はい!滝沢ロコです!

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何をすれば・・・

2013年03月08日 | 大事な人、お友達
このところぐっと足腰の弱ってきた母は、ますます 背が丸くなってきました

家中母の行動範囲はすべて、バリアフリーにしたので、安心…

…と思っておりましたが

昨日、転びまして、肋骨を骨折

キッチンの床は、フローリングなので 滑ったのだそうです

何もしなくていいからね…と、何度言っても、あれこれやりたがる母

自分でやりたいのでしょう…

ヘルパーさんも、いつも、「やらなくていいですよ」と声をかけて下さっているんですが…


母の部屋は、転んだ時にもクッションになるからとの大工さんのアドバイスで、畳なのですが

廊下やキッチンはねえ~


骨粗鬆症もあって、転ぶとすぐに骨折します

心配なのは、そのまま寝たきりになってしまう事

幸い、これまでは、毎回のリハビリや 強運が 母を救ってまいりました

今回も、家人が帰宅していたので、即対応

入院も無く、生活は普通でよいとのこと

まずは一安心ですが、それでも、だんだんと老いて行く母

そう思って、前もって出来る備えはしているつもりでも、アクシデントは起きるモノですね~

仕方ないですが…


あと、何をすればいいのかなぁ~


可愛いベイビー

2013年02月25日 | 大事な人、お友達
小さい頃から知っている、友達の娘さんが

ママになりました

嬉しくて、写真を見て涙が出ました

保育園の頃は、息子とその子と妹と、3人でよくお泊まりして、キャーキャー騒いでいました

小学校、中学、高校とそれぞれ大きく成長し

お父さんの故郷の国で学び、

今は別のヨーロッパの国に居ます


息子が留学していた頃は、webで、3つの国をまたいで会話していたり…

便利な時代になったので、寂しさもさほどではなかったけれど

それでも、たまに会った時は嬉しかったです

日本に帰って来た時には 色々と話をして来ました


写真が添付されているメール 今は便利ですねー


何だか、娘に子供が生まれたみたいで…

ちょっと、胸キュンの私


連休にまとまったお休みが取れたら、顔を見に行きたいなぁ~

すっかりお母さんの顔で、ベイビーと一緒に写っている写真を見て

なんだか、色んな気持ちになっている私です

母は・・・

2013年02月06日 | 大事な人、お友達
私は、もうすぐ芝居の本番

毎日の仕事も お陰さまであれこれあって…

そんな中で、昔は子育て

今は、母の介護です

先日、『夕ご飯食べてないんだけど…』と私の部屋に来た母…

ついに母にも来るべき時が来たのか…

これまで、認知症の症状は無かったのですが、少しずつ、老化は進んできていまして

まあ、それもそれ

みんなたどる道でしょうから ジタバタもしませんが

もう少し、時間があったらなぁ~というのが正直なところ…

色々な専門家に助けて頂きながら、これからも、今まで通り日々過していけたら

本当にありがたいのですが…

私が元気じゃないと

2013年01月24日 | 大事な人、お友達
自宅介護は 毎日顔を見られるし 自分の自由な時間に自由な事が出来るし

デイサービスや、ヘルパーさんの巧みな組み合わせで

かなり行き届いたケアができる

とは言え、やはり、同居の家族の負担は、なんだかんだとある訳で

常に健康でないと、用が足りない


今回私がちょっと体調を崩してしまったので

母にうつさない様に、相当に気を使いながら

身体の様子を見ながら やるべき事を片付けるという日々が続いた


切ないことこの上ない


何にもしないで 辛がって寝ていられたら 楽だろうなぁ~と 気持ちがひねくれて来る


私は、元気でいなければならない

介護する人は、あまねく元気でいなければだめだ


今までは、何とかなっていたが 私もちょっと体調崩す事が増えてきた

まだまだ、こういう日々は続くだろうから

少し、色んな事を見直さないといけない


私が元気じゃないと みんなが困る

私は元気じゃないといけない

祝還暦

2013年01月14日 | 大事な人、お友達
アンパンマンの音楽を作っている近藤先生の還暦を

サプライズパーティーて、皆でお祝いしました

赤いチャンチャンコの代わりに、トレーナーや帽子やマフラーや何やかや

すべてまっかっか!!

近藤先生は、それをずっと身につけて下さって、汗びっしょり

優しい先生ならではです

本当に、皆の心がこもった最高の会でした

益々、ご活躍下さいね~~~

マペットファミリー再会

2012年12月26日 | 大事な人、お友達
あんなにがっつり、連日会っていたもんだから

「マペットのクリスマス・キャロル」終わって、スタッフキャストに会えないのが、寂しい私達…

早速、クリスマスに再会です







スクルージ役の倉石さんは、我らがファミリーの頼れる兄貴

西新宿の行きつけのお店をリザーブしてくれました



美味しいお料理とお酒に、大満足



そして、皆からのメッセージタイムは、笑いと感動の舞台を思い出させてくれました

また、やりたいね!

チャレンジャー達は、きっと また、次の創作を夢見ています

考えてみると…

2012年12月08日 | 大事な人、お友達
私の誕生日には、多くの皆さまから、本当に温かいお気持ちの数々を頂き

あらためて、感謝申し上げます


さて、毎日バッタバタに過ごしているので、中々一つ一つをじっくり考える機会を見失いがちな今日この頃…

ふと、気がついたことがあります

それが、この写真にある言葉…

誕生日のデコレーションなら、普通は『おめでとう』だよね

なんで『ありがとう』なんだろう…

これをくれたのは、息子

色んな味を楽しめるようにと、ショートケーキをいくつも買ってきてくれました

そして、イチゴのショートケーキが好きな私にと、写真のケーキが真ん中にあって…

『ありがとう』の『り』は、私が触ってしまってよれちゃいましたが

この『ありがとう』、もしかしたら、照れ屋の息子からの、私へのメッセージだったんじゃないかしら…

もお~

こんなところで、伝えて来るなんて~

幾つになっても、子供は可愛いです

普段は言えない『ありがとう』を、ここで伝えて来たか!


…そんなことをあれこれ考えていたら

もったいなくて、このチョコレート、食べられなくなっちゃって…

『り』の字がつぶれた『ありがとう』のチョコは、今も私の部屋のデスクにありまして




夜遅く帰り着くと、眺めては、微笑んでいる、親バカの私です…

母を思う

2012年09月23日 | 大事な人、お友達
人が年を取らない訳はなく 誰でもみんな50年生きれば50歳 80年生きれば80歳

だけど、年老い方は ものの見事に違うんですね…

私の周りにも 色々な大先輩方がいらっしゃって

それぞれに、年を重ねていらっしゃいます

当たり前のことなのに  

実は、違うんですね

他の人なら受け入れられる事が

自分の親には 中々どうして 普通に当てはまらない

親は歳とらないなんて、これっぽっちも思ってないんだけど

親の老いを素直に受け入れられるかというと

これが難しい

私、自分では相当自由な人間で 誰に対しても自由OKで暮らしてきたつもりだから

当然、母にもそうして来たし 今もそうなのだけれど

次第に 頑固さが増してきて 誰の言うことも聞かないようになってくると

中々 歳とったらみんなそうだよ…なんて 素直に受け入れるのが 難しい

一緒に暮らしている人に聞くと

私もそうよ~~

なんて言ってくれるんで ちょっと安心したりもするのですが

自分は、なんて 心の狭い人間だろう なんて思ったりもして

結構これが 堪えるのです


ま、長い試練が続いていますが

これが今の私には必要なことナんだと 思っております


それでも私は、色々とお仕事もしてたりするから 気もまぎれるけど

ずーーーーっと一緒にいる人は 本当に大変だろうな~

最近は ヘルパーさんも 色々と分かって下さって 

わかってくれる人がいる事が 私の救いでもあるのですが…


いやあ、自分もいつか年老いる訳で

人格を高く維持しつつ 年老いる事が出来たなら 

本当にいいと思います


そういう先輩 いらっしゃるもんなぁ…

ああ~

そういう人に私はなりたい

ま、いいか・・・

2012年08月28日 | 大事な人、お友達
母は、多くの方々のお陰で 日々、無事に過ごせています

ヘルパーさん達 介護士の方々 お医者様看護師さん

そして、ご近所の皆さん…

私が何かと忙しいので、どうしても、家族だけでは 介護生活は成り立ちません

介護といっても 母は まだまだ 充分普通に過ごせている方だと思いますが

それでも、色々な方々がいらしてこその 毎日です

皆さんには 本当に感謝しています


そんな中、今日 母の部屋の押し入れにあったパンの籠に 山と積まれたパンを見て

何だか、とても切なくなりました

今までも、沢山ため込んで 賞味期限切れで沢山捨てる、という事を何度かしてきた母に

以前、言ったことがありました


家の中には、すぐに口に入るものは、色々な種類 様々に揃えてありますし

毎日、調理したてのお弁当を配達してもらっていますし

ヘルパーさんが さらに 温め直してくれています


もったいないからという私に、その時は、分かった と母…

また、繰り返すのは 私も十分わかっていました


案の定、そのあとも繰り返しています

そしてまた、今日も…


もう、殆ど 母に対しては何も言わない私ですが

今日は、食べ物を捨てるのはもったいない と また言ってしまって…

あ~あ

親の世話は、やった人でないと分からない、と、前に言っていた人の言葉を思い出します


まあ しょうがない

私はまだまだ未熟者だから こうやって、成長していくんだな

優しい人間になるのは 難しいです

こうやって、母を見つめ、老いを見つめるのが 今の私には必要な事なんだと思います


合言葉は「ま、いいか・・・」

信じられない

2012年03月08日 | 大事な人、お友達
昨日、夜遅くに帰宅して、FAX受信のランプがついていたので開いてみたら…

声優仲間の訃報でした

私と同じ歳だったので、スタジオで会うと、何かと、色々お話していました

本当に優しい人でした

つい1カ月ほど前でしょうか

スタジオであったのが最後になりました

あの時も、体調は良くない様子でしたが、まさかあれが最後のお別れになろうとは…

どうしてあの時もっとお話ししておかなかったんだろう…

いつでも、出会いを大切にしなければいけませんね、本当に…


色々なところで、色々な事を話しながら、何十年というお付き合いでした

決して、しょっちゅうあっている訳ではないのでけれど

同じ歳はそうはいないので、何かにつけて会った時は「がんばろうね」なんて言っていたものです


さびしいなぁ

まだ信じられない感じ…


このところ、色んなことでバタバタ忙しくて

ちょっと、自分を見失っていた感がありましたが

忙しいなんて、ありがたいことじゃない

体が丈夫で、バタバタしていられるなんて、幸せじゃない

…と、今、思っています


でも、あんまり頑張りすぎて、体壊しちゃいけないねって、その友達と、よく話していたから

私も、自分の体にもう少し、目を向けようと思ったりしています

「そうだよ、ロコさん」

声が聞こえてきそうです…


ああ

なんか、言葉が浮かばない…

悲しくて、寂しくて、たまりません…

おじいちゃん

2012年02月13日 | 大事な人、お友達
おじいちゃんは、私が4歳位の時に亡くなりました

私は11月の終わりに生まれたので、4歳とは言っても、まだなったばかりでしたね


おじいちゃんが亡くなったときのことは、覚えています

奥の、庭に向かった部屋に、おじいちゃんは寝ていました

おばあちゃんが、食事を乗せたおぼんを下げ膳にいったときだったか

おじいちゃんが、ちょっと具合が悪いといって、炬燵に寄りかかるように座り直し

下げ膳をお勝手に下げて、部屋に戻った時には、もう、亡くなっていたんだと思います

おばあちゃんが、あわてて

「あれ、おじいさん、もう逝っちまったのかね

 おじいさん、おじいさん、おじいさん…」

と呼び続けていました

おじいちゃんをもとのように寝かして、すぐ枕もとにおばあちゃんと一緒に座って

たぶんおばあちゃんは、泣いていたのでしょうね

私も、何で涙が出るのか、よくわからないのに、涙が次から次に出て来たのを覚えています

おばあちゃんと一緒に、しばらく泣いていると

そのあと、かかりつけのお医者さんが来て、色々、おじいちゃんを見て

そのあと、白い布が顔にかけられたんだと思います


断片しか覚えていませんが、お通夜、お葬式と色々な人が来て 何だか嬉しかったです

田舎のおじさんおばさんや、親戚の人たちが、次々に泣くので

死ぬってことは、こんなに悲しい事なんだと思いました


2つ違いの兄は、何もできない私と違って、色々手伝っていたように思います

兄と二人、色んな事を、ぼそぼそ話しながら過ごしていた気がします


お寺に向かう時に、車に何か乗ったことのなかった私は、兄と二人喜んでいたら

あとから乗って来た親戚のお姉さんが

「おじさん!おじさん!」

とおじいちゃんの事を呼びながら、涙にくれて、同じ車に乗り込んできたので

喜んではいけないと、思わず、黙ってしまったのを覚えています

とにかく、色んな人が泣きました

おじいちゃんは、きっと、良い人だったんでしょうね

みんなが泣いて、おじいちゃんをおくってくれたんですね


こうやって、じっと思い出してみると、随分細かい事まで思い出してきます

自宅での葬儀が当たり前だった時代

お通夜も、お葬式も、

家の中を、ご近所や親せきが、行きかっていました


本当に、時代は変わりました

あの小さな私は、何処に行ってしまったのか…

おじいちゃんと一緒に、パンの耳で、よくパン粉を作りました

切り取ったパンの耳を、縁側の上の軒先に干して

カラカラになったやつを すりこぎでゴリゴリすりつぶして作ったものです


おじいちゃんとの思い出は、それほど多くはありません

でも、おじいちゃんの血は、間違いなく私の中に流れていて

少ないけれど確かにあったおじいちゃんとの思い出は

私の人間形成の核に、きっと、なっているはずです

こういう時に、おじいちゃんのこと、じっくり思い出すのも

良いかもしれないと おもっている私です

年賀状

2012年01月02日 | 大事な人、お友達
皆さん、初夢はいかがでしたか?

なんというか、私は、ちょっと、波乱万丈な夢でして…

今年も、大変なのかしらと思っております


御年賀状、皆さん本当にありがとうございます

私、元旦に間に合いませんで、申し訳ございません

頂いた御年賀状、本当に、嬉しいです

中には、年に一度のこのお年賀状で、繋がっている方もいらして

ありがたいものです

お子さんが成長した様子を写真付きの賀状で見せて頂くと

1年という年月の重さを感じます


皆さん、今年もよろしくお願い致します


おばあちゃん

2011年12月11日 | 大事な人、お友達
今日は、おばあちゃんの47回忌です

おばあちゃんは、私が2年生の時、亡くなりました

私は本当におばあちゃんが好きでした

おばあちゃんが元気なころ、いつもおばあちゃんのあとをくっついていました

両親が仕事をしていたので

いつもおばあちゃんと一緒でした

針仕事の上手な人でした

漬物や、煮ものが上手でした

掃除もテキパキとして、いつも、清潔にしていました

おしゃれで、長い髪を綺麗に結って、着物を着た上に、かっぽう着を着ていました

気が強く、ちゃきちゃきっていう感じで

私はおばあちゃんによく似ていると言われていました


脳溢血で倒れて寝たきりになってからは

殆ど良い思い出なはく、悲しい事ばかりだったように思います

貧しかったから、あまり良い思いもさせてあげられなかったし

なんたって、まだ2年生の私に出来ることもなかったのでしょうが

それでも、ご飯を食べさせてあげたり

爪を切ってあげたり

色々子供なりにしてあげたように思います


今、もし、おばあちゃんが生きていたら

なんでもしてあげられるのに…と思います

今、母の介護中ですが、今の母の様子とおばあちゃんの様子を比べると

切ないくらい違います

それでも、母に、もっと何か、と思う日々です

おばあちゃんが、一番気になっていたのは、母のことだったと思うから

母を大事にしてあげることは、おばあちゃんを大事にすることにもつながると

今、出来る事を母にしてあげようと思っています


おばあちゃん

私が一番好きだった人

おばあちゃん

本当に私を可愛がってくれた人

おばあちゃん

私が泣いていると、「いいよ、いいよ」と言って撫でてくれた人

おばあちゃん

おばあちゃん


おばあちゃん・・・

ありがとう

2011年11月27日 | 大事な人、お友達
おかげさまで、健康で誕生日を迎えられました

皆さん、温かいお祝いのお言葉、ありがとうございます

幾つになっても、やはり、お誕生日は良いですね…

これからも、大事に、正直に生きていきたいと思います

皆さん、本当に、ありがとうございます

これからもよろしくお願いします