今日の空。
午後5時の太陽(西の空)と月(東の空)です。
午後6時の星(西の空)と月(東の空)です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
続けての病院ネタでごめんなさい。
でも、イタイのは出て来ませんので、ご安心ください。
どちらかと言えば、私は思い出して、つい、にやにやしてしまうお話。
老舗A病院と母のお話。
あれはもう、祖父母ともに亡くなって、まだ、母の認知症もあきらかには
なっていなかったころなので、まだ母が50代だったかと思います。
母の認知症が疑われる行動がはじまったのは60歳過ぎでしたので。
当時はほとんど出かけていて、家にいる母をあまり見かけていなかったの
ですが、外から珍しく電話がかかって来ました。
ちょっと風邪気味だったので、いつものようにA病院に行って薬をもらおうと
していたようです。
母の受診はあまりにも先生方と親し過ぎて、ほとんど診察もなしに「風邪だから
薬を出して」みたいなやり取りで、薬だけを強奪?してくるありさま。
まあ、家でも女王様気質の母でしたから、先生たちも自分の思うようにさせようと
しているのではないかと、内心ではひやひや。
もちろん、これには母なりの理由があって、こちらの病院は院長がお父様の代から
夫婦ともにお世話になっていて、その当時は息子さんの代になっていたので、
どちらかと言えば、お友達の息子さんみたいな感覚だったと思います。
父は受診して帰ろうとしていたら館内放送で「もどって来てください」と
言われて、何事かと戻れば、外国人の方が受診されていて、通訳に父を呼んだ、
みたいなことも。それくらい親しい関係だったから、薬だけの強奪?も
可能だったのですが、そのときの電話では「入院になった」とのこと。
「帰って準備して来るからって言うのに、先生が言うことを聞かないのよ」と
母はご立腹状態。当時のA病院はかなり大きな病院になっていましたから、
親子代々でお世話になっている院長先生たち(ご兄弟で医師)ではなく、別の
新しい先生だったので、検査もせずに薬だけを強奪したい母の言うことなんて
聞いてくださるはずはありません。肺炎になっているとのことで、「そのまま
入院してください」と帰宅するのを頑なに拒まれたとかで、納得いかない様子
ながら渋々という感じ。
持病はありましたが、若いときにはテニスの選手で、県大会の優勝戦に
必ず出ていたくらいの有名な選手だったとかで、身体を鍛えていたのと、
仕事でも遠方までよく出かけるといった活動的な生活をしていたせいか、
それまで入院はしたことがなかったので、聞いた私の方はあわててしまいましたが、
すぐに、入院の準備を整えて、母のところに駆けつけました。
すると、母ったら、また、また、先生ともめたらしく。
何のわがままを言ったのかと思ったら、帰宅がだめなら「美容室に行かせて」
と迫ったようで。心の中でため息。いつものことながら、『私には何を言っても
いいけど、よそさまに言ってはいけないことはあるのに』と思う娘。
帰宅はだめで美容室がいいなんて、先生が言うはずはないくらい、わかりそうな
ものなんですが、母には通用しません。
それでも、「お母さんのからだを心配してくださっているんだから、少し、
症状が治まってから、お願いしたらどうかしら?」とやんわり提案。
しかしながら、そんな説得に耳を傾けることなんてない母、
もう年末で、美容室もお休みに入るので、どうしても行かないといけないのだと
母の主張。「入院する必要もないのに、入院させられて迷惑」という不満顔(笑)
ブログ再開のときからこのブログを読んでくださっている方はおわかりかと
思いますが、私の母はビジュ第一主義者でして。美容室は週に1回もしくは2回、
必ず行くという習慣がございました。入院しているのにそんなビジュなんて、
気にする必要はないのではないかと。特に年末でみなさん、お忙しいでしょうし、
お見舞いなどもお見えではないとも思うし。
などと思いながらも、母を責めるようなことを言うと、逆上させてしまうので、
母にはそれ以上は何も言わず、先生と看護師さんに「ご迷惑をおかけして申し
訳ありません」と頭を下げた私。さすがに肺炎の患者に寒空の外出許可なんて
出さないたろうと思い、その日は付き添って相手をしてなだめてから帰ったの
ですが、翌日、面会時間になって、また行ってみると…。
行ってましたよ、母(笑) 無理やり、病院を抜け出して美容室に行ったとのこと。
ああ。やっぱりねえ。母の言うことは先生でも折れるしかないのですね。
ご迷惑な患者で申し訳ないと、娘の私はもうほんとに肩身が狭い。
もちろん、今まで入院などしたことがない母は、絶対的に自分の身体には自信が
あってのことだろうとは思いますが。
ただ、今、思い出してみると、入院させられて、「美容室に行ってくるんだ」と
言って聞かない患者さんなんて母くらいかもと笑ってしまうのです。
そして、外出していた母。美容室に行っただけではなく、おしゃれなパジャマを
探して、購入して帰ってた(笑)
もう、本当に呆れるというか、ここまで、ビジュ徹底している人って、ある意味、
尊敬だなあと思うところです。
その年は生まれて初めての入院。そして、年越しを病院で迎えるという、本当に
はじめて尽くしの経験をした母。私は作ったおせちをお重に詰めて、段重ねで
持って行くと、さすがにとても喜んでくれたのでした。
そう言えば、私が仕事で県外に住み、家を離れて暮らしていたときに母は自宅で
腕を折ったらしく。さすがに涙目で痛みに耐えながら、電話帳で必死に病院を
探していたと父が言っていました。父が自宅にいるのに、頼りもせずに、
自力で何とかしようとしていた母のことをどう評価すべきなのか。
不仲の父に絶対に頼りたくないという姿勢なのか。自分のことは自分でなんとか
する主義なのか…。おそらく、私がいれば、私には頼ったとは思うのですけれど。
母はとにかく気が急くタイプで、何事もすぐにやらないと気がすまない。
それに比べて、父の口癖は、「まあ、待たんか」で、母が何かをして欲しいと
頼んでも、すぐには絶対にやらない。ひどいときは、何日も待たされる。
私たち子供に対しても、小さい時から「自分のことは自分でやれ」の人なので、
妻の頼み事だって、すぐには動きません。
そのため、母はすぐに諦め、ほとんどのことは自分でやってしまうことに。
もともと、理系頭の母。計算なんて、暗算でお手のもの。昔、スーパーがまだ、
バーコード読み取りではなく、手打ちをしていた時代。料理教室用の材料を
山ほど買ったとき、レジの方の合計額を聞いて、「あなた、打ち違っているから、
やり直して」と要求。レジの方は「私は間違っていません」と拒否。それでも、
母は譲らず。結局、暗算していた母の方が正しかったというくらい。
料理レシピも醤油の塩分量が何パーセントだから、この分量にする必要が
あるといった分析をしていて、とても緻密(私のいい加減なレシピとは大違い)。
ビデオが登場したときも予約録画とか、父ができなくても母ができる。
車の運転も30代で免許を取りましたが、とにかく成績がよくて、表彰されたとか。
運転もうまくて、車庫入れとか大好き。ぶつけたこともありませんでした。
父はバイクの運転はできましたが、車の運転はしなかったので、どこに行くのも、
母の運転。父はのせてもらうだけ。
新しくガスオーブンなんかを設置したりするときも自分で分岐配管したり。
大工仕事を頼んでも父がやらないと、結局、母がやってしまうし、母の方が速くて
うまいので、ある意味、父はいなくてもいいような状態ではあったのです。
学生時代は文武両道にできのよかった母、結婚してからは生活すべてのことを
器用にこなせる母。そして仕事でも、稼げる母。こういった妻に対しては、
せめてお願いされたことはすぐにやってあげるとか、やさしくしてあげるとか、
夫としては「努力」が必要だったのでは?と思うわけですが。他人なのですから。
もちろん、不仲の原因は暮らしていく上での価値観の相違や性格の問題だけでは
ない深刻な問題があったわけですが。
私の客観的な感想としては、殿様気質の父と女王様の母。どっちもどっち(笑)
午後5時の太陽(西の空)と月(東の空)です。
午後6時の星(西の空)と月(東の空)です。
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続けての病院ネタでごめんなさい。
でも、イタイのは出て来ませんので、ご安心ください。
どちらかと言えば、私は思い出して、つい、にやにやしてしまうお話。
老舗A病院と母のお話。
あれはもう、祖父母ともに亡くなって、まだ、母の認知症もあきらかには
なっていなかったころなので、まだ母が50代だったかと思います。
母の認知症が疑われる行動がはじまったのは60歳過ぎでしたので。
当時はほとんど出かけていて、家にいる母をあまり見かけていなかったの
ですが、外から珍しく電話がかかって来ました。
ちょっと風邪気味だったので、いつものようにA病院に行って薬をもらおうと
していたようです。
母の受診はあまりにも先生方と親し過ぎて、ほとんど診察もなしに「風邪だから
薬を出して」みたいなやり取りで、薬だけを強奪?してくるありさま。
まあ、家でも女王様気質の母でしたから、先生たちも自分の思うようにさせようと
しているのではないかと、内心ではひやひや。
もちろん、これには母なりの理由があって、こちらの病院は院長がお父様の代から
夫婦ともにお世話になっていて、その当時は息子さんの代になっていたので、
どちらかと言えば、お友達の息子さんみたいな感覚だったと思います。
父は受診して帰ろうとしていたら館内放送で「もどって来てください」と
言われて、何事かと戻れば、外国人の方が受診されていて、通訳に父を呼んだ、
みたいなことも。それくらい親しい関係だったから、薬だけの強奪?も
可能だったのですが、そのときの電話では「入院になった」とのこと。
「帰って準備して来るからって言うのに、先生が言うことを聞かないのよ」と
母はご立腹状態。当時のA病院はかなり大きな病院になっていましたから、
親子代々でお世話になっている院長先生たち(ご兄弟で医師)ではなく、別の
新しい先生だったので、検査もせずに薬だけを強奪したい母の言うことなんて
聞いてくださるはずはありません。肺炎になっているとのことで、「そのまま
入院してください」と帰宅するのを頑なに拒まれたとかで、納得いかない様子
ながら渋々という感じ。
持病はありましたが、若いときにはテニスの選手で、県大会の優勝戦に
必ず出ていたくらいの有名な選手だったとかで、身体を鍛えていたのと、
仕事でも遠方までよく出かけるといった活動的な生活をしていたせいか、
それまで入院はしたことがなかったので、聞いた私の方はあわててしまいましたが、
すぐに、入院の準備を整えて、母のところに駆けつけました。
すると、母ったら、また、また、先生ともめたらしく。
何のわがままを言ったのかと思ったら、帰宅がだめなら「美容室に行かせて」
と迫ったようで。心の中でため息。いつものことながら、『私には何を言っても
いいけど、よそさまに言ってはいけないことはあるのに』と思う娘。
帰宅はだめで美容室がいいなんて、先生が言うはずはないくらい、わかりそうな
ものなんですが、母には通用しません。
それでも、「お母さんのからだを心配してくださっているんだから、少し、
症状が治まってから、お願いしたらどうかしら?」とやんわり提案。
しかしながら、そんな説得に耳を傾けることなんてない母、
もう年末で、美容室もお休みに入るので、どうしても行かないといけないのだと
母の主張。「入院する必要もないのに、入院させられて迷惑」という不満顔(笑)
ブログ再開のときからこのブログを読んでくださっている方はおわかりかと
思いますが、私の母はビジュ第一主義者でして。美容室は週に1回もしくは2回、
必ず行くという習慣がございました。入院しているのにそんなビジュなんて、
気にする必要はないのではないかと。特に年末でみなさん、お忙しいでしょうし、
お見舞いなどもお見えではないとも思うし。
などと思いながらも、母を責めるようなことを言うと、逆上させてしまうので、
母にはそれ以上は何も言わず、先生と看護師さんに「ご迷惑をおかけして申し
訳ありません」と頭を下げた私。さすがに肺炎の患者に寒空の外出許可なんて
出さないたろうと思い、その日は付き添って相手をしてなだめてから帰ったの
ですが、翌日、面会時間になって、また行ってみると…。
行ってましたよ、母(笑) 無理やり、病院を抜け出して美容室に行ったとのこと。
ああ。やっぱりねえ。母の言うことは先生でも折れるしかないのですね。
ご迷惑な患者で申し訳ないと、娘の私はもうほんとに肩身が狭い。
もちろん、今まで入院などしたことがない母は、絶対的に自分の身体には自信が
あってのことだろうとは思いますが。
ただ、今、思い出してみると、入院させられて、「美容室に行ってくるんだ」と
言って聞かない患者さんなんて母くらいかもと笑ってしまうのです。
そして、外出していた母。美容室に行っただけではなく、おしゃれなパジャマを
探して、購入して帰ってた(笑)
もう、本当に呆れるというか、ここまで、ビジュ徹底している人って、ある意味、
尊敬だなあと思うところです。
その年は生まれて初めての入院。そして、年越しを病院で迎えるという、本当に
はじめて尽くしの経験をした母。私は作ったおせちをお重に詰めて、段重ねで
持って行くと、さすがにとても喜んでくれたのでした。
そう言えば、私が仕事で県外に住み、家を離れて暮らしていたときに母は自宅で
腕を折ったらしく。さすがに涙目で痛みに耐えながら、電話帳で必死に病院を
探していたと父が言っていました。父が自宅にいるのに、頼りもせずに、
自力で何とかしようとしていた母のことをどう評価すべきなのか。
不仲の父に絶対に頼りたくないという姿勢なのか。自分のことは自分でなんとか
する主義なのか…。おそらく、私がいれば、私には頼ったとは思うのですけれど。
母はとにかく気が急くタイプで、何事もすぐにやらないと気がすまない。
それに比べて、父の口癖は、「まあ、待たんか」で、母が何かをして欲しいと
頼んでも、すぐには絶対にやらない。ひどいときは、何日も待たされる。
私たち子供に対しても、小さい時から「自分のことは自分でやれ」の人なので、
妻の頼み事だって、すぐには動きません。
そのため、母はすぐに諦め、ほとんどのことは自分でやってしまうことに。
もともと、理系頭の母。計算なんて、暗算でお手のもの。昔、スーパーがまだ、
バーコード読み取りではなく、手打ちをしていた時代。料理教室用の材料を
山ほど買ったとき、レジの方の合計額を聞いて、「あなた、打ち違っているから、
やり直して」と要求。レジの方は「私は間違っていません」と拒否。それでも、
母は譲らず。結局、暗算していた母の方が正しかったというくらい。
料理レシピも醤油の塩分量が何パーセントだから、この分量にする必要が
あるといった分析をしていて、とても緻密(私のいい加減なレシピとは大違い)。
ビデオが登場したときも予約録画とか、父ができなくても母ができる。
車の運転も30代で免許を取りましたが、とにかく成績がよくて、表彰されたとか。
運転もうまくて、車庫入れとか大好き。ぶつけたこともありませんでした。
父はバイクの運転はできましたが、車の運転はしなかったので、どこに行くのも、
母の運転。父はのせてもらうだけ。
新しくガスオーブンなんかを設置したりするときも自分で分岐配管したり。
大工仕事を頼んでも父がやらないと、結局、母がやってしまうし、母の方が速くて
うまいので、ある意味、父はいなくてもいいような状態ではあったのです。
学生時代は文武両道にできのよかった母、結婚してからは生活すべてのことを
器用にこなせる母。そして仕事でも、稼げる母。こういった妻に対しては、
せめてお願いされたことはすぐにやってあげるとか、やさしくしてあげるとか、
夫としては「努力」が必要だったのでは?と思うわけですが。他人なのですから。
もちろん、不仲の原因は暮らしていく上での価値観の相違や性格の問題だけでは
ない深刻な問題があったわけですが。
私の客観的な感想としては、殿様気質の父と女王様の母。どっちもどっち(笑)