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本📖『その島のひとたちは、ひとの話をきかない 精神科医 自殺希少地域を行く』森川すいめい 著

2021-06-13 06:49:26 | 日記

 

世界の医療団などが提供のテレビで、池袋

豊島区役所 森川すいめいさんが、ホームレスのかたがたを支援する活動について詳しく教えてくれる番組を観た。

 

話の発端は、 

森川さんが行くと必ずそばに来てくれる、とても親しみやすいホームレスのおじさんがいた。

森川さんは彼に「生活保護を受けて集団生活のアパートで暮らすこと」を提案した。

しかし彼はなかなか首を縦(たて)に振らない。

彼は、

「集団生活はいやだ。

自分はウォシュレット付きのトイレでないといやだ。」

ごくフツーの役場の職員さんや、

私たちならば、

この段階で質問をやめて

自分の価値観で、または偏見で、自分本意な答えを出して解決してしまいがちだ。

 

森川さんがもっともっと深く聞いていくと、

少しずつ、少しずつ、彼が、ほんとうはアパート生活がしたいのだけれども、できない理由が浮かび上がってきた。

 

彼は、

「自分はウォシュレット付きトイレがあるアパートでないと嫌だ」

と言う。

そのとき森川さんは、 

(さすがに、ホームレスの人には

ウォシュレット付きトイレがあるアパートは

あり得ない。)と思ったという。

 

それでもよりていねいに、

ホームレスの彼に、 

なぜ集団生活が嫌で、

トイレにウォシュレットが付いていないと嫌なのかをたずねるた。

彼は少しずつ答えてくれた。

 

🌕実は自分には「痔(ぢ)」の症状があり、

普通のトイレに入ると、

お尻から飛び出た痔の部分を拭(ふ)かねばならない。

お尻を拭くためにはティッシュペーパーで拭くのだけれど、

🌕自分は手が不自由で、しっかりとティッシュペーパーをつかんで自分のお尻を拭く作業ができない。

だからいつもパンツを汚してしまう。だからアパートのみんなに迷惑をかけてしまう。

🌕だから自分は、結論としてウォシュレット付きのトイレがあるアパートでなければ住めない。

彼がいま住んでいる場所(路上❔)は、ウォシュレットがあって使える建物のそばだという。

👧聞く側のホームレスに対する偏見だったんだ。かわいそうだったね😢

👨うまく話せない人もいるから、その理由がわかるまで、ていねいに耳を傾けてあげなければいけないというのは、ほんとうだね。

 

👩人ん家(ち)でテレビを観たのでよく記憶していない部分があるが、

自分(質問者・窓口)の先入観(偏見)や価値観、いつも同じな習慣的行動を全部取り払って、ていねいに相手の言葉を聴くことが必要とされているという内容で、頷(うなづ)いてしまった。

 

👴人間は一人一人、身体的な不安など、さまざまな理由があるのです。

 

👩森川さんと森川さんの著書から「ていねいに聴いていくこと」を学ぶ。

 

👧研修はビデオで。質問はリモートで。

質問は後日まとめて森川さんがお応えに。

👴勝手なことを言うでない。そんなもんはまだない。

👨でもお義父さん、そういうビデオがあったらどんなに良いだろうと思います。

👩忍者が忍法で100人、千人になれます。

森川さんがDVDで千人、1万人になれます。

DVDは、高速で残像を残す「分身の術」。

 

YouTube【サスケOPmov歌詞付】ハニーナイツ

 

🎵ルルルル、ルルルルルルルルル、ルルル、ルルルルルルルルルルルルルルル。

👨サスケ❗お前を切る❗

👧 忍法 🏃『影分身』🏃🏃🏃🏃🏃

📖📺『サスケ』(白土三平 作・画)

何の関わりもない人たちを巻き添えにするやり方に我慢できないサスケ。(『サスケ』13話)

 

(👩了解です。今、『サスケ』13話の登場人物「鬼姫」と「赤猿」の絵を仲介してのやりとりを思い出した。

悪い奴にも、何か「自分に向いていて一生懸命取り組めるもの」をいっしょに見つけてあげる。

そうすれば、その人が、悪い環境のなかで育ち、仕方なくそうなってしまった悪の性格も、改善されていくのではないかと思った。それには手伝う人間の存在が不可欠である。

さて鬼姫は赤猿の絵に感動したのに、その絵を破ってしまう。こんな自分にはこんなすばらしい絵を描くことは無理だと思い、自分のこれまでしてきた悪いことと悪い人生に腹が立ったのか⁉️

人はなぜ、美しいものを見ると破壊したくなるのだろうと、とても不思議に感じ、「そうしてしまう理由」を知りたくなった。わたしはこのテレビ番組を観て、森川すいめいさんに、「そうしてしまう理由」をいつか尋ねてみたいと思った。)

 

 

 

 

👧学ぼう!森川すいめいさんのされていることに耳を澄まして、心に刻んで仕事しよう!

 

 

🎵耳をすまして

感じていくことさ

 

きっと世界を 

変えられるから

 

あやまちをおかし

過去に開けたとびら

二度と繰り返さずに

 

耳を澄まして感じていくことさ

 

(「🎵『Our Love』by アミ☆タメ)

 

 

コロナの影響で派遣切りされ、

今までネカフェの住民だった人たちが難民となったり、

いまのいままでごくフツーの生活を送ってきた人々が

人生で初めて野宿することになる昨今。

 

重く垂れ込めた雲、極寒の冬の日の午後、

森川さんたちは某公園に集合。

これから「今夜初めて野宿する『野宿初心者』、言葉に弊害があるが『野宿デビュー』の新ホームレスの人々に、

『野宿のしかた』を教えに出掛けるという。

 

その人たちはホームレスであるが、昼間は元気に建築現場で働いていたりする。

 

これからはホームレス、住む家がないこと、なくなることは、ホントに誰にでも自分にも、明日にでもすぐに起こり得ることだ。

だから新しいタイプの野宿の人が出てきている。

 

 

I Forgive Me.

大嫌いな自分を許します。 

 

すべての結果を全部自分のせいにして長年苦しんでいたけれども、

自分を許そう。

 

そうして、これからは他人のために生きるんだ。

目の前に広がる荒野。自分に救いを求める人々。

やるしかない、と、森川さんは言う。

 

 

 

 

🎵『春のからっ風』

作詞・作曲・歌  泉谷しげる

 

春だというのに 北風にあおられ

街の声に せきたてられ

彼らに合わないから 追いまくられ

放浪(さすら)う気は さらさらないのに

誰が呼ぶ声に答えるものか

望む気持ちとは うらはら

今はただ すきま風を手でおさえ

今日の生恥(いきはじ)をかく

 

何でもやります ぜいたくは言いません‼️

頭を下げわびを入れ

すがる気持で 仕事をもらい

今度こそ まじめにやるんだ‼️

誰が呼ぶ声に答えるものか‼️

望む気持ちとは うらはら

今はただ すきま風を手でおさえ

今日の生き恥をかく

 

言葉が 足りないばかりに

相手に自分を伝えられず

分ってくれない 周(まわ)りを恨(うら)み

自分は正しい(のに)‼️と逃げ出す

誰が呼ぶ声に答えるものか‼️

望む気持ちとはうらはら

今はただ  すきま風を手でおさえ

今日の生き恥をかく

 

誰が呼ぶ声に答えるものか

望む気持ちとはうらはら

今はただ すきま風を手でおさえ

今日の生き恥をかく

 

春だというのに 北風にあおられ

街の声に せきたてられ

彼らに合わないから 追いまくられ

放浪(さすら)う気は さらさらないのに

誰が呼ぶ声に答えるものか‼️

望む気持ちとは うらはら

今はただ  すきま風を手でおさえ

今日の生き恥をかく

 

YouTube    泉谷しげる[Live]春のからっ風1973

 

YouTube    J.N.S.=ジョニー吉長 鮫島秀樹 西山毅/春のからっ風……

 

👨ママは昔、🎤カラオケでよく『春のからっ風』を歌ったよね。

👩そうね、わたしは『春のからっ風』、好きだから。この曲とか、モップスの『たどり着いたらいつも雨降り』とか。

👧それがまたさぁ、大声のダミ声で、一度聞いたら耳にこびりついてトラウマになっちゃいそうな恨み節。

👩恨み節❔

📺『鬼平犯科帳』の梶芽衣子。

 

♪『怨み節』

花よ綺麗とおだてられ

咲いて見せれば すぐ散らされる

ばかな、馬鹿な、バカな女の

怨み節。

 

👨ママは ぼくが大好きな歌手が全部リアルタイムだろう。うらやましい。だからぼくはママのことが大好き。

👩あそう。ありがとう。

👧パパは後追いコレクターで、ママの3歳年下。

👨♪とししたのおとこのこ。

👩後追いファンは、自分のまわりの同じ世代が嵐が好きなのに、わざわざエリック・クラプトンに行く。エリック・クラプトンには♪『いとしのレイラ』もあって、♪『ワンダフル・トゥナイト』もあって、もうすでに全部一回世間に出回って流行ったあとだから、エリック・クラプトンのストーリー、歴史はほぼ出来上がっている。

だから後追いは探求心が強くなければできない。情報は自分で見つける。

(これは良いなぁ)と感じる曲を誰かが歌っているのを耳にする。

それは♪『いとしのレイラ』という曲で、デレク・アンド・ザ・ドミノスというバンドでエリック・クラプトンが名前を伏せて歌った曲だった。

デュアン・オールマンという人がギターを弾いていて、クラプトンとギター・バトルを繰り広げている。

デュアンはオールマン・ブラザーズ・バンドに在籍していた。

後追いは、本の旅も同じだよ。

研究量が違うんだよ。嵐は新曲が出たらすぐにニュースを見れば自動的に上書きされて2~3か月とスパンが長く、情報もニュースに上書きされるけどエリック・クラプトンやデュアン・オールマンは探さないと出てこない。

わたしも洋楽に関しては後追いだ。

 

 

 

森川すいめい さんのお話に戻ります。

自然体で

人間対人間で話す。

フィンランドから始まった

『オープンダイアロール』とは、話をし続けること。

詳しくは、博報堂教育財団こども研究所、

Wikipedia(ウィキペディア)など参照。

👶ムーミン・トロールの国だ!

 

 

産経新聞 THE SANKEI

広告企画

10万年後の安全―「信頼」と「責任」の意味1 フィンランドはなぜ核のごみ処分を「決断」できたのか2 地震大国ニッポンで核のごみは埋められるか3 核のごみの最終処分をどう受け止めたか オンカロの町で出会ったある少年の思い

 

10万年後の安全―「信頼」と「責任」の意味(1)

 

フィンランドはなぜ核のごみ処分を「決断」できたのか

 日本から7900キロ、フィンランドの首都ヘルシンキからも240キロ離れた小さな町が、いま世界の注目を集めている。その町の名はエウラヨキ市。原子力発電に伴い発生する高レベル放射性廃棄物、いわゆる「核のごみ」を地下深くに埋める最終処分場の建設について正式に国の許可を受けたからだ。世界初の商用原子炉が稼働してから60年。人類がいまだ手をつけられなかった核のごみ対策がようやく一歩前へと動き出す

 

 

~~~~~~~~

 

📖『その島のひとたちは、ひとの話をきかない 精神科医、「自殺希少地域」を行く』 

森川すいめい 著

 

 

レビュー

 

①問題が起こらないようにする、だけでなく、

問題がおきたら、即座に解決するように動く組織。

自分をしっかり持つ、が、

多様性は受け入れる。

対話を重要視する。

工夫する力をつける。

 

こどもたちに身につけてほしい力

 

 

 

 

②なるようになる、なるようにしかならない。

工夫しよう、受け入れよう、ありのままを認めよう、

自分はどうしたいかを大事にしていく、

人を追い詰めたり孤立させたりしない、

ひととひととの関係の中で精神病は発症する、

できることは助ける、できないことは相談する、

世間の狭さは変化や異なることへの対応の弱さ、

対話をしよう‥などなど、生きていく上での当たり前のことを気づかされた。

 

🌕🌕🌕🌕🌕🌕🌕🌕🌕🌕

社会は常に変化することを主眼とするとルールは最小限になる、

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ルールが組織の機動性を奪う、課題は現場を見ないと当事者の話をよく聴かないと解決できない、

▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼

企業のマネジメントとは人を管理するシステムではない、

🌕🌕🌕🌕🌕🌕🌕🌕🌕🌕

人を大事にするための仕組みづくり、

🌕🌕🌕🌕🌕🌕🌕🌕🌕🌕

大切な情報は誰でも見えるようにすると困り事が生まれない‥

などなど、難しい理論はいらない、より効果のあることはよりシンプルなことである、組織のあり方に納得。しかし、できていないな~私の属する組織は。

 

読みやすい文章に森川氏の優しさや穏やかな人柄が伝わり、弱者とされている方々への支援活動を行っている点にも興味を抱いた。

 

 

③自殺で亡くなる人数が少ない「自殺希少地域」を訪れるドキュメントですが、思っていたほど堅苦しくなく、気軽に読めて、為になりました。

 

その地域では、挨拶はもちろん、会った時に何らかの声かけや会話が自然に発生する。声かけは、見知った人のみでなく、観光で来ている等、知らない人にも声をかける。慣れないと、戸惑う人もいるかもしれないが、そこでは、それが当たり前になっている。

 

なぜかといっても、特別に変な意味はなく、単に助けになると思って、声かけをしている。これについては、孤独を望んでいる人に対しても、孤立はさせない効果があり、単純なようで侮れない。声かけだけでも続ければ、自然とその人のことも分かり、ありのままを認めてくれていると実感できて、生きやすい環境になる。

 

❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️

フィンランドで実践されている

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「オープンダイアローグ」というものがあり、そこの人が言っていた言葉にいたく感銘を受けた。

 

「ひとが呼吸をするように、ひとは対話をする」

 

私自身、時折、息苦しいと思うことがあり、そういうときは大抵、何かしらのストレスを感じていることが多い。大人になって、呼吸の仕方も忘れたのかと、愕然としたりもしたが、そういえば、色々な人と対話を自然にできているのかと言われれば、それもできていないと思う。習うより慣れろの精神で心掛ければ、周りの人たちも生きやすくなり、それが自分にも還ってくるということに、すごく納得させられた。

 

 

 

 

④自殺率の低い地域「自殺希少地域」には心地よく生きる知恵があるのではないか。そう考えた精神科医が現地の雰囲気を肌で感じてきたリポートです。

あくまで外から見た環境なので、根拠があるわけではないのですが、オープンに人の役に立つことを喜べる地域に居る事は、精神衛生上とてもいいと思います。人と関わる事が辛い人にはちょっと受け入れがたいかもしれないけれど、自分ひとりならそういう村にいるのもいいかなあと思いました。

先日読んだ「つけびの村」も田舎の集落ですが、何が違うんだろうと思って読みました。うわさ話が好きだったり、悪口だって言ったりする。それは共通しているのに何がちがうのか。

この本を読むと、人への関わりがあまり濃密ではないけれど、誰にでも親切にする事が基本になっている場所なのかなという気がします。ゆるやかな共同体というんでしょうか。

僕的に思っているのは自殺の原因には孤独以上に「世間の目」というものが作用しているような気がしています。

世間という概念を改めて突き詰めると、仮想された不特定の人々なんですよね。はっきり面と向かって何か言われない限り無効だと割り切れれば、とっても生きるの楽になると思うのですが、こういう事を考えている事自体そうなれない証拠でもあるんですが・・・。

 

 

 

 

 

⑤自殺率の低い田舎町を歩く旅のエッセイ。

そこでの出会いや出来事から文化を読み解く。

著者の人柄が滲み出てゆるゆると読め、その風景から、人を生かすのは理屈ではなく在り方(行動)だと思い直すことができる。オープンダイアローグを牽引する実践家の実証研究のようでもある。

 

 

 

 

 

⑥すごい良かった。自殺の問題については、考えざるをえないが、たいへん勉強になった。とりあえず、困っているひとがいたら、即、助けようと思います。

 

 

 

⑦「自殺が少ない地域」と聞いて多くの人が思い浮かべるのは、おそらく「強い絆」で結ばれた人々が日頃から「密な」コミュニケーションを取り合う「親切心」に満ちた「癒し」の楽園でしょう。しかし、統計上、他の地域に比べて、有意に「自殺が少ない」と言える地域(自殺希少地域)は、決してそんな場所ではないと著者は言います。そして、本書で描かれる、著者が「自殺希少地域」をめぐり、人々と語らう様子からは、確かに著者の言うとおりだと感じます。では、なぜ、それらの地域で自殺が少ないのでしょう。その「秘密」に迫り、分析しているのが本書です。

 対人援助専門職や地域福祉に関心のある方は、同じく推薦図書である、松本俊彦編『「助けて」が言えない―SOSが出せない人に支援者は何ができるか』も併せて読んでみてください。様々な生きづらさを抱える人に手を差し伸べ、支えるとはどのようなことか、考えるきっかけとなるはずです。

 

 

 

 

⑧表紙の「自殺希少地域」というワードに興味を持ち、読みました。

自殺を減らすために、普通であれば「発生した自殺の根本原因を特定し、原因を解消する」というアプローチをとるが、精神科医である筆者は、自殺希少地域と言われる地域を自分の足で見て回ることで、どういう環境が自殺を発生させにくくしているのか?を探るという、全く違うアプローチをしていく内容でした。

その地域では、孤立させない、適度な対話、過度ではないコミュニケーション、などがキーとなっているようでした。

 

私自身、現在子育て真っ最中なのですが、子供の引きこもりや自殺などのニュースを見ると「どうすれば防げるのか?」と途方にくれることがあります。この本はそんな私にヒントをくれたような気がします。

 

 

 

 

⑨対話する

 

工夫する

 

人生は何かあるもんだ

 

あいさつ程度の付き合いが孤独を癒す

 

違う意見を話し合えるから派閥がない

 

相手は変えられない。変えられるのは自分。

 

 

 

 

⑩自殺希少地域、ということはつまり「居心地のいい場所」、のヒントになるのでは、と読んでみた。

住みやすいとか、過ごしやすいとか、生きやすい、だけでなく、職場などの集団においての参考にもなる本(実際にそういう内容も載っています)。

 

 

 

 

 

⑪題名がインパクトあり。友人に薦められて読んだ。

ちょうどオープンダイアローグを調べていたところだったので読みやすかった。

フィールドワークのお仕事大変だけどすごく魅力を感じる。

応援したい。

 

 

 

 

⑫2017.7.1市立図書館:多忙につき目次眺める程度で返却期限で無念。

2017.7.22市立図書館

借り直して旅のお供で読了。国内外には他と同じような風土であっても他所と比べて相対的に自殺が起こりにくい「自殺希少地域」があり(これは先行研究がある)、そうした地域に共通する自殺を予防する因子があるのではないか、と実際に足を運んでフィールドワークを通じて感じとったことをまとめたもの。

「みんな違ってみんないい」を体得していて、人が違うことを前提に是々非々で対応できることが生きやすさにつながっているらしい。これまでに出会った人を思い浮かべて、人助けの上手い人(組織)とそうとはいえないタイプの人(組織)はたしかにいるなぁと得心した。

「できることは助ける、できないことは相談する」「なるようになる、なるようにしかならない」「相手は変えられない。変えられるのは自分」「困難があったら(堪え忍ぶとか根性で乗り切るではなく)工夫する」などの人生訓は自分のために覚えておきたい。

人を孤立させない(自殺に追い込まない)ネットワークや対話の方法は、自殺とまではいかなくても、老若男女さまざまな弱い立場の人を助けたいとき(たとえば子育て)に役に立ちそうだと思えた。たらいまわしや事なかれ主義な対応から、本来うけるべき支援に期待できなくなったり、支援を受けることを恥じたり敷居が高く感じたりするようなことは避けなければいけないのだということは心に留めておきたい。

 

 

 

 

⑬新聞の著者インタビューを読んで、手に取った。

 

精神科医の著者が日本の「自殺希少地域」(自殺で亡くなるひとが少ない地域)に行って、それぞれ1週間前後宿泊した記録。

 

どの地域も垣根がない。悪くいえば、個人情報など存在しない。困ったら、有無を言わさず助ける。助けっぱなしで、助けられっぱなし。

 

精神科の治療の多くは、病院の診察室で、形だけ話を聞いて、経験則で薬を出して、診察終了。これでは治るものも治らない。

 

1)困っているひとがいたら、今、即、助けなさい(即時に助ける)

 

2)ひととひとの関係は疎で多(ソーシャルネットワークの見方)

 

3)意思決定は現場で行う(柔軟かつ機動的に)

 

4)「この地域のひとたちは、見て見ぬふりができないひとたちなんですよ」(責任の所在の明確化)

 

5)解決するまでかかわり続ける(心理的なつながりの連続性)

 

6)なるようになる。なるようにしかならない(不確かさに耐える/寛容)

 

7)相手は変えられない。変えられるのは自分(対話主義)

 

「オープンダイアローグ」をキーワードに、蘇生の現場を踏んできた筆者が、ひととひとの結びあう力、レジリエンスを問う1冊。

 

 

 

 

⑭エビデンスに固執せず、かといって無視もせず。

 

NPOのあたりは、まだまだなのにな、リーチできていないなのに、過大評価だな、と感じる。最後のまとめもおおざっぱすぎる。

 

しかし、その体験、思索の過程で紡ぎ出された言葉は千鈞の重みを持つ。

 

・重要なことはベンチに意味があることを知っているかどうか。

・困難の解決に慣れている。

・うまくマネジメントされていなければ、問題を起こした人は排除される。居場所を失う。多くの人は、再び問題を起こすことを恐れ挑戦しなくなる。そして互いを監視し合う。ついには変化を生み出すようなひと、挑戦をしようとする人を排除するようになる。組織は古くなりやがて新しい人が入らなくなる。

・「派閥がない」。よく話し合いをする。誤解があったとして、誤解をそのままにしていたら地域で住めなくなる。だからよく対話する。それで派閥がなくなる。

・自殺で亡くなる人の少ない地域は、外に出て行く力がない人も死なない地域である。

・つらいことも多いのかもしれないが、地元の人たちはそれを根性と気合いで乗り越えるのではなくて、工夫をして越えていく。工夫をする習慣があるというのが正しいのかもしれない。

・周囲の人の工夫が足りない場合、特に、相手を変えようとする人が周囲に多い場合には、本人との喧嘩が絶えなくなるかもしれない。イライラをぶつけてしまう。「何度言ったらわかるんだ!」と怒られても、本人は覚えることができないから、それを直すことはできないから、また同じ怒られるようなことをしてしまう。一方で本人からしたらなぜ怒られるのかわからない。理不尽だとさえ感じる。嫌な感情だけは残り続ける。

・「できることは助ける。できないことは相談する」

・意向を質問すればするほど拒否していく。弱っている時は「入っていいですか?」と聞くのではなく、「助けに来たよ」と入っていく。

・北欧。「この国の人は、自分が誰かを問う」

・(ここの)特養の中にいる人たちは、全員、誰がどこに住んでいてどういう人生を過ごしてきたかがよく把握されていた。病歴はあっても生活歴は書かれていない場合がおおいのに。

 

 

 

 

⑮ゆったりとした空気感で、なんだか小説を読んでいるような気分になります。

タイトルは少々悩ましく、「精神科医」と入っているので、専門的な見地から自殺希少地域の考察をするのかなと思っていたのですが、どちらかと言うと「『自殺希少地域』を行く」が中身を表す言葉で、ルポや旅日記というカテゴリが適切なのかなと思いました。

分析や考察を求めるのなら、この本でも触れられている岡檀さんの「生き心地の良い町 ―この自殺率の低さには理由がある―」を読んだほうが良いかと。こちらもちょー読みやすく、まっすぐに書かれた印象を受ける良い本です。

 

読んだ感想としては、人とゆるく、広くつながるということの良さを改めて認識。しなやかに生きていきたいものです。

 

 

 

 

 

⑯【179冊目】自殺希少地域と呼ばれる自殺で亡くなる人が少ない地域数カ所を精神科医である著者がめぐった際に感じたことを記録にしたもの。そのエッセンスは、本書の最後の章に記載されているから、ここには何度も出てきて印象に残った言葉を記載したい。

・今、即、助ける

・できることは助ける。できないことは相談する

・コミュニケーションに慣れる、上手下手ではない

・助かるまで助ける

・なるようになる、なるようにしかならない

・相手は変えられない、変えられるのは自分だけ

 

ただ、不満なのは、きちんとした手法に基いて行われた研究ではないので、著者の旅行記とかエッセイという側面が強いこと。「自殺希少地域」の定義が曖昧すぎるし、フィールドワークと呼ぶにしてもその手法が説明されていない。自殺希少地域の母数がいくつあって、その中から著者はどうしてそのうちの数カ所を選択したのか説明されていない。題材が良いだけに、そこが残念。まぁ、だからこそ気楽に読めるのかもしれないけど、ここに書いていることが「著者が見たいものだけを見、感じたいものだけを感じた記録」になっている可能性は否めない。

 

 

 

 

⑰精神科医が自殺希少地域の村々を歩きその秘密を探る。

 

 単純にみんな親切だからというのは不正解ではないが正解ではない。地域によった微妙な違いがあれど、勝手に助ける、問題が解決するまで助けるといった特徴があるようである。それらはオープン・ダイアローグとつながるところがある。

 この本はそういった特徴が実際に作者が村々へ行き人と交流したエピソードによって書かれていて面白い。ただエピソードの羅列だけではなく最後にきっちりまとめられてるところもいい。

 もちろん地方はいいことばかりではない。これらの地域はあくまで幸せな場所ではなく自殺が少ない場所である。過疎化も暗い影響を与えているようだ。

 それでもこの本に書かれていることは地域と精神科医療に大きな意味を持っていると思う。

 

 

 

 

⑱精神科医の著者が「自殺希少地域」(自殺で亡くなるひとが少ない地域)に行ってそこで気づいたことを書いている図書。

「その島のひとたちは、ひとの話をきかない」というのは相手の話を聞いて深く同情したり、相手に合わすというのではなく、自分がどうしたいのかというのを自分で把握して発言・行動することが大事ということらしい。こんな解釈でいいのだろうか…

ひとはわかりあえない、という考えで対話していくことって案外重要かもしれない。

 

 

 

 

⑲自殺者が少ない地域、徳島海部町、青森風間浦村、青森平舘村、広島下蒲刈島、伊豆神津島を旅し、人びとの特徴を記述されてます。どういう状態が生きやすいのか。なかなか説得力があります。

たくさんの人とのコミュニケーションに慣れていて、深いつながりは多くない。困った人がいると即助け、問題が解決するよう工夫する。

ベンチがいたる所にあるというのは、良い雰囲気だなぁと思いました。

 

 

 

 

⑳人間関係は、緊密ではありません。

人間関係は、疎で多。緊密だと人間関係は少なくなる。

人間関係は、ゆるやかな紐帯。/

 

困っている人がいたら、今、即、助けなさい/

 

意思決定は現場で行う(柔軟かつ機動的に)/

 

この地域のひとたちは、見て見ぬふりができないひとたちなんですよ

できることは助ける、できないことは相談する/

 

解決するまでかかわり続ける(心理的つながりの連続性)/

 

なるようになる。なるようにしかならない(不確かさに耐える・寛容)/

 

相手は変えられない。変えられるのは自分(対話主義)/

 

「人生は何かあるもんだ」で生まれた組織=朋輩組

組織の発祥は約400年前だとういう。もともと次男三男たちが働く場所や生きる場所を探して集まって生まれた地であり、みな基盤がないゆえにお互い助け合わなければならなかった。

「問題が起こらないように監視するのではなく、問題が起こるもんだと思って起こった問題をいっしょに考えて解決するために組織がある」

組織の構成人数は8人から18人とさまざま。同世代で構成される。町内会ごとではない形。

主に冠婚葬祭のときにその力は発揮されてきた。誰かの親がなくなるとする。朋輩組の仲間が集まる。仕事を休んで集まる。もちろんそれぞれ事情があるから、どうしても来られないときは来られないと言うだけでいい。

「家族や親戚、あとは、町内のひとには言えないこともある。そういうのを相談するときに集まることもある」

人生は何かあるもんだ。何かあるもんだから、集まって、そして知識を共有して、それを蓄積していく。何かあるから助けるために存在する組織。知識は伝承され続ける。そのうえ強制力がない。なんという見事な組織だろうと思う。

 

 

 

 

 

 

 

21)舌足らずな雰囲気の文体は余り好みではありませんでしたが、自殺希少地域に赴いてのフィールドワークという、取り上げた題材のユニークさで読み進める事が出来た感じでした。

 

自殺希少地域とは、決して人と人との距離が親密であるということではなく、

他人との距離が近すぎても遠すぎてもいけない。挨拶する程度にそことなく存在を意識するぐらいの距離感が良いのだそうです。

放って置かない。面倒は最後までみるという共通点もあるとのことです。

 

また、名前を知らない知り合いが沢山いる状態で、しかも距離感が遠からず近からずなので、派閥が出来ない。という事も要因だということです。

 

日本にとって全く足りていない点である「男女平等」であると幸福度も高いそうでこれは、言い換えると機会が平等で、北欧諸国は機会を平等にするために多額の税金が投入されているということでした。

自殺希少地域は、男女の役割の違いを分かった上で、仕事の種類が違ったとしても、平等だと思っているという事などが述べられていました。

 

個人的に印象に残った箇所は下記の2点でした。

「ひとが多様であると知っていることは、生きやすさと関係する」

「多様性に慣れている地域は、ひとはそれぞれだと思うことに慣れている」というくだりにインパクトが有りました。

 

22)自殺希少地域、つまり生きやすい地域とはどんなところなのか、を考える本だが、著者も述べているように、そのためにドラッカーのマネジメントの考え方を援用しているため、いい組織づくりとは、とも読み替えられる。 

 

NPOってよく分からないでいたが、いわゆる「市民の多様化するニーズ」ってヤツに行政の代わりにうまく応じることのできる仕組みなのか…。うまい役割分担が肝腎なのだな、とも。

 

23)池袋の路上生活者支援を始めとした活動で知られている著者の最新作である。

著者が岡壇氏の自殺希少地域の研究に触発されて全国の自殺希少地域を旅して回り、その地域の人達と対話をして感じたことをまとめたルポであるが、文体はエッセイ様で読みやすい。

いろいろな地域を回った後で出会った「オープンダイアローグ(OD)」で、どの地域もODの7原則で説明できるとまとめられている。

著者の人に対する優しさが溢れた本である。対人援助職に関わる人には一読をお薦めする。

 

 

24)生きやすい地域での人間関係は、緊密ではない。

全く反対のことを考えていたので、驚いた。

みんなが知り合いだから、陰口は力加減がある。

著者はこう考える、というところに、緩やかな感じを受ける。こうすべき!ではなく。

理想論ではあるけれど、こんなのもいいな。薬づけの自分が住めるとは、思えない。でも、こういうところに身を置けば、薬が必要なくなるのかな?

 

25)生きる勇気が湧くとか、癒されるとか、そういう本じゃない。直面した現実の、多様で複雑な生きづらさを見つめて、どうしたらより生きやすくなるのかを淡々と、一緒に考えさせてくれる本だ。

読むと自分を振り返ってつらくなる。けど、つらさがあることに素直になれる。

共感できなくてもいいから、多くの人に共有してほしいことがたくさん書いてある。押し付けがましい善意の本ではない。

 

 

 

👧テレビのエンドロールで、森川すいめいさんが、路上の段ボールの中で横たわるホームレスの皆さんひとりひとりに掛けている、下手に敬語を使いすぎない、心がこもった言葉に、思わずわたしの目頭(めがしら)が涙で潤(うる)んだ。

森川さん:「ここにパンが入っているんですけれども、もらってもらえますか?」

 

自分が傷ついた分、ひとに優しくできる人がいる。

だから自分が傷ついたからといって、ひとを傷つけるのは間違いだということが身にしみてわかった善きテレビだった。

 

 

 

 

👩一国の代表も、人間も、

幼稚な思考回路で、残虐な行為をするものが居る。

それは、価値観や時代の相違どころではない。

完全に病気かまたは狂っている。

なぜそんな考え方になってしまったのだろう❔

それが一国の代表だとしたら私は

命の危険を感じ、背筋が凍りつく。