慈悲あまねく慈愛深きアッラーの御名において
続)ムスリムの子ども教育-36-
ハビーブ・アリー・ジェフリー師(アッラーのご加護あれ)TV番組「私たちの人生22-3」(10:00~最後),22-4(~最後)@エジプトhttp://ourlife-alhabib.blogspot.com/2010/12/22.html
基本:子どもを持つことの「目的」を明確にすること、このことによって、今後お話する多くの子育てに関する事柄が変わって来ます。すでにお子さんが大きくなっている方も、今からでも、子育ての正しいニーヤ(意思)、「アッラーのご満足を求めて、子どもを育てます。」というニーヤ(意思)をしておきましょう。
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思春期の女の子の教育について~預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)の娘さん達への接し方
預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)の娘への愛情
ファーティマ様(アッラーのご満悦あれ)と子ども達が前の晩から何も食べていない状態だった日に、アリー様(アッラーのご満悦あれ)が1ディラハムで食べ物と肉を買い持ち帰りました。ファーティマ様(アッラーのご満悦あれ)は、肉を鍋にかけ煮始めました。それが煮えると、ファーティマ様(アッラーのご満悦あれ)は、アリー様(アッラーのご満悦あれ)に、「もし父を連れて来てくださったなら。」と言いました。そこでアリー様(アッラーのご満悦あれ)は、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)を探しに行き、マスジドでこう言われている預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)を見つけました。
《アッラーよ、空腹からのご加護を乞い願います。本当にそれは何と悪い連れであることか。》アブーダーウード、イブンマージャ他伝承
アリー様(アッラーのご満悦あれ)が、「私の父と母よりも大切なアッラーの使徒様、空腹はあなたにふさわしくありません。ウフド山ほどの金塊があなたに提示されてもお断りになられたというのに。さあ、ファーティマのところに食事がありますから、一緒に来てください。」と声をかけました。預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、立ち上がると服から土ぼこりを払いました。ファーティマ様(アッラーのご満悦あれ)の家に入ると、鍋が煮立っていました。預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)はファーティマ様(アッラーのご満悦あれ)に言われました。
《アーイシャのために(皿に)注いで(そそいで)ください。》
ファーティマ様(アッラーのご満悦あれ)は、「私たちと子ども二人が食べるのにやっとですが、あなたを招待しました。十分でしょう、奥さんまでは無理です。」と言うこともできたはずですが、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)の教育を受けたファーティマ様(アッラーのご慈悲あれ)は、アーイシャ様(アッラーのご満悦あれ)のために料理を皿に注ぎました。
すると預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、こう言われました。
《ハフサのために(皿に)注いでください。》
彼女は、父親の奥様のハフサ様(アッラーのご慈悲あれ)のためにもそれを皿にすくいました。
こうして9人の奥様達すべての分を皿に取り分けると、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、
≪あなたの父親と夫のために、(皿に)注いでください。≫
と言い、彼女は(皿に)注ぎました。
そして、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)が、
≪(皿に)注いで、食べなさい。≫と言われると、彼女は(自分の分を)注ぎました。そして、鍋を上げると、実にその鍋は(少しも減ってはおらず、料理で)あふれていました。كتاب الطبقات الكبير - الجزء الأول
預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)の奇跡のひとつです。これは、ファーティマ様(アッラーのご満悦あれ)の寛大さ、寛容さのわかるハディースです。ファーティマ様(アッラーのご満悦あれ)は現世の物を他人に自慢することよりも、自分も子どもも昨晩から食べていないという究極の空腹の中でも、寛大に与えることを好みました。預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、ファーティマ様(アッラーのご満悦あれ)を、他人に自慢するために服を着たり、身を飾るように教育されませんでした。もし他人に自慢するために何かをする教育を受けていたら、自分の子ども達が空腹で食事が足りない時に、他人に分け与えることを惜しんだでしょう。預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)がなさったのは、現世の物で他人に自慢するという教育ではありませんでした。ファーティマ様(アッラーのご満悦あれ)も、もちろんつつましくとも着飾ることもされましたが、そこに自分の価値を置くことはありませんでした。預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)から受けた、人徳教育にこそ、自分の価値があることをご存知でした。
アナス・ブヌ・マーリク様(アッラーのご満悦あれ)は言いました。
「ビラールがスブフ礼拝に遅れました。そこで預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は彼に言われました。
《何があなたを引き留めたのですか。》
すると彼は言いました。
「ファーティマのところを通りかかると、彼女が粉を挽いていて、子どもは泣いていました。私が、彼女に、『もしよかったら、私が臼を回し、あなたが子どもを見るか、私が子どもを見て、あなたが臼を回しては。」と言うと、「私はあなたより息子の世話ができます。」と言いました。(そこで彼女の代わりに石臼で粉を引いていたので)それが私を引き留めました。彼(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は言われました。
≪あなたは彼女に慈悲をかけました。アッラーがあなたに慈悲をおかけくださいますように。≫
イマーム・アハマド伝承
このように、経済的に厳しい中で、2歳違いの二人の男の子を育てるファーティマ様(アッラーのご満悦あれ)の生活は決して楽なものではありませんでした。しかし、ファーティマ様(アッラーのご満悦あれ)は泣きごとや不平、不満を言うことなく、その寛大さや人徳の高さを失うこともありませんでした。何が彼女をこうさせたのでしょうか。もちろん、アッラーが彼女を預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)の娘としてお選びになられたことは間違いありませんが、原因と結果の世界では、何が彼女の人徳に、影響を及ぼしたのでしょうか。それは、彼女が、自分の父親には、啓示を伝える使命がある、ということを常に見ていたからです。
これは、現代のすべての父親に対して言えることです。娘が自分の言うことを聞かない、娘に外出や友人関係や何かを禁止したり制限したりするとすぐに不平を言い、自分に従わないというすべての父親に、こう問いかけます。あなたの娘さんは、あなたに、どんな使命があることを見ているでしょうか?
あなたが背負っている使命や、高潔な目標を娘さん達は感じていますか?
お金や地位のことではありません。ゴミ収集の仕事をしている人にも、使命はあります。自分は国を清潔に保つという大きな使命を負っているのだ、と認識していれば。配管工の仕事にも使命はあります。自分は人々の健康を守るという大切な使命を負っているのだ、と認識していれば。農家の人にも使命はあります。自分は、国に食料供給をしている、と認識していれば。エンジニア、医者、モスクのイマーム、大学教授、どんな職業に就いているかは、全く問題ではありません。問題は、父親が、使命を持って人生を生きているかどうか、です。使命を感じて仕事をしているのか、ただお金のために働いているのか、ここには大きな違いがあります。
娘は、もし父親が使命を持っている、自分の人生を、目的を持って真剣に生きている、と感じれば、父親が自分に向けた言葉を真剣に受け止めるでしょう。母親も同じです。母親が目的を持って人生を生きていると認識していれば、娘は母親の言葉を真剣に受け止めます。反対に、娘が、自分の親が、使命を持って生きている、目的を持って真剣に生きている、と感じられなければ、自分も、親の言うことなど聞かずに、いい加減に生きればいい、と思ってしまいます。特に現代は、様々な誘惑が多く女の子達を取り巻く中で、真剣に自分を大切にして生きようとは思わないでしょう。
ファーティマ様(アッラーのご満悦あれ)は、父親の預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)の、人生に対する真剣さ、ご自分に課された使命に対する誠実さや熱心さをその身に浴びながらお育ちになられました。ファーティマ様(アッラーのご満悦あれ)以外の、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)の他の娘さん達(アッラーのご満悦あれ)や奥様方(アッラーのご満悦あれ)も同じです。サハーバ達(アッラーのご満悦あれ)の娘達、奥様方も、自分の父親や夫がどれほど熱心に使命を感じて人生を生き切ったか、見ていました。
すべての時代において、娘は、自分の父親が、大事な使命の持ち主であり、真剣に人生を目的を持って生きていることを感じれば、父親と同じように、自分も使命を持って、その使命を全うすることに魅力を感じて、しっかりと責任を引き受け、自分の人生を生きて行くことができます。
アッラーが私たちの娘を正しい道にお導き下さいますように。
写真:Pete LinforthによるPixabayからの画像
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