産みの苦しみ その2
藤の花で有名な足利フラワーパークにて
2009年の1~2月、できあがったばかりの本を何冊もトランクに入れて再びドイツに向かったのでしたが、一番気がかりだったのが写真を提供してくれたヨハネス(Johannes Pötzsch)がどう感じるかということでした。その辺の事情は既に前からのブログ記事をご覧いただいた方はおわかりでしょうけれど、彼が写した「聖血の祭壇」の素晴らしい写真の色合いが本では赤っぽくなりすぎていて、彼の目にどう映るだろうかという危惧があったからでした。案の定、本を手にしたヨハネスの顔は暗く、「いつ印刷をし直させるんだい?」と聞かれたのでした。そのとき、私はいつか続編を出版して、ヨハネスの写真をもう一度正しい色合いで印刷し直すと心に決めたのでした。
その後、アメリカを含む4回の取材の旅を経て、私自身の手で撮りためた写真を発表するために『続・祈りの彫刻 リーメンシュナイダーを歩く』を出版しましたが、ヨハネスが途中で倒れて入院したり、ドイツの友人たちが会う度に病気がちになったりしたのを見て、少しでも早く仕上げなくてはという使命感は常に心の中で燃えていました。従って、ようやく作品の写真選定を終え、頁の構成を始めると、やはり2008年と同じように作業はどんどん進んだのです。この本では私の未熟な解説頁は極力なくし、写真でリーメンシュナイダーや工房、弟子たちの作品を見ていただくことに専念したこともあってインパクトは強まったように思います。私の心の中にも「これだけドイツやヨーロッパ国内の作品を訪ねて回った人はいないだろう」という自信が育っていたので、作品一覧には私の退職後の人生をまとめるつもりで取り組むことができました。再掲したヨハネスの写真の色をこんどこそは妥協せず、最後の最後まで見届けてから印刷に入ってもらいました。
こうしてできあがった『続・祈りの彫刻 リーメンシュナイダーを歩く』を再びトランクに詰め(大半は夫のトランクにですが)、2013年2月にヨハネスを再び訪ねました。2010年に起こした脳梗塞の後遺症でことばをうまく話せなくなっていた彼にも満足の笑顔が浮かんだのを見て、ようやく肩の荷を下ろすことができたのです。その時点で、もう私の仕事は終わったと思いました。持っていた力は全部出し切ったと…。
この本が帰国直後の3月3日に朝日新聞の書評欄「視線」で北沢憲昭氏(美術評論家)によって取り上げられたのは何よりものご褒美でした。
♥ 43. 朝日新聞に載る:http://blog.goo.ne.jp/riemenschneider_nachfolgerin/e/547eafa62baa9dea521a907aaea482a6
この後の私はいわば燃え尽き症候群。撮りためた写真をどうしようか、机の回りにぎゅうぎゅう詰めになっているリーメンシュナイダー関係の本をどうしようかと終活について考え始めたのでした。
※ このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015 Midori FUKUDA