広島県呉市も、以前から行きたかった街。
かつて我が神奈川の横須賀と同じく、海軍の鎮守府が置かれていた、
戦艦大和が建造された地だから・・・と
近代史好きとして、理由は尽きない。
時間の都合で、ほんの少ししか歩けないが、楽しみにしていた。
(海上自衛隊呉地方総監部庁舎 旧呉鎮守府庁舎)
ここで、呉の旅日記に入る前に、
少し、わき道にそれたい。
20代の頃から、向田邦子エッセイに夢中になり、
好きなエッセイは、一節くらいは暗誦できるほどに読み込んだ。
「襞」(『夜中の薔薇』<講談社>所収)も、そのひとつ。
描かれているのは、向田さんの女学校時代、
つまり昭和17(1942)年頃から終戦までのことだ。
ーーー「当時の女学生の儀式」は、スカートの襞の寝押し。
うまくいかないと「朝から気持ちが潰れ」る。
スカートの替えはない。
それどころか日々は「無いものだらけ」だ。
食べるものも、教室の一本の花も、レコードも・・・。
結びには、こう書かれている。
「工場動員中に旋盤で大けがをした友人もいたし、長崎へ疎開して
原爆に遭い顔中ガラスの破片がめり込んでしまった級友もいた(ー中略ー)
私達はよく笑っていた。校長先生が、渡り廊下のすのこにつまずいて
転んだと言うだけで、明日の命も知れないと言うときに、
心から楽しく笑えたのである」53頁
ここには、令和の生徒達と変わらない、学校生活がある。
戦時下とはいえ、人は笑うのだと、気づかされた、
わたしには大事なエッセイとなっている。
ここで、エンエンと向田エッセイを引用したのは、
呉を歩き始めてすぐに、ここが「この世界の片隅に」の聖地だと、
気がついたからだ。
街のあちこちに、マンガのキャラクターが顔をのぞかせていた。
↑「この世界の片隅に」は、こうの史代のマンガで、
アニメ化や実写化もされてきた。
主人公「すず」は広島出身で、呉に嫁ぐ。
娘時代の開戦前夜から終戦後、つまりは原爆投下後までを
婚家や実家、周囲の人たちとの交流と共に、丁寧に描く、
心落ち着く作品だ。
わたしも、発売と同時に買った、当時の全3巻本を今も愛読している。
(現在の版は全2巻)
原作が好きすぎて、実写版もアニメも観ていないのだが・・・
呉が聖地となるほど、この作品の人気はが高いのかと、
いまさらながら驚かされた。
(冒頭画像ともに旧呉海軍下士官兵集会所などがあった青山クラブ)
思うに・・・
「この世界の片隅に」の人気は、
わたしと向田エッセイ「襞」に通ずるのではないか。
私が「襞」で知ったように、
戦時下であっても、人の暮らしが続いていることを
『この世界の片隅に』は教えてくれる。
そこに、人は共感するのではないだろうか。
現に、去年と一昨年の2年続きで
NHK「あちこちのすずさん」では、
「すずさんのように、戦時中を懸命に生きていた人」を募集、
8月終戦の日あたりで放送していた。
番組内では、戦争中でも、庶民が人間らしく生きようとしていることに
視聴者から驚きの声が寄せられていた。
ともすれば、戦時下というと、
庶民は、毎日逃げ惑っていたイメージになりがちだ。
実際、そういう時期もあるのだが、それでも生活は続いていた。
喜怒哀楽と共に生きる姿は、わたしたちと変わらなかったはずだ。
それだけに、すずさんの周囲を襲う戦争と原爆のむごたらしさが
いっそう胸に迫る。
(青山クラブ?桜松館?「本日のご宴会」には、すずの婚家・北条と
実家・浦野と書かれているw)
作者・こうの氏は、向田さんのような戦争を体験した世代ではない。
でも、広島出身の著者の想いは、きちんと伝えられている。
これからは戦争を経験した世代が、ますます少なくなっていく。
「聖地巡礼」のように、すずさんを身近に感じることで
戦争について考えていくことになるのだろう。
ウクライナでも、人は、空襲の合間を縫って、
スーパーに買い出しに出かけ、クリスマスには家族でテーブルを
囲んでいたではないか。
人の営みは続くのだ。
先日、映画「マリウポリ 7日間の記録」について知った。
「戦禍の惨状と日常をありのままに見つめる」ドキュメンタリーだという。
ぜひ、観に行きたいと思っている。
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おつきあいいただき、どうもありがとうございます。
歴史の素人ゆえ、勘違いや間違いはあるかと存じますが、
どうぞ、お許し下さいませ。
◆参考・引用
向田邦子『夜中の薔薇』講談社