続編への旅 No.5 2010年初夏の旅
ヨハネスと父の入院
ブッフ・アム・ヴァルトに住むアマチュア写真家のヨハネスが入院したという知らせを受け取ったのは数日前のことでした。彼の家を訪ねる替わりにヨハネスの入院先を聞いて数日後にお見舞に行くことにしたのでしたが、何と前夜、姉からのメールで父の具合が悪いという知らせが届いたのです。でもとりあえず検査入院をして結果が出るまでにしばらくかかるし、今すぐに危篤という状態ではないので私の旅を切り上げて帰ってくる心配は要らないとのことでした。でも大事な人が二人も入院したと聞いてとてもショックで胸塞がる思いでした。
それでも、いざアパートを出るとリーメンシュナイダーのことに集中してしまいます。
この日はハッセンバッハまで行くつもりで出発しました。ただ、数日前に娘がまだドイツにいて私と一緒に回っていた頃、ドイツには同じような町の名前や教会の名前が多く、ネット検索して行き方を調べてきたつもりでも、彫刻があるのはその教会ではなくて隣町だったという体験が2回ありました。その結果、ネット検索で出てくる住所や電話番号は地域の取りまとめの教会で、数館の教会を所轄しているらしいということがわかってきました。特に洗礼者ヨハネ教会が2つあるハッセンバッハ所轄地域ではどちらの教会にリーメンシュナイダーがあるのかわかりにくかったので、わざわざ電話をして「嘆きの聖母像を見たいのですがそちらの教会でしょうか」と前もって聞いたのでした。若い女性が「それならここですよ」と答え、オーバートゥールバの教会への行き方を教えてくれたので安心して出向いたのです。
キッツィンゲンからいつものようにヴュルツブルクで乗り換え、シュヴァインフルトまで行き、更に乗り換えてバート・キッシンゲン駅に到着。ここからバスでオーバートゥールバの教会に向かいました。途中の道路は工事中で相当長いこと停車したあげく、下車したいマルクトプラッツには工事中だから停まらないというので少し先で下りて歩いて戻るようなハプニング続き。ようやく着いたときにはホッとしました。
でもずいぶん新しくてきれいな教会です。中に入って拝観しましたが、どこにもリーメンシュナイダー作品が見つかりません。外に出てもう一度司教館に電話を入れました。「いえ、ここでいいのですよ。ちょっと待っていてください、すぐ行きますから」と言って、近くのドアが開き、若い女性が出てきました。手に持っているパンフレットを「嘆きの聖母子像はこれですけど」と見せてくれたのです。そこで私のことばが足りなかったことを理解しました。私は「リーメンシュナイダー」と言わないままで作品名だけ伝えていたのです。嘆きの聖母子像、いわゆるピエタはそんなに多くの教会にあるわけではないので油断していたのですね。隣り合う村の同じ名前の教会に、同じピエタ像がたまたまあったために起こった混乱でした。彼女が言うには隣村がハッセンバッハで、リーメンシュナイダー彫刻がある教会だから歩いても行けますよとのこと。「電話を入れておかないと開けてもらえないでしょうから連絡しましょうか」と言ってくれたのでお願いし、ついでにトイレをお借りしました。この方と出会わなかったら、例えまっすぐ正しい教会についたとしても作品を見ることはできなかったのですね。天の采配だったのでしょう。司祭さんが午後1時に来てくれることになりました。
まだ少し早めだけども遅れるよりは良いと思ってすぐに隣村へと出発しました。とても暑い日でした。村の外れの標識にはハッセンバッハまで3kmとありました。さきほどの女性は確か2kmと言っていたのです。早めに出てきて良かったと思いながら草原の中を歩き続けました。ふと見上げると真っ青な空には白い雲。その雲がどうしても男性がベッドに横たわっている姿に見えるのです。その人はヨハネスかもしれない。あるいは父かもしれないと思うと胸が詰まりました。
教会に着くと、古い教会もあったのですが、「嘆きの聖母像は新しい教会にあります」という看板が立っていました。坂を登るとすぐ新しい教会が見つかりました。待ち合わせの午後1時に車が停まって司祭さんが降りてきました。鍵を開け、中の灯りを付けて「どうぞ」と、撮影させてくださいました。教会の歴史など数枚のコピーをくださって、私が写した写真を見ると、「教会の尖塔が先細りしているけど、デジタルだから直せますよね」とおっしゃいました。私は多分と答えながらぎくっとしました。この旅に持って来たニコン一眼レフの扱いも辛うじてできる程度の初心者ですから。写真家のヨハネスには、「そういう傾斜を直すツールもあるけれどとても高いんだよ」と聞いていましたし。坂の下から高い尖塔の教会全体を入れて写すにはこんな角度でしか写せなかったのです。
帰りのバスは予定外だったので資料もなく、とにかくバート・キッシンゲン行きと書いてあるバスに乗るしかありません。13:37分の予定のバスが10分遅れてようやく到着。運転手さんにバート・キッシンゲン駅まで行きたいのですがと言うと、このバスは行かないから乗り換えを教えるよと言われて「バート・キッシンゲンと書いてあるのになんで駅まで行かないのだろう」と不思議でした。バート・キッシンゲンの終点につくと、確かに駅が見当たりません。運転手さんは車内の常連さんとのおしゃべりで名前がミカエルさんだとわかっていましたが、「あそこのバス停で待ってなさい」と指さして教えてくれます。私が歩いていくと、そこだよと目で合図してくれましたが、なかなかバスが来ません。他のバスはどんどん来るし、バート・キッシンゲンと表示にあるのですが、駅まで行くのではないだろうかと不安になってキョロキョロすると、ミカエルさんが「まだまだ、そこでいいんだよ」というジェスチャーをするのです。ミカエルさんは終点に着いて乗客もいなくなったにもかかわらず、運転席でゆっくり何やら食べ、ゆっくりたばこを吸い、なかなか発車しません。20分ほどたってようやく目の前にバスが近づいてきたので彼を見ると「そう、そう、そのバス」と頷き、ようやくエンジンをかけて発車させ、私に手を振って去って行きました。ミカエルさんは私がちゃんと乗り継ぐまで見守ってくださっていたのだとわかり、本当に嬉しく思いました。この日は予定外のコースで帰らなければならず、とても不安だったのですが、守り神はついているのですね。バスに乗ってから「バート・キッシンゲン」と言うと、周りの人が口を揃えて「それならここだよ!」と言います。あわてて「駅まで」というと、みなホッとしたように「このバスだ」という感じで頷いていました。見慣れない日本人がどこに向かっているのか関心を持って心配してくれていたようです。そして地元の人にはバート・キッシンゲンといえばこの旧市街であり、駅はちょっと離れた場所にある別物なのだとわかりました。今後は地名も正確に旧市街、新市街、駅という区別を頭に入れなければいけないと痛感しました。このミカエルさんには今でも心から感謝しています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/ca/16bc046a9e166e0d3f19aa287be91055.jpg)
<作品写真40> ハッセンバッハの嘆きの聖母像 <新しい洗礼者ヨハネ教会 (尖塔?は斜めのまま)>
Vesperbild 1490-1500 Tilman Riemenwchneider zugeschrieben, Kratiekirche St. Johannes der Täufer, Hassenbach
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