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死の棘 (新潮文庫) | |
夫の情事を日記で知った妻が精神の均衡を崩し,精神病棟に入院するまでの夫婦の葛藤を描く私小説。1953年から1976年まで断続的に雑誌に発表され,1977年に単行本化。極限状態から夫婦の絆を取り戻そうとする情感豊かな描写が高く評価され,ベストセラーとなった。 |
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新潮社 |
この11月に没後30年を迎えた作家・島尾敏雄(1917〜86年)。島尾は,鹿児島県・奄美大島で20年間暮らし,夫婦愛の極北を描いた小説「死の棘」など多くの作品を残している。。
>>>梯久美子さん「狂うひと」 島尾ミホの評伝 「死の棘」をめぐる夫婦の壮絶な闘い
出典:産経新聞電子版 2016.11.28 07:33 http://www.sankei.com/life/news/161128/lif1611280009-n1.html
奄美・加計呂麻(かけろま)島の旧家で育ったミホは,第二次大戦末期に特攻隊長として島に赴任した敏雄と運命的な恋に落ちた。しかし,戦後の本土での結婚生活は現代の夫婦に通じる残酷さに満ちている。文学での成功を求め家庭を顧みない夫,性病の罹患(りかん)などつらい日々が続く。梯さんは敏雄の全集と日記,ミホのメモや草稿などに目を通し,親族や当時の文学仲間らに取材。著名な評論家らの言説により定着した「ヤマトから来た守り神」と「島の巫女(みこ)」による「理想的な夫婦関係」に異を唱える。
「実際は『書く』『書かれる』をめぐり,壮絶な闘いを繰り広げた夫婦だった。島尾さんは書かずにはいられない人で,ミホさんは小説に『書かれること』で夫を支配した。『死の棘』も,ミホさんの目を気にしながら書かざるを得なかったはず」と梯さん。
また,女癖が悪く小説のためには女性を利用することもいとわない敏雄,女学校時代を東京で過ごし探偵に夫の素行を調査させる世慣れたミホなど,2人の意外な一面が次々と明らかになり,ミステリーを読むようにページが進む。
「島尾さんは,ミホさんの反応を見ようと日記をわざと見せたのかもしれない。愛人の女性に近づいたのも書く材料にするためだったという説がある。小説のために,そこまで冷酷になれる人だった」
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家庭を修羅の場にしたいという敏雄の暗い欲望にミホは無意識に応え,狂気に陥ったのだろうか。敏雄は『死の棘』で作家としての地位を確立し,妻の精神安定のため細心の注意を払って生活するようになる。ミホの遺品から,精神病棟入院中に書かれた「ミホの命令に一生涯服従す」という敏雄の血判入り誓約書が見つかり,小説に描かれた2人の関係が現実だったことを証明する。
作家・島尾敏雄 美談から醜聞へ--『死の棘』の裏側
『狂うひと ──「死の棘」の妻・島尾ミホ』 梯久美子著は,島尾敏雄『死の棘』のヒロインで敏雄の妻,ミホの評伝である。夫の浮気に苦しみ,正気を失っていくミホと,献身的に尽くしていく敏雄。果たしてその姿は真実だったのか。最初は許されていた取材を断られた著者は,ミホの死後,家族の了承を得て残された資料を整理していく。自らも書くことを望んだミホと小説のためなら手段を選ばない敏雄。美談から醜聞へ彼らを突き動かしたものは?
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狂うひと ──「死の棘」の妻・島尾ミホ | |
島尾敏雄の『死の棘』に登場する愛人「あいつ」の正体は?
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新潮社 |
>>>島尾敏雄没後30年,「幻の日記」初公開 かごしま近代文学館
死の棘35刷改版 [ 島尾敏雄 ]
この11月に没後30年を迎えた鹿児島ゆかりの作家・島尾敏雄(1947〜86年)の“幻の日記”を紹介する企画展が鹿児島市のかごしま近代文学館で11月14日まで開かれた。この日記には,代表作「死の棘」で描いた,夫婦の葛藤へ至るまでの日々が記されている。
記録魔だった島尾は生涯日記をつけ,小説の題材にもした。日記は,妻ミホさん(故人)が廃棄したとされてきましたが,2010年に奄美市の自宅で遺族らが見つけたということである。
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鹿児島にゆかりのある28人の作家を多角的に紹介する近代文学館と童話の主人公の人形を展示するメルヘン館を併設。