レダック ピースボートに乗る

2014-04-22 06:04:47 | 日記
ゴメン、船から衛星中継でのインターネットでは写真は重すぎて送れないそうです。もう一度再編集した時に入れる準備だけしました。
その2 ピースボートで地中海クルーズ゛ 
④ トルコ クシャダス エフィソス遺跡観光 
4/14(月)アカバ乗船組にとって、エジプトに替わる最初の寄港地はトルコのクシャダスという港は、トルコ第3の人口のイズミールが近く、近くのエフィソス遺跡が有名(だそうだー知らなかった)。事前のオプショナルツアー(以下OP)募集に申し込み(6千円)。  以下、同じやり方だが、OP参加者は、知らされ時間に指定された場所(たいてい一番広いブロードウエイという間)に集められ、誘導されて舷門でIDカードを通し、バス乗車口でツアー参加を証するバウチャーを渡す。各バスごとにピースボートのスタッフ、現地ガイド、通訳がおり、例の赤組など行動単位としての色マークが渡される。
この遺跡は、1世紀前後につくられたものとのことだから、当然ローマ帝国の様式が主となり、図書館(写真353)、共同トイレ(社交場でもあった)、公衆浴場などの遺跡、彫像が割合保存状態よく残っている。頭がペトラと混乱しかけるが、ここでのおもしろいは二つ。
 ①スポーツのブランドのナイキはローマ字表記すればNIKEでニケとも読める。首の欠けたサモトラケのニケは有名な彫像だが、ローマ神話ではニケは勝利の女神。「レ」の後ろを引っ張るデザインはこの(写真352)に明らか。
 ②世界最古の宣伝広告が足型。分かりにくいが右下の人の膝あたりを無視してハート形も見える?(写真363) 足をもう少し延ばせば「売春宿」がありますよ、というデザイン、この時代からハートマークが使われていたというのもビックリ。
 朝8時からのコースであったので、港帰着は昼過ぎ、トルコ人ガイドに頼んで「ケバブのサンドイッチのおいしい店」を紹介してもらい、10数人が付き従う。確かに回しながら焼く牛肉と鶏肉の塊を切り取ってはさみ込んだサンドは旨かった。トルコリラは持っていないので支払いはドルかユーロ。先に払った夫婦は4ドルと言っていたのに私らの番になって「5ドル」と言う。抗議する。4ドルでよくなった。大阪をなめるなよ。スーパーを探しに街をぶらつくことにする。一緒にサンドイッチを食べていたおじ(い)さんがついてきて、「私はユーローで3ユーロ―支払った」と訴えかける。知らんがな! 確かに400円ちょっとと、500円以上でおかしいが、「抗議したらよろしいがな」と言ったら、「まあ、大したことないし・・」と言いいながら付いてくる。結局、スーパーで買い物をし帰り道の途中まで一緒に行動した。
船内のインターネットは衛星頼みでなかなかつながらないこともあり、一度帰船してWiFiフリーの店で食事をすることにした。カラマリや煮魚、サラダでなかなかのものだったが、おかげで作業途中で帰るべき時間となり、インターネットの悩みは解消されないまま、トルコから離れることとなった。

⑤ ギリシャ ミコノス島 
4/15(火) 朝から船内TV(そうTVもあるのです、この船専用)では、ジュディ・オングの「ウインズ イズ ブローイング フロム エイシャ」をやっていたそうだ。エーゲ海を南西?に突っ切り、ギリシャ最初の寄港地はミコノス島である。島の建造物全体がすべて白いことで有名で、デュロス島へのOPなどもあるが、島内見学、自分らで独自にフェリーを使って行けるならデュロス島へも行こうという計画だった。ところが行き違いで妻と離れ離れになってしまい、一人観光をする羽目になった。また、フェリーの乗り場を探し当てて得た情報では、一般客のフェリーはオフシーズンだから朝の2便もうないとのこと。仕方ない。街に踏み入る。店・家の屋根を白一色で統一されているばかりか、迷路のようになった道も白く塗られている。規制がかかっているというより、これが観光資源だと認識し自主的に「白さ」を競っているかのようだ。遊歩中に家の壁や道路を白く塗っている場面に3回も出くわしたのだから。道幅は3mくらいのところが多いが、やっと対向できるくらいのところもある(写真376)。そこを車が通っていく。直線の道など無いに等しく見通しがつかない。ピースボートからバスで運ばれてきた千人ほどが、好き勝手に歩いているのだから、いたるところで遭遇しては、お互いにすれ違いながら、情報交換をする。そうやって、私もミコノス島のもう一つの目玉である風車小屋跡にたどり着いた。眼下の清澄なエーゲ海からきりたつ崖の上の一画に数軒の風車小屋が並ぶ。日本のそれと違って二重の円の枠に10本くらいロープが張ってある。「何だ、これは?」と訝ったが、そのロープに風をはらむ布を結びつけるのだ(写真377)。穀物の臼ミルとして使っていたのだが、今は観光用のシンボルとしてしか機能しておらず、錠が下され布もはずされているのだ。そして、向こうのほうでビデオカメラをまわしているのは・・妻だった。どちらが悪いというケンカにならずホッとした。今度は二人で街中を彷徨ううちに、妻が言った。「岩だけで、土がない」 そうなんですね。ペトラの砂岩、エフィソスも砂岩や石灰岩・大理石、そしてこの島、このあたりの文明は岩で築かれている、なんて言っちゃっていいのかな?
デ、ジエラート、ヨーグルトを食べ、土産物屋を冷やかしながら、民俗博物館に行ったが、これもオフシーズンにつきお休み。それなら、帰りのバスの乗り場付近の博物館に寄ろうということにしたが、これが大正解。教科書にもよく出てくるギリシャ土器の復元したものや、彫像などが並べられている。私ら二人ともう一人英語を喋る女性の3人だけの入館者に、受付のおじさんが、多分かつての学芸員と思わせるような熱心さで説明してくれた。目の保養、話のタネになった。(写真387)
デ、この日も爆睡。 

⑥ ギリシャ ピレウス 「パルテノン神殿とプラカ散策」
 4/16 今日の寄港地は、ミコノス島から、ギリシャ本土、アテネの外港として2500年の歴史を持つピレウスである。私は標記のオプションのコース(11000円)、旅行経験のある妻は単独行動で博物館めぐりと、行動を別にした。このコースの参加者はバス5台分、今日はグリーン組となったが、一人なので、座席もゆったりしておりグリーン車並みであった。たしかに、アテネ市内の至る所に神殿等の遺跡、モニュメント、人物の彫像等が見られる。アテネ人のガイドさんはギリシャ神話を交えながら、要領よく説明してくれる。聞いた話で物知り顔に講釈するのが目的でないので、神話や名所案内は、例により省きます。ただ、アテネ神誕生のいきさつや、海神ポセイドンとの争いなどはおもしろかった。小高い丘の街を意味するアクロポリスにそびえるパルテノン神殿は、やはりとてつもなく巨大なものであった(写真403)。僕が観光で感動するのは、人知を超えて圧倒する自然そのもか(私の中でのNO1はイグアスの滝と思う)か、それに立ち向かうかのような人工物だ(万里の長城は素直にスゴイと思っている)。古代から、そのような巨大な物への畏怖、巨大なものを作りたいという願望は強かったのではないか。僕もそういった意味では古代からの心性が宿っているのかもしれない。(ドバイや上海のように乱立すればやりすぎと思うが)。パルテノン神殿そのものもそうだが、登りきる途中で説明された眼下の街並みの中に見える神殿(名前は忘れた)のところではさすがに興奮した。その前のアゴラこそがかつてソクラテスもたむろしていた場所(写真410)という。団体行動で残念ながら行く時間はなかったが、時空を超えて近接したという感動がある。20年間ほど「青年期の特徴」のあと「ギリシャ哲学」でパラドックスで生徒たちを煙にまいた後、登場していただいたのがソクラテスだったわけで、いわば飯のタネの恩人の一人なのです。(ト、だんだん正体を自己暴露していきます。ア、ソウソウ。ついでながら、卒業生の諸君、80日間を実感するため、あごひげを伸ばし始めました)
 デ、アテネ市内の繁華街プラカでお食事ということだったのですが、博物館を探しあぐねている妻とバッタリあったのはお互いにびっくり。
 3日連続の観光地回り、やっぱり疲れました。

⑥ 洋上生活―<2>
 さて、観光するだけでなく、ピースボートがピースボートたる所以は、寄港しない航行日によくあらわれている。ちなみに、立て続けに3日連続寄港し、また一日おいて3日連続寄港することになる、4月17日(木)の私の日程をご紹介しよう。いやはや、体力は使わないが結構ハードなお勉強日で、とても休養日とは言えない。
 ちなみに◎は全員参加、○は自主参加であるがせっかくの機会だから参加しておいたほうがお得、×はクラブ活動みたいなもの、まったくの自主参加。高校の単位で言えば◎は必履修科目、○が選択科目といえるが、卒業単位として不可欠ではなく何もとらなくてもいい。だから食事時間以外、いつのぞいても麻雀をやってる爺様・婆様もいる。妻は、私のメニューの以外にスペイン語とタイ語の集まりにも参加、サルサにも参加。よーやるでー。
5:30~ 起床、洗面、×部屋で体操(風強くウオーキングできず)
6:40~8:00 朝食(9F)、接続悪いインターネットに挑戦したが、うまくいかず
8:30~9:45 ◎避難訓練(救命胴衣をもって集合点呼。その後の行動指示不明確でイライラ、救命艇の下まで行くもデッキで待つだけ、寒い!耐寒訓練のよう)
10:00~11:20 ○日本のニュース⇒ジャーナリストが水先案内人の一人として、3/13以後のニュースを伝達
11:30~ この間に昼食(献立を見て9Fへ)
12:30~13:45 ○パレスチナレポート2014⇒パレスチナ人のNGO代表、当事者としてイスラエルの入植settlements問題、分離壁・検問所を設けて移動規制、パレスチナ人の拘束問題を報告。ここまでひどいとは、知らなかった、絶句。
14:15~15:45 ○旧ユーゴスラビアへの扉⇒この地に30年関わる日本人ジャーナリストによる入門、寄港するクロアチア ドブロブニクを中心に、クロアチア人の証言も加味した解説。全く知らなかったバルカン半島の歴史。戦争起こすなという強いメッセージ
16:00~16:40 ◎航路説明会 今後の航路 明日からの3日連続の寄港地について
17:00~18:00 ×運動(腹筋・レッグイクステンション、アップ1Km8分、快調走3Km18分)シャワー
18:20~19:00 夕食+生ビール(4F) 後休養
20:00~21:00 ○ユーゴ紛争1991⇒昼間の続き。民族紛争と言いながら、クロアチアとセルビアは同根であるとの言説
21:30 ×ブログ書き、22時半やっと眠れる