イスラーム勉強会ブログ

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無明時代のアラブ半島の状態、宗教2

2018年11月30日 | 封印された美酒

彼(ﷺ)がお生まれになる前のアラブ世界の状態、特に当時の人々が信奉していた宗教についての続き:
ゆがめられたイブラーヒーム様の唯一神信仰からはずれて多神信仰・偶像崇拝していた人たちは、占師や占星術師の言葉も信じていた(もちろんイスラームでは禁止)。
無明時代を生きていた人たちはイブラーヒーム様の教えすべてを棄てたわけではなかった。神殿を神聖視し、その周りを回る(タワーフ)、巡礼(ハッジ)、小巡礼(ウムラ)、アラファの丘滞在、ムズダリファ滞在、犠牲は行っていた。
クライシュ族(ムハンマド様(ﷺ)もこの族から出ている)は、自分らはイブラーヒーム様の子孫であり、聖地の民、神殿の管理人、マッカの住人であることで他とは位が違う(自分らを”フムス”と呼んだ)としていた。そのため自分らが聖域から出ることは相応しくなく、そのためアラファにも(巡礼時に)行かないとし、アラファからではなくムズダリファから神殿へと移動したため、アッラーは彼らに関して次の聖句を啓示し給うた:【それで,人びとの急ぎ降りるところから急ぎ降り,アッラーの御赦しを請い願いなさい。】(2章199節)
その他にもクライシュ族は特別意識から自分らに色々と制約を設けていた。
こういった多神崇拝、偶像崇拝そして幻想、迷信への信仰が大概のアラブの信仰だったが、ユダヤ教、キリスト教、拝火教、サービア教それぞれは何らかのかたち(土地を追われて移住してきた、帝国との国境近くのアラブ人が影響を受けて改宗等)でアラブの中に入っていてもいた。
多分続く。


無明時代のアラブ半島の状態、宗教

2018年11月30日 | 封印された美酒

「封印された美酒」というタイトルの預言者ムハンマド(ﷺ)の伝記の簡潔版
著者はサフィーユッラハマーン・アル=ムバーラクプーリー(インド ムバーラクプリ生まれ2006年12月1日没)
復習のつもりで読み始めました。
預言者伝(本題)に入る前に、知っておくべき予備知識として、彼(ﷺ)がお生まれになる前のアラブ世界の状態、特に当時の人々が信奉していた宗教について。
本によると、当時のほとんどのアラブ人は、父の教えであったイスマーイール様の唯一神信仰に従っていたが、”フザーア族”の長(別ソースではマッカの長でもあった)であったアムル・イブヌ・ルハイがそれを変えた。アムルはシャーム地方(現在のシリア、イラクの一部、ヨルダン、パレスチナ地方)へ旅した際、その民が偶像崇拝しているのを見、正しいのだろうと理解した。なぜならシャーム地方は使徒たちや諸啓典ゆかりの地だからである。アムルは帰郷時に”バハル”(という名の偶像)を持ち帰り、カアバ神殿内部に設置した。そしてマッカの民をアッラーに同位者を配した崇拝へと誘った。マッカの民は彼に呼応し、まもなくヒジャーズの民もマッカの民を追従した。なぜならマッカの民は神殿の管理人であり、聖域の民だからである。(かつてカアバ神殿はアッラーの命によりイブラーヒーム様とその息子イスマーイール様が建立)
そして数多くの偶像が作られ、名前も付けられ、崇められた。
こうして多神信仰と偶像崇拝は無明時代最大の社会現象になった。かつてはイブラーヒーム様の教えに則っていると主張していた人たちだったにもかかわらず。
偶像崇拝には様々な儀礼があったが、その多くはアムル・イブヌ・ルハイが考案したものである。人々はアムルが考案したこと(偶像崇拝)は良き行為であり、決してイブラーヒーム様の教えを改竄するものではないと考えた。偶像礼拝の儀礼として以下がある:
1.熱心に祈る、頼る、困難時に助けを求める、お願いごとをする。偶像がアッラーに御許で執り成してくれる、願いをかなえてくれると思っている。(アッラーへの信仰もちゃんとあるところがイブラーヒーム様の教えが残っていることをうかがわせる)
2.偶像のもとへ巡礼しに行き、その周りを回る(タワーフ)。偶像の前では謙り、跪拝する(サジダ)。
3.様々な捧げものを偶像に捧げた。偶像の名のもとに動物を屠っていた。【食卓章3節】【家畜章121節】
...と続くが割愛。
感想:「アッラー」はその他の神々の上に位置する存在であると畏れられていた/偶像は執り成し役をしてくれる存在、間に入ってくれる存在(ダイレクトにアッラーにお願いするのは畏れ多いので間に入ってくれるありがたい存在的な?)/唯一信仰が失われてもイブラーヒーム様が神殿を建立したころからハッジという儀礼が行われていた/つまり昔の唯一神信仰が疑問視されたり間違っているとは偶像崇拝していても当時の人は思っていなかった/自分たちのリーダーが教えを変えるとすんなり従う民/

Iman Gülistan Jpさんの写真