2月9日(木)夜
こんなようすで塾教室にいました。
しかし、夜半から一気に危篤となり、10日朝方5時10分ころ旅立ちました。
4時半くらいから暦では引き潮でした。
その引き潮の流れに乗って旅だったようです。
2月10日
みんなに額をなでなでしてもらったせいか、だんだん顔も穏やかになりました。(そう思いました)
わざわざ、遠くから来てくださった方もいました。
感謝です。
幸せなチヨです。
2月11日
朝早く「正覚」という特別なお線香をたいて経をよみました。
せき止めていた涙があふれて止まりませんでした…後悔しかない…ごめん、という気持ちでした。
そして
以前の住まいでお隣だった方が訪ねてきてくださって、懐かしくてありがたい時間でした。
天気予報は晴れではなかったはずですが…チヨの目の色のような青空が広がりました。
そんな中…13時過ぎに火葬車が到着
2019年、イッサの時にお世話になった方でした。
いただいたお花に囲まれて、みんなになでなでしてもらったので穏やか顔になって
旅立ちました。
火葬車、信濃川河岸の景色のいいところで荼毘に付して戻ってきてくれました。
姪の子供たち、私が旅に出た時にお世話してくれていた従姉、ご近所の点滴の手伝いをしてくださっていた愛猫家Hさんでやりました。
送り出しは私だけでした、青空が送ってくれましたが・・・
でもお骨拾いは賑やかにやりました。
葬儀社の方が、どこの骨かを説明してくださいます。
そして、私たちが拾いきれない骨をこうやってピンセットでつまんで最後まで丁寧にきれいに選別してくださいました。
最後は、頭としたあごの骨を私が手でそおっとそおっと、持って納めました。
チヨ、はかなげなお骨になりました・・・・
待合スペースに作りました。お参りコーナー。
49日、100カ日まで、私、経をよみます。(イッサの時もそうしましたし)
チヨを想いながら・・・・
イッサは享年10歳、チヨは12歳。
家猫の平均寿命の15歳に届きません。
大事にしているつもりです…
でも私の何かが悪いのではなかろうか。
この子たち、早旅立ちの原因は私の育て方とか接し方とか、生活の仕方とかいろいろとあるんじゃなかろうか。
考えます。
塾猫、イッサは子猫時代に志願しました。
塾の部屋に入れろと私室部分で鳴いて、ドアを引っかいたりするので、塾猫デビューとなりました。
しっかりと「任務」を果たしてくれました。
チヨはイッサについて回っていたので、当然同じく塾猫になりました。
でも
この「塾猫」という立場がこの子たちを短命にしたのかな・・とか思ったりもします。
あれこれ思うと止まらないですが・・・
イッサは弟を亡くして沈んでいた私を支えてくれました。
前の住まいでチヨと3名で楽しい時間を持ちました。
感謝感謝。
一つの時代が終わった感あります。
ミヤコと新しいスタートですね、と思うにはまだ無理があります。
・・・・・・
改めて
チヨの回復を応援してくださいました方々、ありがとうございました。