今日は、8月15日です
63年前の今日、あの戦争が終わりました
ロコ企画で、平和をテーマに、色々なお話を語るようになって
この日は、私にとっても、特別な日となっています
たとえば、今年語った2つのお話にしても・・・
「想い出のサダコ」の主人公、広島で2歳で被爆した佐々木禎子ちゃんは
終戦から10年経ってから
原爆の放射能による白血病を発症しました
そのサダコちゃんとのお話を綴った大倉記代さんは
63年経った今年、癌のために帰らぬ人となりました
さかもととしえさんが自らの体験を書いた『あの日、見たこと』の中の
「白い絹のマフラー」に出てくる修ちゃんは
あと1日戦争が延びていたら
特攻隊で飛行機に乗って出て行き
きっと帰っては来なかったでしょう
そして
私の父は
生涯、戦争での手柄を自慢にしていた人でしたが
自慢話のほか、何も語らずに15年前に亡くなりました
私が子どもの頃、あまりに自慢を繰り返す父に、思わず
「何で戦争なんかするの?」と聞いたとき
「お国のためだ」と答えた父
「みんな死んじゃったら、お国はなくなっちゃうじゃない」といった私に
「大日本帝国は、なくならない」と答えた父
南方の前線に居た父が
晩年、寝るたびにうなされていたのは何だったのか
もし、今、生きて居たなら
今なお、あの頃のように意気揚々と自慢話をし続けたのか
もう、知る術はありません
今でこそ、そんな父が、言いようもなく切なく思えるようになりましたが
父の生前、私は、どれだけ父に反発し続けてきたことでしょう
いえ、今でも、父の戦争観に対しての反感はあります
しかし、単純なまでに軍国青年として一途に生きた父が
今では、当時の多くの若者の代表のように私には迫ってきます
毎年やってくるこの日、この月
私も、歳を重ねていくにつれ
自分の父を思い
佐々木禎子ちゃんを思い
大倉記代さんを思い
修ちゃんを思い
様々な人を思いながら
それらを、ロコ企画の語りの中に 込めていくことと思います
今年は、サダコちゃんの像、折り鶴を掲げた少女の像が出来て50周年
サダコちゃんの命日は10月25日です
私にとって、この日も、特別な日になりそうです
・・・・
63年前の今日、あの戦争が終わりました
ロコ企画で、平和をテーマに、色々なお話を語るようになって
この日は、私にとっても、特別な日となっています
たとえば、今年語った2つのお話にしても・・・
「想い出のサダコ」の主人公、広島で2歳で被爆した佐々木禎子ちゃんは
終戦から10年経ってから
原爆の放射能による白血病を発症しました
そのサダコちゃんとのお話を綴った大倉記代さんは
63年経った今年、癌のために帰らぬ人となりました
さかもととしえさんが自らの体験を書いた『あの日、見たこと』の中の
「白い絹のマフラー」に出てくる修ちゃんは
あと1日戦争が延びていたら
特攻隊で飛行機に乗って出て行き
きっと帰っては来なかったでしょう
そして
私の父は
生涯、戦争での手柄を自慢にしていた人でしたが
自慢話のほか、何も語らずに15年前に亡くなりました
私が子どもの頃、あまりに自慢を繰り返す父に、思わず
「何で戦争なんかするの?」と聞いたとき
「お国のためだ」と答えた父
「みんな死んじゃったら、お国はなくなっちゃうじゃない」といった私に
「大日本帝国は、なくならない」と答えた父
南方の前線に居た父が
晩年、寝るたびにうなされていたのは何だったのか
もし、今、生きて居たなら
今なお、あの頃のように意気揚々と自慢話をし続けたのか
もう、知る術はありません
今でこそ、そんな父が、言いようもなく切なく思えるようになりましたが
父の生前、私は、どれだけ父に反発し続けてきたことでしょう
いえ、今でも、父の戦争観に対しての反感はあります
しかし、単純なまでに軍国青年として一途に生きた父が
今では、当時の多くの若者の代表のように私には迫ってきます
毎年やってくるこの日、この月
私も、歳を重ねていくにつれ
自分の父を思い
佐々木禎子ちゃんを思い
大倉記代さんを思い
修ちゃんを思い
様々な人を思いながら
それらを、ロコ企画の語りの中に 込めていくことと思います
今年は、サダコちゃんの像、折り鶴を掲げた少女の像が出来て50周年
サダコちゃんの命日は10月25日です
私にとって、この日も、特別な日になりそうです
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