あなたはどの種に属する罪人でしょうか。
信仰ある罪人の罪はどのように分けられるのでしょうか。
そしてそれらからの悔悟の方法、
主の御赦しと受け入れの程度とは?
【他人の罪の否認】
『罪はそれを犯していない者にとって災いである。それを非難すればそれによって試みられ(その罪を犯してしまうような状況に遭ってしまう)、それを中傷すれば罪を犯したことになり、それに同意すればそれを共有したことになるからだ。』
※信ぴょう性が低いとされるハディースですが内容重視のため引用します。
あなたではなく他人が罪を犯したとします。そこであなたが「誰々が何々をしたぞ。あんなことするべきではない!」と言いふらし、罪を犯した兄弟(が本来持っているであろう)の誠実さに傷を付け、人々の噂の種にしまったなら、このやり方であなたは彼を中傷したことになります。この形で他人の罪があなたにとっての災いになるわけです。代わってあなたが「おやまあ、あいつはすべきことでないことをやってしまった」と言ったら、あなたは彼が罪業を成したことに同意したことになります。学者たちは次のように言いました:罪を中傷することはそれに対する同意であり、おまえはそれを見つつも否認しなかった者と同等である」。罪から隠れていたのにそれに同意する者はそれを見ていた者と同じであるということです。罪を見てそれを非難する者は、罪から隠れているのと同じです。あなたが罪に同意することは、罪の持ち主と罪を共有することを意味します。アッラーがあなたをこの罪から救ってくださったことに感謝しましょう。
【他人の罪を包み隠しましょう】
誰かが罪を犯すのを見たら暴露せずにその人を覆い隠してあげましょう。アッラーは覆う御方ですからアッラーの完全さを見習いましょう。たくさん人が居る前ではなく直接彼に助言しましょう。兄弟が罪を犯すとき、あなたはそれに同意すべきではありません。同意すれば罪を共有したことになります。もし彼が不法にお金を得た場合、あなたは「すごいなあ」などと言うべきではありません。このような言葉は真実を失わせるものです。その行為を嫌い、その行為に同意してはいけません。
では罪を犯していない人に何倍も影響を与える罪を犯している張本人はどうでしょうか。不正は審判の日の暗闇です。ですから私たちは兄弟の誰かが罪を犯してしまったら、彼の許へ赴いて優しく親切に助言してあげるべきです。
ウマルのもとに、ある彼の友の一人が飲酒してシャーム方面へ旅したとの知らせが入りました。ウマルは彼に宛てた手紙に、「さて。まことに私はあなたのためにアッラー、罪を赦し、悔悟を受け入れ、その懲罰は厳しい御方を称賛する」としたためました。手紙を読んだ友は泣き始めました。つまり手紙は彼を悔悟へと誘ったのです。ウマルは言いました:おまえたちの兄弟が迷ってしまったら、このように振舞いなさい。決して彼に対する悪魔の援助者になってはならない。おまえたちは悪魔に対する彼の援助者にならなくてはならない。」
【暴露ではなく助言を】
第一にすべきことは、罪を犯してしまった兄弟に助言することです。助言と暴露は同一ではありません。罪について話せば中傷になります。罪を認めず、それは大きな間違いであると認識しましょう。
彼の罪を認めず、彼に助言することがふさわしいということです。
例えばあなたがある家に入ったとします。この家は非合法な金で出来ています。酒場や麻薬で得ているとしましょう。さてあなたは豪華な家や美しい家具を理由に彼に敬意を払いますか?いいえ。なぜなら稼ぎが非合法だからです。それらは他人の不幸で成り立っているからです。そのため私は罪を犯す高い地位にある人を見るとき、私は彼の地位のために彼に敬意を払うべきではありません。なぜならアッラーのもとで罪が彼を落とされる者たちの一人とするからです。
【非難すれば自分も試みられる】
罪を非難するとその罪で試みられることになるため、罪を非難すべきではありません。すべきことは、この罪から自分を護ってくださるようアッラーに祈ることです。私よりも頭の良い人が最大の罪を犯すこともあれば、宗教的知識を持つ者が罪を犯すこともあります。そのため私は罪を犯す人を見たら、至高なるアッラーにこの罪から私を護ってくださるように祈ります。そして罪を犯した人に助言します。私はその罪を認めず、現世における彼の外面のために彼に敬意を払うこともありません。そして最後に必要なのは、罪を非難しないことです。そうではなくアッラーに私がこの罪を犯してしまうことがないよう祈ることです。
【罪がその行為の主に与える影響】
まず己自身がどの種類の罪人であるのかを知りましょう。アッラーに背いて後悔する人、アッラーに背いて泣く人、アッラーに背きながらアッラーに背きたくないと思っている人がいますが、この類の人たちのことを心の学者たちは”打ちのめされた者”と呼びます。つまり自我に打ちのめされたということです。他には、執拗にアッラーに背き続ける人、誇りながらアッラーに背く人、罪を犯してそれを周りに知らせる人、喜びの頂点の中アッラーに背く人、毎日罪を犯したいと思いながらアッラーに背く人もいます。あなたはどの種に属するか知る必要があります。私たちの祖先であるアーダムもアッラーに背きましたが、
「またかつて、われらは以前にアーダムに約定を課していた。だが、彼は忘れ、われらは彼に決意を見出さなかった。」(ターハー章115節)アーダムは意識していたわけではなかったのでアッラーは彼を赦し給いました。代わって悪魔は背いて、
「私は変質した黒土のからからの粘土からあなたが創り給うた人間には跪拝したりはしません。」(アル=ヒジュル章33節)と言いました。
悪魔の罪は高慢と優越感から、アーダムの罪は弱さゆえに圧倒されて犯されました。そのためアッラーは仰せです:
「だが、彼は忘れ、われらは彼に決意を見出さなかった」(ターハー章115節)
【アッラーは誰の悔悟を受け給うか】
弱さのために罪を犯してしまったなら、悔悟はとても近いです。条件は罪が弱さから圧倒されて犯されたもので、アッラーへの服従に高慢に背くことでないことです。高慢にアッラーに背く人は自分の罪を後悔するどころかその罪を誇りに思います。アッラーに背くとき喜びの頂点にいて、この罪を再び犯そうと思っています。こういった類の人は悔悟しませんし、罪が赦されることもありません。この講義集ではこの類は扱いません。
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