![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/47/61/a6e510f536ada2b3da9be986d2da1ec3.jpg)
ロウバイを見に行きたかったので行ってきたが、同時に、近くにある、この問題の古墳に行ってきました(@_@)
まあ距離もあるのでトレーニングにもいいと。
https://www.google.co.jp/maps/@36.1389796,139.4895087,16.17z?entry=ttu&g_ep=EgoyMDI1MDEyOS4xIKXMDSoASAFQAw%3D%3D
* ロウバイは終わろうとし、梅が咲き始めていた。
本当は先に古墳に行こうと思ってたが、もろもろの事情で(道間違えただけ(≧з≦))、先に古代蓮の里のほうに行った。何度も来てて、大体場所がわかってるから。逆に、八幡山古墳の場所は非常にわかりにくい。表示も皆無糞♪ なので忘れ去られ、信じられないほどの過小評価をされて今日に至っていますこれが埼玉です糞♪♡
それで、ロウバイは、12月から咲き始めるから、もう最終段階。最後の一二割ほどでした。でも一応見られたし、香りも楽しむことができましたね。風強かったのでww、わかりにくかったが、確かに匂ってました。甘いだけでなく、かんきつのようなさわやかな香りがあるのがいいところで、すがすがしい気分になれるのだが、一般衆生にはその辺がわかってないw糞♪
そしてここは梅林もとても立派で素晴らしいところ。また桜も咲くと思うし、夏は蓮というわけで、一年中花を楽しめるというわけです。久々に行ったけど、よくなってたかな。悪くはなってなかったのは今日日立派なことだ糞♪まして埼玉では糞♪
残念なのは水鳥がいなかったことですね。理由はよくわからない。来客が多すぎるのかもしれないね。本来水鳥は人を嫌うものだと思う。
売店がなかなかいい。手ごろなものがいろいろ売ってる。植物の苗なども売ってる。あと、今日は平日なんでうどん屋が閉まってたと思うが、その時はそこが休憩施設として開放されているという仕組みのようで休めるようになってる。売店で食べ物類も売っているので、そこで食べるという手もあるだろう。
なかなか広くていいとこだけど(ウォーキングのような散策に最適)、今日は風が強かった。まあ例年冬場に来るんだがいつも寒いね。なかなか気候はきびしいとこといえると思う。まあ畑のど真ん中だがw
* 若小玉八幡山古墳こそ、埼玉を代表する古墳だ!
ここは、グーグルマップの情報を見ていて存在に気づいたんだが、驚くべきところだった。ちなみに、私は毎度強調してるが、父も母も100%ネイティヴ埼玉人で、私自身も埼玉で生まれ育った10000%ネイティヴ埼玉人なんだが糞♪、今回初めて存在を知った。今迄55年生きてきて(ハッピーバースデーリボ!糞♪)、初めて訪問しました。
それでまあ驚愕するべき存在だ。それは写真見てもらったらわかるけどね。まあ私もまだ詳しく調べてないし、日本史にも、埼玉の歴史にも十分通じてないんで、断言は控えるべきとは思うが、私は今まで見てきてこれほどの埼玉の古墳に出会ったためしはない。否、群馬を含めても、ここは最高クラスです。関東で最高とみられてる群馬の大古墳たちに勝るとも劣らないほどすごい存在。
話せば長いが、少しタイプが違う。まあそれも写真を見れば一目瞭然と思うが、とにかく素晴らしい出来で、規模といい、そこにつぎ込まれている技術や労力は並外れたものというほかない。
まあここまで露骨に石室が露出してるケースは極めて珍しいのでそう感じるのもあるだろうが、いろいろな部分を私が見た印象でも、ここまでのものは過去に経験がないと思う。関東で最高クラスの存在なのは確かと思うし、ということは、全国的に見ても、これを上回るのは、本当に近畿の大王クラスの墳墓以外にはない、というぐらい高いレベルのものと思います。
なのに、この石室は、今日も野ざらしで、放置されてます。埼玉は、日本は、これでいいのでしょうか?疑問を感じます(日本は流動化している!液状化しているww_| ̄|○糞♪)
いろいろ確認しないといけないけど、見た感じ、15m以上の長さはあったかなあ。それで多分、日本最大クラスでも、20mぐらいと思うから、本当にそれに匹敵すると思う。つくりはやや粗いのは関東の限界かなという気はする。まあ関東特に埼玉はw糞♪あまり墓とか埋葬品に固執しない傾向があるんじゃないのかと私は思ってるけどね。それでも、この古墳はかなりの切り石積みが使われていて、内部はきれいに仕上げられている模様だ。使われている石材も、私が知る最大クラスではないのかと思う。
(石室内は平日は公開されておらず、カギがかけられている。確か、土日祝日の、9:00-16:00 昼休みを除くw だったと思う。まあ私あまり入るのは好きじゃないんでww)
(最大・最長?の石室を持つのは多分、丸山古墳 (橿原市)の28mではないかと思うが、それは破格の大きさで、石舞台古墳で19mほどとなっている。
横穴式石室 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A8%AA%E7%A9%B4%E5%BC%8F%E7%9F%B3%E5%AE%A4
この八幡山古墳は16.7m
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E5%B9%A1%E5%B1%B1%E5%8F%A4%E5%A2%B3_(%E8%A1%8C%E7%94%B0%E5%B8%82)
これはどうも四室あるといってもいいかも。でもそういうと日本一になっちゃうからww糞♪♡)
つまり、私が思うには、埼玉古墳よりも重要ではないのか。でもそれは、既得権益的には不都合な事実ということになるわけだろう。まあ話せば長い糞♪
円墳らしい。そして開口は真南を向いていたと思う。敷地の対角線になってましたね。周囲には堀のようなものとか、石の列のようなものがみられたが、もともとあるものなのかどうかわからない。解説では、径80mの円墳とのことだった。
なので、前方後円墳でないから、扱いが雑なのかもしれないというわけ。しかし、パッと見て、このつくりの並外れたスケールから、その重要さが理解できないものなのか?今すぐ覆いを作って、博物館に滑師すべし糞♪♡
初級者が私見を述べさせてもらいますとw糞♪、確かに、つくりの荒々しさが、保守系のものと違っているという気配がある。かなり立派なものだけど、確か石室が三段階に分かれているような作りになってる。薄い石板を何枚も重ねているとか、あまり見かけない作りで、保守系のところ(群馬のもの)と作りの性格が違っている気がする。わざとそのような荒々しさを出しているとすら感じる。そこに、土着系のにおいを感じる。
大きな円墳というと、埼玉にはいくつか有名なものがあり、私の印象だと、甲山古墳に雰囲気が似ている気がする。まあ近いといえば近い。以前書いたけどね。荒川を挟んで対岸にある。
しかし、このような立派なものが、多分後期に作られたはずのこのような古墳として、現地の土着勢力に作ることが許されたかどうかは信じがたい気はする。政府系のものを上回るような規模と素材、技巧が用いられていると私には思えますが。その辺は今後に研究してみたい。色々なぞが多すぎるが、あまりにもスケールの大きすぎる謎で、埼玉考古学界の後進性を痛感してしまう次第でござりまちゅる糞♪♡
(今見てたら、漆塗りの棺の破片がみられたということで、そうなると、やはり大王のごく近親のものではないのかと思うが、なぜそんな人が埼玉くんだりにいたのかww そしたら埼玉古墳の位置付けは?ww糞♪♡)
まあ私が見たところ、埼玉に存在するナンバーワンの古墳と感じました。リボが認定いたします!糞♪♡ (場合によっては東国一。なぜこれが国の史跡に指定されていないのか糞♪♡ よほど不都合な事実があるのかも(≧з≦)糞♪♡ まあ埼玉が申請しないからでしょ。埼玉の行政・教育委員会・考古学会は〇能です糞♪♡)
* バイクとか
バイクは引き続きマイナーアルミE号の平坦標準鉄下駄仕様だが、今回、シートポスト・サドルをH号から移植しました。軽いので、今後ヒルクライムに使っていきたいから。やはりかなり違ったと思う。バイクを振りやすくなるけどね。とてもよかったが、少し挙動が敏感になる感じがあって、最初はなれなかった。ひらひらしますw糞♪ 良かったけど、スベッてずれてしまうんで、直しながらでくたびれました。(´・ω・`)
時間は全部でちょうど6:00ぐらい。行きが追い風で2:00ほどで古墳の近くまで行ったw 帰りの向かい風がかなり強くてきつかったね。距離もかなりあったし、行田は遮るものがなくて風が強いし、寒い(´・ω・`) けどまあトレーニングと思って、強めに踏んで帰ってきた当社比。それで足がきっちりなくなるぐらいまで踏んできたんでかなり疲れました。
* 写真集
ここから若小玉八幡山古墳
真南が対角線のようになってる。ひょっとして前方後円墳というような可能性も考えるけど、それらしき痕跡はなかった。まあ周囲が売国工業団地に開発されてて、環境は荒れ果ててるので、なんも言えねえ糞♪♡
敷地ちょうどあるから、保存して記念館にしましょう。リボがお墨付きを与えましたから、国指定確定ですからね(〇能埼玉行政が申請すれば)糞♪♡
入り口そばの場所だが、この墳丘の縁と思われる部分に(少し低くなっていて濠のように見えるが)、円弧を描いたような二列の石が並んでました。もともとあったものなのかどうかわからないが、まああったのかなwちょっと変わった形式かな。
ああそうか、開口部が南だとしても、墳丘全体もそちらを向いていたとは限らないね。むしろ違うケースが多いから、周囲をよく探索して・・・さようなら糞♪♡
(まあ私も今頃ごちゃごちゃ騒いでるけど、そもそも古墳とか、ずっと顧みられてないし尊重されてない。そんなことやってるのは近畿だけw だから、ぶっちゃけ残ってるのは田舎だけで、都市部にもなかったとは言えない。住居遺跡なども同様で、重要な遺跡の上には今もまだ人が住んでるww糞♪♡)
ごつい岩で固められてる玄室。わかってても手も足も出ない(・ω・;)
ちなみに、説明板を見ると、ある程度崩れた形になってて、上手に補修されてるようだ。けど多分もともとはこんな形だったといって間違いないと思う。
天井部分の石。ド迫力です(・ω・;)
乗せられてる部分が、天井石の形に合わせてざぐられていた。
(野神の手のサービスショット入りw)
入り口から見える開口部の光景。
これは羨道という扱いになってるらしい。けど、少なくとも非常に広くて立派な空間になってて、普通の意味の羨道ではないといっていいほどではないのか。
つまり、解説板を見てみると、この上に大きな天井石が乗ってたので、ここまで空間が存在してると想定したようだ。一番表の門のところの石はなかったのかもしれない。(こういうとこからはいい石が持ち出されること多し(・ω・;))
しかし、敷石や積み石などからすると、この通りの空間があったのではないのかと思われるので、いずれにしても破格の規模を持ってると思う。
個人的には、ここは二つの小部屋が続いてるようになっていて、この外にさらに羨道があったかもしれないと思う。埼玉推し野神(`・ω・´)
広めの裾を持った二段築成かなあという雰囲気だが、土がかなり持ち出されたらしいので何とも言い難い。濠の痕跡もわからなかったが、何かしらあったのは確かだろう。墳丘の後ろ半分は削られてると思う。もちろん上に土が高く盛られていて、隠すためにもう一段ぐらいあった可能性はある。そうだとすれば、雰囲気的には甲山古墳に似てる。
まあ何がどうでも、埼玉が負け組で、大日本帝国は滅び、野神は死んだのだから、今更意味はないのかもしれんw糞♪♡
(だとすれば一辺100m近い大きさになるか。)
なので、いろいろ可能性が考えられる。丸い円墳の周りに四角い濠状のものがあったとか。あるいは、方形の上に円墳が乗っている形だったとか。
さらにはその東の存在が接続していて、東向きの前方後方墳だった可能性もあるかもしれない。
私は大王の親族と安易にいってしまったが、もしこのように真東などを向いてる方墳だとすると、中央政府と関係が少ない存在で、やはり地元豪族のものかもしれない。その場合は、独自に最先端の様式を模倣して最高の棺などを作った可能性があるかもしれない。埼玉ではあまり聞いたことがない例だが、それだけに武蔵の地域的な特色が強く出ているのかもしれず、今までの歴史観が覆るといえるかもしれない。
(西国ファースト主義の偏見に毒されていた失敬(≧з≦)糞♪ 漆や絹は東国でも何も珍しいものではない。とにかく貧乏負け組埼玉では例がないほど豪華で大きいものだということに尽きる糞♪)
最近思うのは、このころ東日本で大型古墳の製造がまだ盛んだったのは、経済的に豊かだったからで、西国はその余裕がなくなってやむを得ず古墳を小さくしたのかもしれない、ということ。自分たちが作れないから、全国に作っちゃいかんという命令を出したんではないのかという気がしてきたね。実際のところはどうなんですかね?西国は液状化する!糞♪
しかしまあよく知らないね。何故かというと、ここはまだ発掘調査がされてないようで、情報が何もない(´・ω・`)
なぜしないのでしょうか?それなくして、日本の歴史が語れるのでしょうかね?埼玉古墳群の意義が語れるのでしょうか?糞糞糞♪♡
まあそういうところに、私は子供のころから、日本の歴史のうさん臭さを感じてて、好きじゃなかったわけです。何を学んで信じるべきか、全く信用ならなかったのでね糞♪ まあ幼くしてそういう野神の嗅覚が働いてしまったわけです糞♪
まあこれは一番大きいとみなされてるね。しかも古い。だから、この八幡山古墳に先行する存在だったのだろうと思う。しかし、私は埼玉古墳もまだ十分把握してなくて、いろいろ関係性がわかってなく、妄想すらできないのでw糞♪、華麗にスルーさせてもらいましたね糞♪
扱い的に別格になってるから、どうも保守系にとって都合のいい存在のようには思ってる。逆に、八幡山や甲山は放置状態になってる。あと甲山の近くにも大きな古墳があったといわれてるが、ユダ西売国ゴルフ場にされてしまっていますね。糞♪
まあサイズ的に八幡山のほうが少し小さそう。衛星写真の四角い跡が一辺100m程度に見えるのでね。ちなみにその四角形が確かだとすると、ますます石舞台には似ている。本来の日本の土着系であった可能性はやはり高い可能性がある。
まあ円墳も同様。前方後円墳は、やはり西国政府系のタイプなのは確かな感触があり、千葉などに多いのはその根拠になる。西国は東海道から千葉茨城を支配の拠点に考えてたから。
なぜ古くからある東山道ではなくそちらを重視したのかというのにも意味があると俺は思ってるね。その一つの重要な意味を持ってる存在だと思う。これら大きな円墳は。
もし親玉だとすると、大きさや時期から行って、八幡山や甲山を上回る可能性がある存在なのは確かだが(だとしたら大王級にならざるを得ない糞♪)、調査しないのだから、評価のしようがない。ないものとみなしています(`・ω・´)糞♪♡
(埼玉の前方後円墳の価値は低いとみてる。手先の役人のものだろう。いくら立派に飾り立てられていてもね。どうも富士山がこの辺りの支配の象徴と設定されているようで、それを埼玉古墳群は典型的に示している。
土着関東民として、富士山には特別なものを感じない。関東の山とみなしていないのかもしれない。関東民は浅間山や筑波山、もちろん赤城や男体山などを重視するというのがあるのは、歴史的経緯かもしれないと思う。それで逆に糞♪、西国支配勢力は富士山を象徴に決めたのだろう。そして土着系の神社を浅間神社に改めていったんだと思う。浅間山とか榛名山の名前も多分変えられたと俺は思う。浅間がもとからあって富士山が盗んだのかwさすが盗人西国支配勢力糞♪♡ 富士山が意外に人気ないのが意外ww 高すぎたかね。遠すぎた。昔は。あーつまり、昔の人は、山の幸を恵んでくれる地元の山をお祭りしたからじゃね現金主義w)