 | Weblog
シリーズ平成の本音―参院選挙制度自民改革案、憲法、有権者軽視を露呈
 2016年7月に予定されている参議院議員選挙に向けて、自民党総務会は7月22日、「違憲」の状態になっている1票の格差を是正すべく、「鳥取と島根」、「高知と徳島」をそれぞれ1つの選挙区にする「合区」とするなど、定数を「10増10減」する公職選挙法改正案を了承した。
 自民党は、この改正案を維新の会や次世代の党など野党4党と参議院に共同提案し、24日にも同院で採択され、衆議院に送られ、採択された。
 これにより、前回の参議院選挙で最大4.77倍だった一票の格差は、2.97倍となる見通しであるが、一定の評価が出来よう。
しかしこの改正案は格差を3倍以内に手直する申し訳程度の改正であり、次のような根本的な問題がある。
1、この程度の手直しでは「違憲」とされる可能性大
この改正案により1票の格差は、2.97倍になるが、‘改善’には程遠く、このまま実施することになれば、裁判で「違憲」と判断される可能性が強い。「違憲状態」との判決だから「違憲」ではないという解釈は不適正であろう。「違憲」は「違憲」なのである。「違憲」の状態が長期に維持されて来たことが大問題である。裁判所が基本的には1対1であるべき「平等性」に恣意的な判断を示してきたことにも責任がある。
更に衆議院では従来格差2倍以内、参議院では5倍以内で違憲ではないとされて来たが、両院とも小選挙区と比例代表という選挙制度は類似であるにも拘わらず、衆参両院では1票の重みにおいて格差を付けている。参議院では1票の格差に衆議院以上の下駄を履かせて良いという合理的な理由は全くない。その上、今後の地方の少子化、人口減と首都圏への人口集中が継続すれば、数年で3倍を超えることは目に見えている。
このような中で、自民党の脇雅史参院幹事長(当時)は、7月10日、‘10増10減案は1票の格差訴訟で違憲と判断される可能性がある、’‘違憲立法に関わることはできない’としてこれに反対し、自民党会派に離脱届を提出した。自民党員の中にも若干の良心、良識が残っているようであり、若干の救いである。
野党民主党は、もとより自民案に反対であり、合区を10にすることを提案している。
 憲法は国民の「平等性」を規定しており、正に民主主義の原点となるが、憲法を軽視する自民党の姿勢を露呈した形だ。
 2、定数削減や議員歳費・諸手当、政党助成金問題を無視
 「選挙制度見直し」ということであれば、2012年11月の党首討論で安倍自民党総裁(野党、当時)は解散総選挙の前提として野田首相(民主党代表、当時)に対し「定数削減」を確約していた。従って、区割りを検討する以前に、抜本的な「定数削減」を提案すべきであろう。財源の逼迫と今後の人口減を考慮すると3割程度の削減をして置く必要があろう。自民・公明連立政権は、これら国会での確約、国民への約束を果たしていない。国会で表明された以上、民主党に対してのみならず、国民への約束違反であろう。
 また定数問題とは別に、国民に消費増税や復興特別税を強い、他方で年金給付額の削減、健康保険料や介護保険料の実質引き上げなど、国民に多くの負担を強いていながら、議員については議員歳費・諸手当は削減等されていない。一律3割程度の削減が適当であろう。また地方公務員や各種独立行政法人等を含む公務員の定員についても、一律3割削減が実施されるべきであろう。
 政党助成金については弊害が多い。各議員は、所属政党からの助成金に縛られ、各議員の意見は無視され、党議に拘束される。各議員は、選挙区を代表していながら異論は言えない状況であり、民主主義と表面では言いながら、議員の表現の自由は大幅に抑制されている。閣僚や党役員にならないと、議員としての存在感もない。それならば議員定数を大幅に削減してもよいのであろう。
 また有権者の4割前後は“無党派層”であり、更に党員となると遥かに少ないので、政党で分けるというのは有権者の民意を反映することにはならない。政党助成金ではなく、一定の条件で、議員候補者に選挙費助成する方法を検討することが望ましい。
(2015.7.24.)(All Rights Reserved.)
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