ブログ久しぶり!元気にしてた?
更新していないとやっぱり閲覧数がぐーんと落ちるね。
あたりまえか。
今、北アフリカとイスラーム主義運動の歴史が分かる本を読んでいます。
早く読み終えられるといいのだけど。
イランやサウジアラビアのイスラーム主義運動については少し読んだので分かった。
この本のタイトルを見て、モロッコあたりにもそういう運動があるんだぁって(ほぼ)初めて知り、読まなきゃと思って読み始めた。
モロッコは私の半分のルーツだから、きちんとした歴史を知っておかないと。
以下、今まで読んだ部分で得た、知らなかった事実。
1.7世紀末までにアラブ軍はモロッコの大西洋岸まで進軍したが、ベルベル人の抵抗にあい続けた為、アラブは撤退を余儀なくされた。理論的にマグリブがアラブ帝国の一部になるのは、少なくとも711年以降である。
→ベルベル人の抵抗があったとは。(私が感じる限り、)現在の都市部ではアラブ系もベルベルも交じり合っていて、特に問題はなさそう。父親がベルベルで、母親がアラブ系っていう人多いし、ベルベルだけどベルベル語が話せない人、アラブなのに育った環境による影響でベルベル語が話せる人もいる。ちなみに数年前から、ベルベル語学習が義務教育課程に組み込まれて始まったらしい。ベルベル語は表記文字がないため、文字がわざわざ考案されたらしい。聞いた話によると、ベルベル族が自分たちの民族性を声にし始めていてそれが政治に影響を及ぼしているアルジェリアの情勢を考慮した王様が、このような教育を命じたとか。
2.マグリブのアラブ化とイスラーム化には長い年月がかかったが、イスラーム化は主にベルベル民族の仕事だった。(私はアラブ系)
→スペインに入ったイブン・ターリクがベルベル人の熱心なムスリムであったことはかなり有名ですね。
3.初期から起こっていたハワーリジュ派ベルベル人による反乱。(アルジェリアにハワーリジュ派が今でも少しいる。)
→イスラームはベルベル人にとってとても魅力的な宗教に見えたが、(侵攻してきたスンナ派)アラブに降参する意気地なしな態度をとれないプライドがあったため、スンナ派と対立していたハワーリジュ派と組んだりハワーリジュ派の教義を信奉するベルベル人がいたんだって。面白い。
4.ベルベル農民社会は、イスラームの教義を部分的に受け入れた独自の宗教を発展させた→自らを「最後の預言者」とする者の登場
→ムハンマド(s)が最後の預言者だっていつでもどこでも言っているのに、「オレ、預言者」と言って偽クルアーンを披露する嘘つきを平気で信じる人がやはりどこにでもいるようです。真の信仰をおあたえください、アッラー。
5.この事実を、イブン・ハルドゥーンなどが歴史書に載せている。
→良く考えたら当たり前なんだけど、知って驚いた。歴史家ってどうやって調べるんだろ。
6.13世紀以前の各王朝(ファーティマ朝、ムラービト朝、ムワッヒド朝など)は、宗教運動が元の、宗教と政治が一体となった体制を築いていた(支配権の宗教的正統性の確立済)が、ムワッヒド朝崩壊後に誕生した三王朝(マリーン朝、ザイヤーン朝、ハフス朝)は、どれも宗教運動が土台となっていない→政治と宗教の関係弱化、国家と社会の分離、支配権の宗教的正統性確立方法の模索の必要。
→13世紀以前の各王朝は、民衆の宗教に対する意識を変えて、国家建設(=権力横取り)をしたけれど、ムワッヒド朝以降はそうじゃなかったという事。
7.民衆の中に急速に浸透したのは、国家によって推し進められたマーリク派法学によるスンナ派ではなく、スーフィズム・聖者崇拝。
→無知であるほど後者に傾倒しやすいのは仕方がないことなのかもしれない。
8.モロッコの国家と社会に特異な性格を与えたのはシャリーフ崇拝とマラブー運動の結合。
→シャリーフ:尊い血統の持ち主。要に、ムハンマド(s)一族。
*************
聖者崇拝で私が見聞きしたこと:
モロッコには数多くの聖者廟があり、それぞれに得意分野があるらしい。この聖者のところに行ってお願いすれば病気が治るとか、頭が良くなるとか。
現地人から聞いた話によると、幼少時に食が細く、痩せていた彼女を母親がとある聖者廟に連れて行き、その周りの土を手にしては彼女に擦り付けていた。これで元気になる、ということらしいが、これは人間崇拝であり、イスラームではない。
眠くなったので以上。
やる気が持続すれば、続けます。
更新していないとやっぱり閲覧数がぐーんと落ちるね。
あたりまえか。
今、北アフリカとイスラーム主義運動の歴史が分かる本を読んでいます。
早く読み終えられるといいのだけど。
イランやサウジアラビアのイスラーム主義運動については少し読んだので分かった。
この本のタイトルを見て、モロッコあたりにもそういう運動があるんだぁって(ほぼ)初めて知り、読まなきゃと思って読み始めた。
モロッコは私の半分のルーツだから、きちんとした歴史を知っておかないと。
以下、今まで読んだ部分で得た、知らなかった事実。
1.7世紀末までにアラブ軍はモロッコの大西洋岸まで進軍したが、ベルベル人の抵抗にあい続けた為、アラブは撤退を余儀なくされた。理論的にマグリブがアラブ帝国の一部になるのは、少なくとも711年以降である。
→ベルベル人の抵抗があったとは。(私が感じる限り、)現在の都市部ではアラブ系もベルベルも交じり合っていて、特に問題はなさそう。父親がベルベルで、母親がアラブ系っていう人多いし、ベルベルだけどベルベル語が話せない人、アラブなのに育った環境による影響でベルベル語が話せる人もいる。ちなみに数年前から、ベルベル語学習が義務教育課程に組み込まれて始まったらしい。ベルベル語は表記文字がないため、文字がわざわざ考案されたらしい。聞いた話によると、ベルベル族が自分たちの民族性を声にし始めていてそれが政治に影響を及ぼしているアルジェリアの情勢を考慮した王様が、このような教育を命じたとか。
2.マグリブのアラブ化とイスラーム化には長い年月がかかったが、イスラーム化は主にベルベル民族の仕事だった。(私はアラブ系)
→スペインに入ったイブン・ターリクがベルベル人の熱心なムスリムであったことはかなり有名ですね。
3.初期から起こっていたハワーリジュ派ベルベル人による反乱。(アルジェリアにハワーリジュ派が今でも少しいる。)
→イスラームはベルベル人にとってとても魅力的な宗教に見えたが、(侵攻してきたスンナ派)アラブに降参する意気地なしな態度をとれないプライドがあったため、スンナ派と対立していたハワーリジュ派と組んだりハワーリジュ派の教義を信奉するベルベル人がいたんだって。面白い。
4.ベルベル農民社会は、イスラームの教義を部分的に受け入れた独自の宗教を発展させた→自らを「最後の預言者」とする者の登場
→ムハンマド(s)が最後の預言者だっていつでもどこでも言っているのに、「オレ、預言者」と言って偽クルアーンを披露する嘘つきを平気で信じる人がやはりどこにでもいるようです。真の信仰をおあたえください、アッラー。
5.この事実を、イブン・ハルドゥーンなどが歴史書に載せている。
→良く考えたら当たり前なんだけど、知って驚いた。歴史家ってどうやって調べるんだろ。
6.13世紀以前の各王朝(ファーティマ朝、ムラービト朝、ムワッヒド朝など)は、宗教運動が元の、宗教と政治が一体となった体制を築いていた(支配権の宗教的正統性の確立済)が、ムワッヒド朝崩壊後に誕生した三王朝(マリーン朝、ザイヤーン朝、ハフス朝)は、どれも宗教運動が土台となっていない→政治と宗教の関係弱化、国家と社会の分離、支配権の宗教的正統性確立方法の模索の必要。
→13世紀以前の各王朝は、民衆の宗教に対する意識を変えて、国家建設(=権力横取り)をしたけれど、ムワッヒド朝以降はそうじゃなかったという事。
7.民衆の中に急速に浸透したのは、国家によって推し進められたマーリク派法学によるスンナ派ではなく、スーフィズム・聖者崇拝。
→無知であるほど後者に傾倒しやすいのは仕方がないことなのかもしれない。
8.モロッコの国家と社会に特異な性格を与えたのはシャリーフ崇拝とマラブー運動の結合。
→シャリーフ:尊い血統の持ち主。要に、ムハンマド(s)一族。
*************
聖者崇拝で私が見聞きしたこと:
モロッコには数多くの聖者廟があり、それぞれに得意分野があるらしい。この聖者のところに行ってお願いすれば病気が治るとか、頭が良くなるとか。
現地人から聞いた話によると、幼少時に食が細く、痩せていた彼女を母親がとある聖者廟に連れて行き、その周りの土を手にしては彼女に擦り付けていた。これで元気になる、ということらしいが、これは人間崇拝であり、イスラームではない。
眠くなったので以上。
やる気が持続すれば、続けます。