山形新聞ふるさとを詠う 2021年6月24日木曜日掲載してもらいました。
〈新聞に載せられなかった文章〉
スクープ写真の撮影者斎藤四郎は私とは遠縁(四郎の養女斎藤定子 芳賀忠一と結婚して芳賀定子 妻の義母)になり、明治18年に米沢の大沢に生まれる。花沢にあった寺子屋(のちに興譲館に併合)で学び、鶴岡の湯田川で警官をするも、樺太に渡る。様々な職を経る中で芸者と結ばれ、その位牌とともに帰郷。赤湯の白岩新聞販売店の離れに間借りして東京日日新聞の記者を勤める。長井支局の時に伊佐沢村に娘売り相談の看板が掲げられたと聞き、自転車で向かう。この写真で特ダネ賞を受賞。長井の政界人たちに「四郎がいては変なことはできぬ」といわしめた。家族にも深い愛を注ぎ、教育界の人物に妻の連れ子の親であることを認知させた。俳号南山。昭和37年没。
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