何で大人がいないか?そりゃ公共圏が失われたからだろ。
公共から「社会的空間」というのがどんどん失われたら当然そういう結果になるわけで昔はそういうものがいっぱいあった。それこそ今日のタイトルの銭湯なんか子供から老人まで色んな人が出入りする空間であり、世代によっての価値観の違いを知る場所やその地域の社交的な文化を共有する場だったわけでそういう場所が無くなってきたわけだ。とはいえそういう社会が消滅する事が権力者のやりたい放題を認める社会にするのか?というと微妙な気がする。結局そういうものは必ず何処かで行き詰る。安倍晋三のお友達で大金を手にした人でも本当に幸せに暮らしているか?というと実はそうでも無いような気がする。だって安倍晋三という無能な政治家のせいで日本の国力は低下し日本の通貨価値も下がってしまった。昔は1000円あれば買えたものが今は1万円とか、手に入れた金の価値も下がってしまった。そうなると金があっても手に入る幸せは昔思い描いていたものよりずっと安っぽいものになってしまっていてどんなに頑張っても理想に近づけないわけで、安倍晋三の場合は奈良でああいう形で死んで終わったが中国の場合はどうなるか?社会の方が行き詰って「高い理想に残念な現実」という北朝鮮のような結果が見えてくれば何処かで軌道修正が働いて結局最後はまた民主的な方向へ引き戻されると思うんだが。