イスラーム勉強会ブログ

主に勉強会で扱った内容をアップしています。

預言者伝27

2011年11月29日 | 預言者伝関連

91.ムスリムたちは捕虜とどのように接したか?:

  アッラーの使徒(平安と祝福あれ)は捕虜たちを大事にするよう忠告されました。捕虜だったアブー・アズィーズという男が次のように言っています:私はあるアンサールの集団の中にいたのですが、彼らが私をバドルから連れて帰る際、昼食と夕食を彼らが準備をすると、私にだけパンを食べさせ、彼らはナツメヤシを食べたのです。それはアッラーの使徒(平安と祝福あれ)の忠告によるものでした。彼らの誰かにパンが手渡されると必ず私のところにまわって来ました。それで私は恥ずかしいので返すのですが、また返され、相手はパンを取ろうとしないのです。

  捕虜には、アッラーの使徒(平安と祝福あれ)のおじであるアル=アッバース・イブン・アブドゥルムッタリブ、いとこであるアキール・イブン・アビーターリブ、娘婿のアブー・アル=アース・イブン・アッ=ラビーウがいましたが、彼(平安と祝福あれ)は、親戚かどうかなどは考慮せずに対応しました。

 

92.ムスリムの子どもに読み書きを教えることが捕虜の償いとなる:

  アッラーの使徒(平安と祝福あれ)は捕虜たちを許し、彼らから保釈金を受け取り、彼らの資産状況に合わせた保釈金を求めました。何も持ち得ない者からは何も受け取らずに解放することもありました。そしてクライシュが送って来た保釈金によって捕虜たちは解放されました。

  捕虜の中には、保釈金として出せるものがないため、アッラーの使徒(平安と祝福あれ)によって、代わりにアンサールの子どもたちに読み書きを教える者もいました。ザイド・イブン・サービトはこの方法で学んだ一人で、当時どれほどに知識が重要視され、読み書きが奨励されていたかが分かります。

 

93.遠征:

  アブー・スフヤーンは、ムスリムたちに戦いを挑むまで頭を濡らさないと誓いを立てていたので、200名の騎士を連れて出陣しました。そしてサラーム・イブン・ムシュカムというユダヤ人のナディール族の長の助力を得ることができました。サラームはアブー・スフヤーンを歓待し、マディーナの人々の情報を与え、何人かの男たちを送り、2名のアンサールを殺害しました。

  アッラーの使徒(平安と祝福あれ)は敵たちの呼び掛けに応じ、出て行きましたが、アブー・スフヤーンと仲間たちは、ムスリムたちによって見つかる前に帰還してしまいました。この戦はスワイクの戦と呼ばれます。

 

  またユダヤ人であるカイナカーウ族は、アッラーの使徒(平安と祝福あれ)との間に締結していた約束を破り、バドルとウフドの際に攻撃してきました。そのためアッラーの使徒(平安と祝福あれ)は15日の間、彼らが裁定に従うまで、彼らを包囲しました。彼らの同盟者であり偽信者の長であるアブドゥッラー・イブン・ウバイが彼らのために執り成したことで、アッラーの使徒(平安と祝福あれ)はアブドゥッラーのために彼らを解放しました。彼らは700名の戦士であり、銀細工師や商人でした。

  アッラーの使徒(平安と祝福あれ)は、マディーナから彼らの好む土地へ移動することを条件にかのユダヤ人たちに恩赦を垂れました。そのため出来る限りの財産を持って彼らはシャーム方面へと去って行きました。またカイヌカーウ族は自分たちの裏切り行為や悪事の報いが死であると覚悟していましたが、安全にマディーナを去って行くことができたのでした。

 

  またユダヤ人たちのトップの一人であり、アッラーの使徒(平安と祝福あれ)を激しく攻撃していたカアブ・イブン・アル=アシュラフは、教友たちの女性に恋歌を作ったり、バドルの事件が起きると、マッカに移動してアッラーの使徒(平安と祝福あれ)と信者たちの悪い噂をその地に言いふらしたりしました。そのような態度でマディーナに戻ってきたカアブについて、アッラーの使徒(平安と祝福あれ)は次のように言われました:《誰がカアブ・イブン・アル=アシュラフを成敗してくれるか?本当に彼はアッラーとその使徒に危害を加えたのだ。》その任務には2名のアンサールの男がつき、カアブを殺害しました。

 

(参考文献:「預言者伝」、アブー・アルハサン・アリー・アルハサニー・アンナダウィー著、ダール・イブン・カスィール出版、P226228

 

 


81章解説【1】

2011年11月22日 | ジュズ・アンマ解説

ビスミッラーヒッラフマーニッラヒーム

1.太陽が巻き上げられ(その光が失われ)た時、

2.そして星々が流れ落ちた時、

3.そして山々が動かされた時、

4.そして妊娠10ヶ月の身重ラクダたちが放置された時、

5.そして野獣が追い集められた時、

6.そして海洋が燃え上がった(溢れた)時、

7.そして魂が(肉体と)組み合わされた時、

8.そして生き埋めにされた女児が

9.己はどんな罪で殺されたかと問われた時、

10.   そして(行状の)帳簿が開かれた時、

11.   そして天が剥ぎ取られた時、

12.   そして焦熱地獄が燃えあげられた時、

13.   そして、楽園が近寄せられた時、

14.   魂は己が持ってきたもの(帳簿に記載された行状)を知る。

 

 この章は、イスラーム信仰の二つの真実を扱っています。

 一つ目:審判の真実とそれに関連した、恐れを思い起こさせるような大地の混乱や壮大な出来事について。

 

 二つ目:ムハンマド(平安と祝福あれ)に与えられた啓示の真実と、啓示を携える大天使ジブリールの性質やそれを宣揚する預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)について。

 

 審判の現象の一つに、「太陽が巻き上げられ(その光が失われ)た」があります。巻き上げられるとは、その各部分が一つになること、太陽が落ちること、その光が隠されることを指します。太陽が高熱で燃えている大量のガスが集まった星であることは有名です。地球上に存在するすべてのエネルギーや生を感じさせるものは太陽が発するエネルギーが由来しています。そのため、その光が遮られ、その場所から動かされてエネルギーが消えることは、地球に住むすべての生き物の死を意味することになります。

 

 また審判の他の現象の一つに:「そして星々が流れ落ちた時」つまりそれらが散らばり落ちて、光を失うことを指します。中くらいの星の大きさが太陽と同等であることと、星の数が数えきれないほどでアッラーにしかその数を知らないことを考慮すると、これらの星が流れ落ちることの恐ろしさが理解できます。

 

 審判の他の現象:「そして山々が動かされた時」おそらく、どこかの天体が地球に近づくことでその引力を原因に山々が引き抜かれることを指します。

 

 他の現象:「そして妊娠10ヶ月の身重ラクダたちが放置された時」妊娠して10ヶ月を迎えたラクダは、アラブ人たちにとって最も価値のある富の一つでありました。ある人が貴重なこのラクダを所有していたとしても、かの日になるとその存在を無視してしまいます。それほどにかの日の出来事は重大なのです。

 

 他の現象:「そして野獣が追い集められた時」相当の数で集められますが、彼らはお互いに敵対したり、弱者を餌食にすることを考えません。なぜなら彼らに降りかかった出来事と地球に起きた変化以上の関心事がその日にないからです。

 

 他の現象:「そして海洋が燃え上がった(溢れた)時」海洋が溢れ、一つになります。山々が砕かれて膨大の量のその土が散らされると、海の大部分が流れ込んできて一つになると考えられます。

 

 他の現象:「そして魂が(肉体と)組み合わされた時」魂の本質については、アッラーのみが御存知です。魂は身体の消滅で消えることはありませんので、死後もそのまま残ります。審判の日には、アッラーが新しい形として創り給う体に魂が返されます:「おまえたちの同類を取替え、(復活の日に)おまえたちをおまえたちの知らないものに創生し(直す)ことに対して(われらは先を越されない)。」(5661節)そのため審判の日の再生は、魂と身体と共に起こるのです。「そして魂が(肉体と)組み合わされた時」の他の意味に、性質において似た魂同士が集まるともあります。

 

 他の現象:「そして生き埋めにされた女児が」昔のアラブ人は、貧困か女性を捕虜や奴隷にされることといった不名誉を恐れて、女児を生きたまま埋めていたのでした。特に部族間で争いが起こっている間にそのようなことが行われました。女性は誘拐されると、誘拐した側の所有物つまり奴隷となるのでした。そして生き埋めにされた女児は尋ねられます。彼女に対する質問と表現は、生き埋めという問題全体を重要視することを指します。なぜなら生き埋めにされた女児に責任がないどころか、彼女は被害者だからです。また加害者、殺害者が犯した罪を問うということは、女児を殺した者への侮辱、クルアーンが恐ろしい行為であるとしたこの犯罪を危険視していることを指します。またクルアーンはそれを天変地異の描写の中に組み込みました。「己はどんな罪で殺されたかと問われた時」殺害によって無実の命を奪う者たちに対する脅迫です。不当に命を奪う行為は、厳しい罰が約束された最も重く罪の一つで、クルアーンの多くのアーヤがそれについて言及しています。また殺害は、審判の日に人間が第一に清算される罪です。預言者(平安と祝福あれ)は言われました:《(殺害のために流れた)血についてしもべたちは第一に裁かれます》(アル=ブハーリー、ムスリム)

 

 他の現象:「そして(行状の)帳簿が開かれた時」それは行為が記された帳簿です。それが広げられるとは、死ぬ時に閉じられ、それが再び開かれることを指します。その帳簿には、天使が記した人々が現世で行った善いこと、悪いことが載っています。審判の日には、人々に見えるように彼らの前で開かれます。

 

 そして人間の帳簿が開かれるという表現には暴露の意味が含まれます。人間が生前に行っていた、覆うことに励んでいた隠された罪といったすべての行為が審判の日には皆の前に広げられます。

 

他の現象:「そして天が剥ぎ取られた時」カバーが剥ぎ取られるように天は元の位置から剥ぎ取られます。これは地球に起こるであろう変化の描写です。地球は元の形のまま存在し続けないということです。「大地が大地でないものに替えられ、そして諸天も諸天でないものに替えられ」(1448節)

 

 そして審判の日の最後の光景が続きます。それはアッラーが罪人たちに準備し給うた地獄の描写です。「そして焦熱地獄が燃えあげられた時」点火され、火が強化される様子です。

 

 それに対応するように、敬虔な者たちの楽園の描写が続きます:「そして、楽園が近寄せられた時」つまり、敬虔な者たちに近づくことです。

 

 以上すべては、この章が述べた審判の日の光景です。それら全てが起こる時:「魂は己が持ってきたもの(帳簿に記載された行状)を知る」ナフス(魂)に定冠詞がはずされていることで、魂全てが知る、という意味になります。各魂は、行ってきた善悪について、天使が記していた帳簿が持ってこられることで知ります。アッラーは次のようにも仰せになっています:「誰もが己のなした善を眼前に、また己のなした悪をも見出す日、己とその(悪事の)間に遠い隔たりがあればなぁ、と望む」(330節)

 

(参考文献:ルーフ・アル=クルアーン タフスィール ジュズ アンマ/アフィーフ・アブドゥ=ル=ファッターフ・タッバーラ薯/ダール・アル=イルム リルマラーイーンP4548


理性の不在

2011年11月16日 | その他

アッサラームアライクム

別ブログで、お酒の害についての動画の紹介をしています。

こちら

最近、お酒のテイストを楽しめるノンアルコール飲料の種類が増えて来ましたね。
酔うことよりも味と雰囲気を楽しみたい方に試してもらいたい飲料です。
(ノンアルコール・ノンカロリーカクテルを好んでここのところ飲んでいます♪)


預言者伝26

2011年11月15日 | 預言者伝関連

87.一人目の殉教者:
  ウマイル・イブン・アル=ハマーム・アル=アンサーリーは立ち上がり、言いました:アッラーの使徒さま!天国は天と地ほどの広さもあるのですか?アッラーの使徒(平安と祝福あれ)がそうとも、と答えると、それは素晴らしい、アッラーの使徒さま!とウマイルは言いました。君はどうして素晴らしいと言うのかね?と尋ねるとウマイルは答えました:アッラーにかけて、天国の住人になりたいためだけに言ったのです。アッラーの使徒は彼に、君はその住人になるだろう、と言うと、ウマイルは弓袋からナツメヤシを数個取り出して、食べ始め、しばらくすると、このナツメヤシを食べ終わるまで生きているなんて長すぎる、と言い、手にしていたナツメヤシを放り投げると、戦い始めました。こうして亡くなった彼が、一人目の殉教者となりました。
  人々は自分の戦地に留まりながら、忍耐し、アッラーを多く想起しました。そしてアッラーの使徒(平安と祝福あれ)も激しく戦い、彼こそが、敵に最も近づいて戦った者となりました。また彼はその日、最も害を受けた者でもありました。そこでアッラーは、慈悲と勝利と共に天使たちを降ろし、多神教徒たちと戦わせ給いました。これに関する節は以下のとおりです:「あなたの主が、天使たちに啓示された時を思いなさい。「われはあなたがたと一緒にいるのだ。信仰する者たちを堅固にせよ。」われは不信者たちの心の中に、恐れを染み込ませよう。その時あなたがたはかれらの首を刎ね、またそれぞれの指先を打ち切れ。」(クルアーン8章12節)

88.アッラーとその使徒の敵の成敗における信仰上の兄弟の競争:
  殉教と幸福の獲得を求めて若者たちは競い合いました。その競争は、親戚、友人、兄弟の間で繰り広げられました。
  アブドゥッラハマーン・イブン・アウフは次のように言っています:バドルの戦いの日、私が列の中にいたその時です。ふと振り向くと、私の両側にそれぞれ年若い青年がいました。私は自分の場所に身の安全を感じられませんでした。すると彼らの内の一人がもう一人には内緒で、私に話しかけました:おじさん、アブー・ジャハルはどこでしょう。若者よ、彼に何をするつもりか?と私は答えました。彼は:彼を見たら、彼を殺すか自分が死ぬかをアッラーに誓ったのです。するともう一人も同じようなことを私に尋ねてきました。私が彼らにアブー・ジャハルが誰かを指すと、二人は鷹のように彼を縛り上げ、殴りつけました。二人はとても肌の白い者たちでした。
  アブー・ジャハルが殺されたとき、アッラーの使徒(平安と祝福あれ)は次のように言われました:《この男、アブー・ジャハルは、このウンマ(共同体)のフィルアウンである。》

89.明確な勝利:
  ムスリムたちの勝利、多神教徒たちの負けで戦いの幕が閉じると、アッラーの使徒(平安と祝福あれ)は言われました:《アッラーフ・アクバル(アッラーは偉大なる御方)。約束を実現し、御自身のしもべに勝利を与え、部族連合軍をおひとりで負かし給うた御方アッラーに称讃あれ》。
  偉大なるアッラーは真実を仰せになりました:「アッラーは、あなたがたがバドルで微弱であったとき、確かに助けられた。だからアッラーを畏れなさい。きっとあなたがたに感謝の念が起きるであろう。」(クルアーン3章123節)
  そして預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)は戦死者たちを井戸の中に投じるよう命じました。そしてその側に立つと、こう言われました:《井戸の住人たちよ!主が約束され給うたものを見たか?私はまことに主が約束され給うたものを直に見た。》
  不信仰者たちの中から70名が亡くなり、そして70名が捕虜となりました。ムスリムのクライシュの死者は6名、アンサールの死者は8名でした。

90.戦いの後に:
  アッラーの使徒(平安と祝福あれ)は、勝利者としてマディーナに向かいました。マディーナとその周辺にいた敵たちは彼を恐れ、またマディーナの民の大勢がイスラームに帰依しました。
  アッラーの使徒(平安と祝福あれ)は、マディーナに2名の吉報を伝える者を遣わせました。その一人はアブドゥッラー・イブン・ラワーハです。彼はマディーナの民に嬉しい知らせを携えて戻って来ると言いました:「アンサールの皆さん!アッラーの使徒さまがご無事であること、多神教徒たちが死んだこと、そして彼らが捕虜になったことをお知らせします!」バドルで命を落としたクライシュ出身のムスリムの名前を一人一人読み上げたり、各家に吉報を伝えたり、子どもたちは喜びと感謝を込めて詩を歌いました。そんな中、アッラーの使徒さまが実際に戻って来るまで、知らせを信じる人と疑う人がいました。また彼と共に、捕虜たちがマディーナ入りしました。
  マッカにおける多神教徒たちの家では、嘆きの叫びが響き、死者たちを悲しむ涙にくれていました。敵たちの心には恐怖が入りこみ、アブー・スフヤーンは、アッラーの使徒とムスリムたちを襲うまで頭に水を付けないと誓いを立てました。そしてマッカで隠れていたムスリムたちは、自分たちに力と誇りがあることを確信しました。

(参考文献:「預言者伝」、アブー・アルハサン・アリー・アルハサニー・アンナダウィー著、ダール・イブン・カスィール出版、P222~225)


82章解説

2011年11月08日 | ジュズ・アンマ解説

بسم الله الرحمن الرحيم
82章解説
1.天が避けた時、
2.そして星々が飛び散った時、
3.そして、海洋が激発させられた時、
4.そして、墓が掘り起こされた時、
5.魂は、先になしたことと後になしたことを知った。
6.人間よ、何がおまえを寛容なるおまえの主について欺いたのか、
7.(つまり)おまえを創り、おまえを均し、おまえを整え給うた御方、
8.望み給うた通りのどのような姿形にもおまえを組み立て給うた(おまえの主について)。
9.断じて、いや、おまえたちは宗教(裁き)の日について嘘と否定する。
10.そしてまことに、おまえたちの上には監視者たち(天使)がいて、
11.高貴な記録者たちで、
12.おまえたちがなすことを知っている(監視者たちがいる)。
13.まことに、敬虔な者たちは至福の中にあり、
14.背徳者たちは焦熱地獄の中にいる。
15.宗教(裁き)の日、彼らはそれにくべられ、
16.そして彼らはそこからいなくなる(逃れる)者ではない。
17.宗教(裁き)の日が何であるかを、何がおまえに分からせたか。
18.それから、宗教(裁き)の日が何であるかを、何がおまえに分からせたか。
19.どんな魂も(他の)魂に対しなんの権限も持たない日。そして御命令(決定)は、その日、アッラーに属す。

 この章は、清算の日に関する内容を扱います。また、その日に起こる恐ろしい天変地異や、その直後にある人間の行為に対する賞罰についても話されます。主に対する義務を怠慢にし、報復の日の存在を否定している人たちに向けられた激しい脅しの中にある秘められた叱責が散りばめられます。

 まず、アッラーは審判の日に見られる恐怖のいくつかの描写から始め給います:
 「天が避けた時、そして星々が飛び散った時、そして、海洋が激発させられた時、そして、墓が掘り起こされた時、魂は、先になしたことと後となしたことを知った。」

 アッラーが仰せになっている「天が避けた時」はつまり、ヒビが入って裂けることを指します。その実態は、地球自体に起こる激しい変化と、今まで続いていたその規則の終焉です。「そして星々が飛び散った時」つまり、星たちが降下することです。星々が軌道から外れることを指します。「そして、海洋が激発させられた時」それぞれの海洋が開き、淡水と海水が混ざります。アッラーのみが御存知ですが、山が崩れ、大地に起こる変化の影響としてそれは起こるのかもしれません。「そして、墓が掘り起こされた時」墓が埋まっている土がひっくり返され、その中に入っていた遺体が生きた状態で出てくることを指します。このような変化が実際に起こる時、「魂は、先になしたことと後となしたことを知った。」つまり、各魂は、自身がなしたアッラーに対する服従行為と、なしそびれたアッラーに対する義務を知るということです。

 次に主に対して怠慢な人間に向けた呼び掛けが続きます。御言葉は彼らに恵まれた主の数々の恩恵を思い起こさせます:「人間よ、何がおまえを寛容なるおまえの主について欺いたのか」何が現世でおまえに主を欺かせ、おまえに課された主に対する義務に怠慢な態度をとり、主に不服従となり、主に背かせようとしたのか、かれこそは豊かにそして表現できないほどにおまえに恩徳を恵み給うた寛大な主である、という意味です。かれこそは:「(つまり)おまえを作り、おまえを均し、おまえを整え給うた御方」無からおまえを存在させ、このような完全な形におまえの姿を整え、均衡のとれた被造物となし給うた御方である、という意味です。「望み給うた通りのどのような姿形にもおまえを組み立て給うた」長さや短さ、肌の色、外見の違いといったかれの御望みがなしたこの形にかれはおまえを創り給うたという意味です。

 人間の創造における奇跡的なバランス具合は、その身体構造や、頭脳構造、精神構造に表れています。それらは大地の後継者にふさわしい属性です。特に、人間の身体構造の完全さとその謎を語る多くの著作物は、医学生を数年間も学び舎に留めさせます。

 続いてクルアーンは、不信仰者の自惚れと主への不服従の原因を暴きます。その原因は、清算の日の到来は嘘であるとしていることです。「断じて、いや、おまえたちは宗教(裁き)の日について嘘と否定する。」カッラー(断じて):不信仰な者たちよ、アッラーの恩恵を軽視して、それを不信仰の口実としていることを恐れなさい!いや、おまえたちは裁きの日について嘘と否定する:アッラーがしもべたちの行為を量る、清算の日です。清算の日を嘘とすることは、世界を襲うすべての悪の原因です。もし人間がその日を信じれば、自分自身の行為を見張って、そして自分自身を清算し、アッラーが御怒りになるあらゆる悪から遠ざかることができたでしょう。

 そしてクルアーンは人間を囲っているアッラーの監視の細さに意識を向けさせます:
 「そしてまことに、おまえたちの上には監視者たち(天使)がいて、高貴な記録者たちで、おまえたちがなすことを知っている(監視者たちがいる)。」

 人々よ、おまえたちには行為を記録し、数えている天使の監視が付いているのだ、という意味です。各人間には二人が付いていて、右側に善行を書き留める天使、そして左側に悪行を書き留める天使がいます。「高貴な記録者たち」お前たちの行為を記している、という意味です。「おまえたちがなすことを知っている」彼ら天使はおまえたちがなしている善行も悪行も知っており、それらを数えている。だからこそ人間は、自分らの行為に監視が付かず、審判の日における清算もないまま、意味なく創造されたと思うべきではないのです。

 また、人間の行為を数えている天使は、高貴な被造物で、アッラーが御命じにことに背かず、また命ぜられたことを全て実行します。アッラーは彼らを光かお創り給いました。また人間は彼らを感じることができません。彼らの存在を信仰することは、アッラーが私たちに信仰を義務とされた不可視事項の一つなのです。

 続いて、天使の記録によって決定する人間の行きつく場所の解明に移ります:
 「まことに、敬虔な者たちは至福の中にあり、背徳者たちは焦熱地獄の中にいる。宗教(裁き)の日、彼らはそれにくべられ、そして彼らはそこからいなくなる(逃れる)者ではない。」

 敬虔な者たちは、アッラーから与えられた恩恵を天国で楽しみます。また敬虔な者たちとは、アッラーの御命令の実行に忠実で、篤信な人たちのことをいいます。アッラーに対する服従は、すべての善と、人間と社会のための善を含んだ徳を包括します。代わって背徳者たちとは、アッラーの御命令に背く多神教徒、あらゆる悪を合法とする人たちです。彼らの報いは地獄です。「宗教(裁き)の日、彼らはそれにくべられ」報復の日、彼らは地獄の暑さで苦しみます。「そして彼らはそこからいなくなる(逃れる)者ではない。」彼らは地獄から出ることはないという意味です。

 最後に、報復の日について述べ、それが重大事であることを、人間の頭脳がその真相を想像出来ないという描写によって表しています:「それから、宗教(裁き)の日が何であるかを、何がおまえに分からせたか。」

 ここで、報復の日の恐ろしさが、それが人間の想像に及ばない範囲にあるとの説明という恐怖の後に述べられています。

 そのため、人間はその日、他人にどのような益を提供することも、害を取り除くこともできません。すべての人はアッラーの手中にあるのです:
 「どんな魂も(他の)魂に対しなんの権限も持たない日。そして御命令(決定)は、その日、アッラーに属す。」

 あらゆる命令は、誰にも負かされることのないアッラーのみに属し、王たちは消え去り、権力、指導権も消え去ります。そして王権はおひとりなる御方、アッラーのみに属すのです。

(参考文献:ルーフ・アル=クルアーン タフスィール ジュズ アンマ/アフィーフ・アブドゥ=ル=ファッターフ・タッバーラ薯/ダール・アル=イルム リルマラーイーンP52~56)


あなたに書き留め続けられる、子孫の善行

2011年11月08日 | その他

最近、調子がいいのか、連続してブログ記事を更新しています、アルハムドゥリッラー♪

昨日も、登録しているMLから届いたことばの解説の一部をご紹介してみました。→ここ

Dr.ナーブルスィーは、朗らかな先生
日本人向けにお話をしていただいたこともありました。
留学中は、彼の先祖でもある、マスジド・Sh.アブドゥル=ガニー・アンナーブルスィーの近くに住んでいました、私。タラーウィーフでは毎日、1ジュズをイマーム(交代ですが)が読み上げていました。
古いマスジドは歴史とロマンを感じさせる素敵な作りです。
あぁ、また行きたいです…


イード・ムバーラク♪

2011年11月07日 | その他

アッサラームアライクム ワラフマトゥッラーヒ ワバラカートゥフ

一日遅れましたがイードのご挨拶です。
皆様が来る年も健やかに過ごせますように!

ハイ、本題は記事のご紹介です。

前のアムジャド博士が登場するシリーズの一つ目、親孝行についてです。

ここからページに飛んでください。

では( ´Д`)ノ


預言者伝25

2011年11月03日 | 預言者伝関連

82.相談し合う者たち:
  クライシュたちは進んで行くと、渓谷の近くに留まりました。ムスリムたちはバドルの近くに留まりました。すると、アル=ハッバーブ・イブン・アル=ムンズィルがやって来て言いました:「アッラーの使徒さま!ここは、アッラーがあなたさまを留め給うた場所ですか?あるいは、あなたさまご自身のお考えのもと、戦略としてここをお選びになったのですか?」預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)は答えました:「いいえ、戦略として選んだのです。」アル=ハッバーブは続けます:「アッラーの使徒さま!この場所は戦略に適しません。」そして彼は戦うのにふさわしい場所を示しました。預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)は言われました。:「確かにあなたは正しい意見を述べてくれました。」預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)と共にいた人たちは、彼が示した井戸の方へと移動しました。

  預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)と教友たちは、真夜中に先立って井戸に到着し、貯水池を作り上げました。そして預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)は水を求めてやってくる不信仰者にその使用を許可しました。
  アッラーはその夜、雨を降らせ給いました。多神教徒たちにとって、前に進むことを阻んでしまうほどの激しい土砂降りとなりましたが、ムスリムたちには慈悲そのものでした。大地は雨によって固められ、足元が強化され、心も引き締められたのです。これについて、アッラーは次のように仰せになっています:「かれはおまえたちに天から水を降らせ給うた。それでおまえたちを清め、おまえたちから悪魔の汚れを払い、おまえたちの心を引き締め、それによって足を確固たるものとなし給うために。」(戦利品章11節) 

83.戦の準備:
  アッラーの使徒(平安と祝福あれ)のために、戦場の砂丘の上に木陰が作られました。そして彼は戦場を歩き、ここは誰誰が、ここは誰誰が、と手で誰が亡くなるかを示し始めましたが、誰もその場所を動くことはなかったのでした。
  多神教徒たちが現われ、二者が顔を合わせた瞬間、アッラーの使徒(平安と祝福あれ)は言われました。:アッラーよ、クライシュはたくさんの馬と自らの栄光を携えて、貴方様に敵対しに来ました。また彼らは貴方様の使徒を嘘付きだとしています。
  それはラマダーン月の17日の金曜前夜でした。朝になるとクライシュは多くの軍勢で戦いに臨み、二者は列となりました。

84.祈願、謙遜、懇願、執り成し:
  アッラーの使徒(平安と祝福あれ)は列を調整して、木陰に戻りました。彼と共にいたのはアブー・バクルでした。アッラーの使徒(平安と祝福あれ)はアッラーに絶え間なく、懇願し続けていました。彼は、ムスリムたちがもし自分たち自身と自分たちの力に頼れば、結果がどうなるか、よく知っていたのです。数は少なく、弱い集団が強硬で多数の集団を前にした結果を。そして「アッラーよ!この少人数の一団をあなたが滅ぼし給うてしまったなら、地上ではあなたを崇拝する者はいなくなります!」と祈り、「アッラーよ!あなたが私に約束し給うた事を叶えてください!アッラーよ、どうか勝利をお授け下さい!」と叫びながら願い続けました。上着が肩から落ちてしまうほどに、預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)はその両手を天に掲げました。側にいたアブー・バクルは、彼があまりにも懇願するので慰められたほどでした。
  しかし最後には、奇跡的で素晴らしい勝利がもたらされたのでした。

85.これら二者は主(しゅ)について論争し敵対する者同士:
  続いてアッラーの使徒(平安と祝福あれ)は人々のところへ出て行き、戦うよう彼らを鼓舞しました。クライシュの中からウトバ・イブン・ラビーア、その兄弟であるシャイバ、その息子のアル=ワリードが出て行き、二列の間に来ると、戦いをムスリム側に申し入れました。そこにアンサールから3人のムスリムの若者が出ました。「おまえたちは誰だ?」とウトバ達は言いました。
「マディーナのムスリムだ!」
「我々はお前らに用はない。アブドゥルムッタリブ家の者を求める。」
預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)は言われました:「ウバイダ・イブン・アル=ハーリス(アブドゥルムッタリブの息子)、ハムザ、アリーよ、さあ行きなさい」
「よし、名誉ある者たちだ」と敵側の3人は言いました。
年長であったウバイダはウトバと戦い、ハムザはシャイバと、アリーはアル=ワリードと戦いました。ハムザとアリーはウトバとアル=ワリードを一撃で殺しました。ウバイダはシャイバを負傷させ、シャイバもウバイダに傷を負わせました。ハムザとアリーはウバイダがとどめを刺すところに間に合い、シャイバを成敗しました。その後、ハムザとアリーは傷を負ったウバイダを運びましたが、彼は殉教者として亡くなりました。

86.二組の競り合いと戦いの勃発:
  戦場は人々で埋め尽くされ、二つの集団が互いに近づき合います。アッラーの使徒(平安と祝福あれ)は言われました:「さあ皆の者、天と地ほどの広さの天国を求めて、突撃しよう!」


(参考文献:「預言者伝」、アブー・アルハサン・アリー・アルハサニー・アンナダウィー著、ダール・イブン・カスィール出版、P218~222)