1882年、ロングレーはシフト式QWERTYの、アルファベット文字位置の覚える量の少なさと、手指の運動の節約、スペースバー操作を親指で行えて手の運動量が少なくてすむ、といった特徴を、レミントン向け教本で指摘している。カリグラフ向け教本には、この点について触れていない。
http://www26.atwiki.jp/raycy/pages/224.html
カリグラフの複式鍵盤が現れたのには、
シフト式の特許を取得できなかったせいもあるのかもしれない。(安岡孝一本で要確認)
だが、機構が未熟・未精製の原油状態crudeであった時代、
直接打鍵のほうが操作がワンアクションでシンプルなこと、結果打鍵が早いこと・アラインメントが文字印字の仕上がりがきれいなこと、壊れにくいことが、シフト式に比較して、見込まれたってこともあろう。あと、材料選択もマレブル、タイプバーの軽量・軽快設計で、優れていた。アラインメント調整をユーザー自身でできるようにした、、。ってんでカリグラフも結構売れたし顧客満足度もわりと高かったのだろう。
そして、小文字はほぼQWERTY配列に準じてキーボードの中央部に配し、大文字はその外側に大文字出現頻度も考慮しつつ小文字キーの周辺に配置した。
(この指摘はディッカーソン報告の後半部分にある。http://www26.atwiki.jp/raycy/pages/225.html)
1889年ごろは、カリグラフや
ハモンドが、http://b.hatena.ne.jp/raycy/20100225#bookmark-19575994
われこそ最速とか、宣伝していた。
ハモンドがパリだったかで、賞をとったりしていた。1889年
http://b.hatena.ne.jp/raycy/20100314#bookmark-19979949
http://b.hatena.ne.jp/raycy/20100219#bookmark-19441918
実際、ハモンドが速かった時期もあったのかもしれない。
1890年ユニバーサル・キーボードという言葉が、ハモンドのオプショナル・オルタナティブ・取替え供給可能な配列として広告・宣伝に現れている。
http://b.hatena.ne.jp/raycy/20100314#bookmark-19979962
http://b.hatena.ne.jp/raycy/20100221#bookmark-19483454
タイプライタートラスト誕生以前から、QWERTYが支配的というかQWERTYから客を引っ張ってこようとしたのか、あるいは官公庁や学校・企業の入札条件にQWERTYなりユニバーサルが歌われるようになっていったのか、そういう流れになっていたのではないか。
公的機関組織など相手に営業するなかでは、カリグラフだけが、むしろ例外といった状況になってしまっていたのではないか。
なお、この、ハモンドの1890年のユニヴァーサル・キーボードの件は、安岡孝一ら著『キーボード配列QWERTYの謎』116ページにも「The "Universal Hammond" Typewriter★74(下) 『ユニバーサル・ハモンド』タイプ・シャトル式でダブル・シフト機構あり、1890年発売」として紹介されている。
ブリッケンスダーファーが出る。半visible。
米国内では事務用に販路はあまりなく、スモールオフィスや家庭用習い事用。文字セット・タイプホイールを交換して輸出用。
速度的には、おそいのではないか。押した感じがよくわからないのだが、その一押しが、すべてを、ノスタルジーの世界へと誘う、、ってのが、、実際押してみれば明らかなんだろうけれども、
http://blog.goo.ne.jp/raycy/e/16233594775abf988998262f2d553f09
ブリッケンスダーファーはその後、タイプホイールを軽くして回転とハンマリングへの慣性量を減らすためではないかもしれない、部品点数の少なさからくるマシンの軽量性・ポータブル性を強調するため軽量性に磨きをかけるために、材質アルミをフィーチャー・起用したり、電動もいち早く取り入れようと試みたこともあった。
それだけ、手動では重さ遅さ力不足の度合いがにタイプバー級に比較してよりひろがりつつあったってことだったんでしょう、。
IBMのタイプボール(タイプホイール)式は、材質にプラスチックを導入し電動だったからこそ、勝利しえたのであろう、
また、文字の配置が、高頻度文字が多分下段中央を中心にして配置されていたのではないかな、、要検討、、
両手でのタッチタイプに最適とは必ずしもいえまい、両手操作を考慮すれば、
こうした中、ほとんど唯一かと思われる、タイプバー式でのタッチタイプを考慮したであろう配列としてProutyのものがあった。
あるいはもうひとつ盲人用配列?もあったか、、。
Figure 3: Fitch (1886) (Beeching 74 p.44)
これらは、広まり試される機会を逸した、
でも、Proutyは機械式の制約下にあったし、盲人用配列のほうはどうなのかな機構的制約は考慮されていたであろうかどうか、、
Proutyは、また、スタガーで非対称から抜け出そうとした試みでもあった。また、センターに教養キーボードを置こうとした、、レミントンQWERTY系以来の物理配置に、物言いをつける、キー再配置提案でもあった。
1893年タイプライタートラストに、最初は8社合同が計画されていて、ハモンドは入るつもりだったのかどうか、。
http://b.hatena.ne.jp/raycy/20100313#bookmark-19960784
でも結局入らなかった。
そして、トラスト外のハモンドを含む4社で、第二ユニオンを結成しようとした。
http://b.hatena.ne.jp/raycy/20100314#bookmark-19980462
シフトなしでシンプル操作、慣れれば速い、堅牢、アラインメント調整がユーザー自身でできるようにしたってのが売りなカリグラフ。配列はサーキュラー配列・同心円状配列?とかあったようだったが、。
つまり、他の複式鍵盤がダブル・ユニバーサル、QWERTY重ねもちだったのに対して、大文字出現頻度を考慮して、小文字配列の周囲に配置したのも特徴。
やがて、単なる運動の観点は、体の動作記憶の観点に負けることとなったのか、、
かつてのレミントンのメカ品質は1流2流3流のどれか区別がつかないほどだったかも知れなかったかもだけれども、こと1896年に至って、時間が実績が、その優れていることをようやっと証明してくれているってな広告。
http://b.hatena.ne.jp/raycy/20100225#bookmark-19576209
シフト式の機構の洗練が進むほど、1882年にロングレーが指摘していたシフト式の特徴・スペースバー操作を親指で打鍵できるので動作が小さくてすむことが生きてきた。タッチタイプの浸透ともあいまって、、
1898年、カリグラフがダブル・ユニバーサル配列機を出した、とのこととは、安岡孝一氏指摘である。
1900年代、タイプライター・トラストとして、早いのはスミス、しっかりオーソドックス・レミントン、あともうひとつ、、たしか三機種を推した文があったとおもう。複式シフトなしが高速・シフトなしでシンプル操作ってな感じは、結構あとまで、あったのではないかな。
配列の話、シフト式かダブル・キーボード式か、タイプバー級かタイプホイール級か、これら三つについて論じなければなるまい。
そして、生き残ったタイプライターが
手動では、シフト式シングル・キーボード、タイプバー級だった。
電動では、シフト式シングル・キーボード、タイプホイール級だった。
背後には、用途の拡大・業務書士用から一般考える用へ拡大、ユーザー層の拡大・素人へあわせる傾向、、
要求水準の上昇、打鍵速度の機構的上界、打鍵速度の楽さ軽さ、
タッチタイプ・鍵盤見ず打鍵の容易性 鍵盤数、指本数、手の大きさ、
スペースキーの打ちやすさ
http://www26.atwiki.jp/raycy/pages/224.html
カリグラフの複式鍵盤が現れたのには、
シフト式の特許を取得できなかったせいもあるのかもしれない。(安岡孝一本で要確認)
だが、機構が未熟・未精製の原油状態crudeであった時代、
直接打鍵のほうが操作がワンアクションでシンプルなこと、結果打鍵が早いこと・アラインメントが文字印字の仕上がりがきれいなこと、壊れにくいことが、シフト式に比較して、見込まれたってこともあろう。あと、材料選択もマレブル、タイプバーの軽量・軽快設計で、優れていた。アラインメント調整をユーザー自身でできるようにした、、。ってんでカリグラフも結構売れたし顧客満足度もわりと高かったのだろう。
そして、小文字はほぼQWERTY配列に準じてキーボードの中央部に配し、大文字はその外側に大文字出現頻度も考慮しつつ小文字キーの周辺に配置した。
(この指摘はディッカーソン報告の後半部分にある。http://www26.atwiki.jp/raycy/pages/225.html)
1889年ごろは、カリグラフや
ハモンドが、http://b.hatena.ne.jp/raycy/20100225#bookmark-19575994
われこそ最速とか、宣伝していた。
ハモンドがパリだったかで、賞をとったりしていた。1889年
http://b.hatena.ne.jp/raycy/20100314#bookmark-19979949
http://b.hatena.ne.jp/raycy/20100219#bookmark-19441918
実際、ハモンドが速かった時期もあったのかもしれない。
1890年ユニバーサル・キーボードという言葉が、ハモンドのオプショナル・オルタナティブ・取替え供給可能な配列として広告・宣伝に現れている。
http://b.hatena.ne.jp/raycy/20100314#bookmark-19979962
http://b.hatena.ne.jp/raycy/20100221#bookmark-19483454
タイプライタートラスト誕生以前から、QWERTYが支配的というかQWERTYから客を引っ張ってこようとしたのか、あるいは官公庁や学校・企業の入札条件にQWERTYなりユニバーサルが歌われるようになっていったのか、そういう流れになっていたのではないか。
公的機関組織など相手に営業するなかでは、カリグラフだけが、むしろ例外といった状況になってしまっていたのではないか。
なお、この、ハモンドの1890年のユニヴァーサル・キーボードの件は、安岡孝一ら著『キーボード配列QWERTYの謎』116ページにも「The "Universal Hammond" Typewriter★74(下) 『ユニバーサル・ハモンド』タイプ・シャトル式でダブル・シフト機構あり、1890年発売」として紹介されている。
ブリッケンスダーファーが出る。半visible。
米国内では事務用に販路はあまりなく、スモールオフィスや家庭用習い事用。文字セット・タイプホイールを交換して輸出用。
速度的には、おそいのではないか。押した感じがよくわからないのだが、その一押しが、すべてを、ノスタルジーの世界へと誘う、、ってのが、、実際押してみれば明らかなんだろうけれども、
http://blog.goo.ne.jp/raycy/e/16233594775abf988998262f2d553f09
ブリッケンスダーファーはその後、タイプホイールを軽くして回転とハンマリングへの慣性量を減らすためではないかもしれない、部品点数の少なさからくるマシンの軽量性・ポータブル性を強調するため軽量性に磨きをかけるために、材質アルミをフィーチャー・起用したり、電動もいち早く取り入れようと試みたこともあった。
それだけ、手動では重さ遅さ力不足の度合いがにタイプバー級に比較してよりひろがりつつあったってことだったんでしょう、。
IBMのタイプボール(タイプホイール)式は、材質にプラスチックを導入し電動だったからこそ、勝利しえたのであろう、
また、文字の配置が、高頻度文字が多分下段中央を中心にして配置されていたのではないかな、、要検討、、
両手でのタッチタイプに最適とは必ずしもいえまい、両手操作を考慮すれば、
こうした中、ほとんど唯一かと思われる、タイプバー式でのタッチタイプを考慮したであろう配列としてProutyのものがあった。
あるいはもうひとつ盲人用配列?もあったか、、。
Figure 3: Fitch (1886) (Beeching 74 p.44)
これらは、広まり試される機会を逸した、
でも、Proutyは機械式の制約下にあったし、盲人用配列のほうはどうなのかな機構的制約は考慮されていたであろうかどうか、、
Proutyは、また、スタガーで非対称から抜け出そうとした試みでもあった。また、センターに教養キーボードを置こうとした、、レミントンQWERTY系以来の物理配置に、物言いをつける、キー再配置提案でもあった。
1893年タイプライタートラストに、最初は8社合同が計画されていて、ハモンドは入るつもりだったのかどうか、。
http://b.hatena.ne.jp/raycy/20100313#bookmark-19960784
でも結局入らなかった。
そして、トラスト外のハモンドを含む4社で、第二ユニオンを結成しようとした。
http://b.hatena.ne.jp/raycy/20100314#bookmark-19980462
シフトなしでシンプル操作、慣れれば速い、堅牢、アラインメント調整がユーザー自身でできるようにしたってのが売りなカリグラフ。配列はサーキュラー配列・同心円状配列?とかあったようだったが、。
つまり、他の複式鍵盤がダブル・ユニバーサル、QWERTY重ねもちだったのに対して、大文字出現頻度を考慮して、小文字配列の周囲に配置したのも特徴。
やがて、単なる運動の観点は、体の動作記憶の観点に負けることとなったのか、、
かつてのレミントンのメカ品質は1流2流3流のどれか区別がつかないほどだったかも知れなかったかもだけれども、こと1896年に至って、時間が実績が、その優れていることをようやっと証明してくれているってな広告。
http://b.hatena.ne.jp/raycy/20100225#bookmark-19576209
シフト式の機構の洗練が進むほど、1882年にロングレーが指摘していたシフト式の特徴・スペースバー操作を親指で打鍵できるので動作が小さくてすむことが生きてきた。タッチタイプの浸透ともあいまって、、
1898年、カリグラフがダブル・ユニバーサル配列機を出した、とのこととは、安岡孝一氏指摘である。
1900年代、タイプライター・トラストとして、早いのはスミス、しっかりオーソドックス・レミントン、あともうひとつ、、たしか三機種を推した文があったとおもう。複式シフトなしが高速・シフトなしでシンプル操作ってな感じは、結構あとまで、あったのではないかな。
配列の話、シフト式かダブル・キーボード式か、タイプバー級かタイプホイール級か、これら三つについて論じなければなるまい。
そして、生き残ったタイプライターが
手動では、シフト式シングル・キーボード、タイプバー級だった。
電動では、シフト式シングル・キーボード、タイプホイール級だった。
背後には、用途の拡大・業務書士用から一般考える用へ拡大、ユーザー層の拡大・素人へあわせる傾向、、
要求水準の上昇、打鍵速度の機構的上界、打鍵速度の楽さ軽さ、
タッチタイプ・鍵盤見ず打鍵の容易性 鍵盤数、指本数、手の大きさ、
スペースキーの打ちやすさ