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大東亜戦争の数学。数学動員に関する時系列分析

2008-03-31 18:35:40 | LinkRecords
→ 大東亜戦争の数学。
第二次世界大戦期に於ける日本人数学者の戦時研究 (数学史の研究).木村 洋
数学動員に関する時系列分析
 1943 年に至って, この状況は変化する.
 軍部は1943 年に奥多摩に一般の科学者を集めたという. この会合では数学者では暗号関係として小野勝次,他に成瀬政男などが出席したとされる. この場において, 初めて軍部が民間の協力を要請した. 同年春には, 数理統計学者が陸軍の委託を受けて戦時研究を開始した. 同年7 月には, 陸軍が民間の数学者と暗号に関する初会合が開催され, 数学者が日本数学物理学会仙台例会の席上, 軍部に協力できることはないか議論された.同年11 月には, 戦時研究について「数学は一寸手の出し様がなくて, 今まで割に関係がなかったのですが, 今度航空技術協会の中に航空数学部会といふのが出来たりして, 殆ど皆, 何らかの形で協力することになって来たやうです」という安倍亮の記述が現れ, 同年末に至って, 学術研究会議に戦時研究班が創設される. 1944 年に至って, 軍部は東大数学科に弾道計算と暗号研究を依頼し, 同年4 月3 日には陸軍数学研究会力􂴧発足した.

 このような軍部の対z の変化(即時的有効性の要求) は, 戦局から自明に説明可能であろう.
 日本で数学動員が遅れた原因は, 欧米ど異なり第一次大戦で研究動員を行った経験が無力‘つたことも一因であるが, 外部の協力を仰ぐという発想自体が軍部に欠如していた事実を看過すべきではない. 1941 年12 月1–彌永昌吉[83] は, 同年の学術研究会議数学部応用数学部会設立に触れて『7 戸肋の眞似ではないが」と書き,平田少佐[48] が1943 年に数理統計学的手法の軍部への導入を始めた事について「敵の眞似をする意圓[よなし‘が」と書いているように, 数学動員は後手に回っている. この遅延は, 研究動員の価値を当局が正確に認識していなかった事, 及ひ軍事機密に民間人学者を近づけるべきではないという当局の判断に起因すると推測される.また, 数学者による戦時研究は物理学・工学などの分野で解決していないものが持ち込まれるという性質を有するため, これらの分野の本格的研究動員がなされる前に大規模な数学動員が行われることはあり得ない.
 一般に, 科学技術の存在意義が明確になるのは, その有効性が巷間に認知されてからである.
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