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‘皇居’を京都御所に戻すべきこれだけの理由!! (再掲)

2020-08-02 | Weblog
シリーズ平成の本音―‘皇居’を京都御所に戻すべきこれだけの理由!! (再掲)
 2019年4月30日に平成天皇が退位、5月1日の新天皇が即位され、同年10月22日に新天皇の即位を内外に表明する「即位の礼」が実施される。
 新天皇のご即位をお祝いする。しかし戦後の新憲法の下でのあり方には違和感もある。即位の礼についても、詳細は明らかにされていないが、式典に使用される「高御座(たかみくら)」が保管されている京都御所で解体させたうえ東京に輸送された。それだけに掛かる費用が、総重量8トンの解体・輸送経費などで9億円と言われているが、平成天皇同様、新天皇の即位の礼が東京で行われ、江戸城址内にある‘皇居’に住まわれ続けるのであろうか。
 即位の礼は、伝統に基づき、明治天皇はもとより、大正天皇、昭和天皇も京都御所で行われている。天皇は、明治維新後、江戸幕府が無血開城した江戸城内に‘皇居’を新設し、京都御所からそこに移り住まわれている。それは徳川将軍派の再起を封じ込める意味と米欧列強の介入を抑止する上で必要であったと思われる。第2次世界大戦後も、昭和天皇は江戸城址内の皇居に留まった。これは、米国を中心とする連合軍が進駐し、皇居のある江戸城跡内に連合指令本部が置かれることを防ぐためにも止むを得ない措置であったと考えられる。
 昭和天皇崩御後、平成天皇はそれを継承したが、現在は米軍の進駐はもとより考えられず、また国内情勢は歴史上最も安定していると共に、憲法上の天皇の地位は国民に広く認識されているので、もはや天皇が江戸城址内の‘皇居’に留まっている必要はなくなっているのではないだろうか。即位の礼が東京で行われたのは、平成天皇が歴史上唯一の例外となっている。
 むしろ新憲法の下の新時代においては、伝統に沿って天皇は京都御所に復帰され、江戸城址は国民に開放すべきであり、その理由は次の通りである。
 1、歴史上最も平安な現在、天皇が江戸城址に留まる必要はなくなった
 明治維新となり天皇は京都御所から江戸城内に移り住んだが、上記の通り、明治維新直後や戦後直後と異なり、今日国内情勢は歴史上最も安定していると共に、憲法上の天皇の地位は国民に広く認識されているので、もはや天皇が江戸城址内の‘皇居’に陣取っている必要はなくなっていると言えよう。「帝国憲法」が廃止され新憲法となった居る今日でも、江戸城址内に宮内庁が占拠しているのも適切でない。
 新天皇は、歴史に則って京都御所に復帰することが望ましい。天皇が国民統合の象徴であることは認識されているので、京都におられても問題はない。それ以上に関西及び西日本の人々にとっては喜ばしく、誇りにもなることであろう。無論、京都御所には必要な改修等を行った上である。
 天皇のご公務については、憲法上国事行為として10項目掲載されているが、必要な時には東京等、必要な場所に赴くことは交通事情が飛躍的に向上している今日では問題ない。また東京に滞在し、或いは一定の期日東京での公務が必要な時は、赤坂の迎賓館(赤坂離宮)を所定の改築をし、そこで執務、宿泊されればよい。現在赤坂の迎賓館は、年数回しか使用されておらず、著しい無駄になっており、その活用を真剣に考える時期であろう。日本は、少子超高齢化の本格化を迎え、税負担人口が減少する一方、国民総所得の2倍に当たる1,000兆円を超える公的債務を抱え、これが年金支給額の実質削減と並んで国民の将来不安の大きな原因になっている。国家や地方公共団地が無駄な施設や土地を抱えている余裕はなく、無駄を無くしていくことが不可欠になっている。

 2、旧帝国憲法の下での’皇居’の存在は現行憲法の下では時代錯誤
 戦後日本においては、旧帝国憲法に代わり、新憲法が制定され、主権は国民にあり、いわば大政は国民に奉還されているので、国民の偉大な歴史的、文化的遺産である江戸城跡に‘皇居’を置いておく必要性はもはやなく、江戸城址を国民に奉還することが望ましい。それ以上に明治維新は過去のものとなり、天皇専制は終わり新憲法になっても江戸城址を‘皇居’により封じ込めて置くことは不適当とも言える。‘皇居’、‘皇居’と言われ、そのような先入観があるようだが、江戸城址なのである。
 そのようにすることが、日本の歴史に沿うことになると共に、東西の文化的、社会的なバランスが回復し、東西のバランスある発展が望めるのではなかろうか。

 3、日本や世界にとっての偉大な歴史遺産、江戸城址は国民に開放すべき
 江戸城を中心とする江戸の人口は、幕府が発足した17世紀初頭には15万人程度と言われているが、18世紀初頭には100万人を超えたと考えられている。
人口はロンドン(1801年約 86万人)、パリ(同約 54万人)と比較しても世界一の大都市であったと推定されている。文化的にも、参勤交代により地方の文化も持ち込まれ、多様性があり、また版画や日本画、歌舞伎、相撲そして魚市場など、欧州でも評価される高い文化が華を開いた。
 その中心が江戸城であり、江戸文化は東京だけの歴史、文化遺産ではなく、日本の、そして世界の文化遺産と言えるので、それを再評価し、人々に開放し、可能な範囲で復元、保存して行くことが望まれる。江戸城址は世界有数の観光資源となるであろう。またそれに関連する城外の江戸時代の遺跡を加えると更に豊かな歴史文化遺産となろう。

 4、首都圏直下地震等の大規模災害等に備え、天皇の京都御所復帰が望ましい
 首都圏直下地震等の大規模災害の発生は現実のものとなりつつあり、各種の、緊急対策が検討されているが、それでも自然災害や何らかの不測の事態が想定の範囲を超える可能性も念頭に入れて置く必要があろう。そのような首都圏緊急事態への対応の一環として、伝統に則り天皇の居所を京都御所に戻しておくことが望ましい。そのような緊急事態の際、立法、行政、司法の政府機能が打撃を受けるが、象徴たる天皇をも巻き込むことを避けるため、皇居の京都御所復帰を真剣に検討すべきであろう。天皇が京都御所に復帰される場合の対応については、上記1.の通りであり、十分対応可能であると共に、江戸城址の国民への開放や赤坂御所の有効活用などの可能性が広がり、有益であろう。
 江戸城址が開放されれば、国民の憩いの場、歴史研究の場や格好の観光スポットとして活用できる以上に、大規模災害時の都民の避難場所となると共に、緊急時総合対策センターとして活用できるように整備して置けば、都心の360度対応可能な緊急センターとして活用も出来る。
東京への一極集中を是正し、地方都市の活性化を図るため、従来型の地方への助成金などでは限界的な効果しか期待できず、もっと抜本的なシステムの転換を図らなければ達成できないことは明らかだ。戦後の歴代政権の施策では地方の活性化を実現出来なかったばかりか、逆に東京への集中を招き、地方の人口減や限界集落の増加が加速していることからも明がだ。抜本的な転換が望まれる。(2019.5.1.改定、同7.4.補足)(Copy Rights Reserved.)
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『東京一極集中解消』2020年目標を安倍政権断念!-再掲

2020-08-02 | Weblog
シリーズ本音トークー『東京一極集中解消』2020年目標を安倍政権断念!-再掲
安倍政権は、『東京一極集中解消』を2020年までに達成することを断念し、改定案を検討することとしたことが分かった。
同政権は、政権が発足して2年目の2014年に、人口減少対策として「まち・ひと・しごと創生総合戦略」を閣議決定し、『東京一極集中』を2020年までに是正する計画であった。しかしその後2018年になっても東京への大幅な転入超過が続き、2020年までの目標達成が困難な見通しとなり、5年目にして目標達成を断念する旨を明らかにしている。
政府・自民党は、「地方創生」を政権の目玉の一つとし、7月の参議院選挙に向けても「地方創生」を目玉の一つにしているが、『東京一極集中解消』が安倍政権の下で前進どころか、大幅な転入超過の後退となっているのが現実だ。掛け声ばかりで、逆に一極集中激化となっているので、「地方創生」自体も結果を出せず、空疎な掛け声だけで終わることが懸念される。
 1、『一極集中』を呼び込んでいるのは政府
 『東京一極集中』を呼び込み、地方の人口流出、過疎化を加速させたのは1990年代以降の政府である。1990年代初期に日本の人口減が予測され、実際に農村に嫁が来ず、後継ぎまで少なくなり、アジア途上国からの嫁取りや技能研修制度の名の下で事実上の低賃金外国人労働者の受け入れなどで凌いできた。だから地方の停滞はその頃から予測され、始まっていたことだ。中央政府は、都市機能の分散などを打ち出してはいたが、アリバイ造り程度のちまちました対応で、効果的な対策を取って来なかった。
 現自・公政権においても、「地方創生」を標榜して来ているが、その中身は、地方への選択的交付金、補助金等の交付が主であり、地方が中央政府に従属する形を固定化、強化する結果となっており、地方自治も地方の自主性も発揮される状況にはない。規制緩和の唯一の施策として提唱された「戦略特区制度」も、加計学園問題で明らかになった通り、政権との特殊な関係や忖度で進められ、その他に目に見える成果はない。そもそもこの「戦略特区制度」は、全般的な規制を前提として、地域を選別して規制を緩和するということであり、一見緩和と見えるが、全般的な規制に地域的な規制を加えることに等しく、規制の屋上屋でしかなく、地方振興にはほとんど効果はない。規制制度の複雑化でしかない。
 更に政府は、東京都を支援する形でオリンピック2020を推進し、膨大な費用を掛けて国立競技場の建設はじめ、各種のスポーツ施設を整備し、道路・鉄道などの交通網を整備しており、これにより東京には多くのスポーツ施設が集中し、長期にわたりスポーツのメッカとなると共に、それ等施設を利用した各種イベントも更に集中することになろう。
 これまでのような細々とした改善、施策の積み重ねは、努力は評価するが、効果は出ない。グランド・プランが不可欠のようだ。

 2、‘皇居’を‘京都御所’に戻すことが一極集中解消の切り札となる!
 天皇は、明治維新後、江戸幕府が無血開城した江戸城内に‘皇居’を新設し、京都御所からそこに移り住まわれている。それは徳川将軍派の再起を封じ込める意味と米欧列強の介入を抑止する上で必要であったと思われる。第2次世界大戦後も、昭和天皇は江戸城址内の皇居に留まった。これは、米国を中心とする連合軍が進駐し、皇居のある江戸城跡内に連合指令本部が置かれることを防ぐためにも止むを得ない措置であったと考えられる。
 昭和天皇崩御後、平成天皇はそれを継承したが、現在は米軍の進駐はもとより考えられず、また国内情勢は歴史上最も安定していると共に、憲法上の天皇の地位は国民に広く認識されているので、もはや天皇が江戸城址内の‘皇居’に留まっている必要はなくなっている。逆に江戸城にふたをし、歴史を封じ込める結果ともなる。宮内庁が未だに江戸城址内にあるのも歴史に反する。
新天皇の即位の礼は、平安朝以降の伝統に基づき、明治天皇はもとより、大正天皇、昭和天皇も京都御所で行われている。即位の礼が東京で行われたのは、平成天皇が歴史上唯一の例外となっている。
 むしろ新憲法の下の新時代においては、伝統に沿って天皇は京都御所に復帰され、江戸城址は国民に開放すべきではないだろうか。
 そうすれば京都に伝統的ないぶきが「入り、京都、滋賀、大阪、兵庫などを中心として関西は活気付くであろう。 そのようにすることが、日本の歴史に沿うことになると共に、東西の文化的、社会的なバランスが回復し、東西のバランスある発展が望めるのではなかろうか。
 そのためには伊丹空港からの輸送手段の抜本的な改善はじめ、伝統を尊重したインフラ造りなどは必要となろう。

 3、首都圏直下地震対策としても‘皇居’を京都御所’へ
 首都圏直下地震等の大規模災害の発生は現実のものとなりつつあり、各種の、緊急対策が検討されているが、それでも自然災害や何らかの不測の事態が想定の範囲を超える可能性も念頭に入れて置く必要があろう。そのような首都圏緊急事態への対応の一環として、伝統に則り天皇の居所を京都御所に戻しておくことが望ましい。そのような緊急事態の際、立法、行政、司法の政府機能が打撃を受けるが、象徴たる天皇をも巻き込むことを避けるため、皇居の京都御所復帰を真剣に検討すべきであろう。天皇が京都御所に復帰される場合の対応については、十分対応可能であると共に、江戸城址の国民への開放や赤坂御所の有効活用などの可能性が広がり、有益であろう。
政府は首都圏直下地震等の大規模災害への対策が必要とし、国民に注意喚起をする形になっているが、抜本的な対策からは程遠い。(2019.6.18.)
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自・公政権でも福島原発への対応は出来なかった!?

2020-08-02 | Weblog
シリーズ本音トークー自・公政権でも福島原発への対応は出来なかった!?
 9月9日、千葉市一帯を直撃した大型の台風15号は、千葉県全域、特に同県南部に大きな被害を与えると共に、被害が停電、断水、屋根の破壊などによることから長期化と2次被害の拡大が懸念されている。  
最大の問題は、広範囲にわたる停電で、40~60万戸以上が数日間停電となり、断水も続いた。東電は当初数日以内での復旧を予想したが、4日後の13日で40万戸、6日後の15日でも14万戸前後の停電が続き、被災者のいら立ちが募った。 
台風が去った後、多くの人は数日以内で復旧するのではと予想した。テレビの報道でも、市内はところどころ建物や樹木の破損が見られても、台風一過空気は澄み、川の決壊も洪水も、地滑りなどもなく、空は青く、目視できる範囲では被害は局部的で、それ程深刻とは映っていなかった。千葉県は、自衛隊の出動を求めたが、給水と風呂の提供程度で、救援活動は限定的なものであった。 
しかし復旧は遅々として進まなかった。電気の復旧作業が進むにつれ、作業を阻んだものがある。コンクリートの電柱や大木がなぎ倒され、電線を切り、道路をふさいでいた。また送電線の鉄塔がなぎ倒されていた。目や映像で分かり易い洪水や河川決壊、山崩れなどではなく、去ってしまえば澄んだ空気しか残らない「風害」だ。この状況は、東電の通常の能力を超えるものだ。
東電の電力復旧の予想が甘かったと批判されているが、9月11日の政策課題もなく緊急性もない内閣改造を経て、被災3日後の12日時点でも、数十万戸の停電と断水が続き、熱中症による被害も出始めていた。広域な被害と長期化は明らかだった。被害状況は、一電力会社で対応できる範囲を超えるものであることは明らかだ。この時点で政府は、何故閣僚レベルの緊急対策会議を開催して、自衛隊の災害救援チームの本格派遣を含む、国レベルの対策を緊急に検討し、道路網、鉄道などの復旧に乗り出さなかったのか。千葉県も、何故国レベルの救援活動を政府に要請しなかったのか。 
9月12日には、新たに任命された経産相などが現地入りしたとの報道があったが、具体的対応には至っていない。 
野党が甚大災害指定を求めた中、菅官房長官は9月13日午前の記者会見で、激甚災害の指定に関連し、「その前提となる被害状況の調査について実施を指示した」旨と述べ、その上で「激甚災害と判断した場合は、迅速に対応していく」との考えを明らかにした。
被害発生5日目にして「被害状況の調査を支持した」とは何とも悠長なことだ。台風による天災であるので、誰も批判はできない。しかし被害後の対策については、明らかに危機管理の初動動作の遅れ、甘さと言えよう。政府と千葉県庁の責任が問われる。
 安倍自・公政権は、このような状況の中で、9月11日、注目される政策課題も緊急性もない中、内閣改造を実施、発表し、報道では新大臣誕生、改造内閣の発足に浮かれていたように映っていた。小泉進次郎議員の環境相就任などは頻繁に報道され、40万戸余の千葉県民が暑さの中不自由な生活を強いられていた中で、同相は12日に千葉県をスルーして福島県を訪問した。あたかもタレント気取り、大臣気取りだ。新内閣を象徴するような行動と言えよう。同相はその後16日に同県を視察し、がれきの処理の重要性などを述べていたが、如何にも取ってつけたようなパーフォーマンスとしか映らない。  
そんな中安倍首相は、17日、官邸に自衛隊幹部を集め、訓示をしていた。自衛隊の内外での活躍に言及しつつ、「・・・台風15号、九州地方の豪雨、豚コレラ、その現場にはいつも自衛隊の姿があります。」と。更に、長々と新たな防衛大綱や航空宇宙自衛隊の創設などに言及し、「・・・いかなる事態にあっても、国民の命と平和な暮らしを守る。」などと自衛隊の使命感と責任感を鼓舞した。この時未だに千葉県では40万戸ほどの停電や断水で県民は不安で苦しい生活を強いられていた。無論、国全体の安全保障を考えることは必要だ。しかし、対応の遅れで隣接する地域の40万戸以上が停電と断水、屋根の破損等で苦しんでいる時に訓示でもあるまい。夏に千葉県と官邸で防災訓練をしているからもういいということなのか。言葉では「国民の命と平和な暮らしを守る」ときれいごとを言いながら、実際は守ってはいない。どうもこの政権は、言葉と行動の乖離が著しく、国民に不安と違和感を与えている。
千葉県知事も記者に対応の遅れを問われ、「市町村から情報が来ていなかったので、対応のしようがなかった」との趣旨を述べているが、責任の転嫁とも取れる。情報は届きようがなかった。広範囲に停電し、アンテナは破損し、通信網や交通は途絶えていたのだ。これが今回の「風害」危機の根本原因の一つで、地球環境の劣化により、今後これ以上の天災が予想される。大規模地震と津波も予想されている。情報が上がってこなかったでは済まされない。
政府及び千葉県は、見えにくい「風害」という緊急事態への対応に遅れを取り、被害の長期化を招いた。それは過去には例を見ない威力の「風害」であり、「想定外」であったからである。自民党であれ、立憲民主、国民民主党であれ、どの政権であれ、「想定外」の緊急事態に遅れを取る恐れがあるということだろう。
 2011年3月、東北を襲った大規模地震・津波は思いもよらない大きな被害をもたらし、福島原発事故が起こった。この時、2つの想定外が発生した。一つは津波が防潮堤を越え、施設の電気系統を壊したこと。二つ目は、そのため冷却装置が作動しなくなり、炉心の融解(メルトダウン)が発生し、放射能が飛び散った。
この2つの想定外に対し、直接の責任者である東電の対応は後手後手のとなった。東電の能力をはるかに越える事態だ。今回の台風15号の状況に近似する。これを受けた民主党政権も対応が遅れ、当時の野党自民党や保守系紙等は、民主党政権を批判し、政権から引きずりおろす結果となった。
しかし、もし自・公政権であったとしても、この二つの「想定外」を前にして対応はそれ程違わなかったであろう。今回の台風15号への対応がそれを物語っている。自民党への批判は民主党政権以上となった可能性がある。戦後長期に政権の座を占めて来た自民党が、原子力の「安全神話」を旗印として、地方を交付金、補助金漬けにして原子力発電所を普及して来たからだ。「安全神話」は崩れた。自民党はその責任を問われたであろう。
今回の台風15号により、「想定外」の風害脅威にさらされ、自・公政権の対応は遅れた。そのため熱中症被害や作物、養鶏等への被害、家屋への水漏れなどの被害へと拡大した。「想定外」は、対応においても想定することは困難であり、批判し合うのではなく、補い合って対応することが望ましい。 
このことを見ると、自・公政権は、大規模災害や緊急事態への対応を検討はしているが、目先の対応が中心であり、野党とも協力して対応しようとの本気度に欠けるように見える。 
南海トラフの大地震が首都圏を襲ったらどうなるのか。政府はしきりとその可能性を広報しているが、避難所の確保や交通規制などの対応はほとんど効果がない可能性がある。電気が消え、テレビ放送や電話・形態などの連絡網は途絶え、長期にわたる可能性がある。一部のビルや諸施設は倒壊する可能性がある。本気度が問われる。
皇居を京都御所に移し、江戸城址を保存、保護しつつ、そこを首都圏大規模災害の一時避難所などとして必要な期間活用できるようにするなど、統治機能の分散、改革を含む検討が必要のようだ。従来型の目先の措置では対応は困難であろう。
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コロナ対策一律10万円給付、マイナンバーが阻害!

2020-08-02 | Weblog
シリーズ本音トークーコロナ対策一律10万円給付、マイナンバーが阻害!
 武漢型コロナウイルスの押さえ込みのため、4月7日、約1ヶ月間の緊急事態宣言が発せられたが、十分とは言えない効果から、更に5月7日から31日まで延長された。
 第2次緊急事態は、形の上では全国に向かって宣言されたものではあるが、感染者の多い13都道府県については「特別警戒地域」として休業要請などが継続される一方、その他の34県については各県の判断で対応されることとなり、全国一律ではなくなった。特にその内17県については1週間感染者が出ていないそうだ。
1、 全国一律1人10万円は何だったのだ!
要するに武漢型コロナウイルス被害は全国一律では無かったにも拘わらず、10万円は全国一律に配られ、約1億2千万人、12兆円内外の巨額の税金と膨大な役所の労力が使われる。何という悪平等、何という浪費だ。しかも12兆円内外は国の借金(赤字国債)で調達されるので、国民が将来税金として徴収される国の借金だ。無論それで助かる人もいるだろうが、無駄が多すぎる。
 その上、一律1人10万円、総額12兆円内外の支援は、事業自粛を余儀なくされている企業などによる‘補償要求’の火に油を注いだようなものようだ。補償、補償コールが止まらない。

2、 給付を阻むマイナンバーの確認
地方の被害の少ないところでは早々に給付されたそうだが、対象者の多いところは未だに給付されておらず、その上役所に取りに行くと、本人確認などとしてマイナンバー が問われ、覚えてないなどで、給付されない問題が出ているそうだ。
 インターネット申請も出来るとしていたが、普及率が14~16%でしかないマイナンバー登録者に限定しており、インターネットによる申請を国民の86%についてシャットアウトした形となっている。
 迅速に、平易に給付ではなかったのか。コロナウイルス問題とは関係の無い、且つ実施率の極めて低いマイナンバーが、本当に困っている人への支援を阻んでいる。事務手続きが多過ぎ、煩雑だ。
 国民全員に1人10万円給付は、公明党の強い要請で、それが最も早く給付できる方法であり、5月末か6月早々には配賦できるとしていたが、7月になっても給付されていない国民が多数いる。1億2千万人内外の国民に配賦するのだから相当膨大な事務が必要であり、また子供や住所を変える人が多いことなどを考えると、全国民に給付する作業は気の遠くなるような作業であることは目に見えていた。公明党はそれを事務作業やマイナンバー制度のせいにするのだろうが、そもそも国民全員に10万円給付する政治センスが問われるとともに、それが一番早いと主張していた公明党の責任が問われそうだ。

 3、マイナンバー制のソシアルセキュリテイ・ナンバーへの転換が不可欠
 マイナンバー制は2016年1月から実施に移されたが、4年4ヶ月も経っても不評で、実施率が非常に低く、定着していない。メリットが無い上、個人情報が家族構成から、財産、預金口座や福祉関係情報まで、全て国で管理される上、情報漏洩となれば個人情報は全てとられてしまう恐れがある。行政処理を一元化するという面では一見合理的に見えるが、特に、「納税」とも結びつけたため、個々人の所得や銀行口座、投資信託、証券取引などの情報も記載できる上、資産についても全て把握できるように進めており、国民の所得・財産や医療関係情報などが全て国家管理できるようになっていることにあるようだ。要するにマイナンバー制は、国家が国民を管理し、行政の手間を省くシステムで、国民の利益は少ない。その上詐欺グループなどには極上のシシテムとなる。
 明らかにマイナンバー制は定着していない上、コロナウイルス問題で困っている人を迅速に救済するという目的を阻んでいる。国(総務省)は、マイナンバー制は国民の間に定着しておらず、失敗であったということを早急に認め、税金事務とは切り離し、社会補償と生命の安全(安否の確認など)に限定した国民目線のソシアルセキュリテイ・ナンバー(社会保障番号)に切り替えるべきであろう。そして、新生児の届け出の際、全ての子供にソシアルセキュリテイ・ナンバーを付与し、国が福祉で国民を守るという制度に限定し、簡素化すべきであろう。

4, 本当に困っている人に届いていない支援
休業対象業種、中小・零細規模事業者なども困っているだろうが、当座は金利ゼロの融資があれば苦しいながらも当面凌げるかも知れない。しかしその融資も受けられない日給ベース、期間契約などで働いている人々については、学生アルバイトを含め、雇用保険にも労災保険にも入っていない場合が多く、雇用調整助成金の対象にはならない。雇用調整助成金は、既存のソシアルセーフテイ・ネットの対象者にしか適用されない。ほとんどの日給ベースの人々は、既存のソシアルセーフテイ・ネットの対象にもなっておらず、「非正規就労者」というレッテルを政府や経済界、マスコミなどから貼られ、困っていても救済されない。雇い主から‘明日から来なくて良いよ’の一言で自粛生活を強いられる。多くの国民は、そのような人を救済するのなら納得するだろう。
 全国一律1人10万円、総額12兆円もの予算を使うのであれば、このような人々や中小・零細規模業者を救済することができただろう。
それにも増して、遅れに遅れている検査体制と医療体制の抜本的拡充・整備が望まれる。(2020/05/08、05/20、07/7一部補足)
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日銀の金融緩和策、底が抜けた危険な運営!

2020-08-02 | Weblog
シリーズ本音トークー日銀の金融緩和策、底が抜けた危険な運営!
 日本銀行は、6月16日、金融政策決定会合において、「大規模な金融緩和政策の維持」を決定した。日銀は、安倍自・公政権において、2013年1月以来大幅な金融緩和策を継続してきたが、新型コロナウイルス対応として3―5月に一層の緩和策を導入し、更に企業への資金繰り支援として総枠を75兆円から110兆円に大幅に引き上げた。
 資金供給の主要なものは、市中(銀行や信託投資会社等)からの「株価指数連動型上場投資信託(ETF)」の買い入れであるが、既に2013年から大規模な買い入れを実施し、市中に資金を放出してきており、それが株価や信託投資証券の価格を押し上げて来た。流動性過多、金余りの中で、資金供給の総枠110兆円に引き上げた。それがコロナ大不況の中で、意味の分からない株高に繋がっている。
 日銀は、金利もマイナス金利としており、大幅な量的緩和も7年間続け、実体経済の伴わない金余りの中での大幅緩和であり、金利面でも量的にも節度を失い、底が抜けた金融緩和政策といえよう。
 日本経済は、世界経済の大幅低迷の中で、大幅な後退が予想されており、その中で実体経済に裏打ちされない形で株価と信託証券などの価格が人為的につり上げられている形であり、危険な状態となっている。何かのきっかけで、大幅に下落する恐れがある。個人投資家としては非常に危険な状態にあることを認識する必要がありそうだ。
 日銀総裁は、「投資家のリスクテイクの動きが弱い」などとコメントしているようであるが、実物経済を理解していないか、その知識はあるが善意の投資家の損失など気にも掛けていない発言としか考えられない。まともな経済人であれば、大損が予想される中で投資はしない。(2020.6.18.)
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コロナウイルス大不況、自・公政権備え無し!

2020-08-02 | Weblog
 シリーズ本音トークーコロナウイルス大不況、自・公政権備え無し!
 中国武漢で広がった新型コロナウイルス肺炎(COVID-19)は、世界に広がり、世界保健機関(WHO)は、3月11日、世界的伝染病(パンデミック)と宣言した。米国やイタリアはじめ多くの国が、渡航制限や大規模なイベントの自粛を求めると共に、「非常事態宣言」を発するなど、広範囲に亘る移動や活動の制限を行い防疫に努める一方で、米国は経済停滞への対応として3月3日の0.5%の緊急利下げに貸出金利を更に1%引き下げ、更に2.2兆ドル規模の経済対策を打ち出すなど、経済停滞への措置を執り、コロナウイルス大不況回避に向けての対応をとり始めている。
 この中で、3月16日、先進主要7カ国首脳によるテレビ会議が開催され、新型コロナウイルスに一致、協力して立ち向かうと共に、経済的影響を回避するため、各国が「あらゆる政策手段をとって対応する」ことが合意された。
 しかし日本政府、日銀に政策手段として何が残されているのか。
 1、 経済・社会困難への備えを怠った自・公政権
「あらゆる政策手段をとる」と言っても、日本政府はGDPの2年分相当の
1,100兆円以上の膨大な公的債務を抱えている上、2009年以来10年以上実質0金利が続いており、現在ではマイナス金利となっているので、政策手段が限られている。
安倍自・公政権は2013年の政権発足後、財政赤字が積み増され1,100兆円を超える膨大な公的債務を抱える中で、基礎的財政収支(プライマリーバランス)を2025年度に黒字化するとしていたが、これを27年度に先送りした。これは安倍政権では事実上断念したことを意味する。財政健全化どころか、選挙になると地域振興券や商品券をばらまくなど、予算の大盤振る舞いをし、公的債務が更に膨れ上がっている。
 EUも赤字公債の発行による経済対策を検討中であるが、日本とはおよそ規模が違う。EUにおいては、原則として一般政府財政赤字をGDPの3%以内、一般政府債務残高をGDPの60%以内に維持するとの財政規律を維持してきており、コロナウイルス大不況回避のため、それを緩和する方向で見直している。日本の公的債務は、既にGDPの200%内外となっている。借金漬けの状態だ。
 また金融政策においては、2013年より「異次元の金融緩和策」を継続しており、既に金自体は多量に出回っている上、10年以上続いていた実質ゼロ金利はマイナス金利となっているので、信用供給面でも金利面でも手が縛られている状況だ。マイナス金利を更に下げれば、市中銀行の経営を更に圧迫すると共に、預金者は他のウエッブ金融手段などに向かうだろう。残された手段は、「異次元の金融緩和策」で市場に信用がだぶだぶついているのに、更に信用を供給し続けることしかない。消費、生産活動双方が停滞し、民間投資も手控えられる状況で、市場にだぶだぶと信用を供給しても、株式市場は空元気を保てるかも知れないが、実体経済は動かない。
 自・公政権が発足して7年、財政・金融政策全般が豊満な拡張路線でマンネリ化し、財政、金融の健全化を段階的に行わず、経済困難に陥った時の準備を怠っていたと言えよう。

 2、赤字国債増発で大盤振る舞いは後生世代への負担のつけ回し!
 政権与党は、国民に現金給付をするとか、商品券を給付するとか言っているが、当面赤字国債による借金で国民に金をばらまき、一時的、限定的な消費効果を期待しているようだ。現金や商品券を頂けるなら多くの人は積極的には反対しないだろうが、所詮それは政府の借金であり、そのつけは徴税という形で後生世代に回される。「政府の金」などはない。全て国民の税金なので、現金や金券を配られても政府に感謝する必要は無い。
 いずれ国民への徴税となり、国民の負担になる政府に託された貴重な資金であるので、その使途は、的を絞って行われるべきであり、可能な限り厳正、公正に、予想される被害に焦点を当てて決められるべきであろう。ばらまきは、選挙目当ての官製利益誘導に近く、適正でない。
 コロナウイルス禍への最大の重点は、検査体制の迅速な拡充と新薬やワクチン開発を含む医療体制の整備であろう。検査をした上で、治療方法や病院を振り分けるべきであろう。検査をしないで、症状のない保菌者を放置すれば感染は止まらない。
 経済的な支援を必要とするのは、職業が安定していない人や解雇される人であり、企業・団体では中小零細企業・団体や観光・飲食・娯楽などの分野で、コロナウイルス禍で著しく影響、被害を受けるものを中心として、対象、焦点を絞ることが望まれる。(2020.3.29.)
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日本医師会会長選、コロナウイルスへの対応が問われる

2020-08-02 | Weblog
シリーズ本音トークー日本医師会会長選、コロナウイルスへの対応が問われる
日本医師会は、6月1日、任期満了に伴う役員選挙を公示し、27日に投票となる。注目されるのは会長選で、横倉現会長が5期目を目指すほか、中川副会長が立候補している。
日本医師会の役員選挙であるので、一般国民には関係が無いが、武漢型コロナウイルスへの対応が、日本のみならず今後の世界に関係することであると共に、本年1月末以来の日本医師会の対応の是非への医師会内での評価に関係することであるので注目を引いている。
無論、一般国民としてこれまでの医師、看護師他医療関係者のご努力に対し深甚なる感謝を表したい。他方、医師会の初動の対応については基本的な疑問が残る。横倉会長は既に4期努めておられ、更にもう1期努めるべきかが医師会により問われることになる。
 1、「医療崩壊」を避けたが、国民の健康、安心・安全は守られたか?
 政府及び専門家は、武漢型コロナウイルスが中国国外に伝染し始めた1月下旬、検査体制が十分でなく、また病院の受け入れ体制も十分でないことから、中国武漢等に渡航したことがないものや、感染者との濃厚接触がないものなどに対し、極力自宅で療養し、また多少の風邪症状があっても病院には行かないように注意喚起していた。
 2月に入り、世界保健機関(WHO)が武漢発のコロナウイルスをパンデミック(国際規模での伝染病)と宣言して以降も同様の対応をとった。
医師会側が、患者が病院に押し寄せ「医療崩壊」となることを恐れたからであろう。政府が、「緊急事態宣言」の発表を検討している時に、日本医師会横倉会長は、「医療的緊急事態」であるとして、外出を抑制するよう呼びかけ、「緊急事態宣言」の早急な発表を要請した。これを受ける形で「緊急事態宣言」が発出され、結果として「医療崩壊」は回避されたと言えよう。
 この意味では、日本医師会が病院を守ったということであり、医師の間では一定の評価がなされるであろう。
しかし日本医師会は、国民の健康を守るよりは、医療現場を守ったに止まったと言えよう。一般国民は、検査も受けられず、体温が37.5度以上にならないと病院にも行けず、かなり不安であったに違いない。今も不安であろう。パンデミックの対応の基本は、感染者を早期に見つけ、家庭や一般社会から隔離し、治療することであろう。即ち、検査の充実と医療体制の拡充・整備が基本とならなくてはならない。
日本医師会が「医療崩壊」を懸念するのは十分に分かる。しかし、それ以上に国民の健康を守るということであれば、検査の充実と医療体制の拡充・整備の必要性を訴え、医師会として出来ることを行うと共に、政府、地方公共団体等に対しその必要性と迅速な対応を要請すべきだったのだろう。
検査をせず、潜在的感染者を家庭や一般社会に閉じ込めてしまえば、「医療崩壊」は阻止できるだろうが、保菌者を野放しにしているようなものであるので、人々の行動が自由になればいずれ伝染は再開することになり、パンデミックは何時までも克服できない。

2、ワクチンと治療薬が出来るまでの辛抱
ワクチンと効果的な治療薬が出来れば、武漢型コロナウイルスは各種のインフルエンザなどと同様の伝染性の病気の1つとなる。それまでの辛抱だろう。それを日夜研究されている皆様に感謝する日が早く来ることを期待したい。(2020.6.20.)
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