『田中角栄 戦後日本の悲しき自画像』早野透著 中公新書より、抜き書き・・・・
角栄を最後まで追い続けた番記者(早野透)が語る真実。-
わたしは、朝日新聞の政治記者として、田中角栄を担当した。首相時代からその死まで、政治史の節目に角栄邸を訪ね、その語り口を聞いてきた。
「まえがき」ページ ⅱ~ⅲ
田中角栄は、いわゆる「田中金脈」を追及された。ロッキード事件という国際汚職事件で逮捕された。首相から刑事被告人へ! 政治にはカネがかかる。ボスは子分にカネを配る。角栄はそんな永田町政治の深奥にいた。その果てに、ロッキード事件は起きた。「田中角栄」は、日本政治を汚した「金権政治」の代名詞となった。田中角栄は、世間の指弾を浴びた。理想や知性を持たない、政治をカネに換えた政治家だと。
いったい、田中角栄という政治家は何だったのだろう。
日本を、とりわけ恵まれない地域を繁栄に導いた人物田中角栄。札束を配って権力を求め、権力から札束を生み出した人物田中角栄。どっちが田中角栄なのか。
角栄を持ち上げる論もあれば、角栄をくさす論もある。だが、田中角栄はひとりの人物である。
わたしは、朝日新聞の政治記者として、田中角栄を担当した。首相時代からその死まで、政治史の節目に角栄邸を訪ね、その語り口を聞いてきた。その取材メモがある。
田中角栄を至近距離で見てきた同時代の政治記者として、もう一度、振り返り、考え、刻んでおきたい。田中角栄とは何だったか。
p237~238
角栄の内閣が倒れ、ロッキード事件が起きて角栄が「闇将軍」と して権力を振るい、そして角栄が病に倒れるまで、(政策担当秘書の)早坂茂三とは長く行き来して政治状況を語り合った。わたしが折々、角栄権力の暴虐への批判に及べば、それに耳を傾けつつ、この「角栄伝道者」はこう語った。
(中略)
透さん、黒澤明の『
』を見ただろう。「侍は風、百姓は大地」と志村喬がつぶやく場面があったろう。村を襲う賊を退けて侍たちは去っていく。平和がよみがえって、百姓は今年もまた田植え歌を歌う。政治家は風、民衆は大地だ。角栄も吹きすぎていく。民衆は生き続ける。
p395-396
角栄が去って二〇年、角栄の取材メモをひっくり返していると、あの頃の政治の物狂おしい活気が蘇ってくる。わたしたちもそこで生まれ、育った「昭和」、とりわけ「戦後」の日本の復興と成長と転落をそこに見る。
いま、日本政治を見ると、国家像を見失い、技術主義に陥り、ポピュリズムが跋扈する。
そんな平成の世に、新聞記者が至近距離で見て聞いた「わたしの田中角栄」を、吐き出しておきたい。「歴史の狡智」としての田中角栄を通して、日本政治の苦悶の過程を見てもらい、これからの日本に、人々がいたわりあえる、真の民主主義を実らせていくことができればと願っている。
::::::::::::::早野透さんを悼む :::::::::::::
>>朝日新聞元編集委員の早野透さん葬儀 田原総一朗さんら300人参列
出典:朝日新聞デジタル 11/13(日) 17:17配信
https://www.asahi.com/articles/ASQCF5KMPQCFUTFK003.html
元朝日新聞記者で編集委員やコラムニストを務め、5日に死去した早野透さん(享年77)の葬儀が13日、東京都内の葬儀場で営まれた。12日の通夜とあわせ、谷垣禎一元自民党総裁、海江田万里衆院副議長、山東昭子前参院議長、ジャーナリストの田原総一朗さんら約300人が出席した。
早野さんは1968年、朝日新聞社に入社。岐阜支局、政治部を経て編集委員などを務めた。96年4月から、退社する2010年3月まで政治コラム「ポリティカにっぽん」を担当した。政治部時代には田中角栄元首相の番記者を務め、著書に「田中角栄と『戦後』の精神」「日本政治の決算」などがある。退社後は桜美林大学教授などを務めた。