第3章 ピースボートの取組や仕掛け
① 水先案内人とそのパートナー(水パ)
ピースボートがただの観光船ではないということをそろそろご理解願えたと思うが(私らもしばらくたってなんとか理解するようになったのだが)、日常的には、寄港地・国・地域のピースボートが問題意識を感じている課題について、概説・解説してくれる水先案内人の講座がひらかれている。マスコミの池上 彰さんみたいな存在だ。大学等の先生、ジャーナリスト、外国人なら当事者・運動家等々。全行程ともにするのでなく、ある区間だけともにする。そして、一人の水先案内人に対し、食事を共にしたりして、コミュニケーションを密にできるパートナーが募集される。私は途中乗船のアカバ組なので、前半のことは分らないが、ラテンアメリカのまさに案内人Iさん、旧ユーゴ紛争のCさん、ジャーナリストのTさんの講座から得るものは多かった。外国人では、ラパヌイ(イースター島)のEさんの歌・踊りを通した訴えが何と言っても印象深い。ただし、外国人でも、思わず眉唾、無責任なしゃべりっぱなしではないかと思わせる人(例 エコノミック・ヒットマン)もおり、担当スタッフからの報告をもとに精査することが望まれる。
パートナーにはならなかったが、ユースアンバサダー(若いので水先案内人というより同世代の若者交流するなかで知的刺激を与える存在?と言っていいのかな)位置づけで乗船してきたTさんとは随分話をした。彼女のセミナーは学校・教育・人権(問題)をテーマにしたものだから、もともと私と同じ守備領域であるのだが、紹介されて喋りだしたら同じ大阪、それに私も関係あったK高校出身で、その高校や人権教育研究団体の教員について共通の知り合いがいたりして、最初からもりあがってしまった。もちろん世代や立場性の違いから、「そこは意見が違う」という場面も少なくなかったが、大いに意見交換させてもらった。学校・教育への視点の新鮮さやNPO活動をしているということもあり、帰国後も、なんらかのおつきあいを続けることになろう。
② おりづるプロジェクト
自主企画の様々なサークルがあるが、特筆すべきは、原爆投下から70年近く、70代・80代の被爆者数名がプロジェクトとして乗り込み(多分ピースボートも特別支援しているのだろう)、船内および寄港地ごとに語り継ぐ会、報告会を実施している。孫の世代に当たる若者が、語りを受け継ぐべく一緒に行動。3~40名くらいの孫鶴?が組織化されていった模様。ベネズエラのように一国の大統領に会見できるというのはよほどのこと、ピースボートの積み上げてきた実績は大したものだ。
私は、原水禁運動が政治的色合いで分裂していた時代があったことを知っているだけに、ほとんど近寄らなかったのだが、船内活動としてはそんな風潮もなかったので、少しだけこれに関わった。「はだしのゲン」が世に出て○年になるのを記念して、広島生まれの在日韓国人3世 李 翔雲が作曲した「メッセージ」を船内文化祭で歌うという計画があったようだが、そのころはおりづる固有のメンバーだけでは人数が少なく合唱の態をなすために、「歌う人大募集」との記事が出た。そこで、2日1時間ほど練習して、文化祭当日、一緒に出演したというわけ(安易!な参加だが・・)
③ 各支援プロジェクト
ヨルダンの難民キャンプに援助物資を届ける、地雷除去、核実験反対活動や署名、東北復興支援、いろんな環境保全活動、ベネズエラのエル・システマへの楽器贈与などのプロジェクトへの支援 ペルーの子ども若者への支援物資提供等々実に多彩だ。船内でこれらのプロジェクトの宣伝・紹介がある。(だから私の知らないものも多くあろう)
また、OPで現地の人々との交流や、植栽などの共同活動を行ううちに、継続的プロジェクトになっていったものもあると推測される。
④ 洋上運動会、文化祭、自主企画発表会、洋上歌合戦 等々
洋上運動会が5/2に、そして文化祭が5/6に開催された。いままでほとんど接触もせずよく分からなかった若者が、がぜん前面に出て輝きだしたのである。はしゃぐシニアを巻き込んで、船内活動は応援団ムード一色。今回が83回のピースボート就航であるから、さすがに長年の経験からうまく乗客を乗せるコツ(船だからのせるのがうまいのはあたりまえ?)をつかんでいる。
誕生月で4つの団に分け(またまた赤・青・白・黄色と色分け、だから夫婦でも同じ組になれるとは限らない)、サポーターの若者とノリノリのシニアに応援団を結成させ、数日で応援合戦ができるまでに持って行く。そして、当日、集合時に参加した人数をも点数化するというようなルールもこしらえるから、開会式くらいはお年寄りも参加せざるを得ない。デ、どの団も180±αということは、720人が甲板に詰めかけたわけで、レダック試算では何と乗客の9割が参加ということになる。炎天にもかかわらず、みなさん、よく乗ること・・高校の体育祭を思い出してください、団旗も、団の色の法被もポンポンも鉢巻もあるし、圧巻は応援合戦である。もちろん狭い甲板、しかも航行中につき揺れもある、だから違いは、例えば玉入れについては、選手は立ってはいけない、膝立で紙を丸めた玉を、少し高い所に上がった役員の頭上の籠めがけて投げる、という風に工夫しているし、4団同時に行うスペースが無いので2団での対決の繰り返しとなる。そして放送は日本語の次に必ず英語が入るところはこの船ならでは・・。ここ
こちとらは、運営上の妙に気をとられて、デイ・センターなどでも取り入れられるやりかたを考えたりするなどで、特にオバ(ア)さん方の熱狂ぶりとパワーに、ただただ恐れ入っておりました。厚かましいオジ(イ)さんに綱引きの出場権を奪われても腹も立ちません。私属する「青」団が優勝しましたが、他は若者が団長を務めていたが、ここだけシニア、どうも元同業者の感じ? それなりに楽しめました。(運動会と文化祭)
そして、文化祭。一つのプログラムは、M1グランプリという人気TVを模し、予選で10組の出場者の内から決勝進出者3組を競わすという本格的なもの、話芸が巧みで吉本若手よりはるかにうまいと感じた漫才コンビもいた。ほとんど若手だが、中に一人ウクレレ漫談風のシニアが笑いをとり、見事決勝に進出した(ただし、決勝ではネタがばれているので見事に敗退)。圧巻はダンス、ヤングがこの日のために仕上げたグループは予想通りとはいえ、船内でカルチャー・スクールとして講習を重ねたり、自主講座でやっているものが、なんと、ベリーダンス・社交ダンス・シニアのサンバ・フラダンス等出てくる、出てくる・・・衣装が波打っているのか、婆ちゃんの腹の肉のたるみかわからない・・・ダンス衣装だけで5箱も積み込んだという噂の主も衣装を変えて2回出ていた(そんなことまでよく分かるな、と言われそうですが、いわくがあるのです)。切り絵や、手芸・写真・水彩画・書道の展示含めて、これまた、高校の文化祭のレベルを凌駕しうるもの。そう言う僕も一つ出場しました(上述の「メッセ―ジ」の合唱)。もちろん、船内が沸き立っても、ソファーで海を眺めながら、睡眠・瞑想にふけったり、絵筆を動かし続ける人もおられたことは申し上げるまでもありません。
それだけでなく、5/23には自主企画発表会がもたれた。ちなみに、皆さん、どれだけ活躍されているかをお示しするためにステージ出演のチームを紹介しておこう。①寄港地水彩画グループの作品スライドショー、②ソーラン節、③ウクレレ、④二胡、⑤詩吟、⑥能楽小謡、⑦ダンス(若者)、⑧南京玉すだれ、⑨社交ダンス、⑩バンド、⑪ベリーダンス、⑫フラダンス、⑬タヒチアンダンス、そして⑭トリとしてわれらが「花は咲く」プロジェクトによる合唱、といった次第である。発表の場が与えられる、しかもトリで・・というわけで、先生(企画し、指揮をとれるおばさん)以下大張り切り。ただし、時間の関係で2曲しかご披露できない。「ふるさとは今も変わらず」と「花は咲く」で臨むことになった。一応どちらも少しづつ二部になっているのだが、マ、できる範囲で、なんといっても声をだしいい気分で歌うというところから始まったのだから。舞台衣装は上が白、下が黒、女性は胸に花ブローチということで、当日何と50人くらい集まった。僕も買ったものの日本ではあまり被れないパナマ帽をかぶり、唸って満足!(ここ)
さらに、さらに、さらに、5/30には、洋上歌合戦まであった。紅白でなく、出場者の部屋番号を左舷=偶数、右舷=奇数に分けて競うというものだが、下手にエントリーせずに良かった。というのは、歌合戦兼仮装大会というべき盛り上がりを見せた。若者は、数日の間に、グループを組織し、振り付け・衣装をしたてるのだからすごい。シニアでも、女装、踊りの振り付けなど爆笑に次ぐ爆笑・・僕が仮に出場したと想定するなら、「群青」をパナマ帽をかぶって、という想定だったが、完全にカブルことになってしまうところだった。つまり、「昴」をパナマ帽をかぶって熱唱したのが、体育大会の団長さんだったわけで、完全に二番煎じになるところだった。やはり、浮かれすぎなくてヨカッタ、これ教訓。
④ コモンビート(コモビ)
私は全然知らなかったが、いつの頃からか、このミュージカルもピースボートの名物となっているらしい。ミュージカルのストーリーは単純で、人種・文化等が異なる赤・緑・黄・青の4大陸はそれぞれの権力者によって統治され、相互の交流もなかったが、グローバル化の中で争い・混乱を乗り越え、共通の鼓動コモンビートに理解・共感を持つようになるという、いかにもピースボートらしいもの。100人に及ぶその出演者を、船内でオーディションを行い配役などを決めるという本格的なもの。専属スタッフは一人つくが、基本的には出演者がダンス・歌をクリアしていき、6月6日2回の公演にもちこむという、ちょっと想像を超えるもの。一定の著作権みたいなものをピースボートが持っており、地上でも同じような取り組みが行われている場合があるらしい。これに出たいがために、乗船2回目というシニアもいるほど。出演はしないけれど舞台衣装やダンス練習などの周辺応援団があちこちで練習するようになる。そして公演、なかにソロのヴォーカルで少し音を外したな、というのもあったけれど、十分入場料をとれる。大したものだ。まさに老いも若きも1月ほど共通の目標に向かって作り上げていくなかで生まれる出演者の一体感や満足を求めてリピーターになったという人の気持ちも分からないではない。
① 水先案内人とそのパートナー(水パ)
ピースボートがただの観光船ではないということをそろそろご理解願えたと思うが(私らもしばらくたってなんとか理解するようになったのだが)、日常的には、寄港地・国・地域のピースボートが問題意識を感じている課題について、概説・解説してくれる水先案内人の講座がひらかれている。マスコミの池上 彰さんみたいな存在だ。大学等の先生、ジャーナリスト、外国人なら当事者・運動家等々。全行程ともにするのでなく、ある区間だけともにする。そして、一人の水先案内人に対し、食事を共にしたりして、コミュニケーションを密にできるパートナーが募集される。私は途中乗船のアカバ組なので、前半のことは分らないが、ラテンアメリカのまさに案内人Iさん、旧ユーゴ紛争のCさん、ジャーナリストのTさんの講座から得るものは多かった。外国人では、ラパヌイ(イースター島)のEさんの歌・踊りを通した訴えが何と言っても印象深い。ただし、外国人でも、思わず眉唾、無責任なしゃべりっぱなしではないかと思わせる人(例 エコノミック・ヒットマン)もおり、担当スタッフからの報告をもとに精査することが望まれる。
パートナーにはならなかったが、ユースアンバサダー(若いので水先案内人というより同世代の若者交流するなかで知的刺激を与える存在?と言っていいのかな)位置づけで乗船してきたTさんとは随分話をした。彼女のセミナーは学校・教育・人権(問題)をテーマにしたものだから、もともと私と同じ守備領域であるのだが、紹介されて喋りだしたら同じ大阪、それに私も関係あったK高校出身で、その高校や人権教育研究団体の教員について共通の知り合いがいたりして、最初からもりあがってしまった。もちろん世代や立場性の違いから、「そこは意見が違う」という場面も少なくなかったが、大いに意見交換させてもらった。学校・教育への視点の新鮮さやNPO活動をしているということもあり、帰国後も、なんらかのおつきあいを続けることになろう。
② おりづるプロジェクト
自主企画の様々なサークルがあるが、特筆すべきは、原爆投下から70年近く、70代・80代の被爆者数名がプロジェクトとして乗り込み(多分ピースボートも特別支援しているのだろう)、船内および寄港地ごとに語り継ぐ会、報告会を実施している。孫の世代に当たる若者が、語りを受け継ぐべく一緒に行動。3~40名くらいの孫鶴?が組織化されていった模様。ベネズエラのように一国の大統領に会見できるというのはよほどのこと、ピースボートの積み上げてきた実績は大したものだ。
私は、原水禁運動が政治的色合いで分裂していた時代があったことを知っているだけに、ほとんど近寄らなかったのだが、船内活動としてはそんな風潮もなかったので、少しだけこれに関わった。「はだしのゲン」が世に出て○年になるのを記念して、広島生まれの在日韓国人3世 李 翔雲が作曲した「メッセージ」を船内文化祭で歌うという計画があったようだが、そのころはおりづる固有のメンバーだけでは人数が少なく合唱の態をなすために、「歌う人大募集」との記事が出た。そこで、2日1時間ほど練習して、文化祭当日、一緒に出演したというわけ(安易!な参加だが・・)
③ 各支援プロジェクト
ヨルダンの難民キャンプに援助物資を届ける、地雷除去、核実験反対活動や署名、東北復興支援、いろんな環境保全活動、ベネズエラのエル・システマへの楽器贈与などのプロジェクトへの支援 ペルーの子ども若者への支援物資提供等々実に多彩だ。船内でこれらのプロジェクトの宣伝・紹介がある。(だから私の知らないものも多くあろう)
また、OPで現地の人々との交流や、植栽などの共同活動を行ううちに、継続的プロジェクトになっていったものもあると推測される。
④ 洋上運動会、文化祭、自主企画発表会、洋上歌合戦 等々
洋上運動会が5/2に、そして文化祭が5/6に開催された。いままでほとんど接触もせずよく分からなかった若者が、がぜん前面に出て輝きだしたのである。はしゃぐシニアを巻き込んで、船内活動は応援団ムード一色。今回が83回のピースボート就航であるから、さすがに長年の経験からうまく乗客を乗せるコツ(船だからのせるのがうまいのはあたりまえ?)をつかんでいる。
誕生月で4つの団に分け(またまた赤・青・白・黄色と色分け、だから夫婦でも同じ組になれるとは限らない)、サポーターの若者とノリノリのシニアに応援団を結成させ、数日で応援合戦ができるまでに持って行く。そして、当日、集合時に参加した人数をも点数化するというようなルールもこしらえるから、開会式くらいはお年寄りも参加せざるを得ない。デ、どの団も180±αということは、720人が甲板に詰めかけたわけで、レダック試算では何と乗客の9割が参加ということになる。炎天にもかかわらず、みなさん、よく乗ること・・高校の体育祭を思い出してください、団旗も、団の色の法被もポンポンも鉢巻もあるし、圧巻は応援合戦である。もちろん狭い甲板、しかも航行中につき揺れもある、だから違いは、例えば玉入れについては、選手は立ってはいけない、膝立で紙を丸めた玉を、少し高い所に上がった役員の頭上の籠めがけて投げる、という風に工夫しているし、4団同時に行うスペースが無いので2団での対決の繰り返しとなる。そして放送は日本語の次に必ず英語が入るところはこの船ならでは・・。ここ
こちとらは、運営上の妙に気をとられて、デイ・センターなどでも取り入れられるやりかたを考えたりするなどで、特にオバ(ア)さん方の熱狂ぶりとパワーに、ただただ恐れ入っておりました。厚かましいオジ(イ)さんに綱引きの出場権を奪われても腹も立ちません。私属する「青」団が優勝しましたが、他は若者が団長を務めていたが、ここだけシニア、どうも元同業者の感じ? それなりに楽しめました。(運動会と文化祭)
そして、文化祭。一つのプログラムは、M1グランプリという人気TVを模し、予選で10組の出場者の内から決勝進出者3組を競わすという本格的なもの、話芸が巧みで吉本若手よりはるかにうまいと感じた漫才コンビもいた。ほとんど若手だが、中に一人ウクレレ漫談風のシニアが笑いをとり、見事決勝に進出した(ただし、決勝ではネタがばれているので見事に敗退)。圧巻はダンス、ヤングがこの日のために仕上げたグループは予想通りとはいえ、船内でカルチャー・スクールとして講習を重ねたり、自主講座でやっているものが、なんと、ベリーダンス・社交ダンス・シニアのサンバ・フラダンス等出てくる、出てくる・・・衣装が波打っているのか、婆ちゃんの腹の肉のたるみかわからない・・・ダンス衣装だけで5箱も積み込んだという噂の主も衣装を変えて2回出ていた(そんなことまでよく分かるな、と言われそうですが、いわくがあるのです)。切り絵や、手芸・写真・水彩画・書道の展示含めて、これまた、高校の文化祭のレベルを凌駕しうるもの。そう言う僕も一つ出場しました(上述の「メッセ―ジ」の合唱)。もちろん、船内が沸き立っても、ソファーで海を眺めながら、睡眠・瞑想にふけったり、絵筆を動かし続ける人もおられたことは申し上げるまでもありません。
それだけでなく、5/23には自主企画発表会がもたれた。ちなみに、皆さん、どれだけ活躍されているかをお示しするためにステージ出演のチームを紹介しておこう。①寄港地水彩画グループの作品スライドショー、②ソーラン節、③ウクレレ、④二胡、⑤詩吟、⑥能楽小謡、⑦ダンス(若者)、⑧南京玉すだれ、⑨社交ダンス、⑩バンド、⑪ベリーダンス、⑫フラダンス、⑬タヒチアンダンス、そして⑭トリとしてわれらが「花は咲く」プロジェクトによる合唱、といった次第である。発表の場が与えられる、しかもトリで・・というわけで、先生(企画し、指揮をとれるおばさん)以下大張り切り。ただし、時間の関係で2曲しかご披露できない。「ふるさとは今も変わらず」と「花は咲く」で臨むことになった。一応どちらも少しづつ二部になっているのだが、マ、できる範囲で、なんといっても声をだしいい気分で歌うというところから始まったのだから。舞台衣装は上が白、下が黒、女性は胸に花ブローチということで、当日何と50人くらい集まった。僕も買ったものの日本ではあまり被れないパナマ帽をかぶり、唸って満足!(ここ)
さらに、さらに、さらに、5/30には、洋上歌合戦まであった。紅白でなく、出場者の部屋番号を左舷=偶数、右舷=奇数に分けて競うというものだが、下手にエントリーせずに良かった。というのは、歌合戦兼仮装大会というべき盛り上がりを見せた。若者は、数日の間に、グループを組織し、振り付け・衣装をしたてるのだからすごい。シニアでも、女装、踊りの振り付けなど爆笑に次ぐ爆笑・・僕が仮に出場したと想定するなら、「群青」をパナマ帽をかぶって、という想定だったが、完全にカブルことになってしまうところだった。つまり、「昴」をパナマ帽をかぶって熱唱したのが、体育大会の団長さんだったわけで、完全に二番煎じになるところだった。やはり、浮かれすぎなくてヨカッタ、これ教訓。
④ コモンビート(コモビ)
私は全然知らなかったが、いつの頃からか、このミュージカルもピースボートの名物となっているらしい。ミュージカルのストーリーは単純で、人種・文化等が異なる赤・緑・黄・青の4大陸はそれぞれの権力者によって統治され、相互の交流もなかったが、グローバル化の中で争い・混乱を乗り越え、共通の鼓動コモンビートに理解・共感を持つようになるという、いかにもピースボートらしいもの。100人に及ぶその出演者を、船内でオーディションを行い配役などを決めるという本格的なもの。専属スタッフは一人つくが、基本的には出演者がダンス・歌をクリアしていき、6月6日2回の公演にもちこむという、ちょっと想像を超えるもの。一定の著作権みたいなものをピースボートが持っており、地上でも同じような取り組みが行われている場合があるらしい。これに出たいがために、乗船2回目というシニアもいるほど。出演はしないけれど舞台衣装やダンス練習などの周辺応援団があちこちで練習するようになる。そして公演、なかにソロのヴォーカルで少し音を外したな、というのもあったけれど、十分入場料をとれる。大したものだ。まさに老いも若きも1月ほど共通の目標に向かって作り上げていくなかで生まれる出演者の一体感や満足を求めてリピーターになったという人の気持ちも分からないではない。