2011年9月の「ウォール街を占拠せよ」での光景から。
私たちは“99%”だ――ドキュメント ウォール街を占拠せよ | |
『オキュパイ!ガゼット』編集部 (編集), 湯浅 誠 (その他), 肥田 美佐子 (翻訳) | |
岩波書店 |
2011年9月17日、「ウォール街を占拠せよ」を合言葉に、貧困・格差の是正を求める運動が始まった。極端な経済格差に耐えかね、若者たちが声を上げたのだ。「占拠」に共感を寄せたS.ジジェク、J.バトラー、A.デイヴィス、R.ソルニットらの発言・エッセイと、ニューヨークをはじめとする全米各地の運動経過により、「占拠」の始まりの2か月間を活写する。
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森川文人弁護士とのラディカルとリベラルの対話シリーズ5です。
さっそくどうぞ。
私は、今、「いわゆる護憲派」ではないし、立憲主義を守りたいとか、民主主義を守りたいとかは、特に「目的」にはありません。もちろん、いまの憲法はブルジョア憲法であれ、相対的には良いものだと思っているので、これを今、改憲しようという政府の目的は「戦争する国」作りで、いつか実効性を持つでしょうから、もちろん反対です。それゆえ、「改憲反対」であり、その限りで、「立憲主義」でも、「民主主義」でも、心に響く「ロジック」は利用し、使っていきたいと思ってはいます。小林節さんら3人の憲法学者の登場が世の中にインパクトを持ったことは意外であり勉強になりました。
というのは、私にとって、違憲だとか合憲だとかは、自分の考えの中身を規定するものではないからです。
私が守りたいのは、自分の家族と仲間です。そして、仲間は世界中にいます。そのために、民主主義でも憲法でも利用する、ということです。時には暴力と呼ばれる有形力だって必要かもしれません。
では、「誰から」守るか。「誰が」私たちを危機に晒すのか。私の実感では、1%の独占資本とその意を受けた政府です。ピケティに指摘されるまでもなく、世界の富は歪つに偏在し、さらにその歪さが拡大されようとしています。
日本でも「労働力の流動化」と謳い、非正規化を極端に推し進め、甲状腺ガンが増え続ける福島の子ども達を見ないふりして原発を再稼動しようとしているのは大資本と政府です。「賃金奴隷」に陥れられ、放射能汚染に晒され、あげくに自分の利害に関係のない殺し合いに参加させられるのは99%側の私たち、です。
この1%側からの「搾取」「分断」に対して、私たち99%の生活を守らなければなりません。今やこの「1%vs99%の階級対立」は世界中で歴然としています。
しかし、この対立を見えなくさせるもの、があります。それが、戦争であり、排外主義的なナショナリズムです。
1%と99%の階級的かつ非和解的対立を内包している日本を、「ここは、ひとつ、がんばれ、ニッポンで」みたいな形で「回収」しようとします。
そして、これが抗いがたいのです。かなり意識しないと「日本」という主体意識に飲み込まれてしまいます。
私は、階級闘争により、99%による、99%のための社会を作りたいと考えているのであって、1%側に支配され続けたいわけではありません。そして、私が守りたいものを守るためには、1%現在、合法化して独占している富や暴力を奪還(もしくは分配?とりわける?シェア?)する必要があるとも思っています。
暴力だって、一方的に取り上げられたままで自分たちで「使用可能」な状態じゃないと、そもそも「非暴力」も「選択」できないでしょ?
・・・これも憲法で保障されている自由な思想・発想だと思いますけど、こういうのを「暴力主義」とか「体制外思想」だとか「非合法路線」だとして排除されたり、もしくは、勝手に「小異」にされて、大同団結させられるのはイヤです。実際、そういう曖昧な集まりは力にならないと思います。
大衆の中に歴史的に蓄積されている思想というのは、マスコミや学校教育で流通するものより、もっと豊潤で深遠なものです。簡単に括ってしまうことはできないと思うのです。
「私の思想」も、憲法の「思想良心の自由」に依拠しているのではなく、私の思想を憲法が守っている(限り)、その憲法は、良いものだということです。
戦争法制の整備も、改憲も、政府にとって「手段」であって、「目的」ではありません。問題は、戦争法制を整えて何をしたいのか? ここを見定めて、闘うべき相手、つまり、私たちの守るべきものを侵害しようとする相手と闘うしかないと思います。
世界中で、同じように不安定な雇用、さらには失業状態に苦しみ、年金さえカットされようとしている人たちがいます、ギリシャにも韓国にも、そして中国やアメリカにも。
そのため、世界各国で政府は、自国民を排外主義に巻き込むのに必死です。「我が国のため」「祖国のため」というキャッチコピーは、「入りやすい」ですからねえ。
しかし、今、「国家」とは何か、無窮の前提なのか、と考えるべきときだと思います。「国家」「民族」「人種」で何が言えるのか?、です。
そして、私は、国家のために死ぬ気なんてさらさらないし、同じく民主主義のために死ぬ気もありません。いずも、私たちが生きるための「制度」であり「道具」にすぎません。イマドキの言い方だとプラットフォーム?
私は、それよりも大事なもの、があるだろう、それは世界中の99%の人たちと同じ、私たちの「日々の営み」だと思います。働いても働いても展望が持てないような1%のための新自由主義の時代は納得できません。
今、「安倍打倒」で大衆的な怒りが盛り上がりつつあると思います、老若男女、すごいことです。この人々の怒りの中に豊かな可能性があると思います。別に「集団的自衛権」どうのこうの、「存立事態」どうしたこうしたに拘っているわけではなく、「お前らの都合の戦争に使われるなんてふざけんなあ!」辺りが、みんなの最大公約数的な想いではないでしょうか。
だとしたら、私たち一人一人は、自分の考えを明らかにすればいい。「いや、そう思うんだけど、これはまだ受けられない(だろう)から・・・」なんて思うのは、「自分自身」がそれを受け入れていないからかもしれません。
しかし、歴史的に大衆はどんどん先を行っているものです。自分が躊躇している間に抜かされるかも。私は、どんどん、自分の意見を表明しながら、みんなと合流していきたいと思います。
ウォール街を占拠せよ―はじまりの物語 | |
ライターズフォーザー99% (著), 芦原 省一 (翻訳), 高祖 岩三郎 | |
大月書店 |
「タハリール体験の準備はいいかい?」―世界各地の蜂起に呼応し、資本主義の中枢で起こった「占拠」。直接民主主義の時代の到来を告げ、さらに展開する運動の担い手自身が語り記したインサイド・ストーリー。
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【自信の無さ】と【アイデンティティーの広がり】は比例してるような気がします。
でも難しいのは、自分自身にのみ適用すると「冷たい人」だと叩かれ、国家まで広げると「ナショナリスト」だと叩かれることですかね。
というか、叩く行為そのものが「空気を読め」ってことなんでしょうけど、選択の自由が無いようで生き辛い社会ですね。