レダック ピースボートに乗る

2014-05-11 23:16:08 | 日記
その3 大西洋横断 ラテン・アメリカ編
① 洋上生活<4>(4/27~5/6)
(続編ですが、一部前回を修正しました)
 カサブランカを出港し、いよいよ大西洋横断が始まる。ベネズエラに着くのは5/7になるので、10日間というかつてない長い洋上生活となる。やはり外洋は波高し!4/28から妻は船酔いでバテはじめたが、食事節制で活動は続けている(僕は平気)。
船内のお堅い講座は、ラテン・アメリカ(以下ラ米)の現代史を、特に米国との関係で解説する例のジャーナリストIさんの連続講座が中心となる。19世紀末の米西戦争でスペインに代わる米帝国主義の支配に対し、シモン・ボリーバルの理想を引き継ぐ形でカストロと盟友チェ・ゲバラが、さらにベネズエラのチャベス前大統領が具現化し、今状況は米・カナダをいれた米州機構(OAS)か、この両国を除外したカリブ海・南米機構(CELAC)との闘いと彼は見る。反チャベスのクーデターが民衆蜂起で失敗に終わったというフィルムも含めて、ひきつけられる講座となっている。
そして、乗客を飽きさせないようにピースボートは二つの大きな仕掛けも用意した。洋上運動会を5/2に、そして文化祭を5/6に開催した。いままでほとんど接触もせずよく分からなかった若者が、がぜん前面に出て輝きだしたのである。はしゃぐシニアを巻き込んで、船内活動は応援団ムード一色。今回が83回のピースボート就航であるから、さすがに長年の経験からうまく乗客を乗せるコツ(船だからのせるのはあたりまえか?)をつかんでいる。
誕生月で4つの団に分け(またまた赤・青・白・黄色と色分け、だから夫婦でも同じ組になれるとは限らない)、サポーターの若者(後日詳述)とノリノリのシニアに応援団を結成させ、数日で応援合戦ができるまでに持って行く。そして、当日、集合時に参加した人数をも点数化するというようなルールもこしらえれば、お年寄りも開会式くらいは参加する。デ、どの団も180±αということは、720人が甲板に詰めかけたわけで、レダック試算では何と乗客の9割が参加ということになる。炎天にもかかわらず、みなさん、よく乗ること・・高校の体育祭を思い出してください、団旗も、断の色の法被もポンポンも鉢巻もあるし、圧巻は応援合戦である。もちろん狭い甲板、しかも航行中につき揺れもある、だから違いは、例えば玉入れについては、選手は立ってはいけない、膝立で紙を丸めた玉を、少し高い所に上がった役員の頭上の籠めがけて投げる、という風に工夫しているし、4団同時に行うスペースが無いので2団での対決の繰り返しとなる。そして放送は日本語の次に必ず英語が入るところはこの船ならでは・・。
こちとらは、運営上の妙に気をとられて、デイ・センターなどでも取り入れられるやりかたを考えたりするなどで、特にオバ(ア)さん方の熱狂ぶりとパワーに、ただただ恐れ入っておりました。厚かましいオジ(イ)さんに綱引きの出場権を奪われても腹も立ちません。
そして、文化祭。一つのプログラムは、M1グランプリという人気TVを模し、予選で10組の出場者の内から決勝進出者3組を競わすという本格的なもの、話芸が巧みで吉本若手よりはるかにうまいと感じた漫才コンビもいた。ほとんど若手だが、中に一人ウクレレ漫談風のシニアが笑いをとり、見事決勝に進出した(ただし、決勝ではネタがばれているので見事に敗退)。圧巻はダンス、ヤングがこの日のために仕上げたグループは予想通りとはいえ、船内でカルチャー・スクールとして講習を重ねたり、自主講座でやっているものが、なんと、ベリーダンス・社交ダンス・シニアのサンバ・フラダンス等出てくる出てくる・・・衣装が波打っているのか、婆ちゃんの腹の肉のたるみかわからない・・・ダンス衣装だけで5箱も積み込んだという噂の主も衣装を変えて2回出ていた(そんなことまでよく分かるな、と言われそうですが、いわくがあるのです)。切り絵や、手芸・写真・水彩画・書道の展示含めて、これまた、高校の文化祭のレベルを凌駕しうるもの。そう言う僕も一つ出場しました。5月3日運動会の翌日、例の船内新聞を読むと「今からでも間に合います」とあるので、のぞきに行ったのが折鶴プロジェクト(寄港地ごとに原爆被爆者の証言やパネルを紹介し、折鶴を地元住民に折ってもらう)。「はだしのゲン」に関わる歌があるので、プロジェクトメンバー以外も合唱に加わって下さいというわけ。多分、僕とは政治的スタンスは少し違うだろうが、歌えるならそれでいい、と2日間半時間づつ「メッーセージ」という曲を練習し40人くらいの合唱団の一員として参加したわけ。
もちろん、船内が沸き立っても、ソファーで海を眺めながら、睡眠・瞑想にふけり、絵筆を動かしい続ける人がおられたことは申し上げるまでもありません。
さて、もう一つは、べネズエラの「エル システマ」をモロッコ カサブランカから乗船させ、演奏活動させながら、乗客と交流させるという取り組みであった。はたして、これは何か? ベネズエラで寄港した際にも登場することになるので、そちらで紹介します。