レダック ピースボートに乗る(改訂版 第2部3

2014-07-20 11:22:46 | 日記
第3章 ピースボートの取組や仕掛け 
① 水先案内人とそのパートナー(水パ)
 ピースボートがただの観光船ではないということをそろそろご理解願えたと思うが(私らもしばらくたってなんとか理解するようになったのだが)、日常的には、寄港地・国・地域のピースボートが問題意識を感じている課題について、概説・解説してくれる水先案内人の講座がひらかれている。マスコミの池上 彰さんみたいな存在だ。大学等の先生、ジャーナリスト、外国人なら当事者・運動家等々。全行程ともにするのでなく、ある区間だけともにする。そして、一人の水先案内人に対し、食事を共にしたりして、コミュニケーションを密にできるパートナーが募集される。私は途中乗船のアカバ組なので、前半のことは分らないが、ラテンアメリカのまさに案内人Iさん、旧ユーゴ紛争のCさん、ジャーナリストのTさんの講座から得るものは多かった。外国人では、ラパヌイ(イースター島)のEさんの歌・踊りを通した訴えが何と言っても印象深い。ただし、外国人でも、思わず眉唾、無責任なしゃべりっぱなしではないかと思わせる人(例 エコノミック・ヒットマン)もおり、担当スタッフからの報告をもとに精査することが望まれる。
 パートナーにはならなかったが、ユースアンバサダー(若いので水先案内人というより同世代の若者交流するなかで知的刺激を与える存在?と言っていいのかな)位置づけで乗船してきたTさんとは随分話をした。彼女のセミナーは学校・教育・人権(問題)をテーマにしたものだから、もともと私と同じ守備領域であるのだが、紹介されて喋りだしたら同じ大阪、それに私も関係あったK高校出身で、その高校や人権教育研究団体の教員について共通の知り合いがいたりして、最初からもりあがってしまった。もちろん世代や立場性の違いから、「そこは意見が違う」という場面も少なくなかったが、大いに意見交換させてもらった。学校・教育への視点の新鮮さやNPO活動をしているということもあり、帰国後も、なんらかのおつきあいを続けることになろう。

② おりづるプロジェクト
 自主企画の様々なサークルがあるが、特筆すべきは、原爆投下から70年近く、70代・80代の被爆者数名がプロジェクトとして乗り込み(多分ピースボートも特別支援しているのだろう)、船内および寄港地ごとに語り継ぐ会、報告会を実施している。孫の世代に当たる若者が、語りを受け継ぐべく一緒に行動。3~40名くらいの孫鶴?が組織化されていった模様。ベネズエラのように一国の大統領に会見できるというのはよほどのこと、ピースボートの積み上げてきた実績は大したものだ。
私は、原水禁運動が政治的色合いで分裂していた時代があったことを知っているだけに、ほとんど近寄らなかったのだが、船内活動としてはそんな風潮もなかったので、少しだけこれに関わった。「はだしのゲン」が世に出て○年になるのを記念して、広島生まれの在日韓国人3世 李 翔雲が作曲した「メッセージ」を船内文化祭で歌うという計画があったようだが、そのころはおりづる固有のメンバーだけでは人数が少なく合唱の態をなすために、「歌う人大募集」との記事が出た。そこで、2日1時間ほど練習して、文化祭当日、一緒に出演したというわけ(安易!な参加だが・・)

③ 各支援プロジェクト
 ヨルダンの難民キャンプに援助物資を届ける、地雷除去、核実験反対活動や署名、東北復興支援、いろんな環境保全活動、ベネズエラのエル・システマへの楽器贈与などのプロジェクトへの支援 ペルーの子ども若者への支援物資提供等々実に多彩だ。船内でこれらのプロジェクトの宣伝・紹介がある。(だから私の知らないものも多くあろう)
 また、OPで現地の人々との交流や、植栽などの共同活動を行ううちに、継続的プロジェクトになっていったものもあると推測される。

④ 洋上運動会、文化祭、自主企画発表会、洋上歌合戦 等々
洋上運動会が5/2に、そして文化祭が5/6に開催された。いままでほとんど接触もせずよく分からなかった若者が、がぜん前面に出て輝きだしたのである。はしゃぐシニアを巻き込んで、船内活動は応援団ムード一色。今回が83回のピースボート就航であるから、さすがに長年の経験からうまく乗客を乗せるコツ(船だからのせるのがうまいのはあたりまえ?)をつかんでいる。
誕生月で4つの団に分け(またまた赤・青・白・黄色と色分け、だから夫婦でも同じ組になれるとは限らない)、サポーターの若者とノリノリのシニアに応援団を結成させ、数日で応援合戦ができるまでに持って行く。そして、当日、集合時に参加した人数をも点数化するというようなルールもこしらえるから、開会式くらいはお年寄りも参加せざるを得ない。デ、どの団も180±αということは、720人が甲板に詰めかけたわけで、レダック試算では何と乗客の9割が参加ということになる。炎天にもかかわらず、みなさん、よく乗ること・・高校の体育祭を思い出してください、団旗も、団の色の法被もポンポンも鉢巻もあるし、圧巻は応援合戦である。もちろん狭い甲板、しかも航行中につき揺れもある、だから違いは、例えば玉入れについては、選手は立ってはいけない、膝立で紙を丸めた玉を、少し高い所に上がった役員の頭上の籠めがけて投げる、という風に工夫しているし、4団同時に行うスペースが無いので2団での対決の繰り返しとなる。そして放送は日本語の次に必ず英語が入るところはこの船ならでは・・。ここ
こちとらは、運営上の妙に気をとられて、デイ・センターなどでも取り入れられるやりかたを考えたりするなどで、特にオバ(ア)さん方の熱狂ぶりとパワーに、ただただ恐れ入っておりました。厚かましいオジ(イ)さんに綱引きの出場権を奪われても腹も立ちません。私属する「青」団が優勝しましたが、他は若者が団長を務めていたが、ここだけシニア、どうも元同業者の感じ? それなりに楽しめました。(運動会と文化祭)
そして、文化祭。一つのプログラムは、M1グランプリという人気TVを模し、予選で10組の出場者の内から決勝進出者3組を競わすという本格的なもの、話芸が巧みで吉本若手よりはるかにうまいと感じた漫才コンビもいた。ほとんど若手だが、中に一人ウクレレ漫談風のシニアが笑いをとり、見事決勝に進出した(ただし、決勝ではネタがばれているので見事に敗退)。圧巻はダンス、ヤングがこの日のために仕上げたグループは予想通りとはいえ、船内でカルチャー・スクールとして講習を重ねたり、自主講座でやっているものが、なんと、ベリーダンス・社交ダンス・シニアのサンバ・フラダンス等出てくる、出てくる・・・衣装が波打っているのか、婆ちゃんの腹の肉のたるみかわからない・・・ダンス衣装だけで5箱も積み込んだという噂の主も衣装を変えて2回出ていた(そんなことまでよく分かるな、と言われそうですが、いわくがあるのです)。切り絵や、手芸・写真・水彩画・書道の展示含めて、これまた、高校の文化祭のレベルを凌駕しうるもの。そう言う僕も一つ出場しました(上述の「メッセ―ジ」の合唱)。もちろん、船内が沸き立っても、ソファーで海を眺めながら、睡眠・瞑想にふけったり、絵筆を動かし続ける人もおられたことは申し上げるまでもありません。
 それだけでなく、5/23には自主企画発表会がもたれた。ちなみに、皆さん、どれだけ活躍されているかをお示しするためにステージ出演のチームを紹介しておこう。①寄港地水彩画グループの作品スライドショー、②ソーラン節、③ウクレレ、④二胡、⑤詩吟、⑥能楽小謡、⑦ダンス(若者)、⑧南京玉すだれ、⑨社交ダンス、⑩バンド、⑪ベリーダンス、⑫フラダンス、⑬タヒチアンダンス、そして⑭トリとしてわれらが「花は咲く」プロジェクトによる合唱、といった次第である。発表の場が与えられる、しかもトリで・・というわけで、先生(企画し、指揮をとれるおばさん)以下大張り切り。ただし、時間の関係で2曲しかご披露できない。「ふるさとは今も変わらず」と「花は咲く」で臨むことになった。一応どちらも少しづつ二部になっているのだが、マ、できる範囲で、なんといっても声をだしいい気分で歌うというところから始まったのだから。舞台衣装は上が白、下が黒、女性は胸に花ブローチということで、当日何と50人くらい集まった。僕も買ったものの日本ではあまり被れないパナマ帽をかぶり、唸って満足!(ここ)
さらに、さらに、さらに、5/30には、洋上歌合戦まであった。紅白でなく、出場者の部屋番号を左舷=偶数、右舷=奇数に分けて競うというものだが、下手にエントリーせずに良かった。というのは、歌合戦兼仮装大会というべき盛り上がりを見せた。若者は、数日の間に、グループを組織し、振り付け・衣装をしたてるのだからすごい。シニアでも、女装、踊りの振り付けなど爆笑に次ぐ爆笑・・僕が仮に出場したと想定するなら、「群青」をパナマ帽をかぶって、という想定だったが、完全にカブルことになってしまうところだった。つまり、「昴」をパナマ帽をかぶって熱唱したのが、体育大会の団長さんだったわけで、完全に二番煎じになるところだった。やはり、浮かれすぎなくてヨカッタ、これ教訓。

④ コモンビート(コモビ)
 私は全然知らなかったが、いつの頃からか、このミュージカルもピースボートの名物となっているらしい。ミュージカルのストーリーは単純で、人種・文化等が異なる赤・緑・黄・青の4大陸はそれぞれの権力者によって統治され、相互の交流もなかったが、グローバル化の中で争い・混乱を乗り越え、共通の鼓動コモンビートに理解・共感を持つようになるという、いかにもピースボートらしいもの。100人に及ぶその出演者を、船内でオーディションを行い配役などを決めるという本格的なもの。専属スタッフは一人つくが、基本的には出演者がダンス・歌をクリアしていき、6月6日2回の公演にもちこむという、ちょっと想像を超えるもの。一定の著作権みたいなものをピースボートが持っており、地上でも同じような取り組みが行われている場合があるらしい。これに出たいがために、乗船2回目というシニアもいるほど。出演はしないけれど舞台衣装やダンス練習などの周辺応援団があちこちで練習するようになる。そして公演、なかにソロのヴォーカルで少し音を外したな、というのもあったけれど、十分入場料をとれる。大したものだ。まさに老いも若きも1月ほど共通の目標に向かって作り上げていくなかで生まれる出演者の一体感や満足を求めてリピーターになったという人の気持ちも分からないではない。


レダック ピースボートに乗る(改訂版 第2部②)

2014-07-20 10:39:04 | 日記
第2章 ピースボートの生活
① 住
キャビンが我が家となる。ツアー費用は基本的にはどのようなキャビンを選ぶかによる。一人・二人・四人、船の外側なら窓付き、廊下の内側なら窓無、によってすべて違う。ただしキャビンの広さはあまり変わらず、二人部屋は部屋の左右にベッド、一人部屋は二つ分のベッドを真ん中でつけある、4人部屋は左右ベッドが二段という差なので、必要に応じて変更できる。1400人定員に対し、常時は800~千人の客を詰め込むので、水漏れがひどい場合などキャビンを替えてもらった人もいる。シャワー・トイレは各室についている。一人部屋、スイートルームみたいな豪華部屋(まわりはベランダ)、などいろんな種類、価格ランクがあり、一人参加で二人の相部屋になった人の話では、お互いのプライバシーを守るため、部屋の間にカーテンをしている部屋とそうでない部屋とでは10万円の差があるという。4人部屋窓無99万円くらいから、超豪華部屋 ウン万円まで、まさにピンからキリまで、しかも申し込みが早ければ早割があったりしてややこしい。不満なのは、各キャビンとも机・椅子が一つ(内覧会ではそこまで注意しなかった?)。困るのは、すべてそうなのだが、トイレがバキューム式なので、凄い音がする(飛行機のGooo--Juba アレね)。私は既に書いたように夜中3~4回行く。嫁さんだからいいようなものの、他人とならそうはいかぬだろう。(仲良くなったインドネシアの客室係りと一緒に 客室廊下で)
② 衣 
寒さ対策やフォーマル・ディナー用スーツ・僕の場合はトレーニング用シャツ・パンツなど荷物の大部分をキャビン内のクロークや棚に収納できて一安心。ホテルなんどでのクリーニング利用は高くて活用しにくいと思っていたが、40×50Cmくらいのクリーニング用布袋に詰めるだけ詰め込み、伝票に衣類の枚数を書いておいたらルームキーパーが持って行き3~4日後には戻ってくる、Tシャツやパンツもちゃんと畳んで、それで一袋350円というのがうれしい。もちろん、シャワーの後は、妻が日本から持ってきた洗面器(百均で買った!)を使って下着は自分で洗濯するのですガ・・。
③ 食
4階にメイン・レストラン、9階にビュッフエ・レストランが2ケ所ある。朝食はほぼ毎日同じで、9階はジュース・コーヒー・各種パン・卵やハム・チーズ・ヨーグルトなどのバイキング形式、4階はおかゆ・ご飯の違いもある和食バイキング。昼・夕はメニューが貼りだされているのでそれを見て選ぶ。寄港日はだいたい同じだが、航行日は、大体4Fが和風、9Fが洋風の傾向となる。何しろ毎回千人分なので、4Fは早組と遅組に分けてあり、それを示すレストランカードを持たされている。誰が来たかまではチェックできないので、例えば若者が昼食時9階の片方でラーメンを食べ、もう一方でハンバーガーを食べるということもできる。夕食を9階で丼物を食べて19時半の部で4階にも来てまさにデザート付きのディナーコースを食べるということもできるし、実際にいる。おまけに、6時前から起きてウオーキングや太極拳をするご老人(とは限らないが)もいるので、6時半から9階でモーニングコーヒーもある。その上、15時から16時には、これも9階でアフタヌーン・ティー(3種類のミニケーキ付もとれる)を楽しめる。
寄港日にも、船内に残っておれば、食堂はやっているので80日×3食+モーニングコーヒーやティータイムの食事代が全部込みになっている。お味?主観的要素が高いので、ウーン、表現しにくいが、まあいいんではないか。割烹旅館に来ているわけではないんだが、たまにスペシャルコース的な豪華な夕飯も少なくない。何と言っても選べるし・・
飲むのはどうか、夕食時に酒を頼むことができる。IDカードで読み取って後で請求だから、ビールやワインを1杯程度たしなむ人は少なくない。また、居酒屋・バー・ピアノ演奏バーなどもあり、午前様まででも飲める。ぼるスナックよりは安全で、ビール中ジョッキ300~350円程度だから各国のビールを楽しめ、呑み助も安心。だから酒の持ち込み、部屋で一杯はだめ。船の入口で、横浜まで没収と相成る。ただし、お金を払ってキーボトルとして置いておくのは認められているので、寄港地で買っては毎夕楽しんでいる人もいる。
(ここ カラオケつきのbar)
④ 情報
ところで、今日どこで何があり、どう行動すればいいのか?という情報は、一つは直接集められての説明会と、もう一つ「船内新聞」によって得られる。毎日20時に発行される船内新聞には、翌日が航行日なら各場所で行われる活動の予定表、寄港日なら簡単な寄港地情報が掲載されているので、これなしには生活できなくなる。さらにオプショナルツアーに関しては前々日に各コースの集合場所や現地事情についてキャビンの入口ポストに届けられる。
一番飢えていたのは日本の情報、大海原を乗り切って船まで配達してくれる新聞は、ない! インターネットで見ればいいというのは一面的。100分3800円のカードを買って自分のパソコン登録をして、それから衛星を通じてつかまえる作業をしなければならない。それもなかなかつながらない。このブログをアップするだけでも、その場所にパソコンを持ち込んでつながるかは博打みたいなもので、1勝2敗ペース。インターネット検索などやっている余裕はない。マ、知らなくとも生きていけるし・・ 事務局がどこかの港に寄港した際、新聞をドサット差し入れすることが2回ほどあった。しばらくたてば、新聞はヨレヨレ・・

⑤ 航行日の様子
 さて、観光するだけでなく、ピースボートがピースボートたる所以は、寄港しない航行日によくあらわれている。ちなみに、乗船してまだ日が浅い4月17日(木)の私の日程は以下のようなものであった。
5:30~ 起床、洗面、×部屋で体操(風強くウオーキングできず)
6:40~8:00 朝食(9F)、接続悪いインターネットに挑戦したが、うまくいかず
8:30~9:45 ◎避難訓練(救命胴衣をもって集合点呼。その後の行動指示不明確でイライラ、救命艇の下まで行くもデッキで待つだけ、寒い!耐寒訓練のよう)
10:00~11:20 *日本のニュース⇒アカバから乗り込んできたジャーナリストが水先案内人の一人として、3/13以後のニュースを伝達
11:30~ この間に昼食(9Fへ)
12:30~13:45 *パレスチナレポート2014⇒パレスチナ人のNGO代表、当事者としてイスラエルの入植settlements問題、分離壁・検問所を設けて移動規制、パレスチナ人の拘束問題を報告。ここまでひどいとは、知らなかった、絶句。
14:15~15:45 *旧ユーゴスラビアへの扉⇒この地に30年関わる日本人ジャーナリストによる入門、寄港するクロアチア ドブロブニクを中心に、クロアチア人の証言も加味した解説。全く知らなかったバルカン半島の歴史。戦争起こすなという強いメッセージ
16:00~16:40 ◎航路説明会 今後の航路 明日からの3日連続の寄港地について
17:00~18:00 運動(腹筋・レッグイクステンション、アップ1Km8分、快調走3Km18分 シャワー
18:20~19:00 夕食+ビール(4F) 後休養
20:00~21:00 *ユーゴ紛争1991⇒昼間の続き。民族紛争と言いながら、クロアチアとセルビアは同根であるとの言説
21:30 ブログ書き、22時半 就寝
ピースボートは、名前や由来からして、寄港地・国・地域にまつわる平和・環境・人権上の課題を洋上生活の間に考えてもらうというスタンスをとっている。そのために「水先案内人」と名付けた学者・ジャーナリストや、現地の運動家などによる講座を設けている。 乗客の方も、ただ観光するだけでなく、寄港国(地域)のことを深く、あるいは教養として知っておきたいという人も少なくない。だから、500人くらい入る一番広いラウンジで、毎日3本ほどメインテーマの講演会等が開かれており、結構一杯になる。上記の表の中で*印の3つがそれにあたる。ちなみに◎印の二つは全員出席が要請されている。普段はいつみても麻雀宅にへばりついている婆様も、この時ばかりは参加しています。
デモ、こんな調子じゃもたないと分かり、途中からできてきた自分のペースは、次のようなもの。
6時過ぎ 起床、6時半~6:40 ラジオ体操、デッキウオーキング、
7:20~50 サルサ(毎朝同じ基礎練習で、できるようになった) 朝食9回ビュッフェ 部屋に帰りシャワー(8時過ぎまで 結構身体を動かしているのです)
9時過ぎから その日の講座等で聞きたいものを選ぶが、自主活動「花が咲くプロジェクト」のある時は優先的に参加⇒オジン・オバンが集まって、「花は咲く」、新沼謙治の「ふるさとは今も変わらず、」中村美津子の「夢の花 咲かそう」、「がんばれ 援歌」の4曲(いずれも東北復興支援の歌)を歌う。
昼食はほぼビュッフェで麺類かハンバーグ等
午後も「船内新聞」の情報次第。船内TVで映画のビデオ上映や、夜に7階ブロードウェイで名画をやるときもある(「7人の侍」、「天使のラブソング」、梁石日の「夜を賭けて」などを見た。昔のビデオだから時々使い古しビデオの形・色のつぶれた画像をみて懐かしく思ったりして)。