BECOME THE ONE!! ~COACH Mr.RYO~

2000年からシドニーでコーチをスタート。夢はもちろんオリンピック!

I can't believe that!

2012-05-02 22:26:56 | Weblog
アリゾナ、フラッグスタッフでの彼の死は。本当に信じられません。

何が原因なのか、ちゃんと究明して欲しいです。心臓発作だったのでしょうか?何か彼は持病はなかったのでしょうか?

彼の最後となったオフィシャルのインタビューです。彼がいなくなったなんて本当に信じられません。



このインタビューを見るまでは、本当に彼のことを知りませんでした。

フラッグスタッフにはもう10回も来ているとか。高地のトレーニングの仕方も知り尽くしていたに違いないはずなのに。。。

上海の優勝は母国で起こったテロによって被害を受けた人々を励ますためにレースをし見事にすばらしい記録で泳ぎ金メダルという最高の勇気を国民にもたらすことが出来たこと。
しかし、まだまだ完璧にはほど遠いという彼のレース。もっともっと伸びしろはあったに違いありません。ロンドンではきっと素晴らしい泳ぎを見せてくれていたことでしょう。。。

水泳は決してメジャーではないノルウェーで育った彼。小さい頃、サッカーから初めた彼は、手足が長い特性を活かし水泳に没頭することに。しかし、通っていたクラブがつぶれてしまい。その後は両親が毎回片道50kmもある距離を車で彼を送り向かいすることに。そして、シティーに移り、プールも近くなったが、決してその設備は日本がアメリカそしてもちろんオーストラリアなどではもうあり得ないかもしれない、4x25mのプール、しかも、片方は水深0.5mそして深い方でも1.5mしかないプールで練習することに。ノルウェーには50mプールはありません。そんな中で世界チャンピオンになった彼が示す通り。いい設備がいい選手を産むのではないということ。与えられた環境で努力することの大切さを痛感させられます。
 11歳でオリンピックに行きたいと思い出し、最初のチャンスとなった2004年のアテネ五輪選考会。4位で代表を逃すことに。しかし、それがいい刺激となり本気で北京を目指した彼。それまでは週に6回しか練習していなかった彼がそこから本気になったと言います。ここ7年間がその期間だと言っています。
 北京では見事銀メダルを獲得。ノルウェー初の競泳でのメダリストとなった彼。しかし欲しかったのは金メダル。でも彼は“最高の選手に負けた”と言います。北島選手を心から尊敬する彼。彼は今までで一番最高の選手であり、私を奮い立たせ、常にハードなトレーニングに立ち向かわせてくれる偉大な選手である。
 今年は、モンテカルロの試合にしか出ないと言っていた彼。怪我が多く最近も3ヶ月ほど練習が出来なかった彼。本当はもっと試合をするべきだが少し腰を据えてロンドンを狙うと言っていました。

 北島選手や復活したブレンダンハンセン選手達とまたオリンピックの舞台で戦うことを楽しみにしていた彼。あまりにも早すぎる死に、今だ信じられない気持ちでいっぱいです。ロンドンでは彼の死に報いるためにも100m平泳ぎのレース。出場出来る選手は歴史に残るレースをして欲しいと思います。見る側の私たちも熱い気持ちで彼の泳ぎと重ねながら見たいと思います。

 彼の死に心からご冥福をお祈りします。

間違いなく、一生語り継がれる“記憶に残る”人でしょう。