久しぶりに可部に街ウォーキングに行ってきました。
JR可部線も、可部駅より三段峡駅までが利用者の減少により廃線となってもう5年になろうとしています。
それで可部駅が、可部線の終点になり国道側にバスやタクシー乗り場が整備されていました。
その整備された可部駅西口広場に手押しポンプを設置したモニュメントが造られていました。
可部駅西口広場のバス乗り場とタクシー乗り場。
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モニュメント。
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手押しポンプはケーボー号・津田式。しかし、津田ポンプは廃業しているので、このポンプは復刻した物だろう。
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モニュメントの由来の銘版によると、
「大正時代に広島市内で考案された、津田式ポンプで汲み上げられた地下水は街道沿いの町家の切り妻屋根を模した
流水塔から流れて出て直径10mの池に流れ出て・・・」
左の円形部分が少し低くなっている。
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「可部は、山陽・山陰を結ぶ交通の要所であり、太田川・三篠川・根の谷川が交わる水運の拠点で、
古くから栄えた町で、中国山地から出る砂鉄を利用した「鋳物」は、今でも可部の主要産業である。」と
モニュメントには書かれていて、写真の大和重工は鋳物工場。
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この「大羽釜」「五右衛門風呂釜」は大和重工が作っている。
可部駅の近くの「大明神社」に有った「大用水樽」も鋳物です。
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可部にはまだ古い町並みが残っている地区があり、その裏通りを歩いていたら、空き地に手押しポンプを見つけました。
右側の建物が古い町並みの裏口になります。
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手押しポンプは大洋。これは初めて見る名前だと思う。可部は鋳物の町だから色々のメーカーが有ったのかも知れない。
後のコンクリートは井桁ではなく、水槽だった。
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トレードマークは錆びて良く判らない。 ピストン部の蓋にも「TAIYO・PUMP]
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JR可部線も、可部駅より三段峡駅までが利用者の減少により廃線となってもう5年になろうとしています。
それで可部駅が、可部線の終点になり国道側にバスやタクシー乗り場が整備されていました。
その整備された可部駅西口広場に手押しポンプを設置したモニュメントが造られていました。
可部駅西口広場のバス乗り場とタクシー乗り場。
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モニュメント。
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手押しポンプはケーボー号・津田式。しかし、津田ポンプは廃業しているので、このポンプは復刻した物だろう。
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モニュメントの由来の銘版によると、
「大正時代に広島市内で考案された、津田式ポンプで汲み上げられた地下水は街道沿いの町家の切り妻屋根を模した
流水塔から流れて出て直径10mの池に流れ出て・・・」
左の円形部分が少し低くなっている。
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「可部は、山陽・山陰を結ぶ交通の要所であり、太田川・三篠川・根の谷川が交わる水運の拠点で、
古くから栄えた町で、中国山地から出る砂鉄を利用した「鋳物」は、今でも可部の主要産業である。」と
モニュメントには書かれていて、写真の大和重工は鋳物工場。
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この「大羽釜」「五右衛門風呂釜」は大和重工が作っている。
可部駅の近くの「大明神社」に有った「大用水樽」も鋳物です。
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可部にはまだ古い町並みが残っている地区があり、その裏通りを歩いていたら、空き地に手押しポンプを見つけました。
右側の建物が古い町並みの裏口になります。
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手押しポンプは大洋。これは初めて見る名前だと思う。可部は鋳物の町だから色々のメーカーが有ったのかも知れない。
後のコンクリートは井桁ではなく、水槽だった。
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トレードマークは錆びて良く判らない。 ピストン部の蓋にも「TAIYO・PUMP]
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