10月3・4日に瀬戸内しまなみ海道スリーデーマーチに参加して、40km・2日間縦断コースを歩いて来ました。
の続き。
ウォーキングの大会に参加する時の宿泊は、たいてい安いビジネスホテルをネットで探し、
一番安い所に泊まりますが、このしまなみ海道の大会の時は宿泊するとろが少なくて自分では探せないので、
大会がお世話してくれる食事つきの旅館に泊まります。
ですから、2日目の朝食も豪華です。
ですから、ご飯は山盛り3杯は食べます。
ご飯は、昼からのエネルギーとなって40kmを歩かせてくれるからです。
(科学的にはどうかわかりませんが、私の少ない経験からです。元を取ろうと思っている訳ではありませんので・・・)
だから、家では夕食にご飯は1杯しか食べないのに、3杯も頑張るのです。
安いビジネスホテルに泊まった時は、何時もコンビニのおむすび3個とペットボトルのお茶です。
卵が生卵だったら、ご飯をもう1杯食べれたかも!!
旅館「さわき」でご飯を腹いっぱい食べて、ご機嫌で旅館を出ると、絵柄のマンホールを見つけました。
昨日はそばを歩いて来たのに目に入らなかったのか!旅館での生ビールに目がくらんでいたようだ。
旧大三島町の町の花はミカンの花だったので、周りはミカンの花で真ん中はミカンの絵柄。
旧大三島は、平成の市町村大合併で今治市となったがマンホールは残されている。
良いことだ。
きのうゴールした多々羅しまなみ公園にバスで戻り、そこから2日目の40kmはスタート。
多々羅大橋はしまなみの海道一の美しさを誇る斜張橋です。
スタートセレモニーが始まったので皆そちらに行って誰も居なくなったので、美しい多々羅大橋を独りで眺める。
スタートしてすぐに吊り橋の絵柄のマンホール発見。
斜張橋の多々羅大橋だ。町章の様なマークがあるが大三島町の町章かどうかわからないが、
橋が開通したのが10年まえだから旧大三島町が設置したのだろう。
尾道から5番目の大三島橋。しまなみ海道で最初に出来たアーチ橋。
6番目と7番目の橋の伯方・大島大橋。繋がっている。
6番目が大島大橋は鋼箱桁橋で、手前の人が歩いている所。
7番目が伯方橋で吊橋。
大島大橋を渡って村上水軍の幟旗を持った武者の絵柄のマンホール発見。
宮窪は村上水軍の本拠地が有った所だが、ちょっと迫力不足の水軍武者(海賊)だ。
大島は、以前は東側が宮窪町だったので、「みやくぼ」の字入り。
大島の西側に入って歩いているとYOSHIUMI-TOWN(吉海町)の字入りのマンホール発見。
やはり、来島海峡大橋の絵柄だ。旧吉海町の町の花のつつじも書かれている。
よしうみいきいき館で昼食をして、来島海峡大橋に向かって歩きだす。
ちょうど、ここらあたりで3年前に私たちが写真を撮られ、その写真が第7回大会の大会誌の表紙になった所です。
その表紙です。右が私。左が今度も一緒に歩いているKさん、真ん中はIさん。
第7回には、私とKさんは参加していなかったがIさんが気付いて知らせてくれたのだ。
顔が写っていないのが残念だ。
来島海峡大橋は、3つの吊り橋が繋がった大橋です。
3つの繋がった橋の長さは4,105mも有ります。急いで歩いても橋の部分だけで40分もかかります。
こんな美しい風景が40分も続くのです。
君と行く、海の碧、空の青 です。
橋を渡り切ると今治市内です。
今治市のマンホールは3つの帆が有る和船です。水軍と関係があるのかな?
2日目のマンホールは橋か水軍関係の絵柄が多かったので地方性がよく出ていて見つけるのが楽しかった。
ただ、夏に歩いた「角島大橋」の橋の上でマンホールを見つけたので、
しまなみ海道の橋の上にも有るかなと探しながら歩いたが、見つけることができなかったのが残念だ。
もしかしたら、橋の上にはマンホールはなかったのかも・・・。
しまなみ海道の橋と海と楽しんで、新装の今治城にゴールしようとすると、ミスしまなみ大使が笑顔で出迎えてくれた。
ゴールしたおじさん。 デレ~。
の続き。
ウォーキングの大会に参加する時の宿泊は、たいてい安いビジネスホテルをネットで探し、
一番安い所に泊まりますが、このしまなみ海道の大会の時は宿泊するとろが少なくて自分では探せないので、
大会がお世話してくれる食事つきの旅館に泊まります。
ですから、2日目の朝食も豪華です。
ですから、ご飯は山盛り3杯は食べます。
ご飯は、昼からのエネルギーとなって40kmを歩かせてくれるからです。
(科学的にはどうかわかりませんが、私の少ない経験からです。元を取ろうと思っている訳ではありませんので・・・)
だから、家では夕食にご飯は1杯しか食べないのに、3杯も頑張るのです。
安いビジネスホテルに泊まった時は、何時もコンビニのおむすび3個とペットボトルのお茶です。
卵が生卵だったら、ご飯をもう1杯食べれたかも!!
旅館「さわき」でご飯を腹いっぱい食べて、ご機嫌で旅館を出ると、絵柄のマンホールを見つけました。
昨日はそばを歩いて来たのに目に入らなかったのか!旅館での生ビールに目がくらんでいたようだ。
旧大三島町の町の花はミカンの花だったので、周りはミカンの花で真ん中はミカンの絵柄。
旧大三島は、平成の市町村大合併で今治市となったがマンホールは残されている。
良いことだ。
きのうゴールした多々羅しまなみ公園にバスで戻り、そこから2日目の40kmはスタート。
多々羅大橋はしまなみの海道一の美しさを誇る斜張橋です。
スタートセレモニーが始まったので皆そちらに行って誰も居なくなったので、美しい多々羅大橋を独りで眺める。
スタートしてすぐに吊り橋の絵柄のマンホール発見。
斜張橋の多々羅大橋だ。町章の様なマークがあるが大三島町の町章かどうかわからないが、
橋が開通したのが10年まえだから旧大三島町が設置したのだろう。
尾道から5番目の大三島橋。しまなみ海道で最初に出来たアーチ橋。
6番目と7番目の橋の伯方・大島大橋。繋がっている。
6番目が大島大橋は鋼箱桁橋で、手前の人が歩いている所。
7番目が伯方橋で吊橋。
大島大橋を渡って村上水軍の幟旗を持った武者の絵柄のマンホール発見。
宮窪は村上水軍の本拠地が有った所だが、ちょっと迫力不足の水軍武者(海賊)だ。
大島は、以前は東側が宮窪町だったので、「みやくぼ」の字入り。
大島の西側に入って歩いているとYOSHIUMI-TOWN(吉海町)の字入りのマンホール発見。
やはり、来島海峡大橋の絵柄だ。旧吉海町の町の花のつつじも書かれている。
よしうみいきいき館で昼食をして、来島海峡大橋に向かって歩きだす。
ちょうど、ここらあたりで3年前に私たちが写真を撮られ、その写真が第7回大会の大会誌の表紙になった所です。
その表紙です。右が私。左が今度も一緒に歩いているKさん、真ん中はIさん。
第7回には、私とKさんは参加していなかったがIさんが気付いて知らせてくれたのだ。
顔が写っていないのが残念だ。
来島海峡大橋は、3つの吊り橋が繋がった大橋です。
3つの繋がった橋の長さは4,105mも有ります。急いで歩いても橋の部分だけで40分もかかります。
こんな美しい風景が40分も続くのです。
君と行く、海の碧、空の青 です。
橋を渡り切ると今治市内です。
今治市のマンホールは3つの帆が有る和船です。水軍と関係があるのかな?
2日目のマンホールは橋か水軍関係の絵柄が多かったので地方性がよく出ていて見つけるのが楽しかった。
ただ、夏に歩いた「角島大橋」の橋の上でマンホールを見つけたので、
しまなみ海道の橋の上にも有るかなと探しながら歩いたが、見つけることができなかったのが残念だ。
もしかしたら、橋の上にはマンホールはなかったのかも・・・。
しまなみ海道の橋と海と楽しんで、新装の今治城にゴールしようとすると、ミスしまなみ大使が笑顔で出迎えてくれた。
ゴールしたおじさん。 デレ~。