休養を表明の西武監督の伊原さん。報道によると,井原監督の場合,「休養」といっても,現場復帰のない事実上の解任という。成績不振もさることながら、球団が看過できなかったと思われるのが、伊原監督に対してナインの心が完全に離反していたことである。
11年ぶりに西武監督に復帰した井原監督であるが,選手にそっぽを向かれたことから休養となった。これまで多くの監督が選手に信頼を失って辞任しているが、開幕からわずか2か月少々,53試合目でグランドを去るというのは,異例である。
>>>選手にそっぽ向かれ休養の西武・井原監督。 教訓-世の中の常識は変わりはじめている!!
「監督が一度(身を)引けば、いい風が吹くのでは、と考えた」
メディアの伝えるところによると, 不成績は表向きの理由で、真相は,選手との軋轢にあるという。開幕からわずか2か月ちょっとでの出来事なのだから、よほど溝が深まっっていたのであろう。
西武ライオンズ井原春樹監督が異例の53試合目で休養 2014/6/5
◆時代が違う
伊原さんは「鬼」と呼ばれ,選手のしつけは厳しいことで知られた。「選手に好かれようと思ったら、指導者も選手も成長しない」と公言してはばかることはなかった。11年ぶりに西武監督に復帰したとき「鬼が帰ってきた」と選手たちは恐れた。2002年の最初の西武監督時代には優勝させている。その実績もあって,長髪、ヒゲは御法度、ユニホームの着方に注文、と伊原方式を打ち出した。
伊原が西武の選手に身だしなみに口をはさむのは,“強いチームであれ”、ということの意思表示だという。大リーグのヤンキース同様,巨人はヒゲは許さない。かつて西武の黄金時代を築いた広岡が提唱したのは,「管理野球」。広岡は,選手の食生活までチェックし,罰則まで課した。
広岡が西武を率いたのは,1982~ 1985年である。その頃はというと,高度経済成長は終わりを告げ,オイルショック後が尾をひく不況の時代であり,プロ野球は巨人の黄金時代が終わり群雄 割拠の時代であった。この不景気から脱出すべく,人々は管理の大切さを認識し,実践していたのである。なにはともあれ,広岡は管理野球で西武を日本一に導いた。まさに広岡の管理野球は,世の中の流れ,常識に合致していたのである。
現在はというと,各自の創意工夫,さらには「個性」の発揮が求められる,脱管理の時代にある。
◆「暴風雨でも屋外ランニング」で亀裂決定的に
遠征中の5月16日、札幌から秋田に移動すると、暴風雨にもかかわらず屋外でランニングをさせた。
「これで負のオーラを流すことができる」
伊原監督は練習強行の狙いをそう説明したが、選手たちは、理に合わない練習、と受け止めたようで、終了後にかなりの不満が漏れた。関係者によると、これで監督と選手の間が決定的になった、という。
「今の若い人は自分に納得しなければ,行動を起こさない。納得させるための理論武装と言葉が必要になってくる」。これは日本ハム監督・栗山英樹の言である。頭ごなしの「だっまて俺についてこい」は,通じ難いご時世なのである。
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変革の時代にあっては,過去の成功体験や思い込みを断ち切り、新たな発想でチャレンジしていくことが,ビジネス,私生活を問わず時代対応の道という。プロ野球の世界にあっても選手たちの意識も生活も,変化している。そこで,監督の選手への姿勢,指導法も変わっていかざるをえないのである。
(この稿,続く)
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休養の西武ライオンズ井原監督。教訓-成功体験を捨て去ることが時代対応への道
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