リーメンシュナイダーを歩く 

ドイツ後期ゴシックの彫刻家リーメンシュナイダーたちの作品を訪ねて歩いた記録をドイツの友人との交流を交えて書いていく。

44. やっと追いつきました

2016年09月21日 | 自己紹介

帰国してから No.2

 主立った旅の記録を終えて

 以前のホームページから新しいブログへと引っ越してからもう1年4カ月が経ちました。画像の位置指定が難しいこのブログで、それでも欲張ってあれこれ写真を詰め込んで、何とか親切にしてくれた友だちの紹介も入れながら『祈りの彫刻 リーメンシュナイダーを歩く』、『続・祈りの彫刻 リーメンシュナイダーを歩く』を手渡す旅について書いてきました。主立った記録にとどめたので、アメリカへの2回の旅、2014年に再び残りの作品を見に行ったドイツの旅にも触れていませんが、距離にしたらどのくらい追いかけて旅したのでしょう。アメリカでは特に東海岸から西海岸へ飛んだり、中央部のシカゴを中心に歩いたりと大がかりな旅となりました。いずれの地でも親切な町の人々、バスの運転手さんに助けられ、危険な目にあうこともなく日本にもどってくることができました。

 作品の数え方については悩み、ベルリンにあるボーデ博物館のユリエン・シャピエさんに相談したところ、「あなたなりの数え方をすればいいのですよ」と言われて目から鱗の落ちる思いがしました。それで、『続・祈りの彫刻 リーメンシュナイダーを歩く』では自分なりの数え方のルールを決めてカウントしたところ、リーメンシュナイダー、工房、弟子や周辺の作家の作品はドイツ国内に345点、アメリカ国内に22点、それ以外の国に22点を数え、合計389点となりました。

 その後、更に新しく発見された作品や新しい情報を得てわかった作品を入れた私の手元資料では、ドイツ国内が384点となり、合計は428点となっています(もっとも数え方一つで、この数は大きく動きますので、その点はお断りしておきます)。恐らく今年の12月に帰国した後でまた作品数は変わることでしょう。結局全ての作品を訪ねることは不可能ですし、私の旅は終わりそうもありません。でも親しい友だちのうち、すでにスイスのロルフ、アマチュア写真家のヨハネスが亡くなりましたし、連絡の取れなくなった方も何人かいます。残念ながら大好きなドイツ国内でも今年テロが起きました。日本もいつテロリストに狙われるかわかりません。まだ平和な旅ができる間に、こうした友だちやお世話になった方々に心の中でさようならと言ってくるために、もう一度だけドイツで2カ月ほど生活してきます。


 やっと「今」に追いつきました

 今年の旅では、Wi-Fiが利用できる宿を取りました。まだ使い慣れていませんが、タブレットを持っていきます。もしゆとりがあれば、今度の旅についてはできるだけ日々の日記をつけていきたいと思っています。もしそれが難しいようなら、帰国してから少しずつまとめたいと思いますが、ようやく何年も前の話ではなく、「今」に追いつくことができてホッとしています。タブレットからの画像の取り込みがどれだけできるのかわからず、もしかしたらあまり写真も載せられないかもしれませんが、お時間がありましたら覗いてみてください。

 最後に、アイゼナハにあるヴァルトブルク城の鳩の写真を載せておきます。世界の平和を心から祈りつつ。


                          

※ このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015 Midori FUKUDA                  

 

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43. 朝日新聞に載る

2016年09月21日 | 旅行

帰国してから No.1

 本当に朝日新聞の書評に載った!

  実は帰国する直前のアシャッフェンブルクで、ある朝メールを受け取りました。丸善プラネットで私の本の校正を担当してくれた公文理子さんからです。「朝日新聞から『続・祈りの彫刻 リーメンシュナイダーを歩く』を書評に取りあげたいと言ってきているのですが、画像を送っても良いでしょうか」という問い合わせでした。びっくりしてスマホを持つ手が震えました。夫にも早速見せ、「もちろんです! 私のスマホからでは画像が送れないので公文さんにお任せします。どの画像を何枚送っても構いません」とか何とか書いたのをおぼろげながら覚えています。そのとき、朝日新聞から求められた画像がこの磔刑像の足もとの写真でした。これは、「27.ゲロルツホーフェン」で書いたヨハネ礼拝堂美術館にあったものです。私一人のために開館してくれた小さな礼拝堂美術館の1階にありました。赤い壁が何とも印象的で、リーメンシュナイダーの祈りを感じながら写した作品でした。


<作品写真43> Kruzifixus  磔刑像部分

Lindenholz 菩提樹       1505~1510  TRW リーメンシュナイダー工房作


 そして、その全体像がこの写真です。

<作品写真44> Kruzifixus  磔刑像全体

  

 帰国してすぐの3月3日(日)、朝日新聞書評欄の最後にある「視線」というコーナーで美術評論家の北澤憲昭さんという方が書かれた文章を読みました。きっとたまたま書店で目にして手にとってくださったのでしょう。とても温かい文章でした。よくぞこの本を見てくださったと心から感謝しています。ここにコピーすることはできませんので、記事を読みたい方はご連絡ください。

 また、出かける前にドイツ大使館にも前編に引き続き続編を贈呈しておいたところ、以下のようなお手紙までいただくことができました。(書かれていた私の住所には葉っぱの模様を載せてあります。)

                                    

<元ドイツ大使 フォルカー・シュタンツェル氏からのお手紙>

                        

※ このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015 Midori FUKUDA

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42. 誕生日を祝う

2016年09月21日 | 旅行

続編お礼の旅No.6  2013年冬の旅

 旅の最後の誕生日

 今回も旅の最後はフランクフルト近郊のルース・トーマス夫妻のお宅で迎えました。『続・祈りの彫刻 リーメンシュナイダーを歩く』を手渡すとトーマスは難しい顔。でもたまたまこの写真がそういう顔になっただけで、普段はリーメンシュナイダー彫刻の追いかけを楽しんで協力してくれる夫妻です。このあとルースの運転で近くの温泉(地名は忘れましたが)に連れて行ってくれて、小高い丘の上からの景色を楽しみました。

                       <お礼に続編の本を手渡す>                   <ルースと。バートなんとかという町の丘の上で>

                        

       

 翌日はトーマスが世界遺産のローマの遺跡リーメスまで連れて行ってくれました。ここには1世紀頃にゲルマン民族の侵攻を防ぐためにローマ皇帝が築いたお城があり、北はコブレンツ付近から南はレーゲンスブルク付近までの600kmほどにおよぶ長大なものだったそうです。今はバート・ホンブルクにあるザールブルク城が復原されているのです。その時代の品物も展示されていて、ほのかな笑みを湛えたポットにとても魅力を感じました。                                               

         

              <リーメスの入り口で>                        <その時代のポット>                           <当時のデザインのサンダル>


 この旅の最後に、珍しくトーマスの家で誕生日を迎えました。するとルースからプレゼントが手渡されました。何かと思ったら手作りのスリッパ! とても温かそうでしたが残念ながらちょっと小さめで、帰国してから娘の元へ。

 ドイツでは誕生日を迎える側が周りの人に感謝の気持ちを伝えるためケーキや甘いものを作ってふるまうという習慣があるそうです。留学時代に何度かクラスメートのお相伴にあずかりましたが、今回は私がレーマー広場近くにある日本人のケーキ屋さんでケーキを買ってみなさんに食べていただきました。考えてみたらルース・トーマス夫妻とは誕生日近辺で会っていることが多いのに、ちょうど誕生日に一緒に過ごすということは初めてで、心に残る誕生日となりました。

 

                

                   <町で買ってきたケーキ>                                 <ルースからのプレゼント Danke!>        

※ このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015 Midori FUKUDA, Mitsuo FUKUDA 

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41. ロストックの高速でパンクする

2016年09月21日 | 旅行

続編お礼の旅No.5  2013年冬の旅

 ヨーラとヘルヴィック

 ヨーラは2009年にわが家に来たので、『祈りの彫刻 リーメンシュナイダーを歩く』お礼の旅もロストックには行っていませんでした。ヘルヴィックとは2007年以来ですから6年間会っていなかったということです。ヨーラがアマチュア写真家のヨハネスを紹介してくれて、おかげで写真集を作ることができました(13. 聖血の祭壇 参照)。従って、今回はロストックを抜かすわけにはいきません。

 ヨーラはいつもの通りお寿司を作って待ってくれていました。三津夫にはご飯の炊き方が違うと不満があるのですが、それでも私は彼女の愛情で補ってあまりあると思っていただいています。

 

                     <三津夫とヘルヴィック>                                <ヨーラと私 & ヨーラ手作りのお寿司>

                            

 

 ドイツ北部にはほとんどリーメンシュナイダーの作品はありませんので、行くとなると観光を兼ねてとなります。今回はシュトラールズンドという世界遺産に連れて行ってもらいました。そのときに、ドイツでは出会ったことのない大事件が起こりました。ヘルヴィックが何だかおかしいと言って路肩に車を停め、外に出てみたら左後輪がパンクしていたのです。日本のJAFのような会社ADACに連絡しようにもヨーラは携帯を忘れてきたのでした。私の携帯で何とかメルセデス・ベンツに連絡をし、しばらくしてから大きな牽引車が来てくれました。少し戻って会社のオフィスでお茶を飲みながら待っていると、タイヤのストックがないから代車になるというのです。問題は代車がオートマ車だということでした。ドイツの友だちのほとんどがマニュアル車を運転します。だからヘルヴィックは生まれて初めてオートマ車に乗ったわけで、急発進、急ブレーキでガックン、ガックン。運転に慣れるまでは大変でした。それでも何とか目的地に着いたときはホッとしました。まぁ、こんなことがあると、何を見たかということよりも、パンクしたという記憶の方が強く残ります。

 この夫婦、いろいろと自然を生活に取り入れ、食べ物についても砂糖抜きの食事をしています。甘味がないかといえばそうではなく、現在は蜜蜂を飼って蜂蜜を採取し、その蜜で年間の甘味を賄うといった生活をしているのです。彼女が作ったティラミスは絶品でした。巣箱を見せてくれましたが、この絵もヨーラが描いたものです。現在は漆塗りに凝って、自分たちの手で漆を塗った食器を作るのだと意欲を燃やしています。独特な生活スタイルの夫婦に興味が尽きません。

 最後に、パンクしたときの写真と、蜜蜂の巣箱の写真を載せておきます。

 

                      

            <パンクした車と引き取りに来た牽引車>                                        <庭先の巣箱>

※ このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015 Midori FUKUDA

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