250.アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)はどのように現世を去ったか:
現世の諸王が恐れていたお方、アラブ半島を支配し、教友たちが命と子どもと財産を捧げるほどのお方であったアッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)は現世をお去りになりました。わずかの金貨や銀貨も、奴隷も、何も残して行かれることはありませんでした。ただ、白メスらくだと武器とサダカされた土地のみが残されました。
また亡くなった際、あるユダヤ教徒に30サーアの大麦と引き換えに彼の盾が質として置かれていました。彼は亡くなるまで、返済するための術を見つけられなかったことになります。
またお亡くなりになった病の間に40人の奴隷を解放されました。また6から7ほどお持ちであったディーナールを妻のアーイシャ(アッラーの御満悦あれ)に命じてサダカさせました。
信徒たちの母であるアーイシャは言いました:アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)がお亡くなりになったとき、私の家には肝臓を持つ者(生き物、人間)が食べられるようなものは私の棚にあった等分された大麦しかありませんでした。私は長い間それを食べたのですが、計ってみるとなくなってしまいました。
アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)はヒジュラ歴11年ラビーウ・ル・アッワル月12日月曜日の正午過ぎに63歳で亡くなられたとの説が強力です。その日は信徒たちにとってもっとも暗く、寂しさに満ちたものでした。人類にとっての試練でもありました。
教友アナスとアブー・サイード・アル=フドゥリー(お二人にアッラーの御満悦あれ)は言いました:
アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)がマディーナにいらした日、そのすべてから光が発せられました。彼がお亡くなりになった日には、そのすべてが暗くなりました。泣くウンム・アイマンが、「御使い(アッラーの祝福と平安あれ)の何があなたに涙を流させるのか?」とたずねられて、彼女は「私はアッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)がいつかお亡くなりになることを承知していました。私が泣くのは終わってしまった啓示のためなのです」と言いました。
251.教友たちはどのように死の知らせを受け取ったか:
アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)の死は教友たちの上に稲妻のように下りました。激しく彼を慕い、子どもたちが親許で生活する以上にアッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)の近くでの親愛にあふれた生活に慣れていたため知らせはとても衝撃的でした。アッラーは仰せです:
「おまえたちの許におまえたちに自身の中から使徒が確かにやって来たのである。おまえたちが悩むことは彼にとって辛く、彼はお前たちに心を砕き、信仰者たちに対して憐れみ深く、慈悲深い。」(悔悟章128節)
教友たち一人一人が他の誰でもない自分こそがアッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)に最も気に入られていたと思っていたため、教友たちの一部は死の知らせを信じませんでした。その先頭がウマル・イブン・アル=ハッターブで、「アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)がお亡くなりになった」と言う者を拒絶し、マスジドへ行って人々に語り出して、「アッラーが偽信者どもを滅ぼし給うまでアッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)はお亡くなりにならない」と言いました。
252.アブーバクルの断固とした立場:
アッラーが預言者の後継者として準備給うた者、決断と英知ある立場を持つ者こそがアブーバクルでした。彼はかの瞬間に必要とされる、動ずことも消えることもない強固な山のような人物でした。知らせを受け取るとそのままマスジドの門へと向かいました。そこではウマルが人々に語っているのが見えましたが、何にも目を向けることなくアッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)が横たわっているアーイシャの家に入っていきました。アブーバクルはお顔にかかっていた布をめくり、口づけして言いました:「父と母をあなたのために犠牲に捧げます。アッラーがあなたに運命づけ給うた死を確かにあなたは経験されました。しかしこれ以降、あなたに死が訪れることはないのです。」そして布を再びお顔にかけました。
部屋を出たアブーバクルはまだ話しているウマルのところへ行って、「落ち着きなさい、ウマル!黙りなさい。」と言いましたが、ウマルは話し続けました。黙らないのを見たアブーバクルは人々に話しだしました。アブーバクルが話すのを聞きはじめた人たちはウマルを放置しました。まずアッラーを讃えて言いました:
「人々よ。ムハンマドを崇めていた人。ムハンマドは確かにお亡くなりになった。アッラーを崇める者。アッラーは死なず生き続ける御方だ。」次にアッラーの御言葉を読み上げました:
「そしてムハンマドは一人の使徒にすぎず、かつて彼以前にも使徒たちが逝った。それなのに、もし彼が死ぬか、殺されるかしたら、おまえたちは踵を返すのか。そして踵を返す者がいたとしても、アッラーをわずかにも害することはない。いすれアッラーは感謝する者たちに報い給う。」(イムラーン家章144節)
この光景を見た人は言いました:
「アッラーに誓って。人々はアブーバクルがこの節を読み上げるまでそれが前に啓示されていたことを知らなかったようだ。人々はアブーバクルからこの節を取って、口で何度も読んだ。」
ウマルは言いました:
「アッラーに誓って。アブーバクルがそれを読んで私は衝撃を受けた。私は大地に崩れ落ちてしまい立っていられなかった。その時に私はアッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)が確かにお亡くなりになったのを知ったのだ。」
253.カリフとなるアブーバクルへの忠誠:
信徒たちはカリフとなるアブーバクルに忠誠を誓いました。悪魔は彼らの一致団結の中に入りこんでまとまりをほどくことはできませんでした。また私欲が各人の心の中で遊ぶこともありませんでした。信徒たちが一団となって規律を保ち、そして彼らには彼らの諸事を司るリーダーがいる中でアッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)は現世を去って行かれました。その諸事の第一のものが、アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)の葬儀と埋葬でした。
254.信徒たちはどのように使徒を見送り、彼に祈りをささげたのか:
人々は落ち着きを取り戻すとともに、当惑や感情の高まりは消え去っていきました。そして自分たちの使徒が教えてくれたように、現世を去った人とのために行うことで忙しくしていました。
彼(アッラーの祝福と平安あれ)のご家族が担った彼(アッラーの祝福と平安あれ)の清めと包装が済むと、彼(アッラーの祝福と平安あれ)のベッドが彼の家に置かれました。なぜならアブーバクルはかつてアッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)が次のように言われるのを聞いたと彼らに話したためでした:命を掴まれた使いは掴まれた場に埋葬される。アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)がお亡くなりになった寝床は持ち上げられ、その下に穴が掘られました。以上は教友アブータルハ・アル=アンサーリーが行いました。
続いて順番に人々が祈るために入ってきました。男性陣が終わると、女性が入り、女性陣も終わると、子どもたちが入りました。なお誰もアッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)の葬儀のための礼拝の導師を務めませんでした。
これは火曜日のことでした。
マディーナでの悲しい一日でした。ビラールが黎明のアザーンを行いました。御使い、と述べるときには号泣しました。すると信徒たちの悲しみはさらに大きくなりました。彼らはこのアザーンをアッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)とともに聞くことに慣れていました。信徒の母であるウンムサラマは言いました:なんという災難なのでしょう。これ以降に私たちに起こる災難は些細なことでしかないはずです、彼(アッラーの祝福と平安あれ)を失ったという災難を思い起こせば。
ファーティマ(アッラーの御満悦あれ)は御使い(アッラーの祝福と平安あれ)が埋葬された際に言いました:
「アナスよ、あなたたちはアッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)の上に土をかけることに何も感じないのですか。」
彼らはアッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)を慕っていましたが、泣き嘆くことはありませんでした。なぜならかつて彼がそれを厳しく禁止されたためでした。
(参考文献:「預言者伝」、アブー・アルハサン・アリー・アルハサニー・アンナダウィー著、ダール・イブン・カスィール出版、P403~407)
現世の諸王が恐れていたお方、アラブ半島を支配し、教友たちが命と子どもと財産を捧げるほどのお方であったアッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)は現世をお去りになりました。わずかの金貨や銀貨も、奴隷も、何も残して行かれることはありませんでした。ただ、白メスらくだと武器とサダカされた土地のみが残されました。
また亡くなった際、あるユダヤ教徒に30サーアの大麦と引き換えに彼の盾が質として置かれていました。彼は亡くなるまで、返済するための術を見つけられなかったことになります。
またお亡くなりになった病の間に40人の奴隷を解放されました。また6から7ほどお持ちであったディーナールを妻のアーイシャ(アッラーの御満悦あれ)に命じてサダカさせました。
信徒たちの母であるアーイシャは言いました:アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)がお亡くなりになったとき、私の家には肝臓を持つ者(生き物、人間)が食べられるようなものは私の棚にあった等分された大麦しかありませんでした。私は長い間それを食べたのですが、計ってみるとなくなってしまいました。
アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)はヒジュラ歴11年ラビーウ・ル・アッワル月12日月曜日の正午過ぎに63歳で亡くなられたとの説が強力です。その日は信徒たちにとってもっとも暗く、寂しさに満ちたものでした。人類にとっての試練でもありました。
教友アナスとアブー・サイード・アル=フドゥリー(お二人にアッラーの御満悦あれ)は言いました:
アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)がマディーナにいらした日、そのすべてから光が発せられました。彼がお亡くなりになった日には、そのすべてが暗くなりました。泣くウンム・アイマンが、「御使い(アッラーの祝福と平安あれ)の何があなたに涙を流させるのか?」とたずねられて、彼女は「私はアッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)がいつかお亡くなりになることを承知していました。私が泣くのは終わってしまった啓示のためなのです」と言いました。
251.教友たちはどのように死の知らせを受け取ったか:
アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)の死は教友たちの上に稲妻のように下りました。激しく彼を慕い、子どもたちが親許で生活する以上にアッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)の近くでの親愛にあふれた生活に慣れていたため知らせはとても衝撃的でした。アッラーは仰せです:
「おまえたちの許におまえたちに自身の中から使徒が確かにやって来たのである。おまえたちが悩むことは彼にとって辛く、彼はお前たちに心を砕き、信仰者たちに対して憐れみ深く、慈悲深い。」(悔悟章128節)
教友たち一人一人が他の誰でもない自分こそがアッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)に最も気に入られていたと思っていたため、教友たちの一部は死の知らせを信じませんでした。その先頭がウマル・イブン・アル=ハッターブで、「アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)がお亡くなりになった」と言う者を拒絶し、マスジドへ行って人々に語り出して、「アッラーが偽信者どもを滅ぼし給うまでアッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)はお亡くなりにならない」と言いました。
252.アブーバクルの断固とした立場:
アッラーが預言者の後継者として準備給うた者、決断と英知ある立場を持つ者こそがアブーバクルでした。彼はかの瞬間に必要とされる、動ずことも消えることもない強固な山のような人物でした。知らせを受け取るとそのままマスジドの門へと向かいました。そこではウマルが人々に語っているのが見えましたが、何にも目を向けることなくアッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)が横たわっているアーイシャの家に入っていきました。アブーバクルはお顔にかかっていた布をめくり、口づけして言いました:「父と母をあなたのために犠牲に捧げます。アッラーがあなたに運命づけ給うた死を確かにあなたは経験されました。しかしこれ以降、あなたに死が訪れることはないのです。」そして布を再びお顔にかけました。
部屋を出たアブーバクルはまだ話しているウマルのところへ行って、「落ち着きなさい、ウマル!黙りなさい。」と言いましたが、ウマルは話し続けました。黙らないのを見たアブーバクルは人々に話しだしました。アブーバクルが話すのを聞きはじめた人たちはウマルを放置しました。まずアッラーを讃えて言いました:
「人々よ。ムハンマドを崇めていた人。ムハンマドは確かにお亡くなりになった。アッラーを崇める者。アッラーは死なず生き続ける御方だ。」次にアッラーの御言葉を読み上げました:
「そしてムハンマドは一人の使徒にすぎず、かつて彼以前にも使徒たちが逝った。それなのに、もし彼が死ぬか、殺されるかしたら、おまえたちは踵を返すのか。そして踵を返す者がいたとしても、アッラーをわずかにも害することはない。いすれアッラーは感謝する者たちに報い給う。」(イムラーン家章144節)
この光景を見た人は言いました:
「アッラーに誓って。人々はアブーバクルがこの節を読み上げるまでそれが前に啓示されていたことを知らなかったようだ。人々はアブーバクルからこの節を取って、口で何度も読んだ。」
ウマルは言いました:
「アッラーに誓って。アブーバクルがそれを読んで私は衝撃を受けた。私は大地に崩れ落ちてしまい立っていられなかった。その時に私はアッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)が確かにお亡くなりになったのを知ったのだ。」
253.カリフとなるアブーバクルへの忠誠:
信徒たちはカリフとなるアブーバクルに忠誠を誓いました。悪魔は彼らの一致団結の中に入りこんでまとまりをほどくことはできませんでした。また私欲が各人の心の中で遊ぶこともありませんでした。信徒たちが一団となって規律を保ち、そして彼らには彼らの諸事を司るリーダーがいる中でアッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)は現世を去って行かれました。その諸事の第一のものが、アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)の葬儀と埋葬でした。
254.信徒たちはどのように使徒を見送り、彼に祈りをささげたのか:
人々は落ち着きを取り戻すとともに、当惑や感情の高まりは消え去っていきました。そして自分たちの使徒が教えてくれたように、現世を去った人とのために行うことで忙しくしていました。
彼(アッラーの祝福と平安あれ)のご家族が担った彼(アッラーの祝福と平安あれ)の清めと包装が済むと、彼(アッラーの祝福と平安あれ)のベッドが彼の家に置かれました。なぜならアブーバクルはかつてアッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)が次のように言われるのを聞いたと彼らに話したためでした:命を掴まれた使いは掴まれた場に埋葬される。アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)がお亡くなりになった寝床は持ち上げられ、その下に穴が掘られました。以上は教友アブータルハ・アル=アンサーリーが行いました。
続いて順番に人々が祈るために入ってきました。男性陣が終わると、女性が入り、女性陣も終わると、子どもたちが入りました。なお誰もアッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)の葬儀のための礼拝の導師を務めませんでした。
これは火曜日のことでした。
マディーナでの悲しい一日でした。ビラールが黎明のアザーンを行いました。御使い、と述べるときには号泣しました。すると信徒たちの悲しみはさらに大きくなりました。彼らはこのアザーンをアッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)とともに聞くことに慣れていました。信徒の母であるウンムサラマは言いました:なんという災難なのでしょう。これ以降に私たちに起こる災難は些細なことでしかないはずです、彼(アッラーの祝福と平安あれ)を失ったという災難を思い起こせば。
ファーティマ(アッラーの御満悦あれ)は御使い(アッラーの祝福と平安あれ)が埋葬された際に言いました:
「アナスよ、あなたたちはアッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)の上に土をかけることに何も感じないのですか。」
彼らはアッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)を慕っていましたが、泣き嘆くことはありませんでした。なぜならかつて彼がそれを厳しく禁止されたためでした。
(参考文献:「預言者伝」、アブー・アルハサン・アリー・アルハサニー・アンナダウィー著、ダール・イブン・カスィール出版、P403~407)