Ribocco5リボッコのブログ

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【リボの神託w】生命は似通ったもの同士が組になって生まれてきた

2022-08-29 16:02:57 | リボの

 久々に、神の哲学的洞察がスパークしたんで、ここにまとめときましょうww

 

 まあ私、基本ペシミストなんで、さっきもツイッターで、人類は分かり合えない、一つにはなれない、とツイートしてたww だって真実だからっ糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞

 

 まあそれは学校だの教会だのNHKで教えていることの完全な逆だ。でも当たり前のことで、常識人ならむしろ当然のことと理解できると思うんだが、なぜかこの世の支配層とかエリート連中にはそれが分からないらしい(≧з≦)プッ まあ一般愚民の皆ちゃまでも、そんなのを鵜呑みにしちゃってるお花畑な人も多数いる。でもそれは甘ちゃんでリアルな他人のことを知らない世間知らずだから。世の中そんな単純なものではありませんよ。教師とか役人とか政治家とか、医者とかマスゴミとか国連とか大企業とか、そういう何も知らない単細胞なのが多いというわけだよ糞だな糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞 糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞 糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞

 

 でまあまあ、少し賢い人なら、そういうことには気づく。どうしてこのように複雑多様な世界が現に存在しているのに、最初は一つであった無差別であったものが、なぜまたそうでなくなったのか、ということは、非合理としか言いようがない。大体近代の哲学も、そういうところで一つの結論には達してるんじゃないのかと私は理解している。まあそれは仕方ないことかなと思いますね。それ以上問うても、答えが得られないのは明らかだろうね。無が1になる、あるいは1が2になる、というのは、合理的には答えられないものだと思う。

 

 でもまあまあこの世界には合理論もかなりの領域まで、というかほぼ完全にすら通用しそうではあるように見えるので、そういう矛盾はかえって強く感じられるのだろうけどね。なのでその矛盾は不可解・理不尽なことかもしれないと思われる。まあでも現実だから仕方ないね。

 

 まあ根源的な問いには答えられない。なぜこの世は複雑で多様なのか。もしも合理論が正しいのなら、宇宙の一つの根源的な姿は、極論としてw、1になり無になりそうだというのは推論はできるけど、なぜそういうものが、複雑に枝分かれして今日のような多様性を持つようになったのか、ということは、まあ不可解ですね。これは私たちも経験的に知っているに過ぎない。

 

 (それとこれを行ったり来たりはできないものと考えられる。つまり、もし複数なら、複数の世界からは多分出られないと思うわけ。それを解消するということは、複数の世界の中の力では多分不可能だろうと思う。逆も同様で、もし単一あるいは無差別ならあるいはその瞬間があるなら、そこから複数の個体が生まれるということはどうしても不可能だろうと俺は思う。それは理解可能な形では説明できない。俺はリアルに複数だと思うから、それはなければならなかったと思うが、まあ不可解というか、その先は私たちには理解不能だろうと思うわけ。理解する必要もないと思うわけだが。)

 

(一方で複雑さというものは無限だと思える。例えば素粒子というものも、私は多分、やろうと思えば無限に分割可能なんだろうと考えている。今人間にとってこのぐらいなのは、人間の総合的な能力がこのぐらいだからに過ぎない。多分可能性としては無限に存在していると私は想像している。)

 

* コスモスは美しい

 

 でまあ、話が長くなったけども、私、そのように人間は一つにはなれない、ということを改めて高らかに宣言してみてww、多分、そもそもの始まりからしてそんな感じだったんだろうということに思い当たったね。

 

 生命の始まりというのがどういうものだったかはいまだに議論の途中だろうけど、多くの場合は、何か一つの個体が2つに分離して増殖してきた、というようなイメージではないのかと思う。まあ俺の先入観が古いのかもしれないがwまあまあ多くの一般人がそんな風に考えていると思う。アメーバとか、藻類とか、アミノ酸みたいなものがねw

 

 でも、俺はそういうわけで、それが違うのだ!と今日思ったね。その発想は、今うえで書いた、そもそも宇宙は一つだった、神は一人しかいない、というような発想の類型といえる気がする。

 

 でもリアリティとして、あなたはどうやって生まれてきましたか?父あるいは母の一方から分離して生まれてきたんでしょうか?そうではないね。また人間以外のものでも、父と母の組から生まれてくるものが多数を占めている。主流と言っていいと思う。まあそうではないのもいるのかもしれないけど、そういうものは発展性が乏しくて、多分優勢になれなかった。(何が優勢か、優れているのかという点には議論があるかもしれないが。一応人間的なものはかなり優れているものとしてw)

 

 自分の中から、自分でないものが生まれ出るのを待つというのは、これも俺が一貫して述べているように、自己否定的で不合理な理屈だから。普通、存在は、そのまま一つのものであろうとするものだ。自分を否定しようとはしない。健全なw生命は、そのまま生きたいと思うものだ。そういう自分の内側だけのことを見ていると、どうしても発展性の面でそういう論理的な自家撞着に行き当たる。

 

 でも俺は、そもそも世界は複雑で多様だ、乱雑でまとまりがない、一つにはなれない、人は分かり合えないww、という現実から始まっているリアリストだから(`・ω・´)、そうじゃないんだろうと思うわけ。つまりもう最初から複雑さとか多様性、乱雑さというのは存在してる。理由は分からないけど、私たちが気づいたときにはもうそれは存在してるから、むしろそちらのほうが与えられた根源的な状況に近いのではないのかと考えるほうがいいかなと思う。つまり、原始の状態はそもそも無限に多様で複雑な混沌の海なのだ。

 

 そうだとすれば、むしろ逆に、何かが生まれ出るとか、まとまろうとする、調和やコスモスを形作りたいと思う、ということは、不自然なことではある。難しいことであり、エネルギーが必要なことである。なるほど、それはこの世界のリアルに合致しているんじゃないのか?残念ながら、生命というものはどんなものでも死すものであり、つかの間のものに過ぎない。人は生き続けようと願い努力するものだが、それははかなく潰えてしまうものだ。どんな存在であっても、生命体ではないものでもそうだ。形あるように思えるものも、結局は全て崩壊してまた混沌の海の中に沈んでしまう。調和は必ず破られるものだ。(´・ω・`)

 

 でもまあそういうものなんだと考えることには、おかしな点はないと私は思うわけ。どちらかというと、カオスよりはコスモスのほうが難しい。維持しがたい。生命は短い。それだけに、私たちにも魅力的に見えるし、美しく見えるし、あこがれの対象になる。それは私たちの自然な感覚ではないのかと私は思うから、まあそれでいいんじゃないのかと私は思っている。それで特に矛盾を感じないし、思想的な悩みはないw

 

 まあ私も血統なんかでも良く書いている。これは例のエントロピー増大の法則と呼ばれるようなものだけどね。放っておくと、調和は崩れて均等な乱雑さのようなものになってしまう。競走馬の血統は、人間的なあるいは競馬的な基準で見てよい形質を維持しようと常に努力しないと、結局は平凡な雑草になって没落してしまう。

 

* 母なる海はカオスであり、その中の似た者同士の組が新たな営みを始める

 

 話が長くなってしまった。まあ私に一つ閃いたアイディアというのは、生命は一つのものが2つに分かれたというよりは、むしろそもそも初めから複数のものがあって、その中でたまたま似通ったもの同士が寄り添った時に、一種のケミストリーが起きて、新たな生命が生まれたのではないのか、それが発展・継続するようになったのではないのか、というようなことに気づいたというわけ。

 

 そもそもの最初から。どこまでさかのぼっても、多分、そのように周りには常に複数の状況があり、結局は似たものが外部に見つかって、その時にある意味では自分と相手を混同するような場面が起きたのではないのか、というようなことに思い至ったというわけ。

 一つのものの中にそれとは違ったものが生まれるのを期待するよりも、無数の多様なものの中から似たものを組にする方が、論理的な破綻は少ないでしょ。アイデンティティは基本的には保守的なものであるはずだと俺は思う。それが変質することに期待するよりは、似た者同士が寄り添うことのほうが、矛盾は少ない。美しいw

 

 でも似たもの、というのも漠とした話でw、漠としているほど確率的には高くなるというのもあるがw、その類似の範囲の中では、それらの間だけで起こる何かが生じた可能性はある。あー、だから振動数理論的には共鳴・共振のような感じかな手前味噌野人(`・ω・´)

 一種のエネルギー的に効率的な状況とか、反復・増幅とかが起きるかもしれない。それは、それ以外の周りの世界に比べると特別な何かであり、有利な力を持てるかもしれない。

 

 まあそんなことに思い至ったというわけ。まあ私も今考えていて、こういう作用がますます高まって行った時には、それが混沌の世界をすべて覆い尽くし、全体を転覆させられる、そして完全に支配できるかもしれない、というような発想もある。従来の意識主義・合理主義の思想はそういうものだろう。ヘーゲルとかね。

 でも、まあそこまでは言わない、言えないとしても、少なくとも、混沌の海の中で、そういう似た者同士が出会って、少し有利な作用を及ぼすということは、不思議なことではない気はする。探せば必ず見つかるはずwという気がする。

 なので時がたつにつれ、そういうものが出くわして、何かが起こり、それが例えば生命体になり、人類になった、という考え方はありうる。一つのものから異質のものが分離して増殖してきたとするよりは、似たようなものが組になって一種の混同が起きた時に、似たような新たな存在が生み出されてそれが受け継がれていく、というようなことが考えられるのかなと思った。

 

 まあ生命体に限らず、物質の世界でもそういうことは言えるだろう。もっと言えば、抽象的な概念とかでもね。言語とか。

 

 まあこれは一種のニアリー理論ですかねww 俺個人の理論だと、リボの一般ネイティヴ理論という強力なのがある(`・ω・´) ネイティヴ的に近いものは相性がいい、という一般理論だ。俺はそれを信じているけどね。どんな物事にもほぼ通用するw(`・ω・´)

 

 なので要点は、条件的には常に複数的な環境というのはありうる、ということ。俺はそう信じているけどね。逆が逆に信じがたいから。複数的でない状況?というものがありうるのか。それは私たち複数的な世界に住む人間には理解不能だ。最初の地点に戻るね。私たちはそもそも一つじゃない。分かり合えないw 気づいたときにはもう他人はいる。周りの世界は存在する。それが当たり前のこと、必然のことだと私には思える。

 

* 外界をよく見ることは、自分自身の内面を知ること(`・ω・´)

 

 なので、私たちにできることは、そのような周りの世界をよく見ることだと私は思うわけ。よく観察して、良く感じることだ。それがひいては、自分自身を知るということになると私は思っている。

 私には私固有のものの見方がある。外の世界をいろいろ見たり知ったり経験したりすることによって、逆に自分自身の形というものが分かってくる。

(それを落ち着いてほかの人と比較してみたりするといいだろうけどね。)

 

 なので私はよく観察し、良く感じるようにしている。それが絶対正しいとか言っているんじゃない。それが私流のやり方で、私自身の存在というものの特徴だから。

 自分を知るのに、よくいわれるのは、自分を内省してみろ、というようなことなんだが、大抵は無意味だと私は思う。かえって間違ったことになる。埒はあかないと思っている。限られた自己の存在の内側だけを見ていても仕方ない。何かをした後でそれを振り返ることは有意義だとは思うが、何もしないで自分の内側を見ていても私は意味がないと思う。特に若い人はそうだ。その前になんでもやってみないことには始まらないと思う。

 

 そんなときにも、一つの指針となるのは、そのように、自分に似たものを探すということだ。まあ普通のことだけどね。自分に波長の合う世界、自分に共感できる存在や世界を探すということだね。そうすると、まあそこで何らかの交互作用が起こるということが期待できる。混沌の海の中にいるよりは、少しは効率的で、チャンスが高まる場面だろうと考えられる。

(具体的に何が、というのは難しいが、なんやかんやでw 例えばほかの勢力よりも少しでも長く生き延びられるとすれば、それだけでもそのグループが繁栄できるチャンスは高まるだろう。偶然も作用するかもしれないが、その確率も高まるだろう。)

 

 それはかなり抽象的な形でもありうるかもしれない。俺なら、特定のクラシック音楽の曲とか、特定の演奏家の演奏を聴くと、特別な共感や感慨を得られる。あるいは、自分と考えの合う著者の本を読んだりすると、そういう思いを感じられることもある。生身の人間との付き合いでなくても、そういうものが起こるという可能性はあるかもしれないと思う。

 

 まあそんなことを思いました。人間は物事を単純化して、単一に考えたがる傾向があるが、実際の世界は大抵はもっと複雑だということです。私は経験的にそう感じます。

 むしろ逆に、ほとんどの場合、原理的には複数的なことが多いと私は思ってます。そのように、最初から2つの対になるようなものがセットになっています。そこから考えることのほうが適切であるように感じることが多いです。

 それでは最終的な合一問題は解決しない、というのは、今書いたように、単一化して考えたがる人間のエゴにすぎません。世界は最初から複数的で、複雑で、多様であったのかもしれないのです。その可能性は十分あるので、物事が最終的に一つにまとまらなかったとしても、それが間違いだとは言えないのです。


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1 コメント

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被検閲野人 (検閲掛かった?)
2022-08-29 19:01:23
うまく投稿できませんでしたがな。まあしょうがないのかね糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞

書くのに長い時間かかってしまったからかもしれないが。

不信感しかない野人糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞
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