その4 太平洋編
① 洋上生活<5>(5/20~5/24)
よく揺れる。海面を眺めていると、白い波濤の変化でなかなか飽きない。海の色も濃くなってきた。突然の虹を5日の内2回見た。2回目は特に強烈だった。5/24昼間の雨があがり、しばらくして、時間調整のためホールのソファで本を海を眺めながら読書を始めて数分、突然、すぐ目の前の海面から飛び出すように虹が見えた。まわりも気づき「虹だ」のざわめき。本当に、すぐそこ、救命ボートで接近すれば捕まえられる(わけはないんだが)くらい。5分くらいして飽きて、読書にもどり、目を挙げると消えていた。ビックリ!!
ご報告2題。前の(4/22 ロマの差別問題に関連して起こった)問題発言後も進行担当者のKさんと話し合いを続けていた。Kさんも同和教育を受けた経験がなく、大変前向きに今後の対処を含めて考えており、自主企画で取り扱えないかという提言については断ったが、自分らも研修したいという意向は大事にしたいと思い、その申し出には応じた。デ5/20、Kさんを含むスタッフ自主研修を行った。60分で同和問題を語り、少し質疑もおこなった。
ただ、こういった状況に置かれた時の対処について知りたいという意向もあり、出席者の全員の意向とすれ違った一面もあったので、再度、話し合うこととした。
もう一つは5/23の自主企画発表会に積極的に参加した。前に文化祭があったが、今度は乗客自らが講師・インストラクターになって行っている自主企画の発表を文化祭と同じようにホールで行うものだ。ウクレレ・詩吟・タヒチアンダンス・フラダンス・社交ダンス・ベリーダンス(後の二つは文化祭でもやったのに・・そんなに見せたいわけ?)など。で、私はこの間、「花は咲くプロジェクト」で2日に1日はノドを鍛えていたわけ。新沼健二の「ふるさとは今もかわらず」との2曲。ザーッと40人、最初は若い子も数人来ていたがオジン・オバンばかりで逃げ出したみたい。その代り、直前に来て、低音部なのにメロディばっかり歌って、気がついたのが3日前とか・・私は、パナマ帽を衝動買いしたものの、多分、日本ではよう被らんだろうからと、一人帽子をかぶってステージに上がり、きっと目立ってしまったと思う。発声のほうは相変わらず、1オクターブの音域内がやっとくらいですが、何とか声は出るようになったので、今度はカラオケ大会にでようかな! もう、他のシニアと同じ。恥は太平洋の藻屑にナーレ。
ほんとの 閑話休題 ピ-スボート上の人々
A 船(パナマ船籍)会社⇒船長以下航海士等 クルーは当然として、ほとんど顔もあわさずメンテナンス等に携わる人・客室清掃・食堂の調理人やサービスする人。人数不明だが200~300人いるという噂。ほとんど外国人で、接触している範囲ではインドネシア・フィリピン、インドなど、中には流暢に日本語を喋って人気のあるウクライナ人もいるが稀。清掃・食堂などは分業が徹底している。給料も職種によって違うらしいが特別のスキルを要しないものは低いとみられる。メインレストランのディナーでは①席まで案内する人(椅子も引く) ②コップに水を注ぐ人 ③4~6、8人くらいのテーブルには先付けの料理がセットされているが、客がそろうと汁物や主菜、ゴハンを持ってくる人(それも種類ごとに分担)、④飲み物のオーダーを聞く人=客のIDカードでの精算もする。そして、料理も終盤にさしかかると、⑤お茶かコーヒーを入れる人、⑥「フィニシュ?」と聞いてお盆を下げ、すぐにその日のデザートを持ってくる人、とマアこれくらいいる。労働条件がどんな契約かは分からないが、④飲み物オーダー係が、またまた夜のバーなどで働いていて「ヤア」ということも起こる。
客室担当の女性と妻がかなり親しくなったが、彼女の客室分担は25室で、その区域の廊下はもちろん階段、手すりも守備範囲で、例の洗濯の注文も聞いている。ムスリムなので、カサブランカでは、「ハッサンⅡ世モスク」に行ったが、バス代が無かったので、歩いて行って今日は足が痛いという話も聞いた。
B旅行会社 ジャパングレース 不明 OPの仕切り役。合わす顔から見て20名くらい?
C ピース・ボート スタッフは26名、CCと呼ばれる通訳(Communication Coordinator)が14名、外国人の英語・スペイン語の語学講師が9名。だから総勢50名ほど。だが、CCは費用はタダだが給料は出ないボランティア。そもそもNGOなので、スタッフの給料も安いとのこと。Tというディレクターはモデル並みの長身の肢体の持ち主で、特段の美人というほどではないけれど笑みを絶やさずかっこいい。おまけにサルサの指導者で、オークションの司会をやらせたら、吉本の芸人も真っ青な話芸など、有能多芸な女カリスマ然としている。特に男性客に心酔者がたくさん出始めているとみられる。
(辻元清美が議員立候補の際、ピースボートから手を引いたわけだが、Tさんはこの時の立候補演説を高校生として高槻駅前で聞いたという。そこで、Tさんに、ある時「元 大阪の高校の教師だが、良ければどこに行っていたか教えて」と聞いた。有名進学校ではなかった、進路もお菓子?料理?の専門学校という。大阪府では、有名進学校10校にグローバル・リーダー・ハイスクールとか名付けた学校を作り出したが、時代のはやり言葉としてそんな用語を使っているだけでは? この世界1周を生業にしている女カリスマの話でも聞いたらどうかな。
D乗客 横浜港、最初からの乗客は600名ほど。僕らのようにフライトで先に観光してヨルダン アカバ港からが300余名。(乗客が急に1.5倍に増えたため、最初からの人は少し窮屈になったと戸惑い、デザートの例えばみつ豆の量が減ったそうである。(定員は1400余人)。また、モロッコで帰国したのが90名ほどだったので、それ以降は800余名とみられる。
年齢4歳~94歳? 60・70歳代が2/3近く。80歳代も少なくない。車いすの人が2人、
杖がいる人が二けたはいそう。次いで10代と20代。30~50歳代はごく少ないというし、
事実そういう印象を受ける。シニアは私のようにリタイアして夫婦でとい
う組み合わせが多いように思うが、それぞれ一人で、も少なくない。特に女性の中には、
最初は夫婦で来たが、2回目とか3回目は旦那をほっといて来たという人に何人か出会っ
た。男性の一人組は、連れ添いに先立たれたというケースと、ぬれ落ち葉のダンナに、「あ
んた、行って来たら」と言われた人もいるであろう。
D‘シニアの乗客 私の好み、まさに予断と偏見だが、前少し書いたように、このシニア集団はかなり特異である(と思う)。(もちろん何事にも例外、少数者はいる)
・まず、総じて元気である(でないと、旅行にこれないもの)。そして、よく食べる。私も
食は太い方と自負しているものの、いやあ、ご立派な食欲をほこり、食事を2つの食堂
で梯子する人もいる。妻は、真実、当初目を丸くしていた。朝食などはバイキング方式
でデザートの果物も摂っていくのだが、常識的には?2~3切れですよね? 8~10切れ
も持って行けば、それって、グレープフルーツなら1個分だよね。
ひどいのは15時~16時までのアフタヌーン・ティー。3種類のクッキー・ミニケーキ
と紅茶のティーバッグ・レモン・砂糖をとり熱湯を注ぐ。ほとんど1個をとるが、なか
に3つづつでトレイが溢れかえってる人。そして、見てしまったのだ、包んで持ちかえ
る人も・・。いつ食べるの?
・次に、自己顕示意欲の高い人がやたら目に付く。日本語に通訳する前の、現地ガイドの英語説明の間にやたら大げさにうなずいたり笑ったりする人。
講演会のあとで、毎回のように質問する人(その枕詞に自分のことを言うーお前の趣味など誰も聞きたない)。行事的なものに、必ずリーダー的に登場する人。
この変形として、顔を会わせて数分なのに、人生を語りだす人。朝食時、ツアー参加動機を喋っていたら、介護した肉親を失い、遺骨抱えて世界をまわっていると話しかけてきた。(世界のお遍路さんかいな?朝食の席でそんな重い話しんどいガナ。)
私も相当仕切り屋と見られていようが、出る幕などございません。
・上記ほどではないが、「失った青春 取り戻そう」派の人。このタイプが一番多い。特に女性。家事一切から解放され、ダンナと一緒であろうが、個人・グループであろうが、「まるまる時間を好きなように使える、何でもやってやろうじゃない、アー楽しい」と言明している人の言葉を実際に聞いた。
・だから、集団活動を好まず、マイペースで本を読む、海を眺めるといった孤独を常とする人でなければ、苦痛なものかもしれない。ある寄港地でピースボート(?旅行社?)のスタッフが付き添いスーツケースを押して有名地へのバスに乗り込むおじ(い)さんの姿を見た。離脱者なのだろう。これ以外に事故による離脱者もいるという。OPで滝壺の裏を歩く際足を滑らせ頭?をうち病院送りの人も帰国したという話を複数の人から聞いた。
D“若者 今考えていることがあるので、後日。
① 洋上生活<5>(5/20~5/24)
よく揺れる。海面を眺めていると、白い波濤の変化でなかなか飽きない。海の色も濃くなってきた。突然の虹を5日の内2回見た。2回目は特に強烈だった。5/24昼間の雨があがり、しばらくして、時間調整のためホールのソファで本を海を眺めながら読書を始めて数分、突然、すぐ目の前の海面から飛び出すように虹が見えた。まわりも気づき「虹だ」のざわめき。本当に、すぐそこ、救命ボートで接近すれば捕まえられる(わけはないんだが)くらい。5分くらいして飽きて、読書にもどり、目を挙げると消えていた。ビックリ!!
ご報告2題。前の(4/22 ロマの差別問題に関連して起こった)問題発言後も進行担当者のKさんと話し合いを続けていた。Kさんも同和教育を受けた経験がなく、大変前向きに今後の対処を含めて考えており、自主企画で取り扱えないかという提言については断ったが、自分らも研修したいという意向は大事にしたいと思い、その申し出には応じた。デ5/20、Kさんを含むスタッフ自主研修を行った。60分で同和問題を語り、少し質疑もおこなった。
ただ、こういった状況に置かれた時の対処について知りたいという意向もあり、出席者の全員の意向とすれ違った一面もあったので、再度、話し合うこととした。
もう一つは5/23の自主企画発表会に積極的に参加した。前に文化祭があったが、今度は乗客自らが講師・インストラクターになって行っている自主企画の発表を文化祭と同じようにホールで行うものだ。ウクレレ・詩吟・タヒチアンダンス・フラダンス・社交ダンス・ベリーダンス(後の二つは文化祭でもやったのに・・そんなに見せたいわけ?)など。で、私はこの間、「花は咲くプロジェクト」で2日に1日はノドを鍛えていたわけ。新沼健二の「ふるさとは今もかわらず」との2曲。ザーッと40人、最初は若い子も数人来ていたがオジン・オバンばかりで逃げ出したみたい。その代り、直前に来て、低音部なのにメロディばっかり歌って、気がついたのが3日前とか・・私は、パナマ帽を衝動買いしたものの、多分、日本ではよう被らんだろうからと、一人帽子をかぶってステージに上がり、きっと目立ってしまったと思う。発声のほうは相変わらず、1オクターブの音域内がやっとくらいですが、何とか声は出るようになったので、今度はカラオケ大会にでようかな! もう、他のシニアと同じ。恥は太平洋の藻屑にナーレ。
ほんとの 閑話休題 ピ-スボート上の人々
A 船(パナマ船籍)会社⇒船長以下航海士等 クルーは当然として、ほとんど顔もあわさずメンテナンス等に携わる人・客室清掃・食堂の調理人やサービスする人。人数不明だが200~300人いるという噂。ほとんど外国人で、接触している範囲ではインドネシア・フィリピン、インドなど、中には流暢に日本語を喋って人気のあるウクライナ人もいるが稀。清掃・食堂などは分業が徹底している。給料も職種によって違うらしいが特別のスキルを要しないものは低いとみられる。メインレストランのディナーでは①席まで案内する人(椅子も引く) ②コップに水を注ぐ人 ③4~6、8人くらいのテーブルには先付けの料理がセットされているが、客がそろうと汁物や主菜、ゴハンを持ってくる人(それも種類ごとに分担)、④飲み物のオーダーを聞く人=客のIDカードでの精算もする。そして、料理も終盤にさしかかると、⑤お茶かコーヒーを入れる人、⑥「フィニシュ?」と聞いてお盆を下げ、すぐにその日のデザートを持ってくる人、とマアこれくらいいる。労働条件がどんな契約かは分からないが、④飲み物オーダー係が、またまた夜のバーなどで働いていて「ヤア」ということも起こる。
客室担当の女性と妻がかなり親しくなったが、彼女の客室分担は25室で、その区域の廊下はもちろん階段、手すりも守備範囲で、例の洗濯の注文も聞いている。ムスリムなので、カサブランカでは、「ハッサンⅡ世モスク」に行ったが、バス代が無かったので、歩いて行って今日は足が痛いという話も聞いた。
B旅行会社 ジャパングレース 不明 OPの仕切り役。合わす顔から見て20名くらい?
C ピース・ボート スタッフは26名、CCと呼ばれる通訳(Communication Coordinator)が14名、外国人の英語・スペイン語の語学講師が9名。だから総勢50名ほど。だが、CCは費用はタダだが給料は出ないボランティア。そもそもNGOなので、スタッフの給料も安いとのこと。Tというディレクターはモデル並みの長身の肢体の持ち主で、特段の美人というほどではないけれど笑みを絶やさずかっこいい。おまけにサルサの指導者で、オークションの司会をやらせたら、吉本の芸人も真っ青な話芸など、有能多芸な女カリスマ然としている。特に男性客に心酔者がたくさん出始めているとみられる。
(辻元清美が議員立候補の際、ピースボートから手を引いたわけだが、Tさんはこの時の立候補演説を高校生として高槻駅前で聞いたという。そこで、Tさんに、ある時「元 大阪の高校の教師だが、良ければどこに行っていたか教えて」と聞いた。有名進学校ではなかった、進路もお菓子?料理?の専門学校という。大阪府では、有名進学校10校にグローバル・リーダー・ハイスクールとか名付けた学校を作り出したが、時代のはやり言葉としてそんな用語を使っているだけでは? この世界1周を生業にしている女カリスマの話でも聞いたらどうかな。
D乗客 横浜港、最初からの乗客は600名ほど。僕らのようにフライトで先に観光してヨルダン アカバ港からが300余名。(乗客が急に1.5倍に増えたため、最初からの人は少し窮屈になったと戸惑い、デザートの例えばみつ豆の量が減ったそうである。(定員は1400余人)。また、モロッコで帰国したのが90名ほどだったので、それ以降は800余名とみられる。
年齢4歳~94歳? 60・70歳代が2/3近く。80歳代も少なくない。車いすの人が2人、
杖がいる人が二けたはいそう。次いで10代と20代。30~50歳代はごく少ないというし、
事実そういう印象を受ける。シニアは私のようにリタイアして夫婦でとい
う組み合わせが多いように思うが、それぞれ一人で、も少なくない。特に女性の中には、
最初は夫婦で来たが、2回目とか3回目は旦那をほっといて来たという人に何人か出会っ
た。男性の一人組は、連れ添いに先立たれたというケースと、ぬれ落ち葉のダンナに、「あ
んた、行って来たら」と言われた人もいるであろう。
D‘シニアの乗客 私の好み、まさに予断と偏見だが、前少し書いたように、このシニア集団はかなり特異である(と思う)。(もちろん何事にも例外、少数者はいる)
・まず、総じて元気である(でないと、旅行にこれないもの)。そして、よく食べる。私も
食は太い方と自負しているものの、いやあ、ご立派な食欲をほこり、食事を2つの食堂
で梯子する人もいる。妻は、真実、当初目を丸くしていた。朝食などはバイキング方式
でデザートの果物も摂っていくのだが、常識的には?2~3切れですよね? 8~10切れ
も持って行けば、それって、グレープフルーツなら1個分だよね。
ひどいのは15時~16時までのアフタヌーン・ティー。3種類のクッキー・ミニケーキ
と紅茶のティーバッグ・レモン・砂糖をとり熱湯を注ぐ。ほとんど1個をとるが、なか
に3つづつでトレイが溢れかえってる人。そして、見てしまったのだ、包んで持ちかえ
る人も・・。いつ食べるの?
・次に、自己顕示意欲の高い人がやたら目に付く。日本語に通訳する前の、現地ガイドの英語説明の間にやたら大げさにうなずいたり笑ったりする人。
講演会のあとで、毎回のように質問する人(その枕詞に自分のことを言うーお前の趣味など誰も聞きたない)。行事的なものに、必ずリーダー的に登場する人。
この変形として、顔を会わせて数分なのに、人生を語りだす人。朝食時、ツアー参加動機を喋っていたら、介護した肉親を失い、遺骨抱えて世界をまわっていると話しかけてきた。(世界のお遍路さんかいな?朝食の席でそんな重い話しんどいガナ。)
私も相当仕切り屋と見られていようが、出る幕などございません。
・上記ほどではないが、「失った青春 取り戻そう」派の人。このタイプが一番多い。特に女性。家事一切から解放され、ダンナと一緒であろうが、個人・グループであろうが、「まるまる時間を好きなように使える、何でもやってやろうじゃない、アー楽しい」と言明している人の言葉を実際に聞いた。
・だから、集団活動を好まず、マイペースで本を読む、海を眺めるといった孤独を常とする人でなければ、苦痛なものかもしれない。ある寄港地でピースボート(?旅行社?)のスタッフが付き添いスーツケースを押して有名地へのバスに乗り込むおじ(い)さんの姿を見た。離脱者なのだろう。これ以外に事故による離脱者もいるという。OPで滝壺の裏を歩く際足を滑らせ頭?をうち病院送りの人も帰国したという話を複数の人から聞いた。
D“若者 今考えていることがあるので、後日。