若い頃から評伝が好きだ。
ちょうどロベルト・シューマンのピアノ曲集「子どもの情景」を
練習しているので、この機会に、シューマンの評伝を読もうと
思い立った。
ところが、何冊か読んでみたのだが、どれも集中できず、挫折。
奥さまのクララの評伝に切り替えた。
それが、原田光子『真実なる女性 クララ・シューマン』(みすず書房)。
ロベルト(1810-1856)、クララ(1819-1896)のシューマン夫妻。
夫ロベルトはロマン派を代表する作曲家、
妻クララもピアニストにして、作曲家としても知られる。
ほぼ10歳違いの二人は、ロベルトがクララの父・ヴィークから
弟子としてピアノの指導を受けるようになったことで、出会った。
やがて愛し合うようになる二人だが、父のヴィークは大反対。
彼にとって、クララは、女性ピアニストとして売り出そうと、
子どもの頃から準備を重ねてきた掌中の珠である。
弟子・ロベルトの音楽的才能は認めてはいても、音楽家として成功するかは
未知数だったから、ヴィークの気持ちは、わからなくもない。
けれども、父と二人のあいだで裁判沙汰にまで進んだというのだから
すさまじい。
ようやく、何年も耐え忍んだ末、ロベルト30歳、クララ20歳にして、
結婚するわけだが・・・
ロベルトは、後に自殺を試みるなど精神的に不安定となり、
一家の柱としての責任はクララにのしかかる。
その頃、クララを何くれとなく気遣ったのが、
ロベルトの弟子・ブラームスだ。
二人がどんな関係だったのか、確たる証拠はないのだが、
ブラームスが、クララを慕っていたのは事実らしい。
そんなクララとロベルト、ブラームスという
音楽界の三角関係?は有名で、何度か映画化もされている。
私も映画は観たのだが、
評伝から、きちんとクララの生涯をたどるのは、はじめて。
サクサクと読みやすいうえ、
シューマンとクララの手紙など引用がふんだんにある。
クララの人生がおもしろいのはいうまでもない。
そして、どうにも気になる人物も現われた。
エルネスティーネ・フォン・フリッケン。
評伝で初めて知った名前だが、妙に惹かれる。
忘れてしまうのは寂しいので、ここに備忘録としてまとめておきたい。
エルネスティネは、
クララの父・ヴィークのピアノの弟子として
ヴィーク家で暮らし始める。
時に18歳、美しい貴族の令嬢だ。
ロベルトは、この女性に、たちまち恋をする。
クララはエルネスティネより三つ年下の、まだ15歳。
この頃、既にクララはロベルトへの恋心を自覚していたのだが
25歳のロベルトにとって、この時点でのクララは、
恋の相手としては物足りなかったのだろう。
やがて、ロベルトとエルネスティネは、秘かに婚約までしたが
師匠としての責任を感じたヴィークが、
エルネスティネの父・男爵に報告。
これを受け、父・男爵は娘を自宅に連れ帰る・・・
だが、エルネスティネは父・男爵より結婚の許しをかちえる。
幸せな便りが届けられ、ロベルトは、エルネスティネに
さっそく会おうと訪ねてゆくが・・・
思いがけないことに、彼女は男爵家に対する相続の権利がないうえ、
最近、男爵から認知されたばかりの「私生児」だと判明する。
「これはシューマンにとって新しい心患いの原因となった。
美しい妻と共に直面しなくてはならない貧困の生涯...
気が弱く決断力に欠けていた彼は、婚約の自然解消の道を選んで、
沈黙のまま去ったのである」54頁
・・・ええっ、シューマン、ひどくないか!?
若き日の熱病みたいなもので、本気の恋では無かったと
評者も書いているけれど・・・
ロベルトは、エルネスティネが真実を打ち明けなかったことにも
傷ついたという。
ところが・・・ネットで調べてみると、
これは言いにくかろう、という事情があったのだ。
ウィキペディアによると、エルネスティネは
「フォン・フリッケン男爵とツェトヴィッツ伯爵夫人との間の私生児」
と書かれている。
さらに、評伝の「編集部注」によると・・・
「エルネスティネはフリッケン男爵の妻シャルロッテの
妹カロリーネ・エスネスティネ・ツェドヴィッツ伯爵夫人の婚外子で、
子のない男爵家に里子として迎えられていた」(302頁)とある。
ええっ!?彼女は男爵と妻の妹との子どもなの?
ってことは、夫と妻の妹との、いわゆる不倫ってこと?
もし、そうなら、エルネスティネとしては、
恋人に、いや恋人にだからこそ、打ち明けにくかったのでは・・・?
隠したというのとは違うと思うよ~~
こうして、エルネスティネとロベルトとの恋は終わった。
ロベルトは、再びヴィーク家を訪ねるようになり、
美しく成長したクララに目を見張り、
その音楽的才能と教養にも、あらためて惹かれていくわけ。
音楽的な才能や教養という点において、
ロベルトほどの才ある人に、エルネスティネでは
物足りないに決まっている。
いや、普通の女性では、どなたでもムリだろう。
エルネスティネと別れた3年後、
ロベルトはクララに「愛する人よ」と始まる手紙で
こんな風に書いている。
「エルネスティネは『貴方(=ロベルト)はクララ以外の女(ひと)を
愛せないことを、わたしも(=エルネスティネ)よく知っておりました。
そして今でもそう思っております』と、しばしば僕に書いてよこしました、
彼女の方が僕よりもはっきりと見ていたのです」63頁
う~ん、それは事実なのかもしれないけれど・・・
恋人の心変わりを受け入れるばかりか、恋敵を応援するって・・・
エルネスティネって、いい人過ぎるのでは?
エルネスティネの「いい人ぶり」を示すのは、それだけではない。
クララの父・ヴィークは、娘の結婚に大反対で、
いろいろ画策し、エルネスティネに対しても、
「ヴィークは同志を得よう」と、手紙を書いた。
彼女からの返事は
「クララは、シューマンなしには、決して幸福になれません。
彼女自身が私に言ったように、言葉では言えぬほどに
彼を愛しているのです」
エルネスティネの毅然とした言葉に、
ヴィークの試みは失敗に終わった。
さて、先に引いたロベルトからクララへの手紙のなかで、
エルネスティネについて、ロベルトは以下のようにも書いている。
「貴女こそ初恋の人で、
エルネスティネは我々を結合するために現われたのです」と。
別れたあと、新しい恋に夢中になるロベルト。
なんとも勝手な言い分に感じるが・・・
優しいエルネスティネは、自分が二人を「結合するために現われた」
存在だと言われても、にっこりと微笑む気がする。
いや、かつての恋人ですら応援するほどに、ロベルトとクララは
強く結ばれた二人だったのかもしれない。
エルネスティネは、婚約解消から3年後、
「1838年にツェドヴィッツ伯と結婚し、数ヶ月で夫に死に別れたが、
彼女も1844年にチフスで、その若い生涯を閉じてしまった」
(55頁)とある。
クララより三つ年上なので、1816年生まれ・・・
28歳で亡くなるとは・・・
そして「クララとシューマンの良き友として、死ぬまで変わらぬ愛情を
捧げた」(56頁)そうだ。
エルネスティネは、ロベルトの元恋人というだけではない。
ロベルト・シューマンの「小品集における最初の傑作」といわれる
ピアノ曲「謝肉祭」に生きている。
ロベルトと婚約しながら、父・男爵によって故郷へ連れ帰られた
エルネスティネ。
その故郷アッシュとシューマンの綴りが重なり合うASCHによる四音を
「謝肉祭」は主題としている。
エルネスティネはロベルトと結ばれることはなかったが、
後期ロマン派の大音楽家、ロベルト・シューマンの若き日の
ミューズであったことに変わりはないのだ。
さて、今読んでいる評伝
『真実なる女性 クララ・シューマン』は、図書館から借りている。
これからブラームスが登場し、ロベルトの精神疾患に苦しめられるという
クララの波乱の人生が待っているのだが・・・
その前に、返却期限が来てしまいそうな予感大。
というのも、この本は、本編だけで295頁の二段組みという、大著も大著。
(それでもサクサク読めるのは著者の筆力ゆえ!)
初版の出版年は、なんと1941(昭和16)年なのだ。
この年の暮れには、真珠湾攻撃により、
日米の間に太平洋戦争が勃発する。
しかも著者は32歳の原田光子(1909-1946)。
14歳の時に2年間、ドイツにピアノを学ぶために留学し、
帰国後は音楽評論や評伝の書き手としての道を選んだという。
クララ・シューマンもエルネスティネ・フリッケンも
素晴らしいが、原田光子という女性も素晴らしすぎる!
ネットで情報を見つけられはしたのだが、
原田光子のことも、もっと知りたいと思っている。
******************
おつきあいいただき、どうもありがとうございます。
以下の資料を基にまとめましたが、
まちがいや勘違いもあるかと存じます。
素人のこととお許し下さいませ。
参考:
原田光子『信じるなる女性 クララ・シューマン』みすず書房
藤本一子『シューマン』(「作曲家◎人と作品シリーズ」)音楽之友社
素晴らしいブログの文章!読みいってしまいました。ブログ再読して、私も本を探してみます。この話しは、ふんわりとは知っていましたが、興味深い話しです。また、新たな興味が増えました!なおとも
過分なお褒めの言葉に照れていますw
原田光子著のクララの評伝は、
昭和16年刊という時代的な違和感がほとんどなく
サクサク読めます。
なんせ分厚いので、忙しい大人に、おすすめできるかどうかは別ですが・・・ww
ご興味がおありでしたら、太鼓判です!