8月12日。
21年前の8月12日といえば・・・、そう、日航機の事故である。
当時、私は受験を控えた中学3年生だった。
夕方、そろそろ夕食だろう・・・と居間でTVを見ていたと思う。
臨時ニュースが飛び込んだ。
それからというもの、乗客の名前が読み上げられ、番組は差し替えになり、「なんだかとんでもないことになっているな」と漠然と感じてTVを見ていた。
翌日の新聞からしばらくは、この日航機事故のことでかなり紙面を割いて報道していた。
もちろん新聞だけではなくTVのニュースもワイドショーもだ。
この墜落した日航機には、歌手の坂本九が搭乗していた。
「上を向いて歩こう」の坂本九が亡くなった・・・。
当時は、歌手と言うよりも、「なるほど!ザ・ワールド」の回答者といったイメージが強かったのだが、それでも日本人で唯一「全米ビルボードチャートでNO.1を獲得した歌手」として、TVの画面の九ちゃんのことを認識していた。
それだけに亡くなったのは、当時15歳だった私でもショックだった。
あれから21年が経つ。
8月15日には終戦記念日もあり、お盆もやってくる。
亡くなった人に思いを馳せる8月・・・。
今年もたくさんのトンボが、空を舞う。
21年前の8月12日といえば・・・、そう、日航機の事故である。
当時、私は受験を控えた中学3年生だった。
夕方、そろそろ夕食だろう・・・と居間でTVを見ていたと思う。
臨時ニュースが飛び込んだ。
それからというもの、乗客の名前が読み上げられ、番組は差し替えになり、「なんだかとんでもないことになっているな」と漠然と感じてTVを見ていた。
翌日の新聞からしばらくは、この日航機事故のことでかなり紙面を割いて報道していた。
もちろん新聞だけではなくTVのニュースもワイドショーもだ。
この墜落した日航機には、歌手の坂本九が搭乗していた。
「上を向いて歩こう」の坂本九が亡くなった・・・。
当時は、歌手と言うよりも、「なるほど!ザ・ワールド」の回答者といったイメージが強かったのだが、それでも日本人で唯一「全米ビルボードチャートでNO.1を獲得した歌手」として、TVの画面の九ちゃんのことを認識していた。
それだけに亡くなったのは、当時15歳だった私でもショックだった。
あれから21年が経つ。
8月15日には終戦記念日もあり、お盆もやってくる。
亡くなった人に思いを馳せる8月・・・。
今年もたくさんのトンボが、空を舞う。