兵士が恐れをいだくとは、なんと醜いことだろうか。清貧を装いながら現世を求める者のなんと醜いこと。
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かれの愛の甘さを知る前にこの世を去ることがないように。その甘さは、食べ物や飲み物にあるのではない。なぜなら、不信仰者と動物もそれらをあなたと共有するからである。天使とズィクル(アッラーを想う、アッラーの御名を唱える)の素晴らしさを共有し、アッラーのために彼らと一緒になることを目指しなさい。魂は欲望が放つものを受け入れ続けることは出来ない。魂が現世のごみ溜めに沈むと、ムハーダラに適さなくなる。それは、汚い人たちが罪の汚れでアッラーのハドラに入り込めないためである。だからあなたは恥事から心を清めなさい。そうすれば、不可視の戸が開かれるだろう。そしてアッラーに悔悟し、ズィクルと共にかれの許に帰りなさい。ドアをたたき続ければ、いつか開かれるものだ。親切心がなければ、私は決してこのことをあなたに伝えなかったのだ。
このドアは、あなたをかれのお近くまで運んでくれる。アッラーの唯一性を心が当惑しないようにしなさい。ズィクルする者の最初のレベルは、かれの唯一性を思い起こすことである。彼らがアッラーを想うとき、ドアが開かれるが、それ(かれの唯一性)を思い起こしているからである。当惑の心を持ちならがズィクルすると、追い出されてしまう。そうならないようにするには、二つの欲望を絶つことに頼るといいだろう:腹(食欲)と性欲である。あなたの魂以外にアッラーにおいてあなたに反抗するものはない。
あなたはなぜこんなにも被造物に愛着を持っているのだろうか。そしてなんとあなたは真実(アッラー)に持つ愛着度が低いのだろうか!
あなたにアッラーに対する親愛のドアが開かれたなら、あなたはきっと不思議な光景を目にするだろう:夜中の2ラカアの祈り、病人を見舞うこと、貧者にサダカすること、あなたの兄弟であるムスリムに協力すること、道から害を取り除くこと・・・これらはすべて親愛である。しかし剣には前腕が必要であり、あなたにとってズィクルより有益なイバーダ(崇拝行為)はない。なぜならそれは、年寄りやキヤームやルクーウやスジュード(すべて礼拝の動作の名前)が出来ない病人にも可能だからである。