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ノムさんムッ!「オレの価値なんかそんなもんや」 楽天ドラ1・藤平の背番「19」でボヤキ炸裂 / 『野村の遺言』

2017-01-01 00:00:17 | 男ぷり

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野村の遺言

 

野球のダイヤモンドは「社会の縮図」。九人の選手たちがそれぞれ違う役割と責任を果たすことで支え合い、助け合い、有機的に結びつきながら、ひとつの目標達成に向かっている。その要の役割を担うのがキャッチャー。組織においての捕手的人間の重要性を説く、リーダー論でもある。


「生まれ変わっても、私はキャッチャーをやりたい」という野村氏の、最初で最後の本格捕手論。

 

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  >>>ノムさんムッ!「オレの価値なんかそんなもんや」 楽天ドラ1・藤平に栄光の背番「19」決定でボヤキ炸裂
                                      出典:  夕刊フジ / 2016年11月10日

 楽天はドラフト1位指名した横浜高の藤平尚真投手(18)と,契約金1億円,年俸1500万円(推定)で契約した。

 背番号は野村克也元監督(81)が4年間背負い,7年間空き番号となっていた「19」に決定。藤平は「とても偉大な方の背番号をつけるので,少しプレッシャーはある。背番号19に合ったような態度で練習に臨み,結果を残す気持ちでやっていきたい」と敬意を表した。

 楽天は2009年に当時の野村監督を解任した際に,名誉監督就任と背番号「19」の永久欠番を提示。10年からは誰もつけず,うやむやになっていたが,突然復活することになった。

 しかし期待のドラ1とはいえ,まだプロでは何の実績もない高校生に簡単にあげられたら,野村氏の立場がない。ボヤキの矛先は球団に向けられた。

 野村氏は「聞いたよ。俺の価値なんかそんなもんや。(楽天に)評価されていなかったことが,今回の件で証明されとる。永久欠番になるような功績は残していないから,どうぞご自由に」とボヤキは止まらず。藤平が継承するにあたり,連絡は球団幹部からではなく,マネジャーからだったことも面白くなかったのだろう。

 背番号について担当の後関スカウトは「さすがに18番というわけにはいかないので。19がいいんじゃないかという話は出ていました。投手としてもいい番号なので」と説明。空き番のうち,田中将大(現ヤンキース)の「18」の方が,野村氏の「19」よりも重いということになる。

 ちなみに,野村氏が現役最後の2年間を過ごした西武では,引退後に11人が背番号「19」を背負うも,引退から36年たった今も,誰も大成せず。球団幹部は真顔で「ノムさんの呪いなんじゃないか?」と話すほど。

 藤平は「次につける人が,藤平さんの番号と言ってもらえるように,結果を出したい」と意気込みを語った。

  

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 野村の遺言


>>> 野村克也氏「プロ野球レベル低下はキャッチャー不在が原因」
        出典:NEWSポストセブン10月30日(日)7時0分  http://news.biglobe.ne.jp/sports/1030/sgk_161030_0184026397.html

「生涯一捕手」を標榜した野球評論家の野村克也氏(81)は,今のプロ野球界に大きな危機感を持っているという。新刊『野村の遺言』も話題の野村氏が展開する「捕手論」は,傾聴に値する。

 * * *

 プロ野球のレベルは低下している。そしてその大きな原因は「キャッチャーの不在」にある。

 最近は力一杯投げて力一杯打つことが「力と力の勝負」であると,選手も監督も,ファンも信じて疑っていないように感じる。そこにあるのは単なる打ち損じ,投げ損じの結果だ。こんなただ投げて打って走ってというものは野球ではない。

 野球には「間」がある。一球投げて休憩,一球投げて休憩……この「間」は何のためにあるのか。「考え,そなえるためにある」のだ。

 野球は「頭のスポーツ」なのである。選手の能力だけでは勝敗は決しない。一球ごとに生じる「間」を使い,刻々と変化する状況を見極めて最善の作戦を考える。結果,弱者が強者を倒す意外性が生まれるから面白いのだ。そこに野球というスポーツの醍醐味がある。

 その中心を担うのが,監督の分身であるキャッチャーなのである。

 私は「キャッチャーは脚本家」であると思っている。キャッチャーがサインを出し,それに従ってピッチャーが球を投げ選手が動く。試合という「舞台」は,キャッチャーの書いた「脚本」で決まるからだ。

 映画界にはこんな名言があるという。

「いい脚本からダメな映画が生まれることはあっても,ダメな脚本からいい映画が生まれることは絶対にない」

 野球も同じだ。キャッチャーが良い脚本を書けなければ,名勝負という良い“作品”は生まれない。たとえ大谷翔平という“名優”がいても,活かすことはできない。プロ野球のレベルが下がっているのも無理はないというわけだ。

 かつては森昌彦(現・祇晶)や手前味噌ながら私,古田(敦也)や谷繁(元信)など,時代ごとに名キャッチャーと呼ばれる選手がいたものだが,最近は見当たらない。なぜ,名キャッチャーはいなくなってしまったのだろうか。

 そもそも最近は,キャッチャーになりたいという子供が少ない。だからキャッチャーが育たない。私の幼少時代,1番人気は今と同じくピッチャーだったが,2番は実はキャッチャーだった。プロテクターをつけるのが格好良かったからだ。しかし今の子供たちに訊くと,「立ったり座ったりがしんどいから」イヤだという。子供の頃から楽することを考えているのだから,なんとも悲しい話だ(苦笑)。

 そして,キャッチャーとは何かを教えられる指導者がいないことも大きい。

 キャッチャーは専門職であり,経験者でないと教えられない。私はヤクルト時代,1年間フルに古田をベンチで私の横に座らせて勉強させた。彼は元々キャッチングとスローイングが良く,頭脳明晰だったから1年でモノになったが,例外だ。本来は,経験者がつきっきりで教えても何年もかかる。

 にもかかわらず,最近はキャッチャー経験者の監督が少ない。特にセ・リーグは外野出身の監督ばかりだ。

 私には「外野出身者に名監督なし」という持論がある。外野は試合中に考えるのは守備位置くらいで,頭を使わない。現役時代,そんな過ごし方をした監督に複雑なサインプレーはもちろん,キャッチャーが好リードをしているかどうかなどわかるはずない。抑えればいいリード,打たれれば悪いリードとすべて結果論で判断する。そもそもキャッチャーの重要性を理解していないのだ。

 私はその重要性を知った時,野球恐怖症になったことがある。プロ4年目のことだ。自分は指ひとつで試合を左右する立場であることに気付き,根拠のないサインを出すというのがいかに問題であるかを痛感,怖くてサインが出せなくなったのだ。「キャッチャーは守りでは監督以上のことをしているのでは」と恐ろしくなったのである。

 バッターの長所短所,カウント,打者心理,投手心理……1球ごとに状況が変わる中でサインを決める。しかもそれが試合をも決める。それだけに責任は重大だ。

 だがもちろん,やりがいも大いにある。成功した時の達成感や喜びは何物にも代えがたい。だから私は,生まれ変わってもキャッチャーをやりたいと思っている。

 よく野球は「筋書きのないドラマ」といわれる。やはりドラマには脚本家が必要だ。キャッチャーは脚本家であり,いい脚本からは野球の本質が見えてくる。もう一度,しびれるような脚本での名勝負が観たいものだが。

●のむら・かつや/1931年,京都府生まれ。京都府立峰山高校卒業後,テスト生として南海に入団。3年目から正捕手となり,首位打者1回,本塁打王9回,打点王7回,戦後初の三冠王など数々のタイトルを獲得。1970年には選手兼監督に就任,ロッテ,西武を経て1980年に45歳で引退。その後はヤクルト,阪神,楽天で監督を歴任。ヤクルト時代にはリーグ優勝4回(うち日本一3回)を達成した。

                             ■取材・構成/鵜飼克郎 ■撮影/山崎力夫    ※週刊ポスト2016年11月4日号

 

 

 

  野村の遺言   価格1,512円

 

  ノムさんこと野村克也さんが,「 野村の遺言 」を上梓された。この本を書かれたいきさつ,氏の思いを「本の窓 11月号」(小学館発行)で,次のように綴っている。

なぜ、遺言をのか

 ともに戦った戦友が次々と鬼籍に入るなか、いまのプロ野球界に言うべきことを遺しておくのも義務だと考え、私の専門と言えるキャッチャーについて記してみた。


 捕手論を書こうと思ったのには理由がある。「プロ野球のレベルが低下しているのではないか?」 近年、そう感じることが多い。選手個々の運動能力やパワー、技術はわれわれの時代より進化している。にもかかわらず、私にはそのように感じられてならないのである。一球ごとに変わる状況や選手・ベンチの心理を観察・洞察し、最善の作戦を選択して実行する -- そこに野球の本質はある。すなわち、投げて打って走るだけのスポーツではない。だからこそ弱者でも強者を倒すことができる。野球は「頭のスポーツ」なのだ。
 ところが、いまのプロ野球は、ただ力いっぱい投げ、打ち、走っているだけ。それが 「力対力の勝負」だと信じて誰も疑わない。だが、そこに生じるのは投げ損じ、打ち損じの結果に過ぎない。だから、戦力の優劣がそのまま勝敗に表れてしまう。そのことが私をして「レベルが低下している」と感じせしめるのである。   

       (本の窓 11月号 p6


 上述の野村さんの想いは,日本ハム対ソフトバンクのクライマックスシリーズ(CS)ファイナルステージの第5戦の解説と重なるものがある。

ノムさん,決勝スクイズを決められた場面に「お粗末」

 16日、『S☆1』(TBS系)にVTR出演した野村克也氏が、日本ハム対ソフトバンクのクライマックスシリーズ(CS)ファイナルステージの第5戦、決勝点となった日本ハム中島卓也にスクイズを決められた場面、ソフトバンクバッテリーに苦言を呈した。

 2点リードで迎えた4回、一死満塁から代打の岡大海に2点タイムリーを浴び、同点に追いつかれたソフトバンク。なお一死二、三塁とピンチは続き、打席にはリーグ最多の62犠打を記録した中島卓也。

 野村氏は「ここはスクイズあるよ。栗山の性格は真面目だから余計あるよ」と予言。ソフトバンクの2番手・森唯斗が投じた初球、内角のストレートに中島は空振り。ここで野村氏は「細川がまるっきり(スクイズの)警戒がないんだよね。ここはスクイズがあるなという状況のところで、1球目外されたりするとサインが出せないんだ」とボヤいた。

 すると3球目に、ピッチャー前にスクイズを決められ、ソフトバンクは逆転を許す。野村氏は「ほらやった。十分スクイズが考えられるのに、スクイズを警戒しているよと見せなかったでしょ。お粗末」とバッサリ。

 その後、ソフトバンクは5回に2点を失い4-7で敗戦。日本ハムとの対戦成績が2勝4敗となり、日本シリーズ進出を逃した。  


もはや言い遺すことはない

 本書『野村の遺言』 で私は、「キャッチャーとは何か」「名捕手の条件とは何か」ということからはじまって、配球の狙いや組み立て方、強打者の攻略法、さらにはプロとしての心構えまで、半世紀以上にわたってキャッチャーについて考えてきたこと、実践してきたこと、教えてきたことを、具体的なエピソードも交えながらあますことなく述べたつもりである。先に述べた通り、キャッチャーは監督の分身と言っても過言ではないから、一種のリーダー論、組織論としても読めるのではないかと思う。これでキャッチャーに関しては、もはや言い遺すことはない--そう考えている。
                                                 (本の窓 11月号 p7


野村克也(のむら・かつや)
1935年京都府生まれ。南海ホークスで戦後初の三冠王。通算成績2901安打、657本塁打、1988打点、打率 277。90~98年ヤクルトスワローズ監督でリーグ優勝4回(日本シリーズ優勝3回)。その後阪神タイガース、東北楽天ゴールデンイーグルス監督を歴任。
著書に『野村ノート』『名選手にドラマあり 脳裏に焼き付くあのシーン』など多数。

 


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