パソコン立ち上がらす!
画面が黒くになって・・・・・。
またか!と思いました。
2005年の誕生日のプレゼントで貰ったPCですが、
まもなく2年目を迎えます。
強制終了させて。電源を抜いて静電気を放電させ、
起動、1回目失敗。
今度、切断時間を少し長くして、再び再起動。
OKでした。
このPC、買ってしばらくして全然立ち上がらず
ドック入り、1年未満だったので無料で修理。
元々5年間の保険に入っていますから、いいのですが。
また修理かと・・・・。
動いて良かったです!
この時期乾燥すると静電気でこんなケースがよくあります。
湿気も悪さをするが、皆さん気を付けましょう
さて、明日から恒例の東京出張へ出掛けます。
これで、しばらくお休みします。
高山・白川郷 最後のUPです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
41号線神岡~古川
池?名前わからず

数河高原近くの池
凍っていました。
流葉スキー場

41号線沿いにある流葉スキー場
雪はありますが、リフトは
止まっていました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
白川郷から荘川へ向かう途中
帰雲城(かえりくもじょうし)

寛正六年(1465年)、向牧戸城主であった内ヶ島為氏が新たに築いた。
二代雅氏を経て三代氏理は、天正十三年(1585年)に羽柴秀吉の命をうけた
金森長近軍が飛騨に侵攻すると、金森氏に恭順して所領を安堵される。
しかし同年十一月二十九日に起こった大地震で帰雲山が崩落。
土石流によって城と城下町が埋没し、内ヶ島氏は一夜にして滅亡してしまった。
天正13年(1585)8月、羽柴秀吉は、
命に従わない富山城主の佐々成政を討つため京都を出発、
それにともない越前大野の金森長近には飛騨の攻略を命じました。
飛騨の三木氏が秀吉に従わず成政と組んだためです。
帰雲城城主内ヶ島氏理は成政に頼まれて越中に
援軍として出兵していました。金森軍は飛騨に向けて進軍し、
その通路には白川郷があります。
内ヶ島の南にあった牧戸城は簡単に占領されてしまいましたが、
何故か帰雲城を攻めずに三木氏への討伐へと進んで行きました。
金森軍が飛騨の三木氏を破った後、
帰雲城城主内ヶ島氏理は金森軍に降伏しましたが、
何故か白川の領土を少し取られただけで済みました。
これは、もともと金の力によって
秀吉側と内通していたためではないかと推測されています。
七つの金山から百二十年間にわたって発掘された黄金の一部は、
足利義政の銀閣、上杉謙信の飛騨攻めの際の帰雲城無血開城への
餞別、織田信長の安土城、豊臣秀吉の大阪城の建立等に献上されたが、
鉱山からの物は全て掘った者の物。
掘り出された黄金の半数以上は
帰雲城に残っていたと考えられる。
天正大地震は天災であり、予見されるはずもない。
従って一部は隠匿されていたとしても多くの金銀などは
通常の状態のまま、帰雲城に置かれていたはずである。
埋蔵ではないのである。
そこへ土石流が襲いかかってすべてが埋没した。
埋没した黄金の量は古来の伝説により二兆円と推定されている。
写真の城跡は、ここかどうか?は判りませんが、
この近くに凄い黄金が残っている
かも知れませんね!
・・・・・・・・・・・・・・
荘川高原

白樺が綺麗でした。
近くには桜の名所がありますが、
まだ、咲いていませんでした。
画面が黒くになって・・・・・。
またか!と思いました。
2005年の誕生日のプレゼントで貰ったPCですが、
まもなく2年目を迎えます。
強制終了させて。電源を抜いて静電気を放電させ、
起動、1回目失敗。

今度、切断時間を少し長くして、再び再起動。
OKでした。

このPC、買ってしばらくして全然立ち上がらず
ドック入り、1年未満だったので無料で修理。
元々5年間の保険に入っていますから、いいのですが。
また修理かと・・・・。
動いて良かったです!
この時期乾燥すると静電気でこんなケースがよくあります。
湿気も悪さをするが、皆さん気を付けましょう

さて、明日から恒例の東京出張へ出掛けます。

これで、しばらくお休みします。

高山・白川郷 最後のUPです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
41号線神岡~古川
池?名前わからず
数河高原近くの池
凍っていました。
流葉スキー場
41号線沿いにある流葉スキー場
雪はありますが、リフトは
止まっていました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
白川郷から荘川へ向かう途中
帰雲城(かえりくもじょうし)
寛正六年(1465年)、向牧戸城主であった内ヶ島為氏が新たに築いた。
二代雅氏を経て三代氏理は、天正十三年(1585年)に羽柴秀吉の命をうけた
金森長近軍が飛騨に侵攻すると、金森氏に恭順して所領を安堵される。
しかし同年十一月二十九日に起こった大地震で帰雲山が崩落。
土石流によって城と城下町が埋没し、内ヶ島氏は一夜にして滅亡してしまった。
天正13年(1585)8月、羽柴秀吉は、
命に従わない富山城主の佐々成政を討つため京都を出発、
それにともない越前大野の金森長近には飛騨の攻略を命じました。
飛騨の三木氏が秀吉に従わず成政と組んだためです。
帰雲城城主内ヶ島氏理は成政に頼まれて越中に
援軍として出兵していました。金森軍は飛騨に向けて進軍し、
その通路には白川郷があります。
内ヶ島の南にあった牧戸城は簡単に占領されてしまいましたが、
何故か帰雲城を攻めずに三木氏への討伐へと進んで行きました。
金森軍が飛騨の三木氏を破った後、
帰雲城城主内ヶ島氏理は金森軍に降伏しましたが、
何故か白川の領土を少し取られただけで済みました。
これは、もともと金の力によって
秀吉側と内通していたためではないかと推測されています。
七つの金山から百二十年間にわたって発掘された黄金の一部は、
足利義政の銀閣、上杉謙信の飛騨攻めの際の帰雲城無血開城への
餞別、織田信長の安土城、豊臣秀吉の大阪城の建立等に献上されたが、
鉱山からの物は全て掘った者の物。
掘り出された黄金の半数以上は
帰雲城に残っていたと考えられる。
天正大地震は天災であり、予見されるはずもない。
従って一部は隠匿されていたとしても多くの金銀などは
通常の状態のまま、帰雲城に置かれていたはずである。
埋蔵ではないのである。
そこへ土石流が襲いかかってすべてが埋没した。
埋没した黄金の量は古来の伝説により二兆円と推定されている。
写真の城跡は、ここかどうか?は判りませんが、
この近くに凄い黄金が残っている
かも知れませんね!
・・・・・・・・・・・・・・
荘川高原
白樺が綺麗でした。
近くには桜の名所がありますが、
まだ、咲いていませんでした。