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日本は安全保障音痴か? (再掲)

2023-09-14 | Weblog
日本は安全保障音痴か? (再掲)
<はじめに> 米・韓と日本は、2023年8月19日、米国キャンプデービッドで首脳会談を開催した。米・韓両国と日本が戦力的連携を強化し、中国の海洋進出と北朝鮮の核・ミサイル配備を念頭に首脳会議や3国共同軍事演習の定例化等に合意し、共同声明を発出した。米国は韓国軍の指揮権を有し北朝鮮との朝鮮戦争は休戦状態で終っていない。米・韓両軍は一体であり北朝鮮との戦争当事国という基本認識に欠ける判断と言えよう。北と戦争当事国の米韓両国には渡りに船であろうが、日本にとっては朝鮮戦争に巻き込まれるだけ!政府外務省はもし日本国民の安全を優先するのであれば、勉強をし直すべきではないか。
 2023年度予算の政府概算要求案の詰めが行われている。その中で政権与党から声高に要請されているのが、北朝鮮の核・ミサイル開発など北東アジアの緊張が高まっていることを背景として、「反撃能力」の保持とミサイル増強を含め、5年間で安全保障関連費をNATO水準のGDP2%(現行防衛予算の2倍)達成目標だ。現下の情勢を考慮すると防衛力強化は必要だろう。しかし、現在日本は何処の国とも武力紛争はもとより軍事的敵対関係にはない。またNATO(米国、欧州諸国の対ロシア軍事同盟)は欧州や世界の安全保障に一定の役割を果たしているが、日本はNATOの同盟国ではなく、NATO基準に縛られる必要はない。NATOの急速な東方拡大と攻撃的、硬直的対ロ姿勢については直ちに賛同できるものでもない。
また北朝鮮は、23年に入り頻繁にICBM級ミサイルの発射実験の他、各種ミサイルの発射訓練を繰り返している。米韓合同軍事訓練や米国原潜の釜山寄港、核の拡大抑止の適用などの動きに合わせた対抗的行動であり、ミサイル落下地点も日本の排他的経済水域の外側がほとんどで、日本を刺激しないよう留意しているものと見られる。北朝鮮の標的は朝鮮戦争が終結していない状況を反映し基本的には米韓に向けられている。これを日本側の政府及び一部メデイアは、朝鮮戦争が終結していない歴史的事実を理解せず、過剰に反応し、「米韓との連携を強化」などとしているが、この対応は朝鮮戦争を呼び込む恐れがあり、日本の安全保障を著しく害する結果ともなる。
 更に現在日本は統一教会(国際平和統一家庭連合)が自民党に広範に浸透し、攻撃的な勝共思想など政策面でも影響を与えてきたと見られている。同教団は北朝鮮と軍事的に対決している韓国に本部があり、多くの日本国民に被害を与え、いわば日本国民の財産・精神・生活の安全保障上の現実的脅威となっている現実があるので、まず国内にある国民への脅威を除去する必要がある。 
 日本は日本として、国民の最大の将来不安である家計所得の安定的向上と年金の安定給付が最大の関心事であることを認識し、国民に負担や不安を掛けない健全な財政運営が望まれる。
 このような観点から、本稿を再掲する。(2022.11.29.,23.7.22.2023.8.19.追記)

 南北間の休戦協定を破棄した北朝鮮は、4月9日、韓国への攻撃もありうるとしてソウルに在住或いは滞在中の外国人に対し、退避準備をするよう呼び掛けるなど、威嚇姿勢を強めている。
 この中にあって、北朝鮮労働党の機関紙である労働新聞は、4月10日、日本に米軍基地があることを背景として、“東京、大阪、横浜、名古屋、京都”の5都市に人口が集中しているとしつつ、“日本は北朝鮮の近くに位置し、報復の対象から逃れることは出来ない”、“日本が戦争に火をつければ、日本全体が戦場と化す”などとして強く威嚇する記事を掲げた。
 何故だ。そもそも日本は朝鮮戦争に直接関与したことはなく、南北間の軍事衝突があっても直接に関係、介入することはない。ましてや“日本が戦争に火をつける”ことは現行憲法においては決してないであろう。それなのに何故このような威嚇を日本に向けるのだろうか。不可解であるし、大変迷惑だ。
 北朝鮮による国際世論に反する核、ミサイル開発には強く反対するところであり、また過剰に好戦的な姿勢に自制を求めるところではあるが、どうも日本側の姿勢が誘因になっている恐れがある。
 1、“日米韓が警戒を強める”って何のことか?
 4月10日付の本の保守系新聞は、“北ミサイル準備終了か 日米韓 警戒強める”と題し、日本地図を掲載して日本、韓国、米国のミサイルや艦船の配備状況を示して一面トップで報じている。日本国民としても気が高ぶる報道だ。
 休戦協定は南北朝鮮間の軍事衝突を避けるためのもので、それが破棄されても南北朝鮮間の問題であるので、韓国とそれを支援する米国、及び休戦協定の監視を行う国連の問題であり、日本は直接関係はない。
 ミサイルの発射実験により、とばっちりが掛かる恐れがあるので、それへの対応は不可欠であるが、戦争状態に突入している韓国や米国と同列に扱うのは迷惑である。日韓には安保取り決めなどもない。
 どうも日本の保守層を中心とする安保族に日米同盟強化に対する思惑があるので、日本国内で十分議論が尽くされないままに、日米同盟強化、集団的安全保障論が前のめりに先行し、報道されているからではないか。
そのような姿勢が、10日付の労働新聞のような誤った威嚇につながっているのではなかろうか。配慮に欠ける。
 2、迎撃ミサイル(PAC3)の防衛省構内配備をプレイアップする愚
 11日のテレビ報道や新聞は、ミサイルが万一日本方向に飛来することに備え、
防衛省構内に迎撃ミサイルを2基配備していることなどを何度も報じている。日本の安全確保を強調するためであり、それは十分理解できる。
 しかし迎撃ミサイルの具体的な配備地点などの詳細を何故映像で映し、報じるのか。北朝鮮は戦争準備をしている時に、日本の対応を詳細、具体的に知らせることになるので、日本の安全保障には百害あって1益もない。
 極めつけは、防衛相が配備現場でミサイル担当の自衛官を激励する姿まで放映している。まるで戦争ごっこだ。
 日本国民への安全措置をアッピールするためのパーフォーマンスであろうが、相手を刺激し、威嚇の口実を与えるだけだ。
 北朝鮮は、南北休戦協定を破棄し、戦争状態に既に突入している。戦争ごっこでは適切ではないし、日本は紛争を好まないし、直接の紛争の当事者ではないことを念頭に置き、適切、適正な対応することを望みたい。(13.4.11.)(All Rights Reserved.)
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マイナンバー、官庁のためのユアーナンバーにしてはならない! (追補版) (再掲)

2023-09-14 | Weblog
マイナンバー、官庁のためのユアーナンバーにしてはならない! (追補版) (再掲)
 <はじめに>2021年11月10日、新内閣発足に伴い、与党自民党と公明党がマイナンバー普及のため、総額2万円のポイントをそれぞれの段階で付与することで基本合意した。マイナンバーカード実施から6年近くになるが、登録率は未だに40%程度でしかない。
 その普及のため、2万円のポイント付与をこの時点で行うことは、この制度自体への国民の理解が進んでおらず、広範囲の個人情報の国家把握、相続税を含む徴税強化、情報流出と悪用、及び煩雑な操作・行政事務などが危惧されていることを如実に示している。行政当局は、その普及のため更に税金を使うのでは無く、税申告に関係する所得や個人財産を含む広範囲な個人情報を包含するマイナンバーは、制度設計上の誤りであり、国民に理解されていないことをただちに認め、適用範囲を社会福祉関係に限定し、国民の理解を得やすいよう、簡素化することが望ましい。このまま税金を使って奨励・普及することは2重の不効率であると共に、何時起こるかも分からない大災害の時の安否確認や救済・支援には中途半端にしか役だたないこととなるので、早急な対応が必要となっている。大災害は待ってはくれない。
 また各個人を証明するものは複数あった方が安全だ。マイナンバーに一元化すると、紛失や盗難、電波障害・停電、サイバーアッタックなどで使用不能になった際、存在を証明するものが無くなってしまう。
  IT事業はマイナカードを始め予算(税金)の草刈場となっているが、ITやAIは万能ではなく、人の能力を過小評価し、また個人情報の安全保障を損なう恐れがある。マイナカードに保険証や税番号から銀行口座などまで全てを吊すことは必要ない以上に、個人情報の安全保障を危うくする。政府給付金を出すとしても全て吊してある銀行口座に送金する必要は100%無い。米国は年金やコロナ給付金などに銀行小切手を郵送しており、ITと確立したアナログ制度をバランス良く活用している。IT時代、AI時代に従来のアナログの諸制度や人の能力を確保し、双方の良さをどう確保・共生させるかが今後の最大の課題である。IT独占、IT万能社会を構築することではない。このような視点から本稿を再掲する。(2023.7.25.追記)
 
 コロナ禍対策のため実施された一律10万円給付が、4月30日の第1次補正予算成立を受けて実施に移されたが、一律給付が最も早く配賦できるとの触れ込みにも拘わらず、日時を費やし、7月になってようやく見通しがついた。この配賦の遅れの原因の1つとしてマイナンバーの普及率の低さ(約16%)に加え、申請システム設計の複雑性などが指摘された。そのため総務省を中心として、銀行口座登録の義務化や個々人の医療関係情報の記載などによる適用分野の拡大などが検討されている。
  1、一律10万円給付の遅れはマイナンバー制自体の問題ではない
マイナンバーの普及率は、実施から4年半以上経過しているのに16%程度の低率に止まっている。従って、仮にマイナンバーの利用により迅速に給付できたとしても、全体の16%程度しかカバーできなかったはずである。残りの84%が問題だったということになるが、実際はマイナンバーも機能しなかったことが、マイナンバーに労力が集中され、それが煩雑で機能しなかったため、郵便等への対応が遅れた事による。マイナンバーが複雑で国民に受け入れられていないことが明るみに出たと言えよう。
 米国は、大統領選挙の年でも有り、日本に先立ち一律給付を実施したが、ソシアルセキュリテイ・ナンバーに基づき、「小切手」が直接各個人に送られている。ソシアルセキュリテイ・ナンバーは、米国民や米国で働く者が誰でも加入できるもので、これがないと将来的な年金と公的機関からの社会保障が得られないのでほとんどの人が所持している。
 恐らく、日本も郵送等により実施していたら、もう少し円滑であった可能性がある。行政が普及率の低いマイナンバーに固執したことが一律給付を阻害した形となった。行政が、マイナンバーの普及率が16%でしかないことへの認識不足とこれに固執するミスジャッジを認識することが必要だろう。

2、国民のためではないマイナンバー!
 政府(総務省)は、一律給付金の配賦のもたつきへの反省から、銀行口座記載の義務化や、医療診療関係情報の記載などの分野の拡大などを検討している。同時に普及促進のため、新加入者がキャッシュレス決済のカード等を登録するとポイント付与(マイナポイント)とテレビなどでの普及を行っている。
 政府の認識が大分ずれているのではないだろうか。実施後4年半以上経って普及率が停滞しているのは、国民側が、メリットを余り感じない一方、機微な個人情報の流出や国家管理の強化を恐れているからであろう。政府側がまずこの点を理解しない限り、改善、改革などと行ってみても、国民の財産把握を含めて国家管理し易くする所詮政府寄りのもので、システムが複雑化し、関係官庁には好都合であろうが、国民にとってはほとんどメリットとはならないものになってしまう恐れがある。関係官庁はまず、国民が不安、不要と感じている諸点をそぎ落とし、国民に不安がないようにすることが求められる。
 マイナンバーには既に、住所や本籍、家族構成、年金、健康保険や一部銀行口座・カード情報、所得、税金関連情報等が入っている。これだけでも外部に流失し、犯罪グループの手に入ったら、大きな被害を受ける可能性がある。マイナンバーは法律上加入「任意」としているが、税の申告に当たっては記入事項とされ、また銀行口座や証券投資の際には執拗にマイナンバーを執拗に照会してくるので、登録した人は納税申告関係や銀行口座、不動産を含む資産情報など、個人にとっては大変重要な情報が記録されることになる。
 現状でも、マイナンバーを日常的な支払いやポイント記録などに使用すると、流失や紛失の恐れが高くなるので、持ち歩くことは大変危険であろう。
 更に総務省は、決済サービスのためキャッシュレス使用を登録するとポイントが付くマイナポイントが9月1日より実施されている。そのためにテレビ広告やポイント付与のため、税金を使うということであり、筋が違う。国民がマイナンバーに利点を感じれば加入するだろう。総務省がポイント付与をしてまで普及を図っている事実こそが、国民がマイナンバーに利点を感じていない証拠である。いずれにしても納税関系では、マイナンバー保持者が亡くなると、銀行口座、証券、不動産等があっというまに凍結され、残された者は一円も自由にならず、銀行口座については少額の引き出しは可能になったが、諸費用捻出に苦労することにもなる。
 また医療・診療情報も入れることが検討されているが、医療・診療情報は非常にプライベートなもので、他人に見られるのは気が進まない。ましてや政治家や入社試験、管理職候補などについては、医療・診療情報が万一にでも外部に流出すると昇格・昇進等にとって致命傷になる恐れがある。

 3、現在のカードは官庁のためのユアーナンバーでしかない!
しかし現在のマイナンバーは、税金関係の役割が強く、投網のごとく税申告者を把握し、確実に徴税するために好都合になっている。5年に1度、国勢調査が実施されているが、国勢調査で記載された個人情報は国税庁、警察・公安には明らかにされず、徴税や犯罪調査には利用されないことになっている。国民の協力を得やすくするためだ。
現在のマイナンバーは、国税庁(税金)を含め全ての行政分野が対象で、対象で所得、年金・医療保険、銀行口座、証券、不動産などが全ての個人情報が記載される。国民には年金掛け金納付、健康保険料納付や納税義務があることは分かっているが、このように網羅的に資産状況が国家に把握され、義務の履行が管理、監視されることになると、国民の国家管理の色彩が強くなる。その上情報流失の危険性がある。少なくても国勢調査同様のものとし、国民の生命、安全を守ること中心とする個人の存在基盤と福祉分野に目的を絞り、抜本的に簡素化することが望ましい。
また情報管理のため各種の防護措置が講じられてはいるが、それは逆に操作を複雑にしている。1つ入力を間違えると前に進められなくなり、複数回誤入力すると凍結されてしまい、解除に時間と労力が掛り、悩まされることになる。結局は、利用者の手間や負担を増やし、行政側を楽にするシステムでしかない。その意味でも現在のマイナンバーは、行政のためのユアーナンバーでしかない。
関係官庁の担当官や専門家が集まり、官庁側に必要な個人情報を網羅し、その上に本人確認やその他のなりすまし排除のための防護措置を掛けるのだから、普通人には理解困難な緻密で複雑な制度設計、システムとなる。それでなくても各種申請書は複雑で、馴れている人でもなければ記載に手間取る。それがインターネットとなると、各種のチェック措置が加わるので、一般人には操作が複雑で難しくなる。書類によるアナログ世代にとってはなおさらのことだ。

4、国民を守るためのマイナンバー制度に限定すべし
 国民の年金・医療保険などの厚生福祉、緊急時の安全確認など、国民の基本的な権利と行政手続きの簡素化など、国民の福利に絞ったナンバーであれば、国民もこぞって加入し易くなろう。それを支えるのが国や地方自治体の業務であり、義務ともなる。またカバーする分野を絞ることにより、利用者側は普段持ち歩く必要も、情報流失の際も影響が限定され、犯罪グループへの露出度を少なく出来る。それでも米国のソシアルセキュリテイ・ナンバーよりも複雑だが、国民の福利にとって心強いものとなる。そのような改革が望まれる。

5、行政のIT化促進は行政の更なる肥大化、複雑化の恐れ
 IT化は、情報を多量に処理できるので、仕事をどんどん増やし、行政の肥大化を呼ぶ恐れが強く、万能ではない。
(1) IT化とともに、旧来事務の廃止、整理を行うことが不可欠であろう。
同時に、制度設計の簡素化、単純化に常に留意しなくてはならない。
 デジタル化は、一見効率的に見えるが、そのためには膨大な情報入力作業に加え、情報の迅速な更新が必要であり、必ずしも省力化には繋がらない。情報が常に更新されないと適正な情報把握も対応も難しい。国民年金については、ペーパーからデジタルに移行が図られた際に膨大な記録ミスやご記載があり、多くの年金が消えた事例や、年金情報の漏出や犯罪への利用なども見られている。
 行政当局は、情報の入力、更新を直接できないので、外部委託し、その業者は国内外の会社に再委託するなどが通例となっている。そのためには追加的な予算が必要となり、国民の負担となる。
(2)ITにより一律のサービスを確保出来るが、プログラムから少しでも外れるとエラーとなり、凍結してしまうなど、融通が利かず、非常に硬直的、事務的となる。
(3)保秘やデジタル攻撃に留意する必要がある。そのためにパスワード等を加えると、更にシステムが複雑になる。セキュリテイを強化すればするほど、煩雑となり、エラー、凍結なども多くなり、利用者の負担が大きくなる。
(4)公文書、公的文書類の保存・管理の問題が深刻だ。森友学園問題での公文書改ざんや自衛隊の日報問題、或いは「桜を見る会」などでは、コンピューターに蓄積された記録でさえ廃棄されたと報告された。そのようなことはほぼあり得ないが、問題が生じた時にすべての関連コンピューターを押さえ、調査できるようにするなど、文書管理が非常に難しくなるので注意が必要だろう。重要な文書は、アナログの紙で保存する必要もあろう。 

6 、ITの脆弱性
 更にIT化により電気と電波への依存が大きくなり、電気や電波という生活インフラがダウンするとITは動かなくなる。大規模災害が起こり、基礎的生活インフラが破壊されると、麻痺状態になることはこれまでも経験している。またシステム管理・維持と共に、サイバーテロ等への備えも必要となり、それに問題が生じるとITは作用しなくなる。どんなにセキュリテイを強化しても、それはいずれ誰かに破られる。これらのITの脆弱性を認識する必要がありそうだ。
 従ってITへの過度の依存は国民生活全般を麻痺させる可能性を高めることを十分認識する必要がある。
 マイナンバーカードの安全と普及のためには、機能を国民の本籍と住所に基づく福利厚生に限定し、機能を分散することが不可欠だ。
 (2020.9.1.&9.19.及び2022.2.15.加筆)
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石油価格高騰、なぜ特別税率を停止しないのか? (再掲)

2023-09-14 | Weblog
 石油価格高騰、なぜ特別税率を停止しないのか? (再掲)
 <はじめに>2023年5月にコロナウイルスへの対応がインフルエンザ並となり、各種の補助金事業が真直され、同年6月よりガソリン高騰を緩和するための石油元売りへの補助金が徐々に削減され、9月には廃止になる方向にある。これにより7月よりのガソリン価格が高騰し始めており、広範な影響が予想されるので、対策が急務となっている。ロシアのウクライナ侵攻への対抗措置としてロシアからの天然ガス輸入を含む経済制裁措置からエネルギー価格が高騰した2021年の状況が再燃したと言える。
 現在政府自民党が石油元売り企業への補助金とするか検討中だが、2重にも3重にもなっている石油税の暫定税率を中止することを世論は主張し始めている。補助金はかなりの部分が元売り企業の利益となり、消費者への効果に還元せず目減りしていない。事実大手石油元売り3社の2022年4~6月期の決算は、売上高と最終利益が同期比で過去最高となっている!それが企業の内部留保となり、自民党への献金等となっている。補助金は選挙ビジネス化しており、政策目標の効果を減殺している。
 このような状況から、本稿を再掲する。(2023.8.6.補足)

 石油高騰により、レギュラーガソリンが170円/リッターに迫る中、政府(経産省)は、レギュラーガソリンが170円を超えた場合、卸売業者にリッター当たり5円の補助金を出す方針を明らかにしている。
 それにより少しでもガソリンが安くなれば多くの国民、運送業者、物流業者等にとって喜ばしい。しかし補助金分だけガソリン代が下がるとは限らない上、
補助金の財源は所詮国民の税金であるので、税を徴収して配るという施し政治、金権政治をまた行うことになる。所得960万円以下を対象にして、18才以下の子供に10万円給付という施し政治についても、その目的の不明朗さを含めて批判が多い。
 ガソリンには、消費税の他、いわゆるガソリン税が課されている。その1つが「特別税率」(道路財源確保のための旧暫定税率)で、ガソリン税の約半分の25.1円となっている。旧暫定税率は1970年代の高度成長期に、自動車の普及と共に国中で道路建設が行われていた時代の名残りで、「暫定」と言いながら2011年ころまで継続していたが、東日本大地震を契機に批判が高まり、民主党政権時代に一時廃止されたものの、福田(康)自民党政権で「特別税率」と看板を変えて復活された。財源確保のためでしかない。
「特別税率」については、トリガー条項があり、ガソリン価格が3カ月連続でリッター160円を超えた場合、上乗せ分25.1円の課税を停止することが出来る。
現在正にトリガー条項を適用すべき時期ではないだろうか。ところが松野官房長官は11月16日の記者会見で、財源確保の観点から否定的意見を表明した。
コロナ禍で経済が停滞する中で、一部野菜や小麦、牛肉などが値上がりし、カソリン代の高騰で多方面に亘り困っているのに、法律で決められていることを拒否する政府というのは一体どういう政府なのだろう。
もっとも日本の経済全体を見るべき日銀総裁が、ガソリンや一部価格の上昇の影響は、余り大きくないなどとしているのも違和感を覚える。
 明年夏の参議院選挙を前にして、補助金や給付金等の施し政治、金権政治を継続する空気が自・公政権内に強いことを受けてのことであろうが、何時までこんなことを続けているのだろうか。(2021.11.18.)
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男女平等を支持、だが個人の平等も未達成の日本!(再掲)

2023-09-14 | Weblog
男女平等を支持、だが個人の平等も未達成の日本!(再掲)
  2021年2月3日に開催されたJOC臨時評議会におけるオリンピック組織委森会長の発言が、女性蔑視的発言としてマスコミ等に報道されたことを端に発し、日本国内での批判が多方面に及んだため、森会長(当時)が釈明会見を行った。しかし謝罪はメモを読むような形で行われ、また記者との質疑応答も高圧的とも見られるやりとりがあったため、批判は更に広がった。国際オリンピック委員会(IOC)も、当初は「謝罪したからよい」との姿勢であったが、米国はじめ国際世論が厳しさを増したため、同会長の発言はオリンピック規定に沿わないとの見解が出されるに至り、辞任に追い込まれた。
 更にその後森会長側が特定者を後任候補に指名、推薦したことが報道され、不透明な指名等として批判されるに至り、2月12日、オリンピック・パラリンピック組織委・評議会合同会議が急遽開催され、森会長が正式に辞任を表明する一方、後任候補については検討委員会において行われることになった。
ここまでの経緯についても、同組織委の右往左往振りは拙劣であり、事務局の事務的トップであり、また森会長慰留に奔走した事務総長の責任が問われている。また同組織委についてが、事務局職員は月収20万程度から200万円となっているようだが、多数のボランテイアが無報酬或いは少額の手当で募集されているにも拘わらず、事務総長はトップとして月200万円、年額2,400円という高額の報酬を得ているのではないかとの疑問の中、事務局幹部の報酬も不公表となっている上、オリ・パラ大会が2020年7月から1年間延期されたにも拘わらず、その後も同じ報酬を得ているのではないかとの疑問も聞かれる。
 新会長については、政府、与党自民党幹部筋やから「女性か若い人」などとして具体的な名前が報道され、これがかえって女性や年長者に対する「逆差別」などとの批判が出るなど、迷走振りは日本だけでなく世界の目からも醜態と映っているようだ。
 1、男女平等が身についていない日本の社会
 このように男女平等への意識が低いという国際世論を背景として、新会長は女性からなどという意見が出ることは、一見理解ある対応と見えるが、要するに国際社会の目を配慮しての対応であり、それで男女平等が確保されるわけでもなく、そのような発想自体、男女平等意識が身についていないことを示している。また、もっと若い人をと言う発想も、新卒優先の定年制や制度を年齢で区別する行政や社会慣行をベースとした、過剰な年齢差別の意識と言えよう。80歳以上の年長者が時代遅れの不適切な発言をしたからと言って、「若い人」を会長とすれば問題が解決するわけでもない。
 他方、森会長(当時)の「女性理事が多いと会議の時間が掛る」との発言については、辞任するほどの発言ではないとの見方もある。しかし今回の批判は、その発言だけではなく、与党自民党の幹部を務め、党内最大の派閥を率い、自ら首相となり、安倍内閣を誕生させた有力な政治家ではあるが、政治活動の中での心ない言動やオリンピック・パラリンピック組織委の会長に就任してからも新国立競技場建設に当初予算の2倍以上の3,500億―5,000億円内外を掛けようとしたり、エンブレムでは盗作疑惑を掛けられたり、数々の不祥事起し、また小池東京都知事との確執など、とかくの風評があったから今回の問題に発展したとのであろう。国際的スポーツの祭典に国レベルにせよ世界レベルにせよ政治を持ち込むのはなじまないのかもしれない。
 その会長を武藤事務総長が組織のために慰留したとされ、事務総長自体も森発言の問題を理解していない。更に同事務総長は森会長が辞任した後も、新会長候補の指名に関与したり、新候補選びでは「候補者検討委員会」のメンバー選びが不明瞭な上、氏名を不公表とするなど、迷走に迷走を重ねている。同事務総長は、組織委の事務方トップとして森会長が引っ張った元財務官僚であり、組織委発足以来、上記の一連の不祥事を重ねて来ており、事務処理上も拙劣に映る。その事務総長が、「候補者検討委員会」の進行役を務めているようだが、一体この「候補者検討委員会」は何なのであろう。

 2、個人の平等も達成されていない日本
  男女平等は勿論支持するところだが、実は日本において国民の「個人の平等」が未だに実現されていないのが現状だ。
 民主主義の基本は、男女を含めて「個人の平等」であり、憲法にも規定されている。個人の平等を最も基本的に体現できるのは、国民の代表を国会に送る選挙であろう。しかし戦後国民1人1人の投票の重み、価値が1対1に近い形で平等な選挙が行われたことは1度もない。都道府県毎に選挙区が区割りされ、定数が割り振られているが、人口の少ない選挙区と多い選挙区では、1票の重みが衆議院では最大で3倍以上、参議院では5倍以上の状態が続き、選挙のたびに弁護士グループが憲法違反訴訟を提起して来ている。裁判においては、地裁レベルでは「憲法違反」とする場合もあったが、地裁レベルでも、最高裁においても「違憲状態」とされる場合が多く、国会の対応に委ねられて来た。しかし国会では時に微調整は行われたものの、長期に亘り抜本的な検討はなされなかった。そこで裁判所も国会へ対応を促すため、最近では衆議院で2倍以内、参議院で3倍以内なら違憲ではないと裁定するようになっている。それでも、都市圏の人口の多い選挙区では少ない県に比し、個々人の1票の価値は衆議院で2分の1以下、参議院で3分の1以下となっており、とても「平等」とは言えない状態が長期に続いている。男女平等どころではない。男女を問わず国民の平等は未だに確保されていない。
 最高裁の「平等」に関する考えは、「単なる1対1の関係が基準ではなく、地域など他の要素を考慮する」ということに尽きるようだ。この並びから言うと、男女平等も「単なる1対1の関係が基準ではなく、他の要素を考慮する」という解釈となり、女性への待遇等が男性の2分の1か3分の1以下でも許容されることになる。そうなのですよ。憲法の番人であるべき最高裁でさえも、建前では国民、男女の「平等」と言っていますが、「他の要素を考慮する」という恣意的な判断を加えることを容認しているということ。平等は原則1対1の関係という初歩的な算術も理解されていないようだ。これが現実なのでしょう。
 最高裁のこのような恣意的な「平等」が容認されると、男女平等についても、女性が男性の2分の1、3分の1でも容認されることになる。それが最高裁の本音なのかもしれないが、速やかな是正が望まし。
 最高裁の判事も、内閣により任命される公務員、時の内閣に不利になる判断を出せば、人事で不利にもなりかねないので、わきまえるしかないのは誰も同じと言えそうだ。しかし、そんなことでは3権分立の意味は薄れるばかりでなく、社会も、全体的な民主主義も進まない。
 国会は真に平等な国民の代表ではない。その国会で指名された首相も真の意味で国民の代表ではなく、その内閣に任命された裁判官も同様という負の連鎖が続いているように見える。これに意見が言えるのは、マスコミや学者を含む知識人なのであろう。
 しかし従来、マスコミや学者、有識者などもこの状況を許してきたと言える。マスコミやコメンテーター等もビジネスであるのでスポンサーや雇い主等を考慮しなくてはならないことは当然だろう。学者については、著名で国の各種委員会等で委員を務めている国立大学の多くの教授、研究者は国家公務員であり、言動には国家公務員としてわきまえなくてはならない。余計なことを言えば外される。全国には国立大学が86校(2020年4月現在)もあり、これ程多くの最高学府の学者、研究者が国家公務員であり、発言は自粛、制限される。自由な発信は望めない。いわば御用学者が多過ぎると言える。特に政治・社会・経済・歴史を含む人文科学、社会科学の分野では自由な発想、研究や表現は望めない。日本は、政治に縛られない生物化学、物理、及び文学の分野ではノーベル賞受賞者を出しており、喜ばしい限りだが、政治と密接に関係する社会科学の分野では1人も受賞していないことは、教育制度に国家色の強い偏りがあるからであろう。学問や表現の自由を確保する意味からも、国立大学の民営化と、学生の経済的負担を軽減し、平等の教育機会を与えるとの観点から、その予算を、将来負担を軽減した奨学金制度の拡充及び研究助成に振り向けることを検討すべき時期ではないだろうか。
 また最近情報系バラエテイ番組でお笑い系のタレントが重用されているが、お笑いの人からコメントなど聞きたくないという辛口の意見や、わきまえて話すお笑い芸人は面白くも可笑しくもないとの声がある。
 従って現実問題として、残念ながら日本は中から政治・社会・経済制度の改善、改革の動きは出にくく、今回のように国際社会からの批判や圧力、良く言われる「外圧」がないとなかなか動かないのかもしれない。それで良いわけがない。(2021.2.17.2021./2.20.一部加筆)
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