ただいまBS12(トゥエルビ)で、昭和45(1970)年の
水前寺清子さんを主人公に、
山岡久乃さんの母親役、恋人役は石坂浩二さんのキャストで
第3シリーズまで続いたTBSの人気ドラマだ。
小学生だったわたしも、夢中で観ていた。
第二シリーズでは、民放ドラマ史上最高の56.3% を記録したという。
すごいよね~~
今回は再放送で観る2度目、
10年近く前にも、BS12で再放送され、懐かしく観ている。
第1子リーズは「警察官」編、主人公は「婦人警官」である。
この言葉は、もはや死語だね・・・w
時代が違うので、違和感を感じまくるのは当たり前なので、
そこはあえて触れない。
今の価値観で、過去を問うても意味が無い。
一言だけ言うならば、以前観たときよりも、
ぎょっとさせられる頻度が多くなった気がする。
それだけ時代が変化したのか、わたしが年をとったのか・・・w
注目したいのは、ドラマの年、1970(昭和45)年。
大阪万博の年だ。
万博に行きたくて家出した、出かける費用を工面するのに
必死というエピソードが盛り込まれている。
(うちは、母が混雑や行列が大嫌いなので、ハナから行く気がなく、
子どものわたしは、ねだってもムダと諦めていた。)
万博の話題と並び、毎話、必ずと言っても良いほど、
登場するのが戦争。
たとえば・・・
光の母・勝(カツ 山岡久乃)と、香(シズカ 乙羽信子)は
女学校時代からの長い付き合いだ。
二人並んでの昔話も、こんな具合。
「私達の若い頃は、何にも無くて、空襲で逃げ惑って
それでも、お国のためってね・・・」
せんべい屋の比奈子 (長山藍子)、香子(和泉雅子)姉妹の
伯父夫婦は、空襲で焼け出され青森へ。
「おじさんは珈琲が好きで、あの頃から豆を自分で挽いていたんだよ。
それなのに戦争で何もかも焼けちまって、
馬鹿馬鹿しいったらありゃしない」
昨日は、娘の光(水前寺清子)と母・勝の話題で
こんなやりとりがあった。
「あんた、現代っ子のわりに、ウェットだね」
「母さんは、戦中派のくせに、ドライね」
つまり、会話には普通に「戦争」が入り込んでいると言うこと。
・・・というか、圧倒的に体験者が多いので、
「戦争」は共通体験、日常なのだ。
1970(昭和45)年、戦争が終わって、
やっと四半世紀。
現在、2024(令和6)年の四半世紀前と言えば、1999年。
あ、ノストラダムスの大予言か~~w
コソボ紛争、エリツィン辞任によりプーチン大統領誕生、
東ティモールの独立投票・・・
わたしが「マトリックス」や「シックスセンス」を観た頃。
つい最近とは、さすがに思えないけれど、
そんなに昔のこととも思えない・・・
この感覚が、昭和45年からみた終戦の年ってこと。
そりゃ、「戦争体験の継承」は期せずして行われるのも当然。
核家族だった我が家で、戦争の体験を日常的に語る人はいなくても、
ちゃ~んとドラマの中で、私は聞いて育っている。
もちろん、今だって、毎日「戦争」は話題だ。
新聞・TVで、ネットニュースで、ウクライナやガザの戦禍が
毎日伝えられている。
でも・・・どうなんだろう?
「遠い国の話」という気持ちが、どうしてもある。
いや、それを言えば、かつての戦争体験者の話だって
「また始まったよね」くらいの他人事として
若い世代は聞いていたのかも知れない。
・・・難しい。
昨日、録画してあった「ありがとう」を観た後、
何気にテレビに切り替えたら、
現在の水前寺清子さんが映ってびっくり。
「ありがとうの唄」(主題歌)も熱唱なさる。
「そのとき」の世相を映す映像として、
「母親が自動車学校へ通う」「秘書養成講座」
ヒッピー、アングラ族も流された。
「戦争を知らない世代による新しい文化」というような
ナレーションと共に。
1970(昭和45)年・・・今から54年も前の話。
当時の四半世紀前・終戦の年より、
現在は、はるかはるか遠くの時代なのだ。
小柄な水前寺さんは、ますます小さくおなりだけれど、
お元気・・・
「ありがとう」を観ていた小学生のわたしが、
もうシニアな年齢だもんね、時は流れている。
なんか、もんのすご~く濃くて長い時間を
生きてきたような気がする😅
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冒頭画像は、近所で咲き始めたシュウカイドウです。
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