歴タビ日記~風に吹かれて~

歴タビ、歴史をめぐる旅。旅先で知った、気になる歴史のエピソードを備忘録も兼ね、まとめています。

遺跡の保存と公開

2023-09-20 17:49:21 | 沖縄県
「首里城地下『第32軍司令部壕』保存・公開を求める」活動について
連続して、お話を伺う機会があった。

「第32軍司令部壕とは何か?
太平洋戦争の末期1944年3月に、沖縄で米軍と戦うために編成された」と
「首里城地下『第32軍司令部壕』保存・公開を求める会」の
パンフ(↓)にはある。

沖縄が、戦争指導者の間で、本土決戦の時期を少しでも先送りするために
時間稼ぎとして、戦場となったことは、よく知られている。



その沖縄で上陸してきた連合軍と戦うための指揮を執ったのが、
「第32軍司令部」、最後の司令官は牛島満中将である。

1944(昭和20)年12月、司令部が首里城の地下に壕を掘り、
動員された学徒や住民も作業に加わっている。

守礼門から首里金城町へ南北約400m、アリの巣状で全長約1000m。
ジメジメと湿気が多く、換気も悪い粗末な司令部壕だった。
牛島長官ら司令部は首里が完全に破壊される5月末まで、
ここで指揮を執り、南部へと撤退した。

今、この壕は地中に眠ったままだ。
会によると「戦争遺跡として位置づけるための専門的な発掘調査は
これまで1度もされていない」そうだ。
何度か調査はされているが、とても十分とは言えないのが現状のようだ。

今、この司令部を世界遺産、
「負の遺産」として保存・公開すべきだと考えるのが、

詳しくは会のHPをご覧いただくとして・・・
このお話で想い出したこと、考えたことなどをまとめておきたい。




本日の画像は、2020年1月コロナ禍の直前に出かけた、
首里城で撮影しいる。
この旅行は、私にとって初めての沖縄だった。


沖縄については、妙に頭でっかちになっているところがあり、
長く訪ねることができずにいたが・・・
沖縄出身の知人の言葉に背中を押され、旅することができた。

「沖縄を戦争や基地の島とだけ見ないで欲しい」と。

考えてみれば当たり前なのだけれど・・・
出かけたら、グスク(城)周りも楽しく、
ウタキ(御嶽)の神秘性に心惹かれ、満足の旅となっている。

残念ながら、首里城は既に火災に遭い、
当時は、まだ生々しく残骸が散らばっており、
焼け焦げた臭いが漂っているような気がした。
(今となってはわたしの妄想と区別が付かない)

久々に開いた、首里城の画像。
わたしは焼け跡の撮影を一切していなかったのだが、
夫は撮影している。
これを見はじめたら、心臓がバクバクしだす。

首里城を訪ねたときは「第32軍司令部地下壕」のことを知らず、
火災の悲劇を想い歩いた。それも、とても悲惨なことであるが・・・
「第32軍司令部地下壕」を知った今は、沖縄戦と重ねてしまう。

わたしが仰ぎ見た守礼門の脇に坑口があり、
知らず知らずのうちに、首里城の塀からは
第32軍地下壕を上から眺めていたのだろう。
そう思うと、苦しくてたまらない。



さて、いただいた資料の中に、牛島貞満と署名された
「ワークシート」があった。
貞満氏は、牛島満司令長官のお孫さんだ。
しかも、わたしと同世代、小学校教諭をしていらしたという。


シートに、こんなQ&Aがある。
「今更、何で...司令部壕を掘り出す必要があるのか?」

答えをまとめると、以下のようになる。

ーー今、生存しているわたしたちは、沖縄戦当時、子どもか、戦後生まれ、
当事者ではない。
しかし、「戦争の歴史に戦後の日本社会がどう向き合ってきたのか
という点では私達自身も当事者である」

孫引きになるが、明治大学・山田朗教授は
「『司令部壕がきちんと保存・活用されると、沖縄戦の全体像が
より伝わりやすくなるのではないか』と提案」されているそうだーー

今、公開方法もあれこれ討議されているとのことで、
先日のお話では画像も拝見したが、
あの生々しいまでの地下壕は、ぜひ公開して欲しいと思う。


もうひとつ、シートでは重要な問題に触れている。
「『いじめ』の構造と同じように、被害の国や住民は一生忘れないどころか、そのにくしみは、子や孫の世代にまで確実に語り継がれる。
しかし、加害の国、軍は都合の悪いことは語らない。
この対立は、時間を越えて引き継がれる」と。

ああ、過去「いじめ」の被害に遭った人が、
今も立ち直れずに苦しんでいるのは、知っている。

そういった情報に触れるたび、
わたしは加害者となっていないか?
こちらにそのつもりがなくても相手は?
と、自問する。

スケールは個人を超え、国レベルと大きくなるが、
もとは同じではないか。

全ては「過去の戦争で何が起こったか」「原因は何か」を
「対立する国・民族同士で共有することからしか始まらない」のだろう。



今朝のニュース番組で、国連総会でゼレンスキー・ウクライナ大統領の
演説を聞いた。

どう考えたって、今回はロシアの一方的な軍事侵攻が問題。
それでも、この膠着状態が、いつまで続くのか・・・

2014年のクリミア危機のときに、もっと関心を持っていたら・・・
と悔やまれてならない。
私は、あの直後に、ロシアのサンクトペテルグルグを旅し、
ロシア人女性ガイドが「クリミアはロシアのもの。大したことじゃない」
と発言したのを聞いている。
それなのに、深く考えることをしなかった。

これは他国の歴史であり知らなくてもやむをえないのかもしれない。
それならば自国の歴史はどうだろう?

自らの反省を込めて、知らないことの恐ろしさを感じている。
知ることは必要なのだ。

********************

おつきあいいただき、どうもありがとうございます。

以下の資料を基にまとめましたが、
間違いや勘違いもあるかもしれません。
素人のこととお許し下さいませ。

参考:
●牛島貞満「沖縄戦資料A(ワークシート)『牛島満と沖縄戦』」2022年10月
●牛島貞満「沖縄戦資料 第32軍首里司令部壕の今と保存・公開に向けて」
 2022年10月


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