イスラーム勉強会ブログ

主に勉強会で扱った内容をアップしています。

最近読んだ本

2010年06月17日 | 読書

1.対人関係療法で治すうつ病 水島広子(著)

図書館の新刊コーナーにあったのをとくに深く考えずに借りてきた本。

「対人関係療法」という聞いたことのないうつ病の治療法に無意識に興味を持ったのかもしれません。
私の知っている(日本での)うつ病の治療法は、薬物療法ぐらいだったので。
この本は「うつ病」と、「対人関係療法」を使った治療をいくつもの例で分かりやすく説明してくれています。
うつ病でなくても、普段の自分の人間関係を改善するのに役立つ情報を与えてくれる本だと思います。

返却後、同書と同著者による「自分で出来る対人関係療法」を購入しました。
対人関係療法でなおす うつ病

マグレブの歴史など【2】

2009年12月02日 | 読書
毎日寒い。
部屋の片づけがなかなか終わらない。ものが多すぎる。
今日はベランダの窓を洗ったりした。
お掃除、片付けは気持ちいい。
さて、読書の続き。

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1.サラフィー主義運動が起こるまでのモロッコ国民の間に浸透していた信仰は、聖者崇拝などのような、真のイスラームから逸れたものだった。

2.モロッコにおけるサラフィー主義は、アブー・シュアイブ・ドゥッカーリー、ムハンマド・イブン・アラビーといったウラマーによって始められた。

3.モロッコにおけるその特徴は、堕落したイスラーム(聖者崇拝を生み出すザーウィヤやマラブー)に対する非常に激しい攻撃を伴っていたこと。

4.(3.の理由:)フランスがザーウィヤやマラブー勢力を手先として使うなどといった手法で、モロッコを含めたマグレブ地域の植民地化が進められた。

5.サラフィー主義者とナショナリストの運動は密接な関係を持っていた。

6.ナショナリズム運動→①アッラール・ファースィー、②ワッザーニーの両人によって指導されたが、それぞれの政治に対する考え方は根本的に相違していた。
  ①サラフィー主義のファースィー:宗教と国家の分離はありえないし、国家はシャリーアに基づかなければならない。
  ②西欧的モダニストのワッザーニー:フランス革命を褒め称え、西欧的な思想を基本とした国家を。

7.ファースィーが結成したイスティクラール党は国民から支持を得、国王勢力と協力しながら独立を果たしたが、ワッザーニーの世俗的思考は逆に指示を得られなかった。独立後、ファースィーの思想は受け継げられたが、党の実権はモダニストに渡ってしまい、独立運動の成果は国王派に握られた。

マグレブの歴史など

2009年11月29日 | 読書
ブログ久しぶり!元気にしてた?
更新していないとやっぱり閲覧数がぐーんと落ちるね。
あたりまえか。

今、北アフリカとイスラーム主義運動の歴史が分かる本を読んでいます。
早く読み終えられるといいのだけど。

イランやサウジアラビアのイスラーム主義運動については少し読んだので分かった。
この本のタイトルを見て、モロッコあたりにもそういう運動があるんだぁって(ほぼ)初めて知り、読まなきゃと思って読み始めた。
モロッコは私の半分のルーツだから、きちんとした歴史を知っておかないと。

以下、今まで読んだ部分で得た、知らなかった事実。

1.7世紀末までにアラブ軍はモロッコの大西洋岸まで進軍したが、ベルベル人の抵抗にあい続けた為、アラブは撤退を余儀なくされた。理論的にマグリブがアラブ帝国の一部になるのは、少なくとも711年以降である。

→ベルベル人の抵抗があったとは。(私が感じる限り、)現在の都市部ではアラブ系もベルベルも交じり合っていて、特に問題はなさそう。父親がベルベルで、母親がアラブ系っていう人多いし、ベルベルだけどベルベル語が話せない人、アラブなのに育った環境による影響でベルベル語が話せる人もいる。ちなみに数年前から、ベルベル語学習が義務教育課程に組み込まれて始まったらしい。ベルベル語は表記文字がないため、文字がわざわざ考案されたらしい。聞いた話によると、ベルベル族が自分たちの民族性を声にし始めていてそれが政治に影響を及ぼしているアルジェリアの情勢を考慮した王様が、このような教育を命じたとか。

2.マグリブのアラブ化とイスラーム化には長い年月がかかったが、イスラーム化は主にベルベル民族の仕事だった。(私はアラブ系)

→スペインに入ったイブン・ターリクがベルベル人の熱心なムスリムであったことはかなり有名ですね。

3.初期から起こっていたハワーリジュ派ベルベル人による反乱。(アルジェリアにハワーリジュ派が今でも少しいる。)

→イスラームはベルベル人にとってとても魅力的な宗教に見えたが、(侵攻してきたスンナ派)アラブに降参する意気地なしな態度をとれないプライドがあったため、スンナ派と対立していたハワーリジュ派と組んだりハワーリジュ派の教義を信奉するベルベル人がいたんだって。面白い。

4.ベルベル農民社会は、イスラームの教義を部分的に受け入れた独自の宗教を発展させた→自らを「最後の預言者」とする者の登場

→ムハンマド(s)が最後の預言者だっていつでもどこでも言っているのに、「オレ、預言者」と言って偽クルアーンを披露する嘘つきを平気で信じる人がやはりどこにでもいるようです。真の信仰をおあたえください、アッラー。

5.この事実を、イブン・ハルドゥーンなどが歴史書に載せている。

→良く考えたら当たり前なんだけど、知って驚いた。歴史家ってどうやって調べるんだろ。

6.13世紀以前の各王朝(ファーティマ朝、ムラービト朝、ムワッヒド朝など)は、宗教運動が元の、宗教と政治が一体となった体制を築いていた(支配権の宗教的正統性の確立済)が、ムワッヒド朝崩壊後に誕生した三王朝(マリーン朝、ザイヤーン朝、ハフス朝)は、どれも宗教運動が土台となっていない→政治と宗教の関係弱化、国家と社会の分離、支配権の宗教的正統性確立方法の模索の必要。

→13世紀以前の各王朝は、民衆の宗教に対する意識を変えて、国家建設(=権力横取り)をしたけれど、ムワッヒド朝以降はそうじゃなかったという事。

7.民衆の中に急速に浸透したのは、国家によって推し進められたマーリク派法学によるスンナ派ではなく、スーフィズム・聖者崇拝。

→無知であるほど後者に傾倒しやすいのは仕方がないことなのかもしれない。

8.モロッコの国家と社会に特異な性格を与えたのはシャリーフ崇拝とマラブー運動の結合。

→シャリーフ:尊い血統の持ち主。要に、ムハンマド(s)一族。
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聖者崇拝で私が見聞きしたこと:
モロッコには数多くの聖者廟があり、それぞれに得意分野があるらしい。この聖者のところに行ってお願いすれば病気が治るとか、頭が良くなるとか。
現地人から聞いた話によると、幼少時に食が細く、痩せていた彼女を母親がとある聖者廟に連れて行き、その周りの土を手にしては彼女に擦り付けていた。これで元気になる、ということらしいが、これは人間崇拝であり、イスラームではない。

眠くなったので以上。
やる気が持続すれば、続けます。