飛耳長目 「一灯照隅」「行雲流水」「万里一空」「雲外蒼天」

「一隅を照らすもので 私はありたい」
「雲が行くが如く、水が流れる如く」

授業中に指導案を見る行為

2024年12月07日 19時15分53秒 | 授業論
こんな言葉を目にした。

指揮者は決して楽譜を見ちゃいけないんです。
楽譜を捲る僅か0.1秒という時間が団員たちの意識を大きく後退させてしまうことがある。
    小林研一郎(指揮者)

小林氏は言う。

幸いなことに僕はこの年になってもひたむきというものがあるんです。
まだまだバラ色の人生なんです。

僕はいろいろなオーケストラで指揮をしていますが、一人ひとりの顔をじっと見ていなくては指揮ができないんです。
指揮者の中にはメンバーを見なくても指揮ができるという人がいるかもしれませんが、僕にはできません。
となると、楽譜を見ることができないわけですから、全楽器の楽譜を全部覚えなきゃいけない。

演奏の途中、僕は指揮をとめることがあります。
しかし、そこで一人ひとりを注意することはしません。
そういうことをするとその人が受けるショックが周りにも伝わって、決していい演奏にはならないからです。

ただ、止めるときには全員がハッとするような、炎になれるような、そんな言葉を発しなくてはいけません。

そして、その時、指揮者は決して楽譜を見ちゃいけないんです。
楽譜を捲る僅か0.1秒という時間が彼らの意識を大きく後退させてしまうことがある。

団員の顔をみながら
「すみません。では594小節からお願いできませんか。」
これって効くんですね。

以上、引用終わり。

これこそプロだと思う。
研究授業のときに指導案を見てする人がいる。
もちろんおいてあっても見ないという人もいるだろう。
教育実習の時の指導教諭の先生に言われたことを思い出す。
「先生、指導案を見ながら授業はしてはいけないよ。
 子どもたちが不安になるから。」
大学に在籍している学生の私が言われた言葉だ。
心の中では、「それはできそうもないな。」と思った。
でも、なぜその指導教諭の先生はおっしゃったのか。
それは授業の指導者として教壇に立つ以上、実習生も教諭もない。
子供にとっては同じ指導者だ。
その指導者としての心構えを教えてくださったのだと今になって思う。
本当にありがたい言葉だ。
それ以来、私は研究授業のときには指導案は見ないようにしている。
もちろんそのためには100回近いリハーサルを繰り返す。

研究授業で指導案を見ながらする教師はやはり努力が足りないと思うし、アマチュアだと判断せざるを得ない。

saitani

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 人生は言葉だけでも変わる | トップ | 誰が鐘をならしたか »
最新の画像もっと見る

授業論」カテゴリの最新記事