街の風景

散歩の時に出会った何気ない風景、手押しポンプ、使われなくなったコンクリート製のゴミ箱、懐かしい洋館付き住宅などなど。

階段…広島市中区荒神陸橋

2008-09-20 23:14:33 | ウォーキング
自宅の牛田早稲田から「二葉の里歴史の散歩道」をよく歩きに行きますが、尾長の「我羅我羅橋」まで歩いて、

次は「比治山」の方に行こうと思ったら「荒神陸橋」か「荒神踏切」のどちらかを渡らなければなりません。

「荒神踏切」は開かずの踏み切りでなかなか渡れません。その為踏み切りの横に歩行者用の陸橋があります。

しかし、少し遠回りになり陸橋を登り降りしなけらばなりません。

「荒神陸橋」の方は、階段で陸橋で登り降りがありますが、「比治山」に近いのでどうしても、こちらを歩きます。

ところが、昨日階段を登ろうとしたら看板が立っていました。

階段工事をするようです。ここの階段は登りにくいのです。

誰が設計をしたのか、その人の設計の知識を疑うような階段です。






下の写真が、現在の荒神陸橋の階段なのです。

段板が曲がっているのは、鉄板の強度不足ですが、蹴上げ(段板から段板までの高さ)が10cmぐらいなのです。

段の高さが低い方が階段は登りやすいのですが、踏み面(靴が乗る面の長さ)が20cmぐらいしかないので、足の運びが上手く出来ません。

ですから、この階段を登るときは何時も靴の先を段板に引っ掛けて靴先に傷をつけていました。

何とかならないのかと思ってはいたのですがどうしたらいいのか判りませんでした。

それが階段の改修工事をするとのことで嬉しくなります。


最初に写真の方に対向車線の方の階段(薄い緑色)が架け替えられています。

まだ、未完成で通る事は出来ませんでしたが、歩いてみるのが楽しみです。


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台風一過…広島市中区

2008-09-19 21:56:08 | ウォーキング
台風13号は四国沖を通りすぎたので、広島はあまり風も吹かず、雨もほとんど降らず被害も出ませんでした。

ですから、何時もの様に街歩きで広島駅から平和大通りに向かいました。

夕方の5時過ぎに、紙屋町から広島城の横を通りアストラムライン沿いに歩き、工兵橋を渡るお気に入りのコースで家に帰りました。



広島城は、台風一過の空気の澄んだ西日が眩しく反射していました。こうして見ると広島城も威風堂々としたお城です。



工兵橋も、西日が当たった所は白く輝やき、山の向こうには入道雲も白く湧き上がり、青空も広がっていました。お気に入りの吊橋です。


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六甲山の山登り2…神戸市六甲

2008-09-18 23:15:59 | ウォーキング
前回は、穂高湖畔で豪華マツタケ入りのうどんを食べた所まででした。



これからの行程は、中央の赤い点の現在地から「奥須磨ドライブウエイ」を右の方に「自然の家」の横を通り、

「六甲山牧場」から西六甲ドライブウエイを歩いて右端の六甲山上方向に行く予定です。


六甲山牧場の横に大きなアジサイが咲いていました。    ペットボトルが21cmですから大きいですね。
アジサイの咲くのは梅雨時なのにおかしい。


西六甲ドライブウエイを歩く予定だったが2時間以上の遅れで、宿泊する保養所到着は暗くなるので、六甲山上循環バスに乗る。


あっというまに、六甲山カンツリーハウスだ。ここから歩いて10分もかからない。
                                   足取り軽く、宿泊する某社の保養所に着く。



予定通りの時間についたので、酒、焼酎があるがビールで軽く乾杯。  夕焼けが綺麗だ。


保養所の夕食は、今の時期は神戸牛の焼肉だ。これで4人前。生レバーも有る。野菜も山盛り。


おや!ホタテやイカも有る。苦しい山登りだけど、こんな肉が食べれるので頑張るのだ。


ベランダで食べるので、遠くに加古川?の夜景が見える。  
             次の日の朝は、少しゆっくりして、日向ぼっこや松ぼっくりの打ちっぱなしで別荘に来た気分を味わう。


今日は少し真面目に、六甲の山の上も歩き、有馬温泉に降りる。    神戸の方が見える。


有馬温泉にもレトロな循環バスがあるが、今日は乗らないぞ。
                       先日書いたが、こちらの「銀の湯」に入る。「金の湯」もあって、こっちが赤い温泉だ。



温泉に入って汗を流したので、有馬温泉の街歩きをしました。

昔のポストもあったがここも一日2回の取り集めだ。「取り集め」と言うのだ。知らなかった。
                                    この人形は「綿菓子製造機人形」。1回100円。


揚げたてコロッケ。100円。           有馬のマンホールのデザインはケーブルカーともみじだ。有馬も神戸市か。


メッサーシュミットの三輪車だ。初めて見た。ここは有馬玩具博物館のロビー。
                          手押しポンプも見つけた。詳しくは手押しポンプ発見…神戸市有馬温泉


二日目は晴天に恵まれ楽しく山歩きも出来ましたし、温泉にも入れ、街歩きで面白い物にも出会え、
仲間と楽しい時間が過ごす事が出来ました。

これからも、広島と大阪とで少し離れているがどしどし機会を作って山登り、ウォーキングを楽しみたいなと思いました。

そして、有馬から大阪まではバスで帰りましたが、別れるまでは次回の予定が11月23日の「六甲全山縦走大会」
に参加すると決まっていましたが、募集定員オーバーで皆で参加できなくなり残念だ。

しかし今年も、忘年会を六甲で!!!


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六甲山の山登り…神戸市六甲

2008-09-17 23:00:30 | ウォーキング
去年、富士山に登った時に友達になった富士山仲間(大阪3名、広島1名)と今年は一緒に富士山に行けなかったので、
団結と友好を深めるためと、お互いの体力強化の為に六甲山に登りました。


と9月1日の「手押しポンプ発見…神戸市有馬温泉」に書きましたので、

今日は六甲山の登山の事を書きます。

新神戸駅9時集合なので、私は広島駅発7時42分「のぞみ」に乗りました。

新神戸駅着9時2分で遅刻ですが、待っていてくれました。

広島は曇り、岡山も曇りでしたが、神戸は小雨です。雨男がいるようです。

雨具を着て出発。砂子橋(いさごばし)を渡る。レンガ造の古い橋だ。


布引の滝の内の一つの雄滝。なかなか綺麗。       もうだいぶ登ったと思ったがまだビルより少し高いぐらいだ。


小雨の中、一生懸命頑張るが、私は8月初めの富士登山以後、遊び廻っていたので体力が落ち足が出ない、

皆も同じような状態だったと思うが、元気な人も居たかな・・・。

とにかく、昼飯を食べる場所までと励ましあって登り、やっと「穂高湖」に着く。

幸い雨は止んでくれたので、食事の用意。

鍋が大きいので、横からバーナーで加熱して早く出来上がるようにする。

腹がペコペコなのだ。



鍋の中は驚くなよ!マツタケ入りの「うどんすき」だ。うどん玉は8玉用意されている。

量も充分、質も最高。まあ「まつたけ」は輸入物だが。




六甲山縦走弁当も用意されている。焼マツタケ付き。

豪華食事をしたので、少し気分も落ち着き体力も回復したが、予定時間より大幅に遅れた。

               食事をした穂高湖から道に出る。この道は奥須磨ドライブウエイだ。
               

この道がGoogle マップのストリートビューで見ることが出来る。丁度上の写真と同じ場所だ。



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古い町並み…広島市東区牛田本町3丁目4番

2008-09-16 22:26:39 | 建物
牛田も原爆の爆風と火災の被害で家屋が倒壊したり、焼けてしまった所もありますが、

牛田本町の昔の商店街の通りは焼けた家がありましたが、裏の方は爆風の被害だけで戦後復旧して残っています。

しかし、その様な家はだんだんと建替えられて仕舞っています。



牛田本町の裏道には、戦前の家が2棟並んで残っていて、昔を感じさせる貴重な風景です。

当時は家の前の道路も舗装はされていなくて、そこで子供達は遊んでいたのだろう。

私もこんな所で走り回っていたかも知れない。我が家からは3~4歳の子供には少し遠いが・・・。



入母屋の大きな家です。              戦後に葺き替えられたと思うが、鬼瓦が大黒様の福の神になっている。




上の大きな家の隣は、2戸連の借家として最初は建てられたのだと思う。

左右対称の外観で玄関が飛び出た平面となっている。屋根の瓦は戦後にセメント瓦に葺き替えられたと思われる。

木製の面格子や2階の木製の手摺など古いままだ。




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変わった電柱…広島市中区流川町

2008-09-15 21:51:34 | 電柱

昼間の流川を歩いたことは有りますか?(注:流川は広島の飲み屋街)

私は、昔は一週間に数回ですが夜の流川を歩いていた、いや飲み廻っていたことも有りました。

あの頃を思い出します。

しかし最近は、私は昼間の流川も散歩をしています。最近は夜には近寄りません。

夜の流川はネオンがまたたき、大勢の酔客がうろつく歓楽街でしたが、

昼間は夜には見えなかった乱雑な町並みが見えます。

夜は良く行った流川通りを歩いていたら曲がった電柱を見つけました。

普通、電柱は真っ直ぐですが、その電柱は途中で曲線を描いて曲がりまた真っ直ぐに上に伸びているのです。



とり八本店の前です。

コンクリート製の電柱を曲げて造ってある。他に有るか探したら、別の通りにもう一本有った。

既製品であるのかも知れない。只、今まで気が付かなかっただけかもしれない。



八雲の横のは真っ直ぐな電柱が立っていたが、上部の電線やトランスの重みでか傾いて立っている。

それにしても、電線の数の多さは異常だ。夜には見えなかったが…。

この電線の乱雑さは、災害が起きた場合は大変な事になるだろうし、

昼間見ても、もっと綺麗な歓楽街にする必要があるのでは…。

日曜日の午後4時過ぎなのに人影が少ない。日曜日は飲み屋も休みになったのかな?

私は、最近の飲み屋事情を知らない!!!

 

広島市内の曲った電柱位置←ここをクリック


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コンクリート製ゴミ箱発見…福岡市博多区大博町2番

2008-09-14 23:03:28 | コンクリート製ゴミ箱
博多に遊びに行って、2連ポンプを探していた時にコンクリート製ゴミ箱も見つけました。

 
 ウィキペディア(Wikipedia)によると、

『現在のように収集車によるごみ収集制度が定められる以前の、

昭和初期から30年代頃までは、家庭の前にコンクリート製もしくは木製のごみ箱が置いてあった。

この箱の上ふたを開けてごみを入れていた。

回収する際は、回収者が前面のふたを開けてごみを回収し、大八車などで運んでいた。』


と言う事で

もう、50年以上前に使われなくなった物です。

しかし、それをまだ大切に使っている場合や、もう使っていないがとりあえず捨てずに残している物もあります。

今度見つけた、コンクリート製ゴミ箱は使われていました。



このコンクリート製ゴミ箱は、今までに見つけた家庭用のより大型です。横も1.5倍、縦も1.5倍は有ります。

ビルの入居者のゴミを集めるので大型が必要だろうけど、コンクリート製ゴミ箱の規格の種類はどうなっていたのだろう?

家庭用と集合住宅用の2種類だったのかな?

今まで見つけたコンクリート製ゴミ箱の大きさは形状は違っていても大体同じ大きさだった。

今度は、メジャーも持って歩く必要がある。



ゴミ箱の上に注意書きが掲示されています。

    ゴミ不法投棄禁止
この場所は大博ビル・入居者の有料
ゴミ箱となっております。他からの
持ち込みゴミを捨てないでください。
 他からのゴミ捨てを発見した場合、
迷惑料として、1万円を申し受けます。
          大博ビル管理者

ゴミ箱の廻りも綺麗に掃除されているので、他所から持ち込みにくいと思うが、

不心得物がいるのだろう。


散歩の途中に見つけたコンクリート製のゴミ箱クリック




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夏の旅5…福岡県福岡市・大宰府・志賀島

2008-09-13 23:15:54 | その他
5日目も、早起きして散歩。

私は、2連ポンプを見たくて(8月25日の記事)大博通りに歩きに行きましたが、

行く途中は、私の中学時代から浪人時代(もう47年前になる)までは

すぐ近くの上川端商店街に住んでいたのでキョロキョロ、

昔はどうだったかなぁ?と思い出しながら歩きました。

50年前とは大きく変わり、私が住んでいた商店街は「博多リバレイン」の大きなビルとなり、

昔の面影は全く有りませんが、懐かしさで胸が一杯でした。




                       
                       これが2連ポンプ


朝食の後は、今回の旅の最後になるので、より教養を高めるため九州国立博物館に行く。

9時半開館だけど、我々の世代は時間より早めに行くのが習慣にになっているので、

急いでいくがもう既に行列が出来ていた。

我々よりまだせっかちの人が多い様だ。

その列をよく見ると、我々はまだ若い部類に入るぐらい、〇寄りばかりだ。   〇=年

あぁ~いやだ!!! 年は取りたくない



曲線の屋根。全面ガラス。建築費も掛かっていそう。光熱費も掛かるだろう。いらん心配か…。


キップを買う行列。我々の後にも行列が続いていた。      特別展は「島津の国宝と篤姫の時代」の最終日だった。

NHKTVで大河ドラマの「篤姫」を放映しているが、私は一度も見ていないので、音声ガイドを借りて展示物を見て廻った。

会場は今日が最終日と言う事で大混雑でゆっくりと見ることが出来なかった。

しかし、たっぷりと時間を取り2時間ぐらいかかったが、一般展示の方は見残した。次回来た時に廻る事にする。

お昼も近いので大宰府天満宮の方に行く。

久しぶりに見る飛梅の木はこんなに大きかったのか?


                                    飛梅の立て札は時代物だ。この木になる梅の実は小梅。



              太宰府市のマンホールの蓋のデザインはやはり「梅」だ。
              
今回の旅はこれが最後で、九州国立博物館の駐車場で解散しました。

この夏の旅も20年間の長い間続いていますが、ますます仲良くなり又来年の旅を楽しみにお別れしました。

早く、来年が来ないかなぁ~~



皆と別れて、広島へ今日中に帰るまで、娘家族と一緒に時間を過ごす事にしました。

久しぶりに、志賀島に行く。

途中、丁度一年前に橋の上で、酔っ払い運転の福岡市の職員に追突され車ごと海に落とされ、

子供3人が亡くなったあの橋を渡りました。

明日が丁度一年目と言う事だったが忘れられない事故です。



私が福岡にいた時は、志賀島には遠足や家族でよく遊びに来たものでした。


志賀島は金印が発見された所なのです。「漢委奴国王」


志賀海神社の鳥居。昔はここの通りにお店並んでいたが今は寂れていた。 築港からは高速船で来れるのだ。昔は連絡船。


海の家。夏休み最後の日曜だが人は少ない。             外海が海水浴場だ。今日は波が荒い。


夕食は「やま中」でもつ鍋。どうして、博多のもつ鍋は美味しいのか?


4泊5日の旅で、よく遊び、よく食べ、よくおしゃべりをし、楽しんだお陰でたっぷりとお腹の肉が付きました。

思い出は沢山沢山出来ましたが、その代わり懐は物凄く軽くなりました。

明日からは倹約生活。耐乏生活。と決心が固かったが・・・・


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夏の旅4-3…福岡県朝倉市・柳川・博多

2008-09-12 23:48:30 | その他
大分県日田市の「豆田町」での買い物ツアー終了後、福岡県に入る。

これで今回の旅では、愛媛県、大分県、熊本県、福岡県と4県目になる。

福岡県の朝倉では、原鶴温泉と三連水車が有名。

温泉も少し飽きたし、昼間の混浴は失敗しているので、3連水車に行く事になった。

三連水車は、全員まだ見たことが無いので「三連水車の里あさくら 」に行く。




道の駅のように特産品の販売やレストランなどが入った立派な建物から外を見ると、芝生の向こうに三連水車が廻っている。


しかし、この三連水車は観光用に作られたもので、モーターで回していた。今日は、カンカン照りなので日傘がいる。

本物は、6月末から10月までぐらいしか稼動していないので、この水車を作ったらしい。
                 


本物は「三連水車の里あさくら」から歩いて5分ぐらいの所にあった。

写真で見た記憶は広い田んぼの中にあったと思っていたが、こんな所なのです。


ダイナミックに水を汲み上げる水車は見ていて見飽きない。



お昼の食事はうなぎを食べに柳川に行く。

柳川と言えば、旧柳河藩主立花邸の「御花」。詳しい事はここをクリック。



食事を注文して、出来るまで館内を見て廻る。

私の興味を引いたのが、鴨居に飾ってある兜です。廊下の鴨居にずらりと並んでいて面白い。

説明文によると、金箔押桃形兜(きんぱくおしももなりかぶと)と言う。

桃山時代から江戸時代初期のもので、立花家には200頭以上が伝わっていて文禄・慶長の役に使われた物もあるとのこと。



柳川名物「うなぎのセイロ蒸し」うぅまかったぁ~~。


うなぎの後は、柳川の川下り。

カンカン照りの三連水車の朝倉から柳川に来る途中に天候が急変して集中豪雨となり、

その中を走って来たので川下りが出来るかわからなかったが、我々の行いがいいのか、食事を終わる頃には晴れてきた。

船にたまった水をくみ出し、川下りが始まる。


水位が上昇しているので、橋の下は隙間が無く全員頭を低くして通りぬける。


船頭さん。「川下り」と言うが、お堀の水は流れていて上流に向かっていくときは、船頭さんは棹を必死で押していた。
                         川下りのりばで降りて、マイクロバスで出発した所(御花前)まで送ってくれた。
       

            「ムツゴロウ」など有明海で獲れるかわった魚が売っているのをヒヤカスだけ。
                 

倉敷の美観地区のようなお堀だけど、柳川の方が鄙びているのがいい。



今日が最後の夜になるので、少し格調高く 「料亭・稚加榮」 のお座敷で。

福岡にいる私の娘の家族も参加してお食事。三才の孫がこの場を盛り上げた。

床の間の上で歌った「崖の上のポニョ」は良かった。孫馬鹿チャンリン。


夜の天神をうろつく。



一旦ホテルに帰るが、すぐ中州に繰り出す。男どもの逃げ足は速い。    負けじと追う女性陣。


博多の屋台はやっぱしラーメンばい。目指すは「一竜」。行列が出来ている。


これが「一竜」のラーメン。夫婦で一杯を分けて食べる。うまかバイ。


博多の夜は更けるが、男どもは監視の目から逃れる事が出来ず、全員真っ直ぐホテルへ。

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夏の旅4-2…大分県日田市豆田町

2008-09-11 21:59:39 | その他
旅の4日目は旅館を9時にスタートしました。

我々の世代は朝が早くてもOKなのです。

今回はまだ、日田の町を見ていないので、日田一番の観光名所の「豆田町」に行きました。

日田は、江戸時代には幕府直轄の天領地として日田代官所が置かれた城下町で、

今でも市街には古い町並みや土塀が残っており、夏には鵜飼いがおこなわれる情緒

あふれる街で「九州の小京都」と言われています。

江戸時代日田には御用達商人が沢山いました。今でも県内最古の商家や蔵屋敷が

建ち並んでいるのが「豆田町」です。

今朝散歩した、旅館の前の通りも「隈町」と言って古い町ですが、こちらの豆田町

は観光用?としてよく保存整備されています。



大分銀行の駐車場(土曜日曜は開放されている様だ)に車を止めて、通りを渡ろうとして下を見ると、

下駄が埋め込まれて「とまって」と書かれています。下駄は日田の名産品だからかな。



下を見たついでに、日田のマンホールのデザインは「鵜飼」でした。



大分銀行の建物も蔵風に出来ている。                擬洋風建築の3階建て。構造は木造のようだけど…。



私の好きな角地の建物だけど、普通だ。横の路地の方はトタン張りで工夫が無いが、大きな琺瑯看板を打ちつけていた。



長屋のお店。雪国の商店街の雁木みたいに通路に屋根が架かっている。  路地は石畳だ。



日田名産の下駄を買い漁る奥さん方。「木茂麗日工房」にて




杉の木の下駄だから値段は高くないので、旦那達は悠々と町並みを眺めている。




長屋風の店の入り口の鴨居に花の飾り物が取り付けてある。聞いてみると魔除けだそうだ。

毎年新しいのと取り替えるそうだ。昔からの風習だ。一般の民家の玄関の鴨居にも取り付けてあった。


まだまだ、「豆田町」は見所が沢山ありますが、我々はほとんどの物が2回以上来ているので、

豆田町散策はこれで終わりましたが、ここには半日いても面白く興味を引く町です。

私もここは昔に来たので、2回目だったが、本当は手押しポンプの探索をしたかった。

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