飛耳長目 「一灯照隅」「行雲流水」「万里一空」「雲外蒼天」

「一隅を照らすもので 私はありたい」
「雲が行くが如く、水が流れる如く」

こんな子をどう評価するのか

2024年10月07日 11時32分35秒 | 教育論
先生方ならこんな子の評価、評定をどのようにするだろうか。

ある学級にほとんど目立たない女の子がいた。
どこのクラスにもいる普通に目立たない子である。
勉強はそれほど出来なかった。
10段階で言えば、4くらいの子だった。

授業中に積極的に発言をするでもなく、テストができるわけでもない。
普通に学校に来て、特に目立つこともなく、普通に過ごして普通に帰る。
そういう子だった。

その先生はどんな学級を担任しても、討論のできる学級を目指していた。
まず、発言力を高める指導に力を入れていた。
具体的には次のよぅな段階的指導をした。

第1段階 自分の考えをもつ
第2段階 自分の考えを表現する
第3段階 他者との違いを見極める
第4段階 相手を論破する

この指導には当然ながら時間を必要とする。
数多く体験させなければならない。
前提となる指導も多くある。
いろいろな教科で機械をとらえて、指導した。
自分の考えをノートに書かせ、全員のノートを点検した。
全員に発言をさせ、他者との違いを確認させた。

そんな指導を続けていくと先に紹介した女の子は素晴らしい一面を見せるようになった。
それは素直さだった。
その先生の指導に対して、その子は実に素直にそのまま取り組んでいった。
愚直なまでに。

その結果、その子の発言力は学級でもトップクラスとなった。
自分の考えをノートにびっしり書くようになった。
どんなに難しい問いでも、自分の考えを必ず書くよぅになった。
討論の際にも、積極的に挙手発言をし、相手を論破しようとした。

そし明るく活発になってきた。
授業以外でも積極性が出てきて、いろいろな仕事の代表になった。

しかし、成績自体は10段階の5から6には上がったが、9や10にはならなかた。
その子は成績自体をあまり気にすることもなく、最後まで明るく積極的に過ごしていた。

ここで観点別の評価について考察してみる。

主体的に学習に取り組む態度について。

1 知識及び技能を獲得したり、思考力、判断力、表現力等を身につけたりすることを向けた粘り強い取組を行おうとする側面と

2 1の粘り強い取組を行う中で、自らの学習を調整しようとする側面、という二つの側面を評価することが求められる。

このように規定されている。
「粘り強さ」と「学習の調整力」の二つが満足出来て初めて「A」となる。
一方が突出していても他方が普通ならば「B」となる。
この評価では、さきほどの子の「主体的に学習に取り組む態度」の評価は「B」となる。

「粘り強さ」はAで間違いありませんが、「学習を調整する力」はそこまで高くはない。
仮に、成績の若干の向上が「自ら学習を調整したもの」によるものと教師が判断し「調整力」も「A」とすれば、「主体的に学習に取り組む態度」の評価は{A」とすることもある。
しかし、成績自体は「BB」となる。
主体的に学習に取り組む態度がAなら「BBA」となる。
ここで「BBA」がダメなら、先ほどの子の良さはどこで認めてあげればよいのだろうか。

確かに、仮に1や2の側面について特筆すべき事項がある場合は「総合所見及び指導上参考となる諸事項」において評価記述することも考えられる。
ここにわずかな道は残されている。

しかし、これは指導要録での記述になる。
通知表には書けない。
なぜなら、どの学校でも観点別評価が「A」の部分について所見を必ず書くはずだからである。
すると「BBA」がダメだとしている限り、先の子どもの良さはどこにも表記されずに、どこにも伝わらない。
「子どもの良さを積極的に見取る」という大原則がこれで達成できるのだろうか。
また、教育の根本である子どもの成長を認めるという原則論に反していないだろうか。
大きな疑問が残る。

saitani




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