Ⅱ部 船内生活編
第1章 ピ-スボート上の人々
このツアーは①「NGOピースボート」の企画に基づき、旅行に関する諸手続きやオプショナル・ツアー(以下OPと略記)を「Bジャパングレース」という旅行業者が行い、共同実施の形をとる。両者が、パナマ船籍の「Cオーシャン・ドリーム号」を長期間チャータ―してクルージングを行っている。
① A オーシャン・ドリーム号
船長以下航海士等クルー、ほとんど顔もあわさずメンテナンス等に携わる人・客室係食堂の調理人やサービスする人など計380人。ほとんど外国人で、インドネシア・フィリピン・インド・タイ・ペルーなど、中には流暢に日本語を喋って人気のあるウクライナ人もいるが稀。清掃・食堂などは分業が徹底している。給料も職種によって違うらしいが特別のスキルを要しないものは低いとみられる。最低限のクルーへの指示は英語で行われる。メインレストランのディナーでは①席まで案内する人(椅子も引く) ②コップに水を注ぐ人 ③各テーブルには先付けの料理がセットされているが、客がそろうと汁物や主菜、ゴハンを持ってくる人(それも種類ごとに分担)、④飲み物のオーダーを聞く人=客のIDカードでの精算もする。そして、料理も終盤にさしかかると、⑤お茶かコーヒーを入れる人、⑥「フィニシュ?」と聞いてお盆を下げ、すぐにその日のデザートを持ってくる人、とマアこれくらいいる。労働条件がどんな契約かは分からないが、④飲み物オーダー係が、またまた夜のバーなどで働いていて「ヤア」ということも起こる。
客室担当の女性と妻がかなり親しくなったが、彼女の客室分担は25室で、その区域の廊下はもちろん階段、手すりも守備範囲で、洗濯の注文も聞いている。
かつての旅行記を読むと、「やはり船長さんが一番偉く、酒癖が悪い乗客に下船命令を出し、港に置き去りにできるほどの権限を持っている」らしい。乗船時と下船前に船長主催のパーティがあり、それなりにクルージングへの心構えをする必要があった。
②B 旅行会社 ジャパングレース
合わす顔から見て20名くらい? ツアー全体の会計面を取り仕切る。OPの仕切り役として、募集・変更等の手続きとともに、実施についても引率責任をつとめる。また、船内での船室の不具合などに対し、船の担当セクションと連絡し解決を図る。
③C ピース・ボート
スタッフは26名、CCと呼ばれる通訳(Communication Coordinator)が14名、GETと呼ぶ語学講師 英語・スペイン語・フランス語9名。
国内のピースボートセンターで、各クルーズ全体の企画・乗船スタッフが決められているようだ。船内新聞・自主企画・その都度の企画行事・催し物の音響や照明・備品の管理や準備・記録等々、船内企画・運営の一切を担当する。黒子になりながらも仕切っているので、乗客は、いわば、その手のひらの上で踊っているだけ。女性の方が多いが、私の接した範囲内では、総じて優秀。それぞれにピースボート、あるいはピースボートを超えての夢・目標をもっているようで、担当業務の関係で夜遅くまでがんばっている者もいるようだが、そもそもNGOなので、スタッフの給料も安いとのこと。そのリーダーが総括ディレクターのTさん。モデル並みの長身の肢体の持ち主で、特段の美人というほどではないけれど笑みを絶やさずかっこいい。おまけにサルサの指導者で、オークションの司会をやらせたら、吉本の芸人も真っ青な話芸など、有能多芸な女カリスマ然としている。特に男性(シニア)客に心酔者がたくさん出始めているとみられる。
(辻元清美が議員立候補の際、ピースボートから手を引いたわけだが、Tさんはこの時の立候補演説を高校生として高槻駅前で聞いたという。そこで、Tさんに、ある時「元 大阪の高校の教師だが、良ければどこに行っていたか教えて」と聞いた。有名進学校ではなかった、進路もお菓子?料理?の専門学校という。大阪府では、有名進学校10校を進学指導特色校として文理学科をつくり、グローバル・リーダーズ・ハイスクールとかの愛称をつけた。時代のはやり言葉としてグローバルという用語を使っているだけと思われても仕方がないのでは? この世界1周を生業にしている女カリスマの話でも聞いたらどうかな。
CCの採用はピースボートで行う。旅行費用はタダだが、給料は出ないそうだ。だからOPの際現地ガイドの言葉を通訳するのは本来業務であるが、その余の業務や船内催しのお手伝いはボランティア。CC紹介の企画もあった。米国大学に留学している際、英語ではどうしても差がつくのでフラットで勝負できるスペイン語を専攻したという者、理系の大学院で学んだ者、帰国後教育系のNPOで活躍していた者など、ものすごく優秀な者が少なくない。
ついでに、GETの先生は、日本にきている時、ALTだったという人が少なからずいた。
④ D 乗客
横浜港、最初からの乗客は600名ほど。僕らのようにフライトで先に観光してヨルダン アカバ港からが300余名。(乗客が急に1.5倍に増えたため、最初からの人は少し窮屈になったと戸惑い、デザートの例えばみつ豆の量が減ったそうである。また、モロッコで帰国したのが90名ほどだったので、それ以降は800余名とみられる。
年齢4歳~94歳? 60・70歳代が2/3近く。80歳代も少なくない。車いすの人が2人、杖がいる人は数名。次いで20代・30代で、40~50歳代はごく少ないし、勤務先をやめて参加はしにくいので当たり前。
シニアは私のようにリタイアして夫婦でという組み合わせが多いように思うが、それ
ぞれ一人で、も少なくない。リピーターが少なくない。IDカードに4回の人なら4と刻印されている。女性の中には、最初は夫婦で来たが、2回目とか3回目は旦那をほっといて来たという人に何人か出会った。男性の一人組は、連れ添いに先立たれたというケースと、ぬれ落ち葉のダンナに、「あんた、行って来たら」と言われた人もいるであろう。
そして、おもしろいことに、夕食時の懇談の時、過去のクルーズの経験などを披歴し、今回についての論評をされる人に結構あった。それも決まってピースボートの悪口つきなのである。そんなにイヤならやめときゃいいのに、と声に出さないが思うこと、しばしば。また、総じて元気である。でないと、旅行に来れないもの。そして、よく食べる。私も食は太い方と自負しているものの、いやあ、ご立派な食欲をほこり、食事を2つの食堂で梯子する人もいる。妻は、真実、当初目を丸くしていた。朝食などはバイキング方式でデザートの果物も摂っていくのだが、常識的には?2~3切れですよね? 8~10切れも持って行けば、それって、グレープフルーツなら1個分だよね。ひどいのは15時~16時までのアフタヌーン・ティー。3種類のクッキー・ミニケーキと紅茶のティーバッグ・レモン・砂糖をとり熱湯を注ぐ。ほとんど1個をとるが、なかに各3つづつでトレイが溢れかえってる人。そして、見てしまったのだ、包んで持ちかえる人も・・。(いつ食べるの?) ほっといて、カラスの勝手でしょ!と言われたら、そうなんですが・・
さらに、仕切りたがり、出しゃばりおヨネ(この文句、ご存じない?)、言って見れば自己顕示意欲の高い人がやたら目に付く。日本語に通訳する前の、現地ガイドの英語説明の間にやたら大げさにうなずいたり笑ったりする人、講演会のあとで毎回のように質問する人(その枕詞に自分のことを言うーお前の趣味など誰も聞きたない)、行事的なものに必ずリーダー的に登場する人。この変形として、顔を会わせて数分なのに、人生を語りだす人。朝食時、ツアー参加動機を喋っていたら、介護した肉親を失い、遺骨抱えて世界をまわっていると話しかけてきた。(世界のお遍路さんかいな?朝食の席でそんな重い話しんどいガナ。)・・・私も相当仕切り屋と見られていようが、出る幕などございません。
それから、上記ほどではないが、「失った青春 取り戻そう」派の人。このタイプが一番多いように思う。特に女性。家事一切から解放され、ダンナと一緒であろうが、個人・グループであろうが、「まるまる時間を好きなように使える、何でもやってやろうじゃない、アー楽しい」と言明している人・・・
そして、本当に青春取戻した人(々)もいる。いつの間にか、同好会や自主活動の集まりなどの中で・・・年甲斐もなくなどとは言いませんが・・・私が認知しただけで4組はいる・・・
だから、社交的でなく、集団活動を好まないタイプなら、マイペースで本を読むとか、海を眺めるといった孤独を常とする人でなければ、苦痛なものかもしれない。ある寄港地でピースボート(?旅行社?)のスタッフが付き添いスーツケースを押して有名地へのバスに乗り込むおじ(い)さんの姿を見た。離脱者なのだろう。これ以外に事故による離脱者もいるという。OPで滝壺の裏を歩く際足を滑らせどこかを?をうち病院送りの人も帰国したという話を複数の人から聞いた。
そして、残念なことに、お行儀の悪い乗客もいる。これはピースボートの責任というわけではなかろう。人気のある映画上映の際、荷物を後ろから前の座席にほり投げて確保する人、盗撮まがいの趣味のオッサン(支障有るので詳しくは言えないけど・・)、マ6~700人いればネー。かくいう私は、結構品定めしていると言われそうですネ、ほんとうに親しくなった人は少数で、付き合いの悪いほうのグループになるのでしょうナ、多分?
⑤ D’ 乗客―若者
後で述べることになるが、ピースボートが乗客全体に仕掛ける企画が、見事にはまっていくのは、PBSと呼ばれているピースボートのサポーターの若者の活動抜きに語れないだろう。外国への関心、何かおもしろそう、動機は何であれ、ピースボートに関心を持ち事務局に相談に行く。「金が無いんですが行きたい」ト。全国の至る所に貼られているポスター貼りが彼らの仕事になり、貢献度によって旅費が・・ デ、そのボランティア的行動が乗船後も期待される。そうでないと、まわっていかないと推察される。20歳代、30歳代で約200人ほどはいると思われる。学生さんや、純粋に観光としては費用が安い、として参加した若者もその半数、100名くらいはいるのかな?でも、観光以上?の何かを求めて、または期待している若者も半数くらいはいるように見える。その中でリーダー的存在が5人、10人のグループの中で現れ、また相互に接触していき、PBSのグループが形成されていったのだと思う。帰国後、「ピースボートは若者の交流の船」で、「レダックのようなオジンが乗れるのか」という質問に出くわす。後ろの質問には即座に否定するが、「ピースボートは若者の交流の船」はやっぱりそうなのだと思っている。そして、確実にそのミッションを果たしていると思う。その論証は、再度別稿で述べる。
第1章 ピ-スボート上の人々
このツアーは①「NGOピースボート」の企画に基づき、旅行に関する諸手続きやオプショナル・ツアー(以下OPと略記)を「Bジャパングレース」という旅行業者が行い、共同実施の形をとる。両者が、パナマ船籍の「Cオーシャン・ドリーム号」を長期間チャータ―してクルージングを行っている。
① A オーシャン・ドリーム号
船長以下航海士等クルー、ほとんど顔もあわさずメンテナンス等に携わる人・客室係食堂の調理人やサービスする人など計380人。ほとんど外国人で、インドネシア・フィリピン・インド・タイ・ペルーなど、中には流暢に日本語を喋って人気のあるウクライナ人もいるが稀。清掃・食堂などは分業が徹底している。給料も職種によって違うらしいが特別のスキルを要しないものは低いとみられる。最低限のクルーへの指示は英語で行われる。メインレストランのディナーでは①席まで案内する人(椅子も引く) ②コップに水を注ぐ人 ③各テーブルには先付けの料理がセットされているが、客がそろうと汁物や主菜、ゴハンを持ってくる人(それも種類ごとに分担)、④飲み物のオーダーを聞く人=客のIDカードでの精算もする。そして、料理も終盤にさしかかると、⑤お茶かコーヒーを入れる人、⑥「フィニシュ?」と聞いてお盆を下げ、すぐにその日のデザートを持ってくる人、とマアこれくらいいる。労働条件がどんな契約かは分からないが、④飲み物オーダー係が、またまた夜のバーなどで働いていて「ヤア」ということも起こる。
客室担当の女性と妻がかなり親しくなったが、彼女の客室分担は25室で、その区域の廊下はもちろん階段、手すりも守備範囲で、洗濯の注文も聞いている。
かつての旅行記を読むと、「やはり船長さんが一番偉く、酒癖が悪い乗客に下船命令を出し、港に置き去りにできるほどの権限を持っている」らしい。乗船時と下船前に船長主催のパーティがあり、それなりにクルージングへの心構えをする必要があった。
②B 旅行会社 ジャパングレース
合わす顔から見て20名くらい? ツアー全体の会計面を取り仕切る。OPの仕切り役として、募集・変更等の手続きとともに、実施についても引率責任をつとめる。また、船内での船室の不具合などに対し、船の担当セクションと連絡し解決を図る。
③C ピース・ボート
スタッフは26名、CCと呼ばれる通訳(Communication Coordinator)が14名、GETと呼ぶ語学講師 英語・スペイン語・フランス語9名。
国内のピースボートセンターで、各クルーズ全体の企画・乗船スタッフが決められているようだ。船内新聞・自主企画・その都度の企画行事・催し物の音響や照明・備品の管理や準備・記録等々、船内企画・運営の一切を担当する。黒子になりながらも仕切っているので、乗客は、いわば、その手のひらの上で踊っているだけ。女性の方が多いが、私の接した範囲内では、総じて優秀。それぞれにピースボート、あるいはピースボートを超えての夢・目標をもっているようで、担当業務の関係で夜遅くまでがんばっている者もいるようだが、そもそもNGOなので、スタッフの給料も安いとのこと。そのリーダーが総括ディレクターのTさん。モデル並みの長身の肢体の持ち主で、特段の美人というほどではないけれど笑みを絶やさずかっこいい。おまけにサルサの指導者で、オークションの司会をやらせたら、吉本の芸人も真っ青な話芸など、有能多芸な女カリスマ然としている。特に男性(シニア)客に心酔者がたくさん出始めているとみられる。
(辻元清美が議員立候補の際、ピースボートから手を引いたわけだが、Tさんはこの時の立候補演説を高校生として高槻駅前で聞いたという。そこで、Tさんに、ある時「元 大阪の高校の教師だが、良ければどこに行っていたか教えて」と聞いた。有名進学校ではなかった、進路もお菓子?料理?の専門学校という。大阪府では、有名進学校10校を進学指導特色校として文理学科をつくり、グローバル・リーダーズ・ハイスクールとかの愛称をつけた。時代のはやり言葉としてグローバルという用語を使っているだけと思われても仕方がないのでは? この世界1周を生業にしている女カリスマの話でも聞いたらどうかな。
CCの採用はピースボートで行う。旅行費用はタダだが、給料は出ないそうだ。だからOPの際現地ガイドの言葉を通訳するのは本来業務であるが、その余の業務や船内催しのお手伝いはボランティア。CC紹介の企画もあった。米国大学に留学している際、英語ではどうしても差がつくのでフラットで勝負できるスペイン語を専攻したという者、理系の大学院で学んだ者、帰国後教育系のNPOで活躍していた者など、ものすごく優秀な者が少なくない。
ついでに、GETの先生は、日本にきている時、ALTだったという人が少なからずいた。
④ D 乗客
横浜港、最初からの乗客は600名ほど。僕らのようにフライトで先に観光してヨルダン アカバ港からが300余名。(乗客が急に1.5倍に増えたため、最初からの人は少し窮屈になったと戸惑い、デザートの例えばみつ豆の量が減ったそうである。また、モロッコで帰国したのが90名ほどだったので、それ以降は800余名とみられる。
年齢4歳~94歳? 60・70歳代が2/3近く。80歳代も少なくない。車いすの人が2人、杖がいる人は数名。次いで20代・30代で、40~50歳代はごく少ないし、勤務先をやめて参加はしにくいので当たり前。
シニアは私のようにリタイアして夫婦でという組み合わせが多いように思うが、それ
ぞれ一人で、も少なくない。リピーターが少なくない。IDカードに4回の人なら4と刻印されている。女性の中には、最初は夫婦で来たが、2回目とか3回目は旦那をほっといて来たという人に何人か出会った。男性の一人組は、連れ添いに先立たれたというケースと、ぬれ落ち葉のダンナに、「あんた、行って来たら」と言われた人もいるであろう。
そして、おもしろいことに、夕食時の懇談の時、過去のクルーズの経験などを披歴し、今回についての論評をされる人に結構あった。それも決まってピースボートの悪口つきなのである。そんなにイヤならやめときゃいいのに、と声に出さないが思うこと、しばしば。また、総じて元気である。でないと、旅行に来れないもの。そして、よく食べる。私も食は太い方と自負しているものの、いやあ、ご立派な食欲をほこり、食事を2つの食堂で梯子する人もいる。妻は、真実、当初目を丸くしていた。朝食などはバイキング方式でデザートの果物も摂っていくのだが、常識的には?2~3切れですよね? 8~10切れも持って行けば、それって、グレープフルーツなら1個分だよね。ひどいのは15時~16時までのアフタヌーン・ティー。3種類のクッキー・ミニケーキと紅茶のティーバッグ・レモン・砂糖をとり熱湯を注ぐ。ほとんど1個をとるが、なかに各3つづつでトレイが溢れかえってる人。そして、見てしまったのだ、包んで持ちかえる人も・・。(いつ食べるの?) ほっといて、カラスの勝手でしょ!と言われたら、そうなんですが・・
さらに、仕切りたがり、出しゃばりおヨネ(この文句、ご存じない?)、言って見れば自己顕示意欲の高い人がやたら目に付く。日本語に通訳する前の、現地ガイドの英語説明の間にやたら大げさにうなずいたり笑ったりする人、講演会のあとで毎回のように質問する人(その枕詞に自分のことを言うーお前の趣味など誰も聞きたない)、行事的なものに必ずリーダー的に登場する人。この変形として、顔を会わせて数分なのに、人生を語りだす人。朝食時、ツアー参加動機を喋っていたら、介護した肉親を失い、遺骨抱えて世界をまわっていると話しかけてきた。(世界のお遍路さんかいな?朝食の席でそんな重い話しんどいガナ。)・・・私も相当仕切り屋と見られていようが、出る幕などございません。
それから、上記ほどではないが、「失った青春 取り戻そう」派の人。このタイプが一番多いように思う。特に女性。家事一切から解放され、ダンナと一緒であろうが、個人・グループであろうが、「まるまる時間を好きなように使える、何でもやってやろうじゃない、アー楽しい」と言明している人・・・
そして、本当に青春取戻した人(々)もいる。いつの間にか、同好会や自主活動の集まりなどの中で・・・年甲斐もなくなどとは言いませんが・・・私が認知しただけで4組はいる・・・
だから、社交的でなく、集団活動を好まないタイプなら、マイペースで本を読むとか、海を眺めるといった孤独を常とする人でなければ、苦痛なものかもしれない。ある寄港地でピースボート(?旅行社?)のスタッフが付き添いスーツケースを押して有名地へのバスに乗り込むおじ(い)さんの姿を見た。離脱者なのだろう。これ以外に事故による離脱者もいるという。OPで滝壺の裏を歩く際足を滑らせどこかを?をうち病院送りの人も帰国したという話を複数の人から聞いた。
そして、残念なことに、お行儀の悪い乗客もいる。これはピースボートの責任というわけではなかろう。人気のある映画上映の際、荷物を後ろから前の座席にほり投げて確保する人、盗撮まがいの趣味のオッサン(支障有るので詳しくは言えないけど・・)、マ6~700人いればネー。かくいう私は、結構品定めしていると言われそうですネ、ほんとうに親しくなった人は少数で、付き合いの悪いほうのグループになるのでしょうナ、多分?
⑤ D’ 乗客―若者
後で述べることになるが、ピースボートが乗客全体に仕掛ける企画が、見事にはまっていくのは、PBSと呼ばれているピースボートのサポーターの若者の活動抜きに語れないだろう。外国への関心、何かおもしろそう、動機は何であれ、ピースボートに関心を持ち事務局に相談に行く。「金が無いんですが行きたい」ト。全国の至る所に貼られているポスター貼りが彼らの仕事になり、貢献度によって旅費が・・ デ、そのボランティア的行動が乗船後も期待される。そうでないと、まわっていかないと推察される。20歳代、30歳代で約200人ほどはいると思われる。学生さんや、純粋に観光としては費用が安い、として参加した若者もその半数、100名くらいはいるのかな?でも、観光以上?の何かを求めて、または期待している若者も半数くらいはいるように見える。その中でリーダー的存在が5人、10人のグループの中で現れ、また相互に接触していき、PBSのグループが形成されていったのだと思う。帰国後、「ピースボートは若者の交流の船」で、「レダックのようなオジンが乗れるのか」という質問に出くわす。後ろの質問には即座に否定するが、「ピースボートは若者の交流の船」はやっぱりそうなのだと思っている。そして、確実にそのミッションを果たしていると思う。その論証は、再度別稿で述べる。