皆様お久しぶりです。4回生の宇高です。
いよいよ稽古場日誌を書くのも本当の本当にこれが最後になりました。卒団公演の時に散々湿っぽいことを長々と書いたので今回はさらっと終わらせようと思ったんですけど、やはり書きたいことはたくさんあるみたいで、結局長くなっちゃいそうです。これもどうかご愛嬌ということで許してもらいましょう!
さて、一先ず冬公演お疲れ様でした。自分が演出した脚本は1つのため、2つやった吉本さんや、役者の皆さん、事務作業など色々こなしてくださったスタッフの皆さんに比べたら全然何もやってません。ほんとに、慣れないことばかりであたふたすることが多かったと思いますが、ありがとうございました。ダメな演出、チーフの私を支えてくださり本当にありがとうございました。
本音を溢すと、最後の公演は役者で終わりたかったという気持ちもありますが、こうして演出をすることになったのも、また何かの運命なのかもしれませんね。素敵で魅力的な脚本を、今回盛大に変化させて挑んだ今回ですが、舞台上でやったらどうなるか、きっとまた別の発見や面白さがあって、良いんだろうなぁと常日頃思います。照明が当たれば、役者のポーズは、音響は、と考えていると、演劇をもっとやりたくなります。
色々振り返ると、自分はやはり楽しいという気持ちが強かったですね。演劇自体が楽しいというのはもちろん、同じサークルの皆と何か劇でも、劇以外でも関わって遊んだりするというのが、高校までの自分には中々ないことでした。うん、友達が少ないとか、部活にその代は自分一人しかいないとか色々な要因はあったんですが、いろんな人たちと一番関われた時期で、それの根幹の一つがリツゲイだな、と振り返って思います。僕は自己嫌悪を抱いて舞台に立つ人間でしたので、やはり舞台に立っているときが、緊張するけど一番楽しい所でもありました。たぶん僕の人生であんな風にスポットライトを浴びたり、お客様にお礼をする機会なんていうものは二度と訪れえないんだろうなぁと思います。それくらい、貴重な体験でした。
またまた本音を溢すと、正直、演劇なんか二度とやるものか、と思ったことも何度もあります。演劇の辛い部分を見て、それが一分一厘一毛くらいのものであろうとも、自分にとってはなかなか大きなことで、次は役者なんかやらない、次の公演は参加しない、なんて毒吐きながら帰ったりしたこともあって、中々に荒んでいたんだなぁと思いました。
しかし、先ほども書いたように、僕の演劇を始めるきっかけは自分嫌いというところからです。なので家に帰っても嫌いな自分がいるわけで。さあ、こうなってしまった私はどうすれば良いんだろう?うんうんと悩んだ結果、やはり私は演劇で嫌な自分を消し去ることにしか逃げ道が無かったんですね。逃げ道、というとなんだか嫌な言い方に聞こえるかもしれないんですけど、救いだったのです、間違いなく。演劇は私の救いでした。その救いは甘い蜜だけじゃなく、時には苦い薬の一面も見せてくれて、人間性の甘っちょろい私は嫌がって逃げ回っていたんですね。
でも、頼れる先輩や、頑張る同期、可愛い後輩となんとかこの活動を続けたい、という気持ちで続けていました。そうして、いつのまにか此処からいなくなる時がやってきました。今思えば、もっとこうできただろう、ああできただろう、と悔やんでも悔やみきれないことばかり。ああ、後悔は後からしかやってこないのね。
私は11公演に参加させていただきました。そのうち役者は9回。中々しっかりと出しゃばらせていただきました。嗚呼、僕の演じた役たちよ。ほんとに僕が演じて良かったのかい?演じられて幸せだったかい?
強盗よ、一番最初に貴方の役をもらえて、張り切って、張り切りすぎてテンパって。今ならもっと貴方を上手く演じられる、そんな気がするんだよね。
サラリーマンよ、貴方は僕と似ているような、考えすぎの間抜けな、でも喉元過ぎれば熱さ忘れちゃうような愉快な人だった。貴方が死ななくて、僕は本当に良かったと思うんです。
佑よ、貴方の苦労は考えただけでもお腹痛くなるものだったよ。そんな苦労を人生20年も生きてない若造が演じたわけだけど、苦労は今でもしてるかな?それとも、幸せでしょうか。貴方に幸あれ。
大石よ、個人的に君を一番うまく演じてあげられなかった。申し訳ない。いまならもっと、もっとうまく演じられるはずなんです。君はどこかで小説を書き続けているでしょうか。もしよかったら夢の中とかで見せてくださいね。
修也よ、スポットライトをあそこまでびったりとあてられてエピローグ的なのを読むのは初めてだったから中々緊張したぞ。俺もオカルト話は大好きだから一緒に話そうな。
大成よ、君とは割としっかり向き合って演じられた気がするんだ。厳しくも優しい君を演じるのはとても楽しかった。5ステージ目でラジオを聞くふりするのにイヤホンを差し込んだ携帯から音楽流れてきたときはマジでこの世の終わりかと思った。電源はちゃんと確認しておこうな。
健太よ、君は非常に美味しい役だったな。最後のネタ晴らしを短い登場時間で全部かっさらっていくようなやくだったもんなぁ。こう、衣装汗だくになってごめんな。これはどちらかというと衣装小道具にか。
友蔵よ、君をタダうるさいおじいさんにしてしまったのは私の力不足だ。本当にごめんよ。ただ、酒をのむ演技をしたり、HなDVDを隠したりとか、コロコロ変わる演技をするのは中々楽しかった。うん、喉も鍛えられた気がするな。みんなと仲良くしろよ。
清よ、貴方を演じるのが一番難しかったよ。ほんとに、難しかった。家庭なんて持ってないし、閉鎖的な環境で育ったわけじゃないし、そもそも立派なお父さんってなんなんだ?厳しいのか優しいのか両方なのか、塩梅は?と考えることが多かった。それだけにやりがいも滅茶苦茶あった。君を演じるのが本当に本当に、苦しくて、辛くて、でもそれ以上に楽しくて仕方なかった。リツゲイで僕が演じる最後が、貴方であるという事が僕はそれでいいんだ、と思ったよ。ありがとう。
こうして振り返ると、いろんな立場のいろんな人生背負った人たちの役を演じさせてもらいました。僕はまだ20数年しか生きていないへなちょこ野郎ですけど、いつか、体験した誰かと同じ人生を辿ることもあるのでしょうか。それがその人にとっての幸せか、僕にとっての幸せかはまだまだわからないことですけど、いつか分かる時が来るのかな、なんて思います。演じながら「お前の気持ちなんかわからんわ!」とか悪態ついたりしたこともあったんですけど、分からなくて当然でした。他人の気持ちなんて推し量れるわけないですから。でも、だからこそ、なぜか今、自分がその役になれているのかもしれない、という気持ちになったときの快感はまた格別なんですね。ほんとに、演じることでしか得られない快楽もあるんだ、と改めて思いました。別にこれを味わわないことは損ではありません。ただ、僕にとっては非常にプラスだったんだな、と実感しています。こんな気持ちを僕以外の役者をやったみんなも感じたりするんだろうか。
演出も2回やりました。僕の演出は面白いものではないし、とんちんかんなくせに厳しいことも言うし、困ったらすぐ機嫌悪くなるから、同期はともかく後輩にとっては先輩としての矜持も誇りも何もない、だめな先輩だったんじゃないか、と今でも考えます。僕なんか人に教えられるほど上手いわけじゃないのに。何人に向かって偉そうなこと言ってんだろう、とか考えてしまいます。後輩の前でくらい、少しはカッコ良い先輩でいたいと思いながら冬公演も頑張ろうとしましたが、もしかしたら後輩からは更に頼りない烙印を押されてしまったかもしれませんね。安心しろよ、僕はもういないから。でもせめて、自分がやったダメなことはやらないように、みたいな反面教師程度には自分のことを覚えておいてください。あとは教えたあの店うまかったなぁとか。そんで後輩にどんどんご馳走してやりなさい。こんなんで良いのか、後輩への言葉。良くないんだろうけどほんとに真面目に書くと平謝りの末、切腹に至ると思うのでやめておきましょうかね。
先輩方にはたくさん可愛がっていただきました。仕事の遅い自分に色々教えていただき、また、時には遊んでくださったりなど、本当にお世話になりました。先輩の演劇を見て、リツゲイに入った自分として、それと同じような思いを後輩のみんなにも分け与えられているのかどうかわかりませんけど、自分は先輩たちの演劇を見て、また一緒に演劇ができて幸せでした。
そして同期の皆には、仕事遅いやら意見をはっきり言わんやら、頭固いやらで色々ご迷惑をおかけしました。自分のやらかしたことランキングでお酒のアテにできそうな感じがしますが、ともあれ、自分はみんなと演劇が出来て、リツゲイに一緒に入れて幸せです。色々喧嘩したりしたけど、それでもぼくは同期の皆が大好きです。なんか、気持ち悪いとか、如何にも自己啓発セミナーで言ってそう、なんて思われるかもしれないけれど、皆んながどう思ってるかはさておき、ぼくは大好きです。ありがとう、本当にありがとう。どんな未来を皆が歩んでいくのか自分には分からないけれど、みんな幸せに暮らせているなら、同じ代として嬉しく思います。
後輩、先輩、同期へと、こうして書いてると今生の別れみたいになりますね。でも、僕も明日には死んでることもあるでしょう。仕事で忙しくて会えないこともあるでしょう。なので、恥ずかしながら、勝手ながら、一方的に僕の気持ちを書いていきました。ははは!どうだ!受け取るかどうかは自由だが受け取れぃ!(???)
なんでこんな感傷的なのかと考えてみると、そんな感じの曲を最近聴いているから、というのもあり、また、本当の最後というのが、今の僕に強烈に突き刺さっているみたいです。もう最後、ほんとに最後。LINEとか電話して「日曜遊ぼうぜ!」みたいな感じで集まった友達とも、放課後毎日集まって稽古して、たまにご飯食べて他愛無い話をしたみんなとも、もう会えなくなるかもしれないからです。
会えない、と分かっているなら、これほど名残惜しく思わないかもしれないです。そう割り切るしか無いんだもの。でも、会えるかもなのに会えないもどかしさが一番残酷なんだと、このコロナ禍の中で思いました。それが、今、コロナも関係なく卒業という形で現れようとしています。もう僕なんかと二度と会いたく無いと思ってる人もいるでしょう。それはそれで良いことだと思うんです。
でも、やっぱり会いたいし遊びたいし、なんの変哲もない、馬鹿話もしたいです。それができるかわからなくなるのが、やっぱり嫌なんだな、と常々思います。
さて、自分のこの冗長な稽古場日誌も、そろそろ終わろうと思います。もう書く機会も無くなると考えると、どうでも良いことを書きながら、だらだらとこのリツゲイにいるということを続けたいような、モラトリアム的な考えに浸っていたくなりますが、歴代の先輩に倣い、自分も出ていくこととします。いつまでも僕みたいなやつがいてもなあって感じだと思いますし。
自分のことを一度でも舞台上で見てくださったみなさん、ありがとうございました。なんかでかいやつがでかい声出していただけですが、少しは心に残る演技ができていましたでしょうか。そうであるなら役者冥利に尽きるというものです。ありがとうございました。ありがとうございました。何度書いても物足りません。本当にありがとうございました。
リツゲイはこんな捻くれた自分も受け止めてくれるくらい懐が深かった。ありがとう、本当にありがとう。
みんなみんな、ありがとうございました。
寂しいけれど、もう二度と会わないじゃなくて、会えないかもしれないけど会いましょう。会いたくないかもしれないけれど、会いましょう。
グッバイじゃなく、シーユー!!