歴タビ日記~風に吹かれて~

歴タビ、歴史をめぐる旅。旅先で知った、気になる歴史のエピソードを備忘録も兼ね、まとめています。

海軍兵学校跡・見学記Ⅱ~生徒館の鏡

2023-04-14 16:31:22 | 広島県
3月に出かけた広島の旅。
江田島の「海軍兵学校」跡は、とりわけ楽しみにしていた。

「赤レンガ」こと、かつての海軍兵学校生徒館
(現・幹部候補生学校庁舎)について、
印象に残ったことを記しておきたい。



生徒館は兵学校の生徒が生活し、教育を受ける場だ。
寝室、講堂(教室)、温習所(自習室)ばかりか
応接所や診療所なども備えていたという。

もともと、兵学校は東京築地にあった。(↓)
けれど、今も昔も、都会は何かと誘惑が多いもの。
未来の海軍士官となる若者を、しっかり鍛錬をし、学ばせたい。
そんなことから、海軍鎮守府のある呉に近く、
環境のよい江田島が移転先に選ばれる。



とはいえ、生徒館が完成するのは明治26(1893)年
築地から移転し、5年が経っていた。
その間、生徒は、老朽化した船で生活し、学んでいたそうだ。
それが、この生徒館での生活に変わる!
さぞ新しい「生徒館」は輝かしく見えたことだろう。



明治のこの頃は、国の機関はもちろん、
地方行政機関でも、豪奢な建物が建築された時代。
しかし、海軍は、なるべく節約し、浮いた分を軍艦の購入など
実利に当てたという。

海軍兵学校も、そのひとつ。
海軍士官の養成は未来への投資だ。
「現場の部下や後に続く、有為な人材のために多くの予算を使い、
組織としての実力を養おうとする、それが明治の海軍」だったそうだ。
(72頁)

(「明治の海軍」の伝統は、その後、如何に・・?)

その現れが、たとえば、赤レンガ。
生徒館の白い柱との対比の美しいが・・・一個あたりの値段は
当時のレンガ職人がもらう日給の3倍から5倍もするのだとか。
(ひょえ~~~)

とはいえ、令和に生きる私たちがみても、美しいレンガ造り・・・
130年を経てなお、これならば、決して高くはない買い物かも。




さて、海軍士官は、真っ白な軍服の颯爽としたイメージだ。
里中満智子のマンガ(「明日輝く」だった?)でも
「海軍さんって素敵。結婚相手は、海軍さんにすればよかった」
というセリフを覚えている。
わたしも、少女の心に、しっかり憧れを植え付けられたということ。



この海軍のスマートさは、兵学校でも同じだ。
第一種軍装はネーヴィ・ブルーの軍服、第二種軍装は緑色の夏服、
第三種軍装の授業や訓練で着るカーキ色の陸戦服・・・

洋装だって、珍しい時代のこと、
それはそれは洗練されて見えたにちがいない。


ちなみに、兵学校では、これらの軍装に加え、冬外套(コート)、
レインコート、帽子、巻ゲートル、体操服、
棒倒し服(棒倒しは兵学校伝統)、靴下や褌、
運動靴や靴まで支給されたそうな。

ただし、私服の着用は、一切不可。
着ていたものは、入学の日に、全て家に送り返したとか。
「娑婆」と縁を切るわけだ。



さて、生徒館では、(↑)有名な鏡(姿見)を案内してもらえた。
「おお、これがっ!」・・・感動。

兵学校の出てくる小説やエッセイで、鏡はお馴染みなのだ。

生徒館には、あちこちに鏡があったという。
鏡で、身だしなみを常に点検するよう、と申し渡され、
きちんとしていなければ、一号生(最上級生)から叱られる。

「1日1回は鏡の前に立ち、心を映してみよ」と教えられたのだとか。



さらに、兵学校では、自分のことは自分でする。
めでたく海軍士官に任官し、軍艦勤務で洋上生活が続けば、
「お手伝いさんなどいないのだから」掃除や片付けはもちろん、
ボタン付けや洗濯まで、身の回りのことは自分でしなければならない。
制服にブラシをかけるなどは、あたりまえ。

なるほど、凜々しい制服を着た海軍軍人は、
日々の手入れの賜物なのか。


この、まぶしい海軍の制服は
「みんなが憧れる海軍にしたかった」(138頁)から、かもとも・・・。

後に、予科練では「七つボタンは桜に錨」をアピールし、
予科練の生徒ながら、正装は海軍士官のスタイルを真似、
少年を募集する。
あたりまえだが、予科練に入ったところで、海軍士官になれるわけではなく
予科練は、制服を真似しただけの、全く違う組織だ。

当時は、それほどまでに海軍(制服?)へのあこがれが
強かったと言うことだろう。


ただし・・・
日本では、まぶしいばかりの海軍の制服ながら
欧米に比べれば「はるかに地味で見劣りのするもの」だったという。

「日本は貧しかったのです。
貧しい国が、なぜ裕福な欧米相手に戦争などはじめたのかと、
いまさらながら思います」(138頁)
とは、海軍兵学校、最後の入学生だった徳川宗英氏の言葉。

もうひとつ。
「七つボタンは桜の錨」に憧れ、予科練に志願した少年兵は
多くが、特攻隊員として命を失うことになる。
なんともやりきれない。


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おつきあいいただき、どうもありがとうございます。

本記事は、以下の本を参考にまとめましたが、
間違いや勘違いもあるかと存じます。
素人のことと、ご容赦下さい。

◆参考・引用
徳川宗英 『江田島海軍兵学校 世界最高の教育機関』角川新書

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